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Re, DS  作者: SIOYAKI
第二章 迷わぬ者に悟りなし
28/74

第28話

雨の中の決戦。


 男は走る。未だ痛む傷を気にすることもなく、日が暮れた町を出て西方へ。先に捉えた気配は酷く澱み歪んで、焦燥感が募っていく。


 ぽつりと、一滴の雫がクリスの頬を濡らした。空を覆う雲が泣き、ぽつりぽつりと雫の量が増えていく。降り出した雨の中、濡れた衣服が開いた傷の赤へ染まった。


 それでも、クリスは走る。ふと、思い出したのは、あの日の情景。少女を養子と迎え入れた日も、思えばこんな空だった。


――誰っ!?


 魔剣に操られた親友と戦い、その傷が元で一度倒れた。そのまま部下たちに助けられて、救護所での養生。あの時は、何もする気にならなかった。


 それでも、問題はない筈だった。犠牲になったのは、親友一人。何かの間違いだと親友の父が動いていて、唯待てば全てが明らかになる筈だった。


 だと言うのに、王が毒殺された。親友の父が下手人とされ、抗弁の余地もなく処刑された。それだけでも寝耳に水だと言うのに、貴族院が主導でロスの殲滅を決定した。


 慌てた男が動いた時には既に遅く、ロスの邸宅は燃え落ち彼の家族はその殆どが命を落としていた。


 尊厳を奪われ拷問の果て、処刑された友の妻。侍従も皆が晒し者とされ、一人娘の行方だけが分からない。そんな渦中で、男は無様を晒すばかり。結局誰も、救えなかった。


 それでも必死になって、国中を駆け回って、彼は一人娘の行方を探した。諦めろと言うもう一人の友を殴り付け、弟子の静止を振り切って、半年が過ぎた頃に漸く三つ隣の町にあるスラムの中で見付け出す。


 ゴミのような布切れを纏った、汚れて悪臭のする幼子が二人。一人はより小さな片割れを背に隠し、敵意を剥き出しに誰何の声を投げて来た見知らぬ子。そして、その背に隠れて震えていたのは……。


――ああ、今度は間に合った。


 生きていた。その事実に、どれ程に救われたことであろうか。座り込んで直ぐには立ち上がれなくなる程、気が緩んだ男は情けなく笑う。


 それからクリスは、彼女達との交流を始めた。強引に連れて行くことも出来なくはなかった筈だが、足繫く彼女らの下へ通って食料や物資を手渡した。人を雇って監視させ、彼女らに危険があればどんな時でも即座に動いた。連れ出してしまえば、その方が遥かに楽であっただろうに。


――貴方と、行きます。


 そんな日々を数ヶ月程続けて、幼子達は心を開いた。彼女達の一人をクリスは弟子と迎え入れ、もう一人を義娘と迎え入れた。そうして彼らは、家族となったのだ。


【Oooooooooooooooooooooooooooooooo!】


 雨に濡れながら草原を走る男は、身を震わせる気配と雄叫びを耳にし物思いから意識を戻す。最早豪雨と変わった雨の中、クリスが目にしたのは嘗ても確かに見た物だった。


「その、姿は……オリヴィエと、同じ……」


 黒い雷が落ちる。全身から可視化出来る程の瘴気を放つのは、一見すれば黒色の全身鎧を着込んだ騎士だ。肌が露出する隙間もない程に、硬質な鋼に覆われた騎士。


 されど至近で見れば分かるだろう。直に触れれば気付くであろう。一見すれば金属製に見える鎧は、脈打ち熱を孕んでいる。生きているのだ。それは生体であるが故。


 血肉で出来た兜と鎧。鋼鉄のそれは外皮でもあり、無理に剥がせば剥き出しの臓物が晒されるだろう。彼女の実父が、そうであったように。


「っ! 魔剣っ! また、それがっっっ!!」


 異形の黒騎士。その胸の中央に突き刺さった刃を、クリスは憎悪に満ちた瞳で睨む付ける。心の臓を貫く片刃の剣が、彼女の状況を何より明白に示していた。


 魔剣に呪われ、魔物に変わってしまった友と同じく。彼の娘であるアンジュビュルジュもまた、その魔剣の呪いに囚われてしまったのだと。この異形の騎士こそが、愛する娘の成れ果てなのだと。


【Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!】


「く――っ。アンジュっ!」


 獲物を見付けたと歓喜するように、異形の騎士は空に吠える。そうして呼気を整えると、黒き雷光を纏って跳躍した。


 大地が抉れ、雷光が黒く輝き、高速で移動する騎士。鋭く尖った爪を振るわんとする彼女に対し、クリスは咄嗟に剣を抜こうとして躊躇う。


 抜けない。抜きたくない。そんな迷いが邪魔をして、迫る魔手に対処が遅れる。それでも致命と言う程ではなく、切り裂かれた傷は浅い。


 剣を納めたままの鞘で行う受け流しが、直撃の寸前で間に合ったのだ。そうして隙を晒した敵の上体へ、打ち込もうとした反射を意思で抑えて男は退く。


「止まってくれ、アンジュっ!」


 一迅・三歩。雷光と共に行う高速移動で距離を取りながら、届かぬと分かり切っている言葉を投げる。そんな言葉が届くなら、友を殺す必要だってなかっただろうにと。


 それでもどうか届いてくれと言う祈りは、やはり当然届かない。逃れるクリスを追う黒騎士は、彼と同じ歩法を用いる。教えたことを、忘れていないのだ。或いはまだ、意識があるのかもしれない。そう思えば思う程、心の揺れは大きくなる。抜けない剣を握る手は、隠し切れない程に震えていた。


【Uuuuuuuuuaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!】


 そう自覚してしまえば、気付くのは歩法だけではない。鋭い爪を振るう際の動きもまた、獣のような大振りではない。掌底打ちにも似た動きは、彼が彼女に教えた技だ。


 その拳打を鞘で流しながら、クリスは叫び出したい程の衝動に駆られる。それでも歯を食い縛り、付かず離れずの距離を取る。逃げ出したいとも思うが、そんな道は選べない。魔剣に呪われた者は、やがて無差別に人を襲ってしまうから。


「お願いだから、止まってくれよっ!!」


【Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!】


 共に叫びながら、共に加速する。音を置き去りにした速度は、常の少女では出せなかった筈の速さ。それを可能としているのが、魔剣による強化であろう。


 高速で移動しながら隙を伺う異形の黒騎士に、雷光を纏った男の動きが先んじる。今はまだ、彼の方が早く動ける。その激しい攻撃を、受け流すことが出来ている。


 されど時間の問題だ。クリスの体は、まだ傷が癒えていない。冷たい雨はその体力を奪い、開いた傷から流れる血が更に疲弊させ、意識は既に遠退き始めていた。


 対する黒騎士に、疲労の色は一切見えない。少女の体に流し込まれた魔王の力は、相当量の物である。例えこれから三日三晩戦い続けたとしても、枯渇することはないだろう。


(このまま、だと負ける。私が負ければ……だがっ!)


 今は勝てる。今なら殺せる。されど持久戦となれば、一体何時まで持つであろうか。一分一秒毎に疲労は積み重なり、攻撃を受け流すのも難しくなっていく。


 クリスが対処出来なくなれば、その瞬間が終わりだ。そしてその時は、もう決して遠い話じゃない。


「また、斬れと。また、私に斬れと言うのかっ!?」


 黒き雷光が速度を増して、流し切れない威力を受けた鞘がみしみしと異音を漏らす。内に納めたままの刀身が折れるより前に、クリスは後方へと跳躍しながら言葉を吐露する。


 現状は、彼の過去の焼き直しだ。魔剣を手にしたオリヴィエ・ロスと言う男。親友であり主君でもあった彼を、クリストフはその手で斬った。そうでなければ、多くの人が犠牲になるから。終わらせて欲しいと、他ならぬ友が望んでいたから。


「私はっ!」


 雨の雫が髪を濡らし、そのまま頬を伝って落ちる。視界が滲む中でも確かに、相手の動きを追えている。そんな男の心の中にあるのは、迷いと後悔の色ばかり。


 ずっとあの日の選択を、後悔しながら生きて来た。死んで良い男じゃなかった。生きているべき友であった。けれど斬らねばならなくて、だからせめてと。友が遺した児だけは守り通そうと、そう決めた筈なのに。


「私、はっ!」


 気付けば、こんな様である。守ろうとした娘は今、実父と同じ道を辿ろうとしている。あの日のように、今ここで終わらせることが出来なければ、彼女は町へ到達して多くの命を奪うだろう。それを望まぬと言うのなら、その罪を背負わせたくないと望むなら、彼がまた斬らねばならぬのだ。


