加冠、参戦
加冠の儀の朝は、曇っていた。
芳俊が装束を着せつけられているあいだに比轍と段季が眺めているのは、加冠の儀に列席する大臣たちの名前を並べた紙だった。
「見事に反二妃と中立派だ」
「比轍、二妃はなにを考えているんだと思う?」
じっと彼らの名前を見た比轍は、着替えて芳俊のところに向かう。
準備をして儀典の始まりを待っていた芳俊は比轍と段季を前にして紙を眺め、それからふたりを見た。
「これをどうしたらいい?」
「覚えてください」
比轍は芳俊にむかって畏まることなくぞんざいに言う。
芳俊は頷いた。
「私は」
芳俊が嘆息に言葉を混ぜてこぼす。
「范延が怪我だらけなのを見て二殿下が嫌いになった。范延が怪我をしないで済むようになるなら、范延を二殿下の物から自分のところに引き寄せたい。それから比轍が色々な話をしてくれるのが好きで、比轍を手元から離したくない。常梅香の造作は母上と似ていないが、芳児として常梅香が母であったらよいなと思う」
比轍は小さく「母」と呟いて肩を落とし、なにかを振り切るかのように上を向いて首を振った。
「暁寧殿にいるあいだだけでも、母君の代わりに二妃と対峙しますよ」
段季が小さく笑う。
「あと」
芳俊が続ける。
「段達が臥渓だと思うと、私は臥渓公主を他の皇子の誰にも渡したくない。私は臥渓公主のことはよく知らないけど。一度しか対面したことがないし、座布団投げられたし」
段季は甥の所業に慌てた。
「私は段達といるのが好きなのに、段達は頴州との境で地公廟の祭司官として前線にいる」
芳俊が肩を落とす。
暁寧殿に落ちる沈黙。
「複雑怪奇」
肩を落としたまま、ぼそっと芳俊が呟く。
「私は阿達が芳児を好きだと言うなら、阿達が望むように芳児として苹州にいるのも悪くないし、王位継承権なんて要らないと思うんだ。でも阿達は臥渓公主だから、放っておくと他の皇子の誰かの婚約者になってしまうと言う。なら芳俊がと思っても、嫌われていて話もしてくれない。芳児として芳俊の話をしようとしても阿達は嫌がって逃げてしまう」
段季は項垂れた。
「甥が逃げてすみません」
その芳俊と段季の言葉を比轍が遮る。
「今日の列席者は覚えられそうですか? 彼らは二妃には従わない大臣たちで、これから味方になってくれる可能性が高い者たちです」
「ガンバリマス」
芳俊の言葉が上っ面を滑った。
*** *** *** *** ***
芳俊の加冠の儀に集まった大臣たちは男も女も関係なしに、互いの顔ぶれを見て顔をしかめた。
「この加冠の儀は二妃が取り仕切るのでしょう? 六殿下は二妃に屈服したのでしょうか」
「わからないが、少なくともこの金のかけようを見れば、二妃に逆らったということはあるまい」
儀典用の赤と青で彩られた着物で身を飾り、玉の笏を手にして大臣たちはひそひそと言葉を交わす。
自分たち反二妃の者、それに中立であろうとする者たちを集めた二妃は、この場で六皇子を擁立するのは無駄だと見せつけようとしているのだろうと、誰もが上目遣いに、一段高い場所に設けられた儀式の座についた六皇子芳俊を見上げた。
芳俊の横には、見慣れない男女がいる。
「あれは誰だ?」
「比一族の娘だそうだ」
「身分を剥奪されているのではないのか?」
「養女で、人間から眷属に上げられた娘と聞いた」
「あの容姿だ、人間にしておくのは勿体ないとでも思ったのではないか?」
「三皇子に側室として献上するつもりであったと噂がある」
「あら、寡婦なのね。それなら六皇子の指南役に就いていても問題ないわけだわ」
ひとしきり常梅香の話をした大臣たちは、その横にいる段季に話題をずらした。
「男のほうも人間か」
「苹州から比氏の護衛として来て、六殿下の武術指南をしているそうですよ」
「人間が龍族の皇子に武術指南とは、暁寧殿は師にも事欠くらしい。昨日までなら、おいたわしいと言ったところだが、今日は、なんと言えばよいか」
これから成人して擁立できそうなただひとりの皇子に二妃の息がかかったのだと思うと、大臣たちの言葉は陰鬱としていく。
ひとしきりの儀礼がこなされて儀典の場を出た大臣たちは、比氏の養女と武術指南役が見送りに出てきたのを見た。
「お時間に差し支えなければ、暁寧殿で些かの食事を用意させていただいております」
比氏の養女だと言う女の言葉に、ある者は「けっこう」と足早に立ち去り、ある者は「殿下への挨拶だけ」と応じていく。
女は特に去る者を引き留めるでもなく、応じた者を手際よく暁寧殿へと案内させていた。横の男のほうは長身痩躯の優男で、これに武術指南が務まるのか呆れた者もいたが、おおよそ愛想のよい男の姿勢に悪感情を抱く者はなさそうだと誰もが腹を探り合う。
ここにいるのは、反二妃、それに中立派。
六皇子は二妃についたと判断した者は去っただろう、しかし真意を探ろうとする者は残るだろう。
