エピローグ
──月日は過ぎ、季節は巡って三月のある日のこと。
その日もカフェ『Sorcére』ではおなじみの光景が繰り返されていた。
『あんな条件のむんじゃなかった……』
流暢なフランス語で嘆くのは、見た目はイケメン心はメレンゲ、店長にしてほぼ置物の射雅楓その人である。。カウンターに突っ伏してメソメソと、湿っぽいったらありゃしない。
そんな店主をジト目で見ながら、シェフにして看板娘の蜜葉がいらいらした調子で言った。
『楓、いい加減鬱陶しい。いつまで同じこと言ってんの』
『だって……怖いんだもん』
いい年した大人が『もん』とかつけないで欲しいと心底思う。だがまぁ気持ちは分からなくもない。
楓がこうも恐れているのは、言わずもがなのあの事件──この街に来て初めての事件の顛末についてである。
あの時楓は魔法使いのルールを破り、被害者から記憶を奪わなかった。
その場のノリでカッコつけたまではよかったが、時間が経ち冷静になるにつれて、だんだん怖くなってきたのである。仲間にバレたらどうしよう──そんな不安が麗しい顔に書かれている。
『特にあなたのお母様が知ったら、頭蓋カチ割って脳みそメレンゲにするぐらいやりかねません……』
『ママンはそんな事しないよ。縛り上げて全身に漆塗って、牛乳拭いたぞうきんで顔を拭くぐらいはするけど』
『それも充分嫌ですよ!?』
流石魔女の子供だけあって、思いつくことがえげつない。
楓はうっかり想像したのか、全身に鳥肌を立てて震え始めた。もうこの際放っておこうと、蜜葉は食器を磨き始める。どれもこれもバカみたいな値段なので、一枚たりともゆるがせにできない。しかし頭の中では、少しだけ別の事を考えていた。
お店のこれからやフランスにいるママンの事、それからやっぱり、千咲の事も。
あれから幾つかの事件を解決したし、何人ものお客さんに料理をふるまった。
けど、あんなに蜜葉の料理を喜んでくれた人は他にいない。ちょっと変な人だったけど、もともと蜜葉の育った世界は変人ばかりだから気にならない。また来ないかな、と時々思うがきっと難しいだろう。
仕方がなかったとはいえ、自分たちはあの人を利用したのだ。
嫌われて当然だし、よしんば許してくれたって、わざわざ会いに来てくれるはずがない。後ほら、うちのお店はとてもお高い。それもこれも下手に繁盛して魔法狩りをおろそかにしたくないと言う店主の意向だ。
その割には毎月の赤字に顔面ブルーレイだし、ウェイターとしてのスキルもあやしい。
せめてカフェか花屋かどっちかにすれば、もう少しまともに経営できただろうに。
『だってそれだとつまらないでしょ。カフェだけになったら私の仕事ほぼありませんし』
『今とあんまり変わらないよね』
どこまでも辛らつに言って、全ての食器を拭き終えた直後、今日も絶賛閑古鳥と思われた店のドアが開き、ドアベルがカラカラと小さく福音を奏でた。
「バカな、お客!?」
客商売にあるまじき叫びをあげ、楓はガバチョと跳ね起きた。そしてすぐに固まった。久方ぶりのお客様は、噂をすれば影そのもの。
「こ、こんにちはー……」
腰の引けた挨拶の主は、忘れもしないかの暴食小娘、叶谷千咲その人であった。
◆
「とりあえず色々落ち着いたので、改めてお礼のご挨拶をと思って」
いつぞやと同じカウンターの席に着くなり、私服姿の千咲はのほほんと言った。
薄手のスプリングコートにタイトなデニムと、カジュアルな格好だ。
ほんの少し大人びた様子に、楓はびくびくしながらメニューとお冷を出す。
「……普通あんな目にあって、のこのこまたお店に来ますかね?」
「そりゃ来ますよ。今日までずっとオムレツ我慢してたんですよ?」
うきうきと言って、鼻歌交じりにメニューを開く千咲である。どうやら彼女の中では美味しい料理>超えられない壁>事件の記憶らしい。
「学校はどうしたんです?」
「昨日卒業しました。大学にも合格しましたし、しばらくは自由の身ですね。……あ、とりあえずスフレリーヌを300gとルイボスティーお願いします」
『とりあえず』というフレーズに楓は怯え、蜜葉は快くオーダーを請け負った。
注文が出てくるまでの間、千咲は楓に事件のその後を話して聞かせた。
柳ケ瀬は現行犯でその場で逮捕。連行当初は容疑を否認しようとしたが、視聴覚準備室のありさまが動かぬ証拠となり、懲戒解雇および即起訴の運びとなった。家宅捜査で色々余罪も露見したので、当面社会復帰は望めまい。