「……はっ、何て無様。これが、聖騎士と、雷将と呼ばれた男の末路か」


 本当に、何処で何を間違えたのだろう。拳と鞘を打ち合う音が周囲に響き、幾度も二色の雷光が草原を焼く。そんな中で追い詰められた男は、情けがないと自嘲する。


 守ると誓った筈だろうに、もう守り通すことは難しい。見届けることを己が生きる意味と決めただろうに、それさえこの手で握り潰そうとしている。叫び出したい程の衝動が、彼の中に満ちていた。


【Oooooooooooooooooooooooooooooooo!】


 躱され続ける状況に、怒りや苛立ちを感じているのか。足を止めた黒騎士は、ならばと言わんばかりに動きを変える。高速移動から、足を止めての広域破壊へ。


 雷翔円陣。半径一キロ程の空間に、雷を降らせる技法。その発動は、しかし一瞬では終わらない。本来瞬間的に効果を発揮する技を、常時展開させる。これは、雷将が得意とした戦法の一つだ。


 高速移動のヒットアンドアウェイを矛の戦法とするならば、これは盾の戦法とされるもの。防の型に属する技を常時発動しながら、戦闘を行う。


 口にすれば容易くとも、行うのは至難の領域。一番弟子は得意としたが、アンジュもシャルロットも苦手としていた戦い方。それを黒騎士が選んだのは、彼にとって予想外のことであった。


「くぅぅぅぅぅぅっ!」


 万全の状態だったのならば、クリスは瞬きの間にも効果範囲の外へ抜け出していただろう。或いは降り注ぐ雷光を、切り捨てることさえ可能であった。されど彼の体は万全ではなく、その精神もまた動揺していた。


 魔剣は身体能力を向上させる。それでも、技量は変わらない。詰まりはこの戦法が使えるようになったのは、アンジュが努力をし続けていたと言う証明だから。


 動揺してしまったクリスは、本来躱せた筈の雷に打たれて硬直する。それは一瞬のことであったが、黒騎士にとっては十分。雷の力場を維持したまま、騎士は大地を蹴ってクリスへ接近する。


「がはっ!?」


 そして、拳を一撃。受け流しは間に合わず、クリスの体が吹き飛ばされる。身に着けていた軍服が血に染まり、内臓を傷付けられて口からも吐血した。


 雨の中、草原に赤い花が咲く。ゆっくりと赤い花は水溜まりに変わって、霞む視界で空を見上げる男は自嘲する。


 ああ、もうこれ以上は、どうしようもないのだろうと。


「……私は、駄目な男だ。父としても、友としても、何も為せなかった愚か者だ」


 霞む意識に浮かぶのは、過ぎ去った日々の情景。或いは走馬灯とも言われる物。クリストフ・フュジ・イベールと言う男が、辿って来たその道程。


 幼き日には、何でも出来るような万能感があった。友と切磋琢磨する日々の中、剣の才能を褒められ聖騎士と成った。背を預けられる彼となら、誰にも負けないと思えていたのだ。


 若き日には、出来ることと出来ないことを悟った。それでも、出来ることの方が多いと思っていた。二人目の友の才覚に圧倒され、挫折と言うものを知った後。勇者と出会い、彼の仲間として旅をした。旅路の中で、強さだけが全てじゃないとクリスは知った。


「魔王退治の英雄。大魔女打倒の立役者。聖王国が誇る、三将軍が一人。そんな称号に、果たして何の価値があるのか」


 年を取り、彼の心は折れていた。友を殺したその日から、剣を握ることさえ怖くなった。どんな顔をして、彼の娘に会えば良いかも分からなかった。だから迷って、だから悩んで、無駄に時間を掛けてしまった。


 本当に、中途半端な生き方だった。守ろうとするならば、もっと甘やかしてやるべきだった。導こうと思うのならば、もっと厳しくするべきだった。けれどどちらも出来なくて、果ての今に失おうとしている。


「それでも、捨てられないんだ。捨てられない、ものがある。だから――」


 瞼を閉じれば、映り込む日々がある。不器用な養父と養女が過ごした日々が、いつだって鮮明に思い出せる。


 娘に剣を教えた。戦う力を望まれたから、戦って欲しくはなかったけれど、自分に出来る贖罪は、きっとそれくらいだろうと思えたから。


 彼女に料理を作った。野営の際に何度か経験はあったけど、家庭料理なんて初めてで勝手が違って、あの日以来味覚もおかしくなっていたから、何度も何度も失敗した。それでも美味しいと、笑ってくれた。


