下
「なーんでこんなとこにいるんですか、聖女サマ?」
少し呆れたような、甘い低音が耳朶を打つ。
聴く者をそれだけで虜にしそうな、端的に言うならエロボイス。私は慣れたけど。
それが自分に対する時だけ、他に対するより少し柔らかくなることは知っている。
「……聖女じゃ、ないよ」
見上げて呟いた言葉に、赤色の瞳が丸く見開かれる。
私と同じように建物の壁に背を預けて、ぽんぽんと頭を撫でられた。
「何、考えてる?」
ただ促すように紡がれる言葉に、自分でも考えを整理しながら、ぽつぽつと考えたことを話していった。
私は平民上がりの聖女だから、今までも根強い反対派の貴族は沢山いた。
そこに同じ光属性の精霊の加護を受けた、貴族の美少女が現れれば、貴族からの支持は彼女に向かう。
ただ聖女の座を追われるだけなら、その後で子を産む腹として扱われたりとか、高値で取引されたりとかするだろうけど生きてはいける。けど、後々に禍根を残さない為とか、新聖女の邪魔になるとかで、殺されるかもしれない。
今まで同じ時代に聖女が二人存在した前例がないから、支持されない方の聖女がどうなるかわからなくて、怖い。
ギルに関してのことは、本人に言える訳がない。困らせるってわかってて、叶わないって知ってて言える程強くない。
「ギルも、あの子を支持するって決めたんでしょ?王太子殿下達もあの子と仲良いらしいし、私が聖女でい続けることはないっていうのは、わかるんだけど……どういう形で聖女じゃなくなるのかわからなくて、それが怖いの」
「ちょっと待て。何で俺がアリシア嬢を支持するって決めたと思ったんだ?」
「え?……決めたんじゃ、ないの?………最近、昼休みとかふらっと消えるから、私の護衛はやるつもりないのかと」
他の騎士がいる訳じゃないんだから、襲われたら自分でどうにかしないといけない。
それがわかっていて側を離れるのだから、それなりの理由があるか、私という聖女の価値を見限ったかだと。
妹みたいに思われてるんだから後者はないとして、私よりも聖女に相応しく、愛らしい彼女の方にちゃんとした護衛が必要だと思ったから側に行っていたのではない、ということだろうか?けれど彼女は方々から嫉妬を買っているし……
やっぱり私には、ギルがあの子を心配して護衛しに行っていたんじゃないかとしか思えないのだが……
その考えを言葉にして伝えたら、ギルがぐしゃりと綺麗な髪を乱しながら頭を抱えてしまった。
指の隙間から、さらさらの銀糸みたいな前髪が溢れて綺麗だ。そしてどうしたのだろう。凄く凹んでる……?
「リオ」
「……?」
最近はもっぱら聖女って呼ばれたり、アンタとかお前って呼ばれてたから、名前を呼ばれたのは久しぶりだ。
真面目な話をしている筈なのに名前を呼ばれたのが少し嬉しくて、顔を上げると真剣な赤い瞳と目が合った。
「俺がリオの側を離れてたのは、アリシア嬢を護衛する為じゃない」
うん、何となくこれまでの反応から予想はしてたけど……でも、じゃあ何で離れてたんだ?
