ピンチのバーゲンセールかよ
千咲が柳ケ瀬と出て行って10分余り。
雪華は教室の自分の席で、幼馴染の帰りをぼんやりと待っていた。
教室には自分のほかに、クラスメイトが6人いる。男女それぞれ3人ずつ。例の、声の大きい連中だ。教壇のすぐ傍で、他愛無い話題で盛り上がっている。正直少しやかましい。
ちらり、視線をそちらに向けると、女生徒の一人と目が合った。器用にも目だけで嘲笑をよこし、また話題の中へと戻る。雪華は内心舌打ちをする。
以前は彼らとも付き合いがあったはずなのに、どうやっていたのか思い出せない。
(……いや、)
思い出したくないだけか。彼らは今や、千咲にとってもう一つの敵だ。
雪華も一応、彼らの言い分や心境は理解できる。薄情な話だが、ストーカーの被害者が千咲でなければ、自分もそちら側にいてもおかしくはない。
それでも、と時々思う。
(……ここまで露骨にヤな奴らだったか?)
ここ最近の彼らの言動は、どう見ても過剰な悪意を振りまいている。やりすぎて訴えられでもしたら、将来が台無しになるぐらいわかるだろうに。
何かがおかしい──そんな違和感を覚えていると、どんがらがしゃんと引き戸が開き、文字通り人が転がり込んできた。
息も絶え絶えで現れたのは、ずばり待ち人である。
「千咲!?」
舞い戻ってきた幼馴染は、全体的にぼろっちくなっていた。髪は乱れて呼吸は荒く、スカートにはしわが寄っている。
「雪華ちゃんやばい! 先生が大変な変態だった!!」
「うん落ち着け? 実は韻踏めてないからな?」
雪華は荒ぶる幼馴染をどうどうと宥め、柳ケ瀬との一部始終をどうにか聞き出した。雪華の顔色が見る見るうちに険しくなる。
「……それ、マジなの?」
「こんな時にデマ言わないよ!? 通報! ポリスメン一丁!!」
よほど危ない目にあったのか、珍しく千咲の判断が常識人だ。
未だ動転している彼女に代わって雪華がスマホを手に取った時、一部始終を聞いていた例のグループが剣呑な目つきで二人を見ていた。
雁首揃えてそぞろ歩き、雪華と千咲に詰め寄ってくる。
「お前らさ、あんまテキトーこいてんなよ。柳ケ瀬どんだけ頑張ってたよ?」
「そーだよー。恩人売るなんて感じ悪ーい」
雪華は千咲を背中にかばい、彼らと正面から対峙した。多勢に無勢の状況だが、雪華にはいざという時の切り札がある。使わないに越したことはないが、いざとなれば躊躇わない──秘かにそう決意しながら、慎重に言葉を選ぶ。
「そりゃ通報したら騒ぎになるけどさ、無実だったらそれだけで済むでしょ? 何もなけりゃ謝ればいい」
「ざけんな。今俺ら大事な時期だろが。無駄に騒いでどうするよ」
「今度はマスコミ引き連れて引っ掻き回すおつもりですかーぁ?」
こいつらどこまで身勝手なんだ──怒りで頭が真っ白になり、つい切り札に手をかけたくなる。だがそれよりも早く、千咲が彼らに噛みついていた。
「でも先生、銃持ってたんだよ!? 本物だったよ!? それだって十分危ないでしょ!?」
「銃、銃ってうるせえな。お前らが言ってんのはコレの事か?」
「!?」
6人が一斉に取り出したものを見て、空気が一瞬にして緊迫した。
それはまさしく拳銃だった。見るものが見れば随分と粗悪な物だったが、少なくとも玩具のようには見えなかった。
サタデーナイトスペシャル──場末のチンピラの頼れる相棒。彼らは今こそそれだった。
戦慄で手足がしびれる。喉の奥が干上がっていく。なぜ。どこで。いつ、それを。疑問は山と積み重なるが、一つとして言葉にならない。
「とりま足とか撃っとく?」「おー、いったれいったれ」「ウケる。ノリで撃つとか最悪じゃね?」「愛善も叶谷もちゃんと避けなよー? 当たると多分痛いからさー」
彼らの態度は、いくら何でも度を越えている。悪夢のように現実味がない。泥濘のような時間が流れる。嘲笑とともに引き金が引かれる。わずかにずれた6つの銃声。安っぽいマズルフラッシュ。やれらる、と予感したとき、何かがぶつかって雪華を床に押し倒した。
胸と肩を強打して、思いっきり息が詰まる。苦痛に顔を歪めながらも、今起きたことを理解する。連中が撃ち、千咲がとっさに自分をかばった。だからまだ無事でいる。幸いにして千咲も無事だ。ただ顔色は蒼褪めていて、微かに唇が戦慄いている。
それを愉快げに見下ろして、6人が口々に囀る。
「おー。叶谷すげえ。ピンチ慣れしてらぁ」
「愛善、意外ととろくなーい? 見掛け倒しじゃーん」
「つかこれ意外と当たんねぇな?」
「まぁいいじゃん。ワンパンで終わりは味気ないっしょ」
「次行くぞー、起きろおまえらー」
お尻を撃った子一等賞な──戯けたことを言いながら、6人は再び狙いを定める。
ほぼ同時、冷たい汗にまみれた手が雪華の手を強く握り、一気に体を引き起こした。
「逃げよう! 雪華ちゃん!」
