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6.天然タラシ(無自覚)はご遠慮ください【最終話】

その日の夕方。


ハナはいつも通り和美に連れられて暖簾をくぐった。

屋台村のように幾つか小さな店が固まっている場所が駅の近くにあって、そこに美味しい串揚げ屋を見つけたのだと言う。


(串揚げなんかで懐柔されてたまるか)


と渋い表情のまま連行されたハナだが、揚げたての『アラカルト串セット』が目の前に差し出されると警戒心は吹き飛んだ。


「このタレがまた、美味うまいんだよな」

「ほんと!すっごく美味おいし~い」


最高!と言いながら齧り付く。

ジュッと閉じ込められていた肉汁が染みだして、ハナは感動に打ち震えた。







そしてホテルに帰る道の途中で意識を取り戻す。




(思わず、串カツに夢中になってしまった!)




長い付き合いの和美はハナの好みをよく熟知していた。まさにドンピシャ、好みど真ん中のセレクトにハナは思わずトリップしていた事に気が付いて―――愕然とした。




(だ、騙されないよ。美味しい物を食べさせれば私の怒りの矛先が逸れるとでも思っているのか……その手には乗らないわよ)




ハナは気合を入れ直した。てっきり夕食の席で和美から何らかのアクションがあるものと構えていた彼女は、上機嫌の和美を目の前にして当惑していた。


(まさか本当に私をキープしたまま嫁取り計画を進めようと思っているの?!……うーん……でも、それは和美の性格上有り得無い……かなぁ……)


真面目な和美のキャラには『キープ』という行動はあまりに似つかわしく無い。


おそらく今までは彼も迷いがあったのだろう。萌香が言ったような決断について自分の気持ちが固まっているのなら、きちんと自分との関係を清算する決断をすると思う。

和美はそういう律儀な奴だ……と、妙な信頼をハナは彼に寄せていた。


(きっと、周りに人目がある場所だと話しづらいのだろうな)


ハナはいつも通りホテルの部屋まで付いてくる和美をちらりと見上げながら、そう推測した。







「ハナ、ちょっと座って」


いつも部屋に入るなり有無を言わせず押し倒す和美が、狭いシングルベッドに腰掛け自分の隣をポンポンと叩いた。


「来たな」


「え?」


聞きかえす和美に答えず、ハナは大人しく叩かれた場所に腰を降ろした。


「はい、どーぞ」


促すと、和美は真面目な表情で少し俯いてハナの視線から目を逸らした。


「母親がさ、入院しているんだ」

「うん」


え、と呟いて和美は顔を上げた。


「平井さんに聞いた」

「あ、お昼に?そっか……」


そのまま、沈黙してしまう。


言いだせない気持ちも分からないでもないので、ハナは辛抱強く次の言葉を待った。しかし最初に母親の体調の話をするのは狡くないだろうか?と少し思う。同情を煽って別れ話をスムーズに進めようとしているのかと、思わずジトッとした視線を俯く和美に向けてしまう。


「だから、異動願を出したんだ」

「……海外支店に?」


「は?」


和美は顔を上げまじまじと―――それこそ穴が開いちゃうのではないかと思う程、ハナの顔を見つめた。


「何?『海外』って……北海道支社へ戻りたいって上司にお願いしたんだよ。母親を札幌に戻そうと思って。家に戻るのは大変だし気ままに暮らしたいって母が言うので今、条件の良い高齢者マンションを探しているんだ。一緒に俺も清美を連れて札幌に戻ろうと思ってる」