誰もが他人の反応を窺っていた。
「二妃の庇護を受けた六皇子の膳に手を出してたまるか」
列席者のひとりが男に向かって言った。
(それはそう思うだろう)
去ろうとする者たちは同意した。
「手土産には、銀器、毛皮、碁石を用意しております」
比氏の女の言葉を聞いた大臣のいくらかが足を止めた。
「どういうことだ」
「他意はございません」
比氏の女は答えた。
*** *** *** *** ***
比轍は加冠の儀を終えて暁寧殿のささやかな宴のために残った大臣たちを饗応用の間に案内してから、一度自分に与えられた建物に下がった。
十五年で見慣れた「常梅香」が鏡に映っている。
「殿下、王宮にいる母たちっていうのは、外の母たちとはずいぶんと違うものですよ」
呟いて、鏡に向かって人間として持っている身分証の札を下げる。
常梅香。
「阿達、あなたは無意識に臥渓として力を使い、私の意志を操っているかもしれませんよ。私は比一族の釈放を望みますが、それ以上に、芳児のために二妃と戦おうとしています。ここで芳児のために二妃と戦うことができるのは、男の比轍ではなく、女の梅香です。あなたは戦いを望まない女であってほしいとおっしゃいましたけれど、それ以上に芳児を守りたいと思っていらっしゃる」
そう言ってから、比轍は常梅香として簪を整えた。
「この先は、比轍のことを忘れて常梅香として振舞いましょう」
身分証の札を仕舞い、常梅香は「ああそうだ」と付け加える。
「あなたには届かないでしょうが、阿達、女の子も好いた男の子のために覚悟を決めるものです。芳児は段達が頴州と戦うと聞いて、宮中で二殿下と競うと決心したんですから、せめて段達としてでもよいから芳俊殿下と話をしてやってくださいよ」
鏡に向かってぶつぶつ話しかけた常梅香を、段季が怪訝そうに眺めていた。
「段公子」
「はい」
「あなたに比轍と呼ばれるのは好きですが、これから先は、天乱が落ち着くまでずっと常梅香として振舞おうと思うので、そのように扱ってください」
「そうですか」
段季は頷く。
「今さらですが、阿達をひとりにしておいて大丈夫ですか?」
「なに、地公廟の祭司官たちが周りについているから、大事ない。あれは男児です」
笑ってから、段季は頭を掻いた。
*** *** *** *** ***
銀器と、それに段季と常梅香が用意した毛皮と碁石を見て、暁寧殿に来た大臣たちは目配せを交わす。
芳俊はじっとそれを見ていた。
銀器は炎国産、毛皮は玄国産、そして碁石は苹州産の瑪瑙。
「梅香」
芳俊が声をかけて振り返れば、比轍が着飾った常梅香の姿で控えている。
(これで比轍の素が出なければ最高傑作なんだ)
声をかけられた梅香が列席者ひとりひとりに酒をふるまって回り、小さく「銀器はぜひお持ち帰りください」と告げた。
「失礼ながら、比氏の養女だと聞いたが私は比嵩殿と親しくするなかで、あなたの話を聞いたことがない」
ひとりが小さな声で常梅香を誰何する。
「さようでございますか?」
常梅香は小さく笑って返しながら、自分の身分証になっている札を三枚その男に見せた。
柳州比轍、珊州常梅香、蘇地伎芸
常梅香はその札をしまいながら笑みを浮かべ、酒器を取り直して男に酒を注ぐ。
「殿下を棄てないでいただけるようであれば、銀器以外の手土産には碁石をお取りください。石は縞瑪瑙、苹州産です」
男はちらりと常梅香に目をあげた。
「碁石をいただく」
「ありがとうございます」
常梅香が侍女を呼び、碁石を用意させる。
隣の大臣がそれを見ていた。
「櫓殿、碁石をお持ちになるのか」
「ええ、楢殿もいかがです。縞瑪瑙だそうですよ」
「縞瑪瑙?」
楢氏が芳俊をちらりと見る。
「手土産に、銀器と碁石ですか」
「気に入っていただければ幸いです」
芳俊は楢氏に言った。
列席していた者たちが一様に、櫓氏と楢氏に目を向ける。
ひとり、別に口を開いた者がいた。
「しかしこの頂き物で二妃の不興を買うかもしれんと思うと割に合わん」
呟いた男は周囲の男女の視線に気付いて、「うっかりした」と口元を押さえる。
様子を見ていた峰適は、ゆっくりと常梅香と熊震を視野に入れて、熊震の目が薄く緑にきらめいているのを見た。峰適がうっかり口を滑らせたときに見た目だった。熊震の視線が峰適を見、それから熊震が唇に指をあてる仕草で秘密を示す。
熊震の目が峰適を見るのに合わせて、峰適の身が竦む。
峰適は熊震の視線から逃げるように、慌てて芳俊の横に進み出た。
「殿下、比氏様、ほかの方々にも碁石をご用意いたしますか?」
「要望がおありのかただけでいい。それに毛皮もある。毛皮をお望みのかたには毛皮をお渡ししてほしい」
芳俊は峰適に告げ、峰適は「かしこまりました」と足を引いた。
辺境の段達ももっと書きたいと思います。段達と芳俊がどこまでもかみ合わないです。




