秘密の宮
螺珠は臥渓の五番目の姉で、自分が地龍の魂の持ち主であることも、地公になるはずだったことも知らないまま蘇の王城にある湖で溺死した。
それが段達の知る「螺珠」だった。
その螺珠が、黒い装束で、黒い靄をまとって立ち、かつては村人だったはずのバラバラ死体の奥に立っている。そして螺珠のまわりには、自由な意思を失って他者を攻撃するだけの、かつて人だった幽鬼たちがいる。
段達の呟きを聞いた芳俊が「螺珠?」と訊き返してきて、段達は「麒麟を作った姉だ」と芳俊に囁いた。
「見合いのときに范延に頼んで持ってきてもらった、剥製にされた麒麟?」
「そう」
段達は頷く。
「地龍王の五番目の公主で、地龍としては私の姉だ。彼女はあの麒麟を作った日に湖畔で足を滑らせて息を引き取ったと聞いていた」
黒い糸で縛られた人魂を引き連れて、螺珠はじっと佇んだまま段達たちを眺めていた。
段達が螺珠を眺めているあいだに間を詰めてくるバラバラ死体の村人たちに、石禹斗と迅が護身用の剣を向ける。
「頼むから近付くなよ。死体だとしても、できる限り傷付けたくない」
「松明で火葬にするのも、あまりしたくない」
石禹斗と迅が剣と松明を振り回して村人たちを振り払ったが、距離が開いたのは最初だけだった。
芳俊が段達と螺珠を見比べてから息を吸い込む。
「本当に、お姉さん?」
「そうじゃなけりゃ、ここで起きてることに説明がつかないんじゃないか?」
意気消沈した様子で言う段達は、芳俊をちらりと見て首を振った。
「私は、彼女が死んだと聞いていたんだ」
「それで、どうする? 地龍の世界に連れて帰る?」
芳俊が段達に訊く。
螺珠が何も言わずに村人たちを眺めまわしてから手を動かす。螺珠が動かしたその手の動きに合わせて、村人たちがまた動く。
「どうして螺珠の動きで動くんだ!」
段達は混乱したように頭を抱えて思わず叫んだ。
意志、意識。
自分たちが操るもの。
(草木が動いたのと同じか?)
段達は村人たちを見つめてから、息を吸い込む。
「止まれ!」
段達の声で止まる者はなかった。
「螺珠のほうが私より強い?」
ふと呟いた段達に、芳俊が振り返る。
「どっちが強いかは知らない」
芳俊に言われて段達は「そりゃそうだ」と頷いた。
(どうして螺珠は死人を操ることができるんだろう? 死人に意思がある?)
悩みながら螺珠をじっと見つめていた段達は、芳俊に袖を引かれた。
「一日、姉上を追ってみる?」
「どうやって」
「姉上殿に、熊震の蛇に追わせる」
「叔父上の蛇?」
芳俊が頷き、段達は「そうしよう」と同意する。
「こっちはどうする!」
石禹斗の悲鳴にハッとして、段達は芳俊の肩を叩いた。
「姉上を追う。芳児、鳥居のあたりに結界を張ってくれればきっと、村の人は結界のほうを攻撃しに行くんじゃないか?」
段達に「分かった」と頷いて芳俊が大きく手を動かして鳥居に向け、結界を張る。
結界を見た村人たちが結界のほうに向きを変えて結界を攻撃しはじめ、それを確かめてから四人は螺珠を振り返り、それぞれに剣と松明を手に息を整える。
「姉上、初めて会うのに話もできなくてすみません」
段達は呟くように言ってから、一歩、足を踏み出した。
「元足! 廟はどっちだ!」
呼ばれた元足が迅の肩から羽を動かして飛ぶ。
段達は思わず「すごいな、羽が役に立った」と驚いた。
「追うのだろう?」
芳俊が肩を叩いて段達を促す。
「行こう」
四人が走るのを見て、螺珠が目を眇めた。
「姉上! こちら!」
段達は螺珠の気を惹いて殿に立ち、螺珠が自分たちを追ってくるのを確かめてから芳俊と石禹斗と迅のあとを追いかけた。
*** *** *** *** ***
夜の田舎はただでさえ暗くて怖いが、動く死人しかいない村はさらに怖い。
灯りもない村のなかを、四人は元足を追って走る。
後ろからは螺珠が追ってくる。
村のなかを飛び回り、元足が荒れ果てて屋根も崩れた廟を指差す。
「ここが廟です。この門を入って右が天公廟、左が地公廟でございました」
芳俊が「ご苦労!」と元足に声をかけた。
「とんでもございません」
慇懃に頭を下げた元足を懐に仕舞おうとして、芳俊は自分の胸元を見て一瞬だけ動きを止め、石禹斗が「どうした?」と芳俊を気にする。
「胸に隙間がない」
「どうして胸に隙間があると思った」
石禹斗に訊かれて芳俊は「訊かないでほしい」と首を振った。
ふわりと上から黒い靄とともに降りて来た螺珠が四人と廟の間に立ちはだかる。