魔弾で操られていた生徒や教師も事情聴取に連行されたが、要領を得ない返答ばかりで警察も首をかしげていた。結果、彼らは不起訴となったが、千咲に特に不満はない。
正気に戻った生徒たちは、千咲にこれまでの行為を何度も詫びた。それが心からの謝意なのか、打算なのかは分からない。まぁ、つついた所で大した益もなし、水に流してそれで終わりだ。
そして最後に雪華だが、彼女はあれ以降ほとんど学校を休んだまま、卒業を迎えてしまった。
現れたのは高校最後の期末テストと卒業式だけ。千咲とはほとんど目も合わせず、用が済んだらさっさと姿を消してしまった。
「このお店にも、卒業祝いに一緒に来たかったんですけどねー……」
しんみりと言う一方、やむを得ないかとも思う。
あんな流れで告白させられ、脈がないと分かってしまえば、合わせる顔などないのだろう。
「でも私、ハッキリ振ったわけじゃないんですよね」
あの時に千咲が告げたのは『今は付き合う気がない』と言う、ただそれだけの事だ。
そもそも彼女はまだ、恋する気持ちと言うのを知らない。かっこいい人を見れば見惚れる事もあるし緊張もするけど、でもそれだけだ。美味しいものを食べている時や、雪華といる時の方が何倍も楽しくて幸福なのに。
だからいつまでも凹んでないで、ちゃんと友達してほしかった。こんな小娘のどこがいいのか知らないが、そんなに好きだったってんなら、もう少しガッツを見せてほしいものである。
「こういう風に考えちゃう当たり、やっぱり私ってこう、薄情なんですかね……」
「やたらタフなのは確かですねぇ」
褒められてんだか貶されてんだか分からないコメントをいただき、むぅっとほおを膨らませる。
その時ちょうど蜜葉が現れ、お待ちかねのスフレリーヌが運ばれてくる。途端に千咲の相好は崩れ、恋する乙女のような顔へと変じる。一口目をほおばるなり素っ頓狂な嬌声を上げた。
「んー、やっぱり美味しい! 今日も神がかってるよ蜜葉ちゃん!!」
「Merci! くるしゅうない!!」
最近覚えたサムライ語を披露しつつ、蜜葉は千咲が食べる様をニコニコしながら見守る。相変わらず気持ちのいい食べっぷりだ。だが半分ほどを平らげると、目に見えてペースが落ちた。
「……ほんっと美味しい。これを知らないで消えるのはバカ」
誰にともなくつぶやいて、またフォークを動かし始める。だが雪華の顔がどうしてもちらついて、料理の味に没頭できない。
もうすぐ二人はお別れになる。千咲は地元の、雪華は横浜の大学へ。それは元々、決まっていた事だから仕方ない。離れていても親友だと言いあっていたのも、今は遠い昔のこと。
別にいい。そこで次の恋でも見つけて、さっさと幸せになって、自分の事なんか忘れてしまえ。それでいいと思う反面、友達だったことは覚えててほしい──相反する心の挙動に負けないように、再び千咲は手と口を動かす。動かしながら、どうすればスッキリするのか考える。
口の中でもちゃもちゃしながら考える事しばし。その間三度のお代わりとデザートのパフェ2杯が供され、胃袋と言う宇宙の中へとかき消えていく。そうしてたっぷり摂取したカロリーをすべて思考に費やした結果、千咲はついに閃いた。
「店長さん」
静かな声で呼ばわるお客に、楓がひっと悲鳴を上げる。
しかし千咲はそれを無視して、悪戯な光を宿した目で言った。
「──私に魔法を教えてください」
◆
卒業式から一週間後。
その日の愛善雪華の目覚めは、久しぶりにスッキリしたものだった。
AM7:00。目覚ましが鳴る前にベッドから起きてカーテンをあける。空は快晴、予報通り。旅立つ日にはいい日和だ。
いつ頃からか、この日をずっと心待ちにしていた。
この街から──あの子のいる場所から消える日を。
雪華は一つ伸びをして、階下にいる両親におはようを言った。
久しぶりに三人で朝食をとり、会社へ向かう父を見送ってから身支度を整える。
他に向こうで必要な荷物はあらかた送ってしまったので、部屋の中はがらんとしている。
しかしよくよく見渡せば、思い出の名残は残っているものだ。例えば、そこのベッドとか。
買ってもらったのは10年位前で、当時はたくさんのぬいぐるみを並べて自分のお城を作ったものだ。その他に思い出すのは、やっぱりあの子の事で。
(昔はよくお泊り会したな……)
二人で一緒にベッドに収まり、身体をくっつけて夜遅くまで色んなことを話した。学校の事、好きな漫画や音楽の事、好きな人の事なんかも。
「千咲ちゃんは好きな人いる?」