 思い詰めた少女に生きる楽しさを教える為、色んな遊びに手を出した。本当は生きる楽しさなんて、男自身感じられなくなっていたと言うのに。


 酒に酔って逃げたのは、そんな遊びを知る一環と言う名目で。初めての飲酒に羽目を外して、仕方がないなと介抱してくれた我が子の姿に安堵したのだ。


 酔っていたのは、飲んでも味が分からぬ水にじゃない。養子に迎えた愛しい娘が、真っ当に育っていると感じる姿に溺れたのだ。あの時他の誰でもない、クリス自身が救われた。――だから。


「――先に逝って、待っててくれ。私も直ぐに逝く」


 剣を、抜こう。あの日、友を介錯したように。これ以上、我が子に重荷を背負わせぬ為に。彼女を殺して、腹でも斬ろう。


 そうと決めれば、何故だろう。少し気分が軽くなる。これで良いと、納得する。終わりを齎すのは、きっとこれが良いと。男は静かに立ち上がり、ゆっくりと大きく息を吐いた。


 そして、闘気を練り上げる。姿勢を半身に傾けて、片手を鞘に、もう片方の手で柄を握る。西洋剣で行うには無理が出るが、それでも他にないのだからと割り切る。


 ある程度まで刀身を露出させてから、鞘の不足は雷の反発を利用すれば十分だろうと判断。そうして居合斬りの体勢を取ったクリスが、口にしたのは東で学んだ修羅の流儀だ。


――外功実行・以って我は心威を示す――


 勇者と共に旅をしていた頃、当時の六武の将に彼らは目を付けられた。何度も敗れ、殺されそうになりながらも逃げ続け、それでも追い続ける敵の存在に恐怖した。


 そんな窮地の中で勇者キョウが提案したのは、いっそ相手に習おうと言う豪胆にも程がある選択肢。それを選んだ勇者が異質な少年なら、それを了承した武鋼と言う老人は異常者だった。


――庭中(テイチュウニ)有搗石(トウハクセキアリ)以劍(ケンヲモテ)指之(コレヲサセバ)石即(イシスナワチ)中断(ナカヨリタツ)――


 言い出しっぺの勇者は途中で投げて、聖女や賢者にはそも適正がなかった。結果、唯一人貧乏籤を引くことになったのが聖騎士と呼ばれたこの男。


 血で血を洗い、吐瀉物や血の小便を漏らす日々。果てに至ったその技は、確かに彼を一段上の領域へと引き上げた。そうして磨き上げたその剣を、しかしクリスは一度捨てた。されど今、もう一度拾い上げるとしよう。


――是なるは破山之剣。唯一振りしか振るえぬが、寶山(ホウザン)さえ断ち切る光芒(コウボウ)(ヤイバ)――


 磨き上げたその一撃は、確かに万魔の王にも届いた。虚言を司る大魔女さえも切り伏せた。されどその刃は、大切な友さえも切り捨ててしまった。


 追い詰められても、もう二度とは使いたくなかった。けれど、そんな技だからこそ、今此処で使うべきなのだろう。そう思うからこそクリスは、もう迷わないと決めたのだ。


――この身は剣にして鎧。遍く民草の明日を守る為、雷霆の如く全ての悪を断ち切る者――


 これが最期、だから使おう。為すべき事を決めた時、心に震えも迷いも残りはしない。そんなものはいらないから、一意専心狙うは一つ。


 あの日と同じように、あの悍ましき魔剣を断とう。刀身を二つに断ち切って、我が子の命も己の未来も終わらせよう。それこそが、無様を晒し続ける男に残った最後の意思だ。


――斯く在れと定めたこの身、この心は最早迷わず。故にこの剣閃は誰にも防げず、全てを断ち切り捨てるだろう――


 雷光と共に迫る黒騎士を前に、その心は形を成す。愛する者の命を奪う為、愛する者の想いを守る為、此処に全てを終わらせる斬撃をクリスは放つ。


――心威・解放――


宝山庭石(ホウザンテイセキ)一切等価(イッサイトウカ)――っ!」


「だ、め」


 その直前に、クリスの前に人影が現れる。このままでは当たると言う位置に、現れたのは白髪の少年。彼の身から吹き出す膨大な瘴気が、ぶつかり合おうとした両者を大きく弾き飛ばした。


