第43話 蟻の模様、蟻の形、蟻の意味
最近では、街の景色が少しずつ変わってきている。
最初に気づいたのは、大学構内のベンチだった。
鉄製の脚が、以前はただのアーチ型だったはずなのに——今ではどこか蟻の脚の関節のような形に変わっていた。
今年、この大学に入学したばかりの近藤智徳は、講義帰りに何気なくそのベンチの脚を指でなぞる。
「気のせい…じゃ、ないよな……?」
歩道に描かれた交通マーク。
「止まれ」の下に添えられたキャラクターが、いつの間にか蟻の帽子をかぶった子どもに変わっていた。
小学校の図工展では「好きな昆虫を描こう」という課題に対して、ほとんどの子どもが蟻を選んでいた。
教師は言う。
「最近はね、“蟻推し”なんですよ。社会性があって、努力家で、規律があって……子どもたちの理想の姿だって」
そう言って見せられた教科書の挿絵には、蟻と手をつないで笑う少年少女の姿があった。
近藤の部屋のカレンダー。郵便局が配っている無料のものだ。
デザインは「季節の暮らしと昆虫たち」——今月は《6月・働き蟻と梅雨支度》。
その隅には、金色の箔押しで小さく文字が書かれている。
《Ariventure Co.,Ltd.》
「アリベンチャー」? なんだそれ、聞いたことがない。
近藤はスマホで検索してみる。
するとそこには、信じられない文言が並んでいた。
《蟻と人間の共創未来を支援する、次世代都市デザイン企業》
《代表取締役:第8世代 女王群中枢・A-β87型》
《資本構成:人類33%、蟻類ネットワーク67%》
「なんだ、これ……?」
企業ページには、すでに完成している“蟻式駅”や“地下型蟻住居”の画像が並び、各地での導入実績が華々しく紹介されていた。
しかし、人間のスタッフの顔は一人も映っていない。
代わりに、蟻のシルエットを模したロゴと、虫眼鏡越しに見たような蟻の集合体の動画が、画面を覆っていた。
帰宅途中、近藤は何気なく入ったコンビニで異変に気づく。
お菓子コーナーの一角。
そこに並ぶのは、「アリあられ」「巣のチョコボール」「女王のひとくちゼリー」など、あからさまに蟻をモチーフにした商品ばかり。
しかも、それらのパッケージの隅には、必ず小さな記号がある。
六角形の枠の中に描かれた、上下逆さの人間のシルエットと、蟻のマーク。
それはどこか、“等級”や“支配関係”を示すような印象を与えるものだった。
家に帰ると、ポストに一通の封筒。
《Ariventureよりお知らせ》
《あなたのお住まいの地域は、7月より「中級蟻適応区域」に指定されました》
《生活様式の見直し、蟻通路の確保、夜間の照明規制にご協力ください》
(……自分だけが、何かに取り残されているんじゃないか?)
近藤は震える指で封筒を閉じた。
封筒を閉じたあと、しばらく近藤は黙って立ち尽くした。
そのまま流しに行き、何も考えずに手を洗う。水の音が、やけに遠く聞こえた。
「これって……?」
SNSのトレンドでは、すべて“蟻”に関する話題で埋め尽くされていた。
「#アリガトウ生活」
「#蟻に教わる生き方」
「#女王様の声、今日も聞いた」
「#蟻っぽい彼氏が好き」
誰も何も、この異変に気づかないのか…
何処もかしこも蟻だらけだ…
彼らは、誰も疑っていない。
自分たちの意識や好みが、**どこかから“誘導されている”**ことに——
最近、近くの公園の一角にモニュメントが置かれてていた。
それは、蟻と人間が手を取り合い、地面の下で笑っている像だった。
しかしその土台には、小さな文字でこう刻まれていた。
「地下から上へ。次は、意識へ。」




