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第91話 蟻痴漢

通勤ラッシュの電車内。

吊り革を持ちながら立っていた中年男・大谷(45)は、混雑の拍子に隣の女子高生の肩に手が軽く触れた。


「きゃっ……! この人、痴漢です!」


それを聞きつけた、乗務員が慌てて駆け込んで来た。


「ちょっと待ってくれ! 触ったのは──」


彼の視線が落ちる。女子高生の肩口に、一匹のクロオオアリ。制服のブローチとして「共生蟻」をつけていたのだ。


「その蟻に……手が当たっただけだ!」


「言い訳しないでください、蟻さんが嫌がってます!」


女子高生が叫んだ瞬間、蟻の身体が震える。


「ほらっ、かわいそうに…震えてるわ!」


──“蟻に対する不適切接触が検知されました。速やかに容疑者を隔離を行ってください”──


大谷は、そのまま連行された。


「触ったのは、人間じゃない」


取調室。彼は何度も訴える。


「俺は人間に触れたわけじゃないか。蟻に当たっただけなんだよ」


だが、警官は真顔でこう返す。


「あなたは“個体番号G-771003”に触れた。

見知らぬ共生蟻への接触には、事前の“嗅覚許諾”が必要なんです。知らなかったでは通らないんですよ。」


大谷は声を荒げる。


「じゃあ、肩に蟻つけて歩いてる奴には、誰も近づけないってのか!?」


「当然でしょう。いまや共生蟻は“準人格”です。“身体の一部”として認定されています」


「でも、手が当たっただけだぞ──みんな知らない奴ばっかじゃねえかよ!」


「共生蟻は“触れた”のではなく、“触られたと感じた”。それがフェロモン記録に残っています。それだけで証拠は十分です」


「そんな…」



フェロモン裁判


法廷では、蟻の“羞恥フェロモン”の検出ログが提示された。


裁判官が淡々と告げる。


「G-771003の羞恥反応が、事件時刻と一致。明確な“触れられた意志”を示しています」


弁護側は反論する。


「だが、蟻のフェロモンは外部刺激にも反応します! それは痴漢ではなく“驚き”かもしれない!」


検察官は言う。


「この蟻は教育済みの“羞恥識別型”です。

“意図ある接触”と“偶発的な圧”は、明確に区別される設計になっている。

──すなわち、“感じた”ということです」


人間の証言は遮られ、蟻の感情記録がすべてとなった。



判決

「被告、大谷祐一は、共生個体G-771003への不適切接触により、

軽度フェロモン性痴漢行為の罪に問う。執行猶予なし。社会奉仕命令、および接近禁止措置を科す」



釈放後、大谷は地下鉄のホームで立ち尽くしていた。

周囲の人々が、肩や襟に蟻を連れている。


──近づくだけで、反応される可能性がある世界。

もう、誰が本当に人間で、誰が蟻なのかもわからない。


彼はそっとマスクを外し、空気を吸った。

かすかに、甘く湿った土のにおい──フェロモンの気配がした。


「……もう、人間の言い分なんて、誰も聞いちゃいない」


その声もまた、空気にかき消されていった。


「きやっ、痴漢よ!」

また一人、蟻に触れてしまったようだ…


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