「なっ!?」


「アンジュ、斬っちゃ、駄目」


 光彩異色の瞳が見詰める。降り注ぐ黒き雷の中で、吹き飛ばされた黒騎士を守るようにクリスの前に立つ少年。ヒビキの姿を前にして、何かの姿が一瞬重なる。


 それでも、逡巡は一瞬だ。もう迷わぬと定めたのだから、緩んだ手で柄を握り直す。男は迫る黒騎士へと向き直る、間合いに入った瞬間切り捨てる為に。


「君は、いや、それは今は良い。……斬りたくはないさ、だが斬らねばならん」


 流れ落ちる血は涙の如く。この選択が正しくなんてないことは、きっと誰より深く分かっている。


 けれど、もう、そうするしかない。男には、他の選択肢などないのだ。


「北方領土には、3万の民がいる。あの子を捨て置けば、その内の一体どれ程が犠牲となるか」


 領主としての義務がある。騎士として、将軍として為すべき事がある。そしてそれ以上に、これ以上の荷を我が子に負わせたくはない。だから、終わらせるのだ。己の手が届く内に。


「私とあの子が共に消えれば、聖王国もこの地からの撤退を決めるだろう。ならば、これが現状で選べる最良だ」


 彼と彼女がここで消えれば、後に残る者達は酷く混乱するだろう。それでもシャルロットは判断してくれるだろう。そんな状況では、六武衆を迎え撃てないと。


 彼女が退くと決めたのならば、雷将と言う最高戦力が居ないのならば、中央は北方大陸から撤退する。既に無理がある拡張なのだ。利がなく損ばかりとなれば、撤退は妥当な話であろう。


 今も撤退を許されていない最たる理由は、クリスとアンジュの存在が貴族院にとって都合が悪いから。それだけなのだから。


 だから、此処で終わっても大きな問題はないのだ。それは言い換えてしまえば、未練になる程のものが残らなかったとも言える。弟子や友が心配でないと言えば嘘にはなるが、天秤を傾ける程ではないのだ。


 だから、彼は言葉で説得しても止まらない。迷いがないとは揺るがぬこと。腹を括ったクリスと言う男を止める為、今必要となることは。


「それは、嫌だ」


「は? え、嫌?」


 余りに身勝手な、自分勝手の押し付けだ。


「アンジュ、死ぬの、嫌。だから、僕が、止める、よ」


 俺はこうする。お前の意見は聞いていない。そんな余りにも一方的な行いこそが、彼の決意を揺らがせるに足る言葉と行動。


 動かず間合いに黒騎士が入って来るのを待つクリスを捨て置き、言い捨てたヒビキは一歩前に踏み込む。黒騎士相手に接敵して、その拳を身に受けた。


【Uuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuu!】


「結構、力、強い? でも、問題、ない」


 雷光と共に打ち込まれる鋭利な爪。血肉が僅かに切り裂かれるが、悪竜王の頑丈さを貫通し切る程ではない。このまま無防備に受け続けても、致命傷までは遠いだろう。


 ヒビキがそう判断したのを察したのか、黒騎士も雷の力場を納める。盾の戦法は瞬間的な火力に欠ける。肌を焼けない程度の雷ならば降らし続ける意味はなく、攻勢に専念した方が良いと言う判断だ。


【Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!】


「ん。これ、ちょっと、痛い、かも」


 光波刃。刃の形に収束させた雷を、武具に留めたまま振るう技法。黒雷を纏った黒爪は、先より深く血肉を抉る。一手で致命となる程ではないが、無視出来る程の傷じゃない。


 痛みに目を細めながら、続く拳打を躱そうとするヒビキ。獣のように動く彼に、雷を纏った黒騎士が追い付く。早いと少年が思うよりも先に、その顔や体に傷が出来る。技量が明白に違っていた。


 単純な力や速度は、少年の方が圧倒的に上だ。だが、拳の振るい方が違う。踏み込みの上手さが異なる。このままでは不味いかもしれないと、少年が思う程度には。


「……殴る、か。殴って、殴れば、止まる、よね?」


「――っ! 君は、止め方も分からずに踏み込んで来たのかっ!?」


「ん。知らない見えない分からない♪ ……これ、良い、ね」


「何がだっ!? 人が悲壮な覚悟をしてると言うのに邪魔をして、言うのがそんな戯言かっ!? 危ないから、下がっていなさいっ!!」


「や」


 技量で劣るのならば、その分野で競わなければ良い。可視化出来る程の黒い瘴気を纏った拳で、ヒビキは黒騎士に向かって殴り掛かる。


 爆音と共に振り抜かれた拳は、当然のように躱されるがそれで良い。地面に向かって振り下ろされて、轟音と共に巨大なクレーターを作り上げる。その余波だけで、黒騎士は大きく吹き飛ばされて傷付くのだから。