「は?」


寝耳に水だった。

ハナはマジマジと清美の顔を見返した。


「あれ?……札幌に……来るの?別れ話は?」


「わ『別れ話』……?!何、言ってんの?」


今度は和美が寝耳に水、という様子で眉を顰めた。そして一気に部屋の温度が2度ほど降下した。


戸惑ったのはハナだった。

どのタイミングで平手打ちをかましてやろうか、と手薬煉てぐすね引いて待ち構えていたのに肩透かしを喰らった気分だった。


「今日ランチで平井さんが『和美が結婚を考えている』って聞いたんだけど……」

「それはそうだけど……何でハナにそんな事言ったのかな?もしかして俺達が付き合っているって気付いたのかな?」

「そういう感じには見えなかったけど」


何か話の流れがおかしいな……とハナが思っていると、和美は「まあ、平井さんの事はいっか」と話を横に置いた。そしてハナの手が大きなゴツゴツした和美の手に包まれた。


「それで、俺と清美の事なんだけど」


向かい合って両手を揺らされる。まるで手遊びをしているように。


「俺達と家族になってください」

「うん?」

「結婚してくれ」

「あれ?」


ハナは首を捻った。


「ん?」


和美が聞き返すと、至極真面目な表情でハナが告白した。


「私…専業主婦にもなれないし、海外にも行けないけど」


プッと和美が噴き出した。


「さっきから、何?もしかして海外支店行きたかった?」


首を振ると、和美はこらえ切れないように肩を揺らした。


「ハナに専業主婦なんかやらせられないよ。仕事辞めさせたら支店の連中に俺が恨まれる。ただでさえ人材不足なのに」

「平井さんが和美は自分を支えてくれる人と結婚を考え始めたって……だから、今日は別れ話をされるのかと……」


和美が眉を上げて面白そうに、ハナを至近距離から覗き込んだ。


「それでまさか、大人しく受け入れる気だったの?」

「まさか。2発平手で殴って痕付けてから別れてやろうって、思ってた」


サッと平手を上げるポーズで凄むと、和美の笑顔が一瞬引き攣った。


「誤解だよ。平井さんは、励ましてくれたんだ。……『支え合える人と結婚したら良い』って。エリカも俺と清美が幸せになるのを喜んでくれる筈だって、言ってくれたんだ。……驚いたよ。プライドの高いちょっと生意気なお嬢様だと思っていたのに、意外と良い事言ってくれるんだ。ひと回りも下なのに叱られてさ。失礼だけど今までそんな風に人を励ませる子だって思って無かったから……俺、ちょっと感動しちゃったよ」


和美の話を聞いている内にハナの瞼はどんどん下がって、とうとう仏様が悟りを開いたような半眼になってしまった。


「ああ、そういうこと……」


狭いビジネスホテルの箱のような室内から、ハナは見通せない筈の遠くの空を眺めた。







―――無自覚の天然タラシだ。しかも毒薬級―――







ハナは萌香の事が気の毒になってきた。


萌香はすっかり誤解しているのだ。おそらく無意識にダダ漏れになっている和美の色気にてられて、冷静な判断ができなかったのかもしれない。




きっと和美は満面の笑顔で結婚報告をするのだろう。

萌香の手を取るくらい、感極まってするかもしれない。


『平井さん、ありがとう!君のお蔭で彼女にプロポーズしようって、勇気が持てたんだ!』


などと、感謝を込めて伝えるのだろうか。


『君に背中を押されなかったら、踏み出せなかった』


なんてもし言われたら、萌香は卒倒しないだろうか……。




……しかし、あれほどのポジティブ・シンキングは中々稀少だ。きっとそのうち前向きな彼女に相応しい男が現れるだろう―――現れると信じよう。


ハナは萌香から目を逸らす事に決めた。どっちみち本社関連のプロジェクトはある程度目途がついた。コンペが終わればもう会う機会も無いだろう。







「ハナ、好きだよ。結婚して。家族になって一緒に暮らしたい。ハナが支えてくれた分、俺もハナを支えたい」


「仕事は……?いいの?海外の大きい仕事に関われなくなるよ?最近、支社には新築工事の依頼も殆ど来なくなったし、耐震とか改修工事とか小さな仕事ばかりだし……」


やはり無理をしているのじゃないかと、ハナは気になった。仕事に少しでも未練があるなら。寂しいけれど、東京に残って好きな仕事に専念して欲しい。和美は才能に恵まれているし、それに見合った努力が出来る男なのだ。


「うん、それは大丈夫。改修工事も……大変だけどいろいろ面倒な所が面白いし。大きい仕事は散々手掛けたからもういいかな―――それに何より、家族に何かあった時駆けつけられる距離の仕事場じゃないと―――正直もう落ち着いて仕事ができないから」


海外出張中の和美は、エリカの死に目に間に合わなかった。それは彼のトラウマになったのかもしれない。彼の息子である清美も両親がいない時間、随分心細かった事だろう。


ここまで確認すれば、ハナの答えは一つしかない。


「うん、いーよ。結婚しよう」


パァッと、和美の表情が明るくなった。

嬉しそうな瞳にハナもくすぐったくなる。


「うち戸建てで広いから、一緒に住も。アクセスいいから会社に通うのもラクだよ」

「ハナ!ありがとう……嬉しい。大好きだよ……」

「……私も。ありがと……和美がこっちに戻ってくれるなんて、想像もしてなかった」


思いの丈を伝えきって、目の前の美男子が溶けそうな表情で自分を見ている。

その表情に感染して、ハナの胸も震えた。

ゆっくりとベッドに押し倒され―――彼女はじんわりと目を閉じる。



(幸せだな)