なにも言わず、ゆらりと黒い靄をまとった螺珠を迎えるかのように廟に植えられた木々が風に揺れて枝を広げた。
「芳俊」
段達は芳俊を振り返る。
「なに」
「苹州で使っていた人間の器はまだ使えるか?」
「使える」
芳俊の答えに、段達は頷いた。
「地公廟に入りたいが儀典官や技官が手続きしてくれるわけではないから、器を使ってもらえないか」
頷いて、芳俊がパシンと手を叩いて姿を変える。
目の前にいる「芳児」を見て段達は、「ごめん」と小さく謝った。
「なにが」
「芳俊は本当に芳児だったんだな」
「疑ってたのか」
芳児が小さく笑い、段達の肩を叩く。
「地公廟に入るとなにか分かるの?」
迅に訊かれて、段達は「もしかしたら」と頷いた。
「姉上のために作られた宮があるんだ」
そう言って段達は螺珠を見上げる。
「地公廟に行きませんか」
段達の言葉は螺珠には届かず、螺珠が腕を振り上げて廟の木々を動かし、枝を大きく伸ばし、振らせて段達を叩き飛ばした。
飛ばされた段達を振り返り、芳児が駆け寄る。
「どこか痛む?」
「大丈夫」
首を振った段達は、芳児を眺めて「ごめん」ともう一度謝った。
「なにが?」
段達は芳児の胸をちらりと見てから首を振った。
「なんでもない」
芳児が立ち上がり「元足!」と元足を呼ぶ。
「お呼びですか?」
「胸に入っていて」
芳児が肩に飛んできた元足を捕まえて胸の隙間に元足を突っ込んだのを、男三人がじっと見ていると、そのあいだを抜けて螺珠がひらりと舞うように飛んで芳児の前に立ち、芳児の頬を指で撫でた。
「だめよ」
音が二重か三重になったような声で芳児に囁いて、螺珠が芳児の着物を整える。
「男には近付かないことよ。男なんて誰もみんな嘘つきで、ひどいことしかしないの」
芳児の首筋に螺珠の指が這う。
「男は欲張りだから、今日の獲物を手に入れたら明日には違う獲物を欲しがるわ」
螺珠の指から立ち上る黒い靄が芳児の首に絡みついていく。
「姉上、芳児を放してください」
声をかけた段達を振り返り、螺珠は首を傾げた。
「私に弟はいないわ」
「あなたが私に会ったことがなくても、私はあなたの弟なんです」
段達は言ったが、螺珠は首を振る。
「私はあなたを知らない」
そう言った螺珠が指を動かし、段達の足元から蔓草を伸ばした。
「弟だと言えば、あなたが欲しがるものを作ってあげるとでも思った? 残念ね」
螺珠が芳児を振り返って訊く。
「あなたが作ったの?」
「え?」
螺珠が芳児の胸を覗き込んでからもう一度訊く。
「この妖精、あなたが作ったの?」
芳児は無言で頷いた。
「怯えないでいいの。男に近付いてはだめ」
芳児の額に手を伸ばして、螺珠が芳児の目を撫でるように閉じさせる。
黒い靄が轟音を立てて広がり、段達は芳児と螺珠を見失った。
「芳児!」
芳児と螺珠を包み込んだ黒い靄は地公廟に向かって勢いよく流れる。
段達は慌てて地公廟に飛び込もうとして石禹斗と迅に止められた。
*** *** *** *** ***
螺珠に目を塞がれてから気が遠くなり、気付いたとき、芳児は見たことのない天井が上にあるのを見た。寝かされていた場所も、見知らぬ寝台だった。
黒漆で塗られた格子の向こうに、黒い着物の螺珠が見えて、芳児は体を起こす。
外は明るい。
人気のない壊れかけの建物を眺めて、芳児はどことなく懐かしさを覚えた。
(昔、暁寧殿がこんな感じだった)
常梅香が来てからずっと立派に修繕されたが、伊五子とふたりでいることが多かったころは、荒れ果てた庭には雑草がはびこり、壊れた窓枠には埃が積もったりしていた。
「ここはどこでこざいましょうな」
胸元から顔を覗かせた元足が首をひねる。
「さあ」
首をひねってから、芳児はここはどこかと手がかりを探そうとして螺珠の視線に気付いた。
「起きたのね?」
芳児は頷いた。
「ここは女の子だけだから安心していいの」
女の子だけ、と言われて芳児は周りを見た。
誰かがいる気配はない。
「男の子はここに入れないから大丈夫。ずっとここにいていいのよ。ここでは誰もあなたに何かを作れなんて要求しないわ。花を咲かせる必要もない、麒麟を作る必要もない。あなたはまだあの男に捕まってないのでしょう?」
麒麟を作る、と言う言葉で、芳児の目からはなぜか涙が落ちた。
「あの男とは蘭のこと? あの男は、あなたになにをしましたか?」
螺珠が芳児を抱きしめて額に口付ける。
「忘れていいの」
芳児は黒い靄に腕を掴まれて寝台に押し付けられた。
「ここにあの男は来ないわ。大丈夫。大丈夫よ」
螺珠の言葉が芳児の耳元で囁いた。