「あー……本当は言いたくないんだけどな……聞かないで納得してはくれないよなぁ……」
うん、しない。
嫌そうな顔で、溜息を吐いたギルに、そんなに言いたくないことなのかと首を傾げた。気になるから聞くけど。
「リオを敵視して嫌がらせする奴らがいるから、リオに知られないように対処すんのと、話し合い」
「……話し合い」
「今んとこ暴力沙汰にはなってないし、話し合い」
……ギルの性格上、大事に思ってるものが傷つけられそうになったら、話し合いで済ませられると思えないんだけど。
脅しとかやってたんじゃないかと、疑いの視線を向けられたギルが目を逸らす。
だから言いたくなかったんだとでもボヤきそうなその態度に、それでも疑問が残って言葉にした。
「アリシア嬢と一緒にいた理由?……ああ、さっきの見てたのか。笑って話してたから勘違いしたと?」
「……まあ、私の推測が勘違いなら、そうなる」
だけど勘違いって言われるのは何か嫌だなぁ、と思って、それが表情に出たからだろう。苦笑しながら頭を撫でられた。
「リオのこと話してたんだよ。聖女様はどんな人かって聞かれたから」
「……敵情視察?」
「物騒だな」
いや、だって……うん、確かに物騒だ。ギルと一緒にいた彼女に嫉妬したからってこれは失礼だな。
でも何で興味を持たれたんだろう。自分の前任になる聖女のことを聞きたがる理由……やっぱり敵情視察じゃ……
「光魔法を使える人間は多いに越したことはない。二人で協力できれば、今は回復魔法をかけてもらう値段が高くて治療を受けられない人達にも手が回るんじゃないかって話してたな。俺は良い案だと思った」
「良い子だ」
物騒なことを考えてた自分が完敗を認めずにいられないような良い子だ。
「だから、厳密に言うなら俺はアリシア嬢とリオ、二人を聖女に支持してる。当然貴族だけを聖女にしたい奴らは嫌がるだろうし、聖女の治療を独占したい奴らも反対するだろうけど、平民には喜ばれるんじゃないか?」
……うん、反対する人は絶対出てくるだろうけど、平民のことを考えて……表向きは賛成して、暗殺者とかを送り込んできたりとかするんじゃないだろうか。とてもそんな気がする。貴族の聖女がいるなら平民上がりの聖女はいらないって考える人絶対いる。あの子自身が良い子でも、やっぱり私にとってあの子は脅威な気がする。
「守るよ」
まっすぐに赤い瞳に見つめられて、きっぱりと告げる言葉の力強さに呆気にとられる。
ギルがここまで真剣な顔をするのは珍しい。どころか、初めて見たかもしれない。
どうしてか居心地の悪さを覚えてしまうのは、何故だろう。
「俺が守る。リオ以外に回す余力はないけど、リオのことだけは何があっても絶対守るよ」
「……そんなことしてたら、本格的に婚期逃すんじゃないの?」
真剣過ぎて痛いくらいの眼差しから目を逸らして、態と茶化す言葉を選んで口にした。
「逃さないよ、アンタと結婚するし」
「………………は?」
自分が聞いた言葉がにわかには信じられなくて、反射的に目を合わせて、一瞬後にそれを後悔した。
さらさらの銀髪は乱れた余韻なんてなく柔らかく吹いた風に少し揺れて、赤色のタレ目は甘く細まる。
全力で愛しいと伝えてくるような表情に、一番に感じたのは戸惑いだった。
「何、言って」
「言葉のままだよ。リオと結婚するから、婚期は逃さない。男の婚期は長いし」
いや、そういう話じゃない。あと、私の感覚で言えば二十五過ぎれば逃す婚期はそこまで長くない。
混乱しながら、隣から伸ばされた手が頰に触れて、さっきの風で乱れた髪を梳いて耳にかける。
じわじわと頰の温度が上昇していくのを感じて、目を逸らしたくなったけど、頰に添えられた手に邪魔された。
「好きだよ、リオ。結婚しよう。それで、一生守らせて。俺だけに、アンタを守らせてほしい」
しばらく無言の時間が続いて、返事を求められてるのはわかってたけど、頭が働かないどころか真っ白になってた。
真っ赤に染まっているであろう頰に触れて、ふにふにと遊ぶギルのせいでまだしばらくは確実に赤みは引かないだろう。
「す、き、って……妹、じゃ」
「勘違いさせといたのは俺だし、確かに前は妹みたいに思ってたよ。変わったのは……一昨年頃、か?」
一昨年……何かあったっけ?一応成人年齢になる十五歳になったって以外、ほとんど記憶に残ってない。
まだ頰が火照ったまま、手が離れるのも嫌で、首を傾げようとしたら擦り寄るみたいになった。