「ああ、もうっ! 殴っただけでは止まらんっ! 魔剣がある限り、多少の傷など直ぐに塞がる! 魔剣保持者は、無限のスタミナを有する不死身の魔物と化すんだっ!!」


「なら、剣、折る」


「止めたいなら、それも駄目だっ! 魔剣は所有者の核と化す! 脳や心臓以上の、重要な臓器に変わっているんだ! あれを砕けば、結局使い手も即死する! 体験談だ! 君も後悔なんてしたくはないだろうっ!!」


 少年に対して声を荒げながら、雷光を纏ったクリスが駆ける。ヒビキが間合いに入る前に黒騎士を迎撃してしまうのならば、自ら移動して間合いを広げれば良いのだと。


 雷将の最高速度は、星を壊さぬように加減している悪竜王になら勝る。光速で動けば大地を砕いて惑星を滅ぼしてしまう怪物は、故に後ろから来た彼に追い抜かれる。


 雷光と黒雷が交差する一瞬、居合の構えに戻ったクリスはその刃を抜こうとする。されど追い抜かれた少年とて、置いて行かれる程には遅くない。


 クリスが構えを取った隙に追い付いたヒビキは、彼の刃が振り抜かれるより前に拳を振るう。大振りにも程がある攻撃は、黒騎士を間合いの外へ吹き飛ばすには十分過ぎる物である。


「っ! 邪魔をっ! 斬るなら、命を奪うのならば、それは私の役目だ! それさえも、奪っていこうとするんじゃないっ!!」


「駄目、だよ。諦めは、駄目」


 ヒビキも黒騎士も、魔性の者らはどちらも万全。受けた軽傷など既に塞がり治っていて、傷一つない状態だ。だからこの場で人間だけが、今にも倒れそうな程に弱っている。


 他の誰よりも必死で、他の誰よりも切実で、それでも一番追い詰められている男。そんなクリスは叫ぶように、己の意思を示している。止まらない、止まって堪るかと。そんな彼に――


――大切なんだろ? 愛してるんだろ? なら、やる前から諦めてんなよ。大馬鹿野郎。


「――っ、キョウ?」


 空色の風が吹いた。


「ああ、そうか。そう、だな。最後まで諦めない、それがお前の強さだったな……」


 どんな状況でも諦めず、戦い続けて微かな希望を掴み取る。彼らを率いた勇者はそういう男だったと、クリスは苦笑交じりに思い出す。


 心は既に折れていた。全能感など遥か昔に忘れてしまって、思えば縮こまっていたのだろう。そんな男は、これが最期なら、賭けても良いかと小さく笑った。


 在りし日の仲間とは全然似ていないのに、何故だかその気配を感じさせる白髪の少年。彼に付き合って、ならば出来るのではないか。そんな風にも思えたから。


「うん。分かった。良いさ、おじさんも付き合ってあげるよ。だけど、どうする気だい?」


「ん。分かん、ない」


「ちょっとぉぉぉぉっっっっ!?」


 道化た表情で付き合うと決めれば、返って来たのはぼんやりとした回答。早まったかもしれない、クリスはそう思った。


「僕には、分から、ない。だから、先ずは、時間、稼ぐ」


 攻撃に意味はなく、防御に徹しても長続きはしない。明確な回答は浮かばずに、味方に付けた男も持久戦は出来ないだろう。


 そんな状況を解決する策なんて、ヒビキの頭では浮かばない。それでも、彼は知っている。彼の仲間が、それを得意とすることを。だから、必要なのは時間稼ぎだ。


「穏やかなる水の流れ。爽やかなる風の歌。山から下りて海へと帰る。海から昇りて山へと落ちる。其は瞭然たる平穏。其は凡庸なる道理。故に否定し、狂わせろ。昨日の先に今日はなく、今の果てに未来はない。果てなき連環の底へと堕ちろ。展開(enchant)――――歪み(Hall of)穢れた(mirrors)無限の(endless)回廊(loop)


 ヒビキが高速で行う詠唱。その魔術によって世界が歪み、身勝手な形に改竄される。第九小節魔術。それによって作られたのは、大地に広がる大穴だ。


 黒く暗く、中の見えない大穴は黒騎士の足元に唐突に出現する。まるでガラスが割れるように、大地を割って現れたそれが齎すのは暴風。吹き出すのではなく、吸い込む形での暴風だった。


