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第57話 蟻に育てられた女

その女が見つかったのは、山奥の廃村だった。

誰も住まなくなって久しい村には、電気も水道も通っておらず、地図からも名前が消えていた。だが、近くの登山客が「人影を見た」と騒ぎになり、調査隊が派遣されたのだ。


薄暗い木造家屋の奥。埃と朽木の匂いが漂う中で、彼女はうずくまっていた。


全身に土がこびりつき、裸で髪は肩の下で固まっていた。目だけが、真っすぐにこちらを見ていた。


「……言葉、わかりますか?」


隊員の問いかけに、女は答えなかった。ただ、指を前に出し、ゆっくりと地面に触れた。そして、そのまま土をすくい上げ、周囲にぽとり、ぽとりと撒いた。


——まるで「巣」を作っているようだった。


彼女は保護された。

調査していくうちに蟻と共生していたことがわかった。

言葉を話せないことと四つん這いで生活していることから、幼少期より生活していることがうかがえる。

もしかしたら、蟻に育てられたのではないかという調査結果に至った。


そしてメディアでは“蟻に育てられた女”。と報じられた。

一連の話題になった。


名前は不明。年齢はおそらく20代前半。誰とも会話せず、食事も手で直接口に運び、時に「腹部を地面にこすりつける」ような人間の動きとは思えない奇妙な動作を繰り返した。

専門家たちは口をそろえた。


「社会的接触を断たれた結果、独自の行動様式を形成した可能性があります。

……ただ、それにしても“組織的すぎる”」


女は、無意味な動きは一切していなかった。

食事の後には、必ず周囲を“掃除”し、床下の隙間にパンくずを運んでいた。

そして夜になると、室内の四隅を巡回し、一定間隔で“停止”して何かを確認するように動いた。


まるで、“群れ”を守るかのように。


 

半年が経った頃、異変は施設職員から始まった。


「彼女の気配が気になるんです。妙に落ち着くというか、安心するというか……」

「気づいたら、床に食べ物を置いてるんですよね、自分でも不思議で」


精神科医は「観察者効果による同調性の高まり」と分析したが、次第に、職員たちの行動は明らかに変質していった。


・昼休憩に“糸状に裂いたパン”を運ぶ者

・机の下に“通路”を作る者

・報告書を“集団作業”で書くようになる部署


彼女と直接接触のあった職員の一人はこう記録を残した。


「言葉は必要ない。指示も、命令も、ない。

ただ、彼女の“意志”を感じる。それに従うのが自然なんだ。

……これが“生きる”ってことだったのかもしれない。」




 

退院後、女は村へと戻った。数名の施設職員が、一緒に同行した。


次第に“あの村”に向かう人が増えていったのだ。口コミ、SNS、都市に疲れた人々——

癒しを求めて…しかしその村に行った者たちは誰ももう戻ってこなくなった。


そしてある日、調査ドローンが撮影した映像が流出した。


上空から見下ろした村。そこには、家屋をつなぐ“規則的な土の道”が網の目のように走っていた。人々が四つん這いで、等間隔に並んでいる様子も映っていた。


だが、誰も怯えた様子はなかった。


ただ静かに、黙々と、何か“全体”のために働いていた。

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