少しの沈黙を挟んで、目を逸らしながら片手で拳を作って口元を隠したギルの目元が、少し赤くなっている。
「リオ、成人の儀の時に酒飲んだろ」
「え、うん……酔っ払って何かやらかした、とか?」
「正解。……酔って、俺以外部屋から追い出した後で態度変えて、全力で甘えてきた」
ぴし、と動きを止める。
成人の儀で、お酒を飲まされたのは覚えてる。元から儀式の説明で聞いてたことだし。
だけどお酒を飲んだ後、部屋に戻ってからどうしたかは覚えてなくて……すぐに寝たのかと、思ってたんだけど。
目を逸らしたまま、気まずそうにギルが告げる。
「名前呼べとか抱っこしろとか、覚えてたら絶対後で悶えるんじゃないかって感じのことを、色々と」
「……光魔法に記憶操作ってなかったっけ」
あった気がする、あってくれ。ギルの記憶を消したい、今すぐに。
光の精霊に呼びかけようとした私を止めて、落ち着けという風に頭を撫でられるけど……追い打ちです、追い打ちかけてます、ギルさん。
「で、まあ……酒飲むと素直になるタイプなんだなーって思ったんで、甘やかしてやろーとしたんだけど」
「しなくていい!!」
「眠る直前に抱きつきながら『好き』って言われたんで……家族愛的な意味でかとは思ったんだけどな」
それでもその時から意識するようになった、と、今度はしっかり目を合わせて告げるギルから、必死で目を逸らす。
覚えてない間の私がそんなことをやってたとか、知りたくなかった。
「その直後くらいか?俺がリオを気にしてるっつうのは元から精霊達も知ってたし、非番の時にもちょくちょくリオが無事かどうか教えてくれてたんだけど、リオが俺に関して言った独り言とか、態々教えに来るようになって」
「もうやだ……お願いやめて……」
精霊が視えないだけでどこにでもいるのは知ってる。ギルが精霊と話せるのも知ってる。
だけどこんな方法で自分の気持ちが元から知られてるとか知りたくなかった……!!何なのこの出オチ!
耳を塞いでもう聞きたくないとアピールしながら、羞恥に縮こまる。穴を掘って入りたい。
ギルに関しての独り言とか、どうでもいいことを言ってた記憶の方が少ない。
そして多分、光の精霊と話してたことも知られてるんじゃないか、と推測。
許容量を超えるレベルの情報をシャットアウトしたくて足掻くけど、受け入れろ、とでも言うように耳を塞ぐ手を外される。
「リオの気持ち、勝手に聞いてたことは悪かったと思ってる。ごめん。でも、嬉しかった」
「っわ、たし、はっ、嬉しくないっ!」
何で教えてくれなかったのか、と睨むのが、八つ当たりであるとはわかっている。
知られないように独り言で言ったことが筒抜けだとか、本人からも言い辛いことこの上ないだろう。
私がギルと同じ立場なら、知らないフリしてスルーする。あ、微妙に語呂良い………現実逃避はやめよう。
泣きそうになって睨んだ赤色の瞳の騎士は、涙の滲む私の目尻を優しく撫でた。
「好きだ、リオ。これまで言えなくてごめん。できればリオからも、直接聞きたい」
それが何を聞きたいと言っているのかを、理解できない訳じゃない。
散々精霊越しに聞いているだろうと睨む私を、優しく抱きしめて耳元で囁いた。
「アンタの声で、俺に向けた言葉で、聞きたい」
普段よりも尚低く、凄絶な甘さが乗った声が耳元で響いて、ぞわぞわとした感覚が背筋を駆け抜ける。
耐性はある筈なのに、それでも多分、今自分で立とうとしても立てなくなってると思う。
多大な甘さと、多大な色気と……懇願、に、少しだけ、不安を含んでいることに気づくのは、付き合いの長さも当然あるだろうけど、それ以上に私がギルを理解したがってるからじゃないかと思う。
妹みたいな存在で我慢しようとしてたのは、全部無駄で。
無駄だったけど、拒絶されるどころか好きって言われるとか、本当予想外で。
「……好き」
小さく呟いた言葉は衝動的なもので、今度はそれを噛みしめるように、しっかりした声音で告げた。
「ギルが、好き」
タガが外れたように、何回も好き、と繰り返した。
好きだと言う度に、赤色の瞳も端正な表情も甘く蕩けて、同じように好きだと返された。
独り言で呟くか、光の精霊に勝手に一人で語るしかなかった、届く筈がないと思っていた気持ちを口にして届けることができて、相手がそれを喜んでくれることが嬉しくて、何回も何回も、繰り返して告げた。
「結婚しよう、リオ」
「ーーーうんっ!」
嬉しくて泣く、という経験を初めてしながら、差し出された手を取って笑って、ギルに抱きついた。