 重力と吸引力。二つの力に抗い切れず、黒き騎士は穴の中へと飲まれていく。まるでブラックホールの平面図を思わせる大穴は、対象を飲み込んだ直後に閉じて消え去った。


「アーちゃんが、消えた。異界形成の、魔術か」


「ん、これ、で、暫く、は……」


 遥か彼方で、何処かの誰かが作った大魔術。悪竜の権能により掠め取ったのは、時間も空間も狂った異界に永劫他者を封じる術式。


 無限に停滞させられた異界においての一秒は、こちらにおいての一分に等しい。飲み込まれた相手が対処法を打ち出し出て来るまでに、掛かる時間は相当量になるだろう。常識内の相手であれば、の話であるが。


「あ」


【Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!】


「魔術、食べられ、た」


「ちょっとぉぉぉぉっっっっ!?」


 ヒビキが呟いた直後、大地が縦に裂かれて黒き騎士が舞い戻る。胸を刺していた魔剣を引き抜いて、右手に掴んだその姿。戻って来るのに掛かった時間は、三分にも満たない程度。


 魔剣は、あらゆる魔性の天敵だ。特に魔術は魔剣に対して非常に弱く、如何なる術式構成をしていようと問答無用で捕食される。術を為す根幹のエネルギーを奪われるのだ。異界を作ろうと、魔剣を使われてしまえば意味がない。いいや、意味がない以上に害悪だ。


「困っ、た。さっきより、早い、ね」


「そりゃ、魔剣に餌をあげたらそうなるよっ!? あぶっ、あぶっ、おじさんもうきついんだけどぉっっっ!?」


 魔剣は魔を喰い、所有者を強化する。穴から飛び出し雷光と共に襲い来る黒騎士は、その身体能力を大きく向上させていた。


 ヒビキが反応するより早く、剣で斬り付けその片腕を奪い取る。咄嗟に雷将が踏み込んで、その動きを牽制しなければ更に傷は広がっていただろう。


 クリスに剣を受け流されて、空いた胴にヒビキの拳を受けて吹き飛ぶ黒騎士。即座に腕を生やして傷を治すヒビキに、構えを取り直すクリス。


 彼らの動きは的確で、されど状況が好転する訳ではない。寧ろ更に悪化する。切り落とされたヒビキの腕が、黒騎士の持つ剣に喰われたから。次はもっと早くなる。


 少年と男は一方的に追い込まれる。じりじりと彼らは後退を続け、いつしか町の城壁を視界に入る。もう、後がない。背後には3万の民が生きる町があるのだ。


「コートフォールが、くそっ! あー、だけど、さ。全賭けするって決めたんだ! 最後まで付き合う! だから、手に負えなくなっても大差ないけどさっ!?」


「ん。後、どのくらい、持つ、かな?」


 豪雨の中、雷光が輝く。黒き光よりも、まだ極光の方が微かに早い。雷将クリスが前線を張れる間は、ヒビキは大きな傷を負わずに済むだろう。


 それでも、相性が悪過ぎた。ヒビキが掠り傷の一つでも受ければ、黒騎士は更に強くなる。クリスは既に限界を超えていて、何時倒れてもおかしくない状態だ。


【Oooooooooooooooooooooooooooooooo!】


 このままでは、全滅すらも見えて来る。そんな極限の状況で、二つの黒と雷は何度も何度も交差する。


 肩で荒い息を吐きながら、無表情を歪めながら、勝ち誇るように吠えながら――それでも、時間は確かに稼げていたのだ。故に。


「間に合っ、た。教えて――ミュシャ」


「ああ、もうっ! ここでお姉さんに振るぅっ!? 貸し1だからねっ!!」


 師との対話を終えたミュシャが、此処で漸く追い付いた。汗と雨で濡れている少女は、息を吐く間もなく話を振られて愚痴る。


 現状の理解など全く出来てなかったが、それでも求められた役割だけは察していた。故に彼女は、闘気を練り上げ瞳を開く。


――外功想行・以って我は心威を示す――


 少女の詠唱は遅い。闘気を練り上げると言う行為は、常人には酷く困難だ。一般人ではそもそも生命力の知覚さえも出来ないことが多く、知覚が出来ても闘気として練り上げることが出来ない者もまた多い。


 ミュシャと言う少女は、非戦闘員である。安全地帯であっても闘気を練るのには慣れておらず、それを戦闘中に為せと言うのだからその時点で十分に無茶振りだ。だがそれでも、求められた以上は為すしかない。