「いるよ。雪華ちゃん」
「そーじゃなくて、レンアイ的なイミで好きな人だよ。もう小学生なんだから誰かいるでしょ?」
「んー……わかんない。今はやっぱり、雪華ちゃんが好き!」
そんなやり取りをお泊り会のたびにしていて、彼女の答えが変わらない事に安堵と喜びを見出していた。
あの時の千咲の好きは友達としての好きで、その後もずっと変わらないままで。
その頃からもう、お互いの好きはズレていたのに。
「なんでさっさと諦めなかったかなぁ……」
苦笑したつもりが涙声になって、慌てて上を向いて目頭を押さえる。
そうすると瞼の裏にあの子の影がちらついてしまう。考えないようにしていた分、やたらめったら反動が大きい。
やはりここに居てはいけないと思った。甘い思い出に引きずられて、余計なことまで──あの日の事まで蘇ってしまう。
許すよ、と彼女は言った。けれども自分で自分を許せなかった。さして意味のない自罰。彼女の意志をきちんと汲むなら、手を取るのが正しかったのに。
『振った女にやさしくするな、バカ!!』
格好つけて拒絶しても、顔を見ればあの子の事を求めてしまう。長年募らせたこの気持ちは、そう簡単に消えてはくれない。
今でも時々考える──あの時、魔法使いに撃たれていればと。甘くて痛いこの気持ちは、いつになったら薄れるのだろうか。
「……もう、行こう」
悄然と独り言ち、雪華はハンドバッグを手に取った。少し崩れたメイクを直して玄関に向かうと、母が見送りに立っていた。
「駅までついて行く?」
「ううん、平気。もう子供じゃないんだし」
「そう? ならいいけど。何かあったらいつでも帰って来なさいよ。アンタ打たれ弱いんだから」
「分かってる。……最近それを自覚したとこ」
娘の自嘲に母は首をかしげたが、それ以上は何も言わずに黙って娘を見守っていた。
「じゃあ、お世話になりました。お母さんも元気でね!」
それだけ言って踵を返し、さっそうと見える様に背筋を張って歩き始める。
見送る母の視線を感じなくなると、少しだけ歩調を緩めて住み慣れた街を見渡しながら歩いた。
住宅街をぬけ、少しさびれた商店街を横切り、都心へ続くモノレールと高速道路の高架下を抜ける。ビルとビルのはざまから、通っていた高校の校舎の頭が見えた。
それを目で追い、すぐにまた視線を戻して歩く。後はこの先にある大きな公園を突っ切れば、混雑する大通りを避けて駅に辿り着く。
また徐々に歩調を上げる。思い出もしがらみも、自分の弱さも振り切るように。
──なのにどうしてこう、思い出って奴はしつこく自分を追いかけてくるのか。
公園に差し掛かり、人影まばらな並木道を歩くことしばし。
先を急ぐ雪華の右前方、まだ蕾のままの桜の木陰から、不意に飛び出す三つの影──一つは黄色、一つは白、そして最後は真っ黒け。出てきた順に小中大、幼女、ちんくしゃ、涙目のイケメン。全員がフリフリのミニスカドレスで、お揃いのステッキ片手に雪華の前に立ちはだかる。真ん中のちんくしゃが言った。
「はいどうも! 通りすがりのプリキュアです!!」
やおらの名乗りに雪華の脳が死ぬ。バッグがポトリと地面に落ちた。道行く人々が何事かと足を止め、不審者トリオは委細構わず次の行動に移る。
ちんくしゃが指を打ち鳴らす。キュア女装が半泣きでBGMを口ずさむ。オリーブの首飾り──マジックショーでは定番の一曲。
キュア幼女が木陰に飛び込み、うんしょとバスケットを掲げて戻ってくる。
それをセンターのちんくしゃに手渡すと、中からシルクハットとスカーフを取り出した。
いったん帽子の中をギャラリーに見せて、何もないことを確認させる。
次にスカーフをハットの穴に手際よく被せ、ステッキをかざしてむにゃむにゃと何事か唱えた。
するとスカーフが持ち上がり、中から鳩が飛び出した。純白の丸鳩はくるぽっぽとひと声鳴いて空へと飛び立つ。さらには花が、万国旗が、次々と引きずり出されて観衆の目を楽しませた。小さな拍手とシャッター音。
それらに満面の愛想笑いで答えてから、キュアちんくしゃは正面の──ひとり、脳死したままの雪華へと近づいていく。
「どう? どう?? 私の魔法凄いでしょ!?」
「……いや手品じゃんそれ」
「違うよ! 正真正銘魔法だよ! 種だって仕掛けだってこの店長さんがやったんだから!!」
「うんわかった。とりあえず可哀そうだから着替えさせてあげて」
頭痛をこらえてそれだけ言うと、楓は何度もしゃくりあげながらボトムを履いた。最初から履いとけと思わなくもない。