千咲の声に叱咤され、雪華は強く頷き返す──手に手を取って走り出す。千咲が前、雪華が後ろ。教室を出たところで、またもや銃声が轟いた。背筋がぞっと総毛立つ。腰砕けになりそうなところを、力強く引っ張られる。小柄な背中に問いかける。
「逃げるってどこに!?」
「職員室! ほかの先生に報告しよう!」
迷いのない千咲の言葉は、平時と変わらぬ落ち着きに満ちている。
雪華が息まいて守ろうとしていた幼馴染は、自分なんかより遥かにしっかりしていた。
◆
──同刻、校門前。
大半の生徒が下校して各々羽を伸ばす中、とある男子生徒が一人、杜子春並みに途方に暮れていた。
「やべぇおせぇな」
半ば鳴き声のごとくつぶやくその生徒の名は、桜庭礼央馬と言う。
門柱を背にしてしゃがみ込み、通りがかるものをぼんやりと眺める姿は実に胡乱で、目を合わせるものは一人としていない。
彼もそれを気にしない。ただ、通報されたらやべぇなと思う。
彼はいわゆる元ヤンだ。高校進学と同時に外見も生活態度も改めたが、それでもかつての名残は残る。
お陰で今でも学校で浮いているし、友達も一人もいない。
ただ、慕っている先輩はいる。
叶谷千咲。今年の夏に引退した、彼の属する合気道部の先輩。
千咲センパイはやべぇお人だ。真面目で練習熱心で、それを鼻にかけることもないし、語彙のない彼を馬鹿にする事もない。小柄な体にでっかいハート、それが叶谷千咲なのだと礼央馬は一方的に慕っている。
そんな人が、長い事やべぇ目にあっている。
礼央馬はどうにか力になりたいのだが、ほかならぬ千咲がそれを許してくれない。
少し困った風に苦笑して、ステイを命じるだけなのである。
もし自動世紀末発生装置みたいに思われているのだとしたら、ちと悲しい。そういうのは卒業したのに。
ところで、やべぇぐらい寒い。制服の前襟を合わせるが、初冬の寒気はやすやすとそれを貫いてくる。缶コーヒーでも仕入れてくるかと立ち上がった時、妙にファンシーな生き物が反対側から歩いてきていた。
幼女である。それも、そんじょそこらの幼女ではない。
「やべえ、かわいい」
子供が苦手な礼央馬でさえ、思わずそう鳴いてしまうほど愛い幼女だ。
パステルイエローのフリフリのドレス。手には一抱えもある花籠をもって、そこからせっせと何かを振りまいている。
風に乗ってひらひらと舞うそれは、目を凝らすと花びらだった。何の花かは知らないが。
花咲か幼女は遊ぶのに夢中で、周りを全然見ていない。
このままだと高校の敷地に入ってきてしまう。礼央馬は少々悩んだ末、結局止めることにした。
「おい、やべぇぞ」
「!?」
幼女の全身がぎくりと強張る。無理もない。いきなりガラの悪そうなのが現れて『やべぇ』とか鳴いたらやべぇって思うのは当然だ。
幼女は花籠を健気に抱きしめ、ぷるぷると震えている。泣かれたらやべぇ。通報事案待ったなし、人生が赤信号だがみんなで渡れば怖く無きにしも非ず──混乱する頭でどうするべきか考えていると、誰かに背中をつつかれた。
振り返れば、若い男が立っていた。背が高く、冗談みたいに整った顔立ち。
全身真っ黒の装いで、礼央馬を見下ろす美貌だけが透き通るように白い。何とも不吉な姿だが、その割にニコニコしていて、どこか軽薄な印象を受けた。
幼女が男の背中に隠れる。怯えた目で礼央馬を見上げ、彼の罪悪感をチクチクと刺激した。幼女の保護者と思しき男が、礼央馬を諫める様に言った。
「子供の前にいきなり飛び出すのはいかがなものかと。野生の鹿じゃあるまいし」
失礼な。礼央馬はどちらかと言えば馬面だ。名前にだって入っている。あと、幼女趣味の者ではない。その旨たどたどしく抗議すると、男はにこにこしながら頷いた。
「ええ、ええ。分かってますとも。貴方には悪意はない。ついカッとなったわけでもない」
幼女の頭を撫でながら、男はやはり穏やかに言った。ご理解いただきマジ感謝、礼央馬は胸をなでおろす。
しかし、何だろうねこの人は。教師には見えないから、生徒の家族かなんかかな? 一人で納得していると、逆に男が尋ねてきた。
「さて、馬で鹿の人。つかぬことを伺いますが、身長は150センチぐらいでやたらとよく食べる一人蝗害みたいな女子高生をご存じではないですか?」
「あぁん(↑)? おぉん(↓)」
100パー千咲センパイだ。ちっこい女子は多いけど、その例えがしっくりくるのは他にはいない。
「まだ中に居るんじゃねえかな。俺もずっと待ってるんだけどよ、中で何かやってんのかなぁ」
のんびりと答えると、男の笑顔が深くなる。それまでの軽薄な物とは違う、どこか獰猛さがにじみ出る笑みだった。
「貴方の正直さに感謝します。お礼にこれを」
突き付けられた代物を見て、今度は礼央馬が固まった。
銃。拳銃。ハンドガン。
闇を削りだして作ったような漆黒のそれは、危険でありながら美しい──否応なく目を奪われてしまう。
男はなめらかな動作で撃鉄を起こし、礼央馬は惚けた馬面でそれを見ていた。
「やべぇ」と一つ鳴くと同時に、パンと乾いた銃声が響く。
礼央馬の記憶はそこで途切れた。