ハナは思った。


目を閉じると目尻から涙が流れて、その軌道を和美の唇が愛しそうに追いかけた。







** ** **







浴衣を貰ってしまった。


そう言えば大通りで盆踊りをやっている筈だと、思い出す。定時で帰れそうなので中3という少女盛りの時期を迎えてもお洒落に興味を持たない娘を、強制的に着飾らせようと決意した。


自分で着るのは簡単だけど、人に着せるとなるとなかなか難しい。

額に汗して、娘の体に巻き付けた帯をキュッと引き締めた。


「きつっ」

「お洒落とは―――我慢するコトなのです」

「……やっぱり私『お洒落』は面倒」


往生際の悪い娘の台詞をスルーして、髪の毛を纏めて色付きリップを塗った。眉はしっかりしたものが鎮座しているので、書き足す必要は無い。


「一丁上がり」


額の汗を拭いながら、出来栄えに満足して胸を張った。

恥ずかしがる娘の背を押して居間に押し出すと、こちらを振り返った息子がポカンと口を開けていた。




彼は今年中学校に入学した。なのに既に小柄な私達の背を軽々と追い抜いている。この姉弟を並べたら、息子が年上で娘が年下にみられる事は間違いない。序でに言うと、北欧美人エリカの血を引く息子と、日本人形を思わせる和風な見た目の私の娘の外見は全く共通点が見受けられないので、2人が姉弟なのだと道行く人は判断できないだろう。……よくて、親戚?




「どう?会心の出来!似合うでしょう?」




得意気に言うと、まるで脊髄反射のように息子が頷いた。


「うん、似合う」


弟の珍しい率直な褒め言葉に娘は頬を染めて俯く。


「ありがとう」


と蚊の鳴くような声でお礼を言った。


いつも感情を表情に登らせない娘が照れているのが珍しく、私はマジマジと見入ってしまう。親バカなので、そんな娘の不器用な様子が可愛くて堪らないのだ。


「ねえ、せっかくだから盆踊り行ってきなよ、2人で」


小さい頃あまり、そういった遊びに連れて行ってあげた記憶が無い。

長い間母子家庭で、私は仕事にかまけて彼女を構えなかった。

だからもっと色んな事を楽しんでみて欲しいと願ってしまう。


成長せず小柄なままの娘は一見幼く見えて1人で歩かせるのは危険だ。家族になりたての頃、天使と見紛うほど可憐な佇まいの少年だった息子は、彼女を安心して預けられるほど大きく、大きく育って、見た目だけで言えばまるで近所の妹分を護るお兄さんのように見えてしまうだろう。

罪滅ぼしという訳ではないがお小遣いを多めに握らせて、2人を送り出した。







再婚して、娘に弟ができて。


親しく心を許せる相手が一緒に居てくれる今の暮らしは―――今では彼女にとって当たり前の事であり掛け替えの無い体の一部になったように思う。


息子と娘が並んでテレビを見ている時、小さな言い争いをしているとき、ソファで一緒にうたたねしている時―――私は夫に感謝する。




あの時、告白してくれてありがとう。

結婚しようと言ってくれて、この街に戻って来てくれて、家族を与えてくれて、ありがとう。


相変わらず忙しいし、2人の時間もなかなか確保できないし、子供達に十分な時間を割く事もできないけれど。もう『一緒に遊ぼう』と誘ったとしても構ってくれないほど、子供達は大きくなってしまったけれど。




4人で一緒に同じ家で眠って、ご飯を食べられる。

それだけでなんだか自分は物凄く―――世界一幸せなんじゃないかって、そんな気がするのだ。


今日は珍しく夫も早く帰って来る予定。

子供達がいない隙に……久し振りに口に出して言ってみようか。




「いつもありがとう。愛してるよ」って。







【天然タラシ(無自覚)はご遠慮ください・完】

お読みいただき、有難うございました。


この後本編に登場した清美のバスケ部の先輩、高坂視点の番外編『恋は思案の外』、清美と晶のその後のお話『この恋の行方は』を投稿しております。引き続きお立ち寄りいただけると嬉しいです。

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