なんなのだ、もう。こんなところで待ち伏せして、挙句いつも通り(?)ふるまって。
「見送りに決まってるでしょ。黙って逃げきりなんて絶対させない」
力強く言って、千咲は雪華を下から見上げた。目線とかち合い、雪華はついっと顔をそらす。
「……なんで今日だって分かったのよ」
「おばさんに電話して聞いた。こういう時家族ぐるみって便利だよね」
「……あたしは顔も見たくなかった」
「嘘ばっか。口元ニヤニヤしまくってるし」
ハッとして口元を撫でる。すると確かに口元が緩んでいた。途端に周知がこみ上げて、耳元までさっと朱がさす。それを千咲は勝ち誇って眺めて楽しんだのち、ふと表情を和らげた。
「こっからが本番の魔法だからね。はいこれ」
そういって取り出したのは、何の変哲もない紙袋だ。中身は包装された箱が大小二つ。持って行けと言う事だろう。
「多分ね、言葉じゃ上手く伝わらないと思って。あ、まだ中は開けないでね。一人の時がおススメ」
意味深に言いながら荷物を押し付け、千咲はくるりと踵を返す。
「それじゃ私たち帰るから。気を付けていくんだよ、家に着くまでが引っ越しだからね!!」
一方的に言うだけ言って、三人は一目散に走り去る。真ん中の白いのだけが、何度も振り返って手を振っていた。
「何だったのよ、結局……」
荷物を抱えて呆然と呟く。見送りだとか言っておいて、こっちが見送りしてるじゃないか。あと、女装の人にはどうか強く生きてほしいと思う。魔法使いって大変だ。
気を取り直して駅へ向かう。今度は何の邪魔も入らず、あっさりと公園を抜けた。
駅へ着き、ホームに出ると丁度電車が来るところだった。これ幸いと端の席を確保する。窓枠に切り取られた春の日差しが温かくて心地よい。
平日昼間の乗客は少なく、ほとんど貸し切り状態だった。
念のため周囲を見渡し、雪華は紙袋の中身を手に取る。
まずは小さいほうの箱を開けると、手紙とともに見覚えのあるものが入っていた。
新品のハンカチ。デフォルメされた花柄のそれは、かつて雪華が盗んだのと同じものだ。
嬉しいような微妙なような──『忘れるな』とでも言いたげなセレクトに、少し苦い顔になってしまう。
そして大きい方の箱には──。
「……わぁ」
思わず感嘆の声を上げるほど、それは見事なものだった。
箱の中には、小さな花園があったのだ。
桔梗にカミツレ、スイートピー。色とりどりの愛らしい花が、アクリルケースの四角い器に所狭しと咲いている。いわゆるプリザーブドフラワーと言う奴で、スズランを模したワイヤーで形を整えてある。俯瞰してみると、それ自体が一個の花のようにも見えた。
これは、確かにちょっとした魔法だ。これほど手の込んだものを、あの子が作ったと言うその事実が。
無論、魔法使い二人も手伝ったんだろう。そうでなければあの食い気全振りのちんくしゃの作品が、こんなにも鮮やかなはずがない。
雪華はしばしその花園をまじまじと眺めた。この力作に、どういう思いを込めたのだろう。
答えは手紙の中にあった。
『花言葉をググってみてね!』
丸まっちい癖のある文字でそう書かれており、裏返しても何もない。そういえば、言葉じゃ上手く伝わらないと言っていたっけ。
雪華は素直に言う通りにし、スマホで片っ端から検索してみて、千咲がなぜハンカチを贈ったのかをようやく悟った。
スイートピーは『門出』を意味し、『カミツレ』には仲直り。そして桔梗は『友の帰りを待つ』。加えて言えばスズランには『再び幸せが訪れる』と言う意味がある。
世界で最も静謐で、この世で何より雄弁な願い──どれだけ言っても伝わらない気持ちを、彼女はハッキリ形にしたのだ。
許すよ、と彼女は言った。多分ずっと許されていた。別にずっと恋したままでも、次の恋に向かってもいいと、彼女は平然と言うのだろう。ただし、忘れる事は許さない──執念じみた、けれどとてもささやかな願いが、贈り物から伝わってくる。
心の内で、凍った何かが溶けていく。封じ込めていたはずの、醜い自分の姿が曝け出される。
自ら望んで孤独に浸り、罰だと称して甘えていた自分。最後まで素直になれずに、サヨナラも言わなかった自分。
次第にそれは溢れてきて、雫となって頬を流れる。
さっそくハンカチを開封し、何度も何度も目元を拭った。
きつく閉じた瞼に浮かぶ、してやったりの友達の笑顔。雪華は顔を上向かせ、泣き笑いに歪んだ顔で、ここにはいない彼女に言った。
「……口で言っても伝わるっつーの。バカ」




