第62話 博士の復讐は共生の名のもとに
「君、また蟻なんか見てるの? 気持ち悪っ」
——昔の話だ。
彼は小学校の頃から蟻が好きだった。
休み時間にはしゃがみこんで、校庭の隅で蟻の行列を見ていた。
そして、決まってみんなに笑われた。
「蟻としか喋れないんだって〜!」「おーい、アリ人間!」
彼のあだ名は、いつしか“蟻くん”になった。
靴で蟻の巣を踏み潰されても、
机の引き出しに蟻の死骸を詰められても、
誰も守ってくれなかった。
でも、時代は変わった。
今や、蟻は「共生種」として法的に守られる存在になった。
「蟻との衝突は社会的死を招く」とまで言われるほどに。
そして彼は——「蟻行動研究家・有田渉博士」となった。
彼の論文『都市型共生蟻道の進化論』が国会でも引用され、
政策の中心人物にまで祭り上げられた。
テレビにも出演した。
「人間と蟻の未来をつなぐ男」として、若者たちの憧れの的になった。
そして、ある日。
中学の同窓会に呼ばれた。
「うわ、有田!? あの蟻の? テレビ見たよ〜、すごいじゃん!」
昔、机を蹴ってきたやつが笑顔で握手を求めてきた。
給食のトレイをひっくり返してきたやつが、名刺を差し出してきた。
「今、うちの子が蟻アカやっててさ〜」
「一緒に写真撮ってもらってもいい?」
ああ、そうか。
今は、蟻のそばにいる者こそ、強者なのだ。
彼は静かに言った。
「ところで……君、覚えてる? 君たち、昔、僕の蟻、踏み潰してたよね」
一瞬でその場の空気が凍った。
「そ、それは昔のことじゃん……あの時はごめんって、な? 俺もまだ子どもだったことだし……」
「そう。でも、“踏蟻歴”って、法律で調査できるんだよ」
彼はスマホを取り出した。
《旧学籍番号照会中——蟻殺傷ログ:6件/故意判定:4件》
一瞬で、場がざわついた。
「ちょ、待てって、まさか——」
「悪いね。共生法に基づいて、君たちの氏名は“共生障害者リスト”に送られることになってる。
もうすぐ通知が行くと思うよ」
その日以降、彼らは失職し、スマホ決済も使えなくなった。
「蟻差別者」としてSNSで晒され、蟻保護団体から抗議の手紙が届いた。
有田博士に連絡しようとしたが、彼はもう別の番組で笑顔を振りまいていた。
「蟻に優しい社会こそ、やさしい社会です」
そう。彼はもう、いじめられっ子じゃない。
むしろ——
「過去に“蟻をいじめた者”を、どう扱うか?」
それが、今では社会的な議論の的になっている。
いまや彼の周りには、蟻と、賞賛と、
そして——復讐される側となった“元いじめっ子たち”の姿がある。
共生とは、優しさか?
それとも、新たな権力か?
答えは、蟻の列の先にある。