――Haroeris. Horus-Behdeti. Ra-Harakhte――


 額に汗を搔きながら、唱える少女は一端戦場のことを忘れた。戦闘中に片手間で闘気を練れるような、英雄と呼ばれる異常者達とは異なるから。


 戦地において、追い詰められた状況で、同時並行で闘気を練りながら行動するなどミュシャには出来ない。だから信じる。己に届く攻撃はないと、信じて詠唱に専念している。


――月の象徴たる瞳。書庫の守護者が癒せしは、空と太陽を統べる者――


 戦場に現れた乱入者。その場で詠唱を始めた明らかな異物は、当然敵の注目を集めてしまう。どれ程に判断力が残っているか怪しくとも、その積み上げた経験故に黒騎士は見過ごさない。


 何かを為すと言うのなら、その前に潰してしまえば良い。黒き雷を纏って大地を蹴る異形の騎士が、無防備なミュシャに向かって駆ける。悍ましき片刃の剣を振り上げて、その命を奪わんとする。


――大いなる天空の太陽よ。その瞳たるバステトの子が、偉大なる御身に乞う――


「訳、分かんないけどっ! させないよっ!」


 一瞬の先行放電に続いて、最高速で踏み込んで来たクリスが黒騎士の行く手を阻む。彼の視点からしてみても、現状は分からないことばかり。


 それでも、少年が信じて少女が答えた。そのやり取りだけは見ていたから、彼女こそが勝利の鍵だと察していた。ならば身を挺してでも、守り抜くべきだと判断したのだ。


――答えを教えて。例え至れぬような星の彼方にあったとしても、手を伸ばし続けたいと願うから――


「追い、付いたっ!」


 黒騎士の初手の斬撃を受け流し、続く左手の拳打を躱し切れずに体で受けて、膝を付きながらも動じぬクリス。彼が倒れるより前に、ヒビキが追い付き拳を振るう。


 加減を大きく減らした悪竜の拳が、防御姿勢を取った黒騎士を押し潰す。全身の鎧を凹ませながら、横方向へと吹き飛ばされて倒れる異形の騎士。


 されど直ぐに起き上がり、その傷も一瞬で復元してしまう。倒すには、これでは不足だ。だが、時間稼ぎには十分だった。


――心威・解放――


「万物見通せ――天空王の瞳(ウジャト)


 ミュシャの背に、月色の光が現れる。ホルスの目と呼ばれる刻印が、齎す効果は真実の開示。ミュシャの瞳に映った全ての、本質や隠し事などを暴き答えへ至る為の力だ。


 全てを知り、答えを得る。その異能により、ミュシャは知る。黒騎士の正体。それを為す元凶。魔剣の性質。そして味方が今、出来ること。そうした情報を、彼女自身の脳で処理する。


 得た情報を元に、作戦を組み立てる。そしてその策が通るのか、瞳に問い掛け答えを出す。これこそが先の戦闘において目覚めた天空王の瞳の能力、その応用による疑似的な未来予知である。


「見えたっ! けど、これは……っ!」


 発動時間は三十秒。使い切る寸前で、ミュシャは一つの策を思い付く。瞳の出した答えは是。その通りにすれば上手く行くと保証され、しかし浮かない表情なのはその内容故か。


 果てしなく困難で、そして非情でもある策略。もっと良い案があるかもしれない。こんなことは正直したくない。そんな想いが溢れて来るが、されど再度確かめるような時間はない。だから。


「……ヒビキ」


「ん。大丈、夫」


 不安を込めて、視線を向けた先で少年が頷く。信じると、そう言葉にせずとも伝わった。ならば、迷っている場合じゃない。全力で、走り抜いてみせるまで。心の中の怯懦や不安を抑え付け、ミュシャ・ルシャも覚悟を決めた。


「さあ、二人ともっ! 死に物狂いで行くわよっ! 囚われの姫様気取りを、此処で助けてやろうじゃないっ!」






【旧版との相違点⑧】

旧版では空将が刀将を殺している。親友同士が殺し合ったのでメンタルダメージはあったが、心が折れる程ではなかった旧版の雷将。

リメイク版では第四さんが仕事しないので、黒幕さんが黒幕した結果、雷将が自分の手で刀将を殺すことに。


親友であり恩人であり主君でもあった男を手に掛けた雷将は精神を病んで、旧版の比ではない程に体がボロボロになっています。

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― 新着の感想 ―
産廃さん仕事しないのおかげで無能姫は以前よりも病んだし。 刀匠一件も吸血鬼さんが普通に処理したし。 あれ?産廃さん、お前必要なくない?
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