5.前王国の城跡/6
「──この魔法陣は解除だ」
無言のまま魔法陣をじっくりと調べて、オルトが首を振った。やはり、この禁忌に触れる魔法陣はこのまま残すわけにいかないと考えたのだろう。
「魔法陣の魔力遮断を頼む。解除は俺がやる」
「わかったわ」
不測の事態に備えてすぐに飛び退けるようにと、そばにツェルとカリンが控えたのを確認して、オルトとエルネスティは集中する。魔法の詠唱を開始すると魔力のこもった言葉が不思議な抑揚に乗せて紡がれていき……いきなりふっと魔法陣の放っていたほのかな光が失せた。
同時に、魔法使いふたりがほう、と息を吐く。
「消せたな」
「ええ」
額に浮かんだ汗を拭ってから、ノークに「もう開けても大丈夫なはずだ」と声を掛けた。
扉の向こうは奇妙な部屋だった。壁一面に複雑な模様が彫り込まれている。よく観察すれば、魔法文字をいくつも組み合わせ、ほんのりと魔法を帯びているようだ。もっとも、魔力源だったと思しき魔法陣が効力を無くしてしまったので、部屋の紋様からは既に魔力は消えつつあるようだが。
しかし、中央の小さな台座にしっかりと固定された赤い珠。表面には彫られたのとは違う、何か紋様が浮かんでいてぼんやりと内側から光っているようであり……何よりエルネスティにすらはっきりと感じるくらいの強い魔力を帯びている。
「これ、何?」
「わからん」
エルネスティもオルトも、この部屋全体に施された複雑な紋様に、ただ茫然とするだけだった。これをきちんと調べようと思ったら、いったいどれだけの日数が必要なのか。
それにあの珠。
「これ、魔法設備?」
「これだけの規模だ、そうかもしれない」
魔法をよく知らないノークやツェルでさえ、その異様な雰囲気に入ることは憚られ、部屋中に刻まれた紋様をきょろきょろと見回すだけだった。
「ちょっとこれは入りたくないわね」
エルネスティが呟くと「そうだな」とオルトも苦笑する。
ノークは「がっちり彫り込まれてるんだねえ」と感心しながら、足元にしゃがみこんで床の紋様をつぶさに観察していた。
「……を、保存し、維持する、ここは」
「カリン?」
後ろにいたはずのカリンが、急にふらふらと前に出てきた。何かをぶつぶつと呟きながら。
「私を作った。永遠のため」
「どうしたの、カリン」
部屋に踏み込もうとするカリンを止めようと手を伸ばすが、するりと避けられてしまう。
「ここにあるものは──」
部屋の中央、珠のそばまで進み、振り返ったカリンは、ガラス玉のような目で、なおも話し続ける。
「主が、役目を果たせと。私は……“創造主”リベリウスの器だ」
「“カリン=アラストリオナ”! 止まれ!」
「オルト」
オルトが魔力を込めてカリンの“名”を呼んだ。一瞬だけカリンの目にいつものような光が戻り……。
「精霊の眼だ。精霊の眼で暴かなきゃ、こいつは、だめだ」
掻き消えた。
そして、すぐにその目に別の光が宿る。
「──それは、この器の名ではなく、器に宿るものの名だ」
カリンの声なのにカリンの声ではないものが、不意に言葉を発した。
「だが、残念だ。宿るものは非常に弱く儚く、充分な力もなく、この私という輝きの前には蝋燭の炎にも等しい」
「カリン?」
「つまり──もう、カリン=アラストリオナは存在しないということだ。
私という太陽の前に、星が存在できないように」
カリンの姿をした何かは、くつくつと笑った。
「まさかいちばんの失敗と考えたものが、いちばんの成功であったとは。
……なるほど、長い年月を経て疲弊し全てを忘れたところに新たな名を与えられ、どうにかこの器を動かすだけの意識を得られたということか。
確かにこいつを作ったのは、アレから“魂”や真名についてを学ぶ前だったな。なるほど」
「……あなた、誰」
握ったり開いたりしながら自分の手を見つめるカリンの姿をした何かに、エルネスティが問う。
「飲み込みの悪い女だな。先ほどこの器を動かしていたものが言ったろう。私はリベリウス。元クレーフェルト皇国魔術師団長にして皇国最後の皇帝陛下の顧問魔法使いである……と言えばわかるか?」
「クレーフェルト皇国?」
聞きなれない国の名前を聞いて、ノークが訝しげに“リベリウス”を見やる。
「卑しい獣人風情は、偉大なる皇国の名など知らぬというのか」
蔑むような視線でノークをちらりと見やった。
「クレーフェルト……前王国? まさか、そんな……」
エルネスティは目を瞠る。どうして前王国の魔法使いが、今ここに存在できているのか。
「私にはより多くの時間が必要だった。だからその方法を模索し、いつか私にふさわしい器が現れる時まで私自身を保存しなければならなかった。それがこの部屋だ。
いや危ないところだったな……あと1日遅ければ、あやつにただ殺されて終わるところだったが、天の采配と言うべきか。私はこうして難を逃れここにいる。ずいぶんと時が過ぎたようだ、あやつも既に存在はしていまい。
そして今、ようやく私のための器を得ることもできた」
「まさか、“完全な生き物”というのは……」
「もちろん、私に相応しい器となる生き物のことだ」
オルトが苦虫を噛み潰したような渋面になる。こんなくだらないことが目的だったのか、と。
「……それにしてもこの器はなかなか調子が良いが、少々力が足りてないようだ。補充が必要だな」
ぐっと拳を握りながら“リベリウス”が呟く。
オルトはハッと息を呑み「下がれ!」と叫んだ──と同時に、一瞬で間合いを詰めた“リベリウス”の手の剣が、ノークの喉を貫く。
「……ノーク!?」
「これはいい。これほど使える器だったとは。ここまで運んでくれたこと、礼を言おう」
笑いながら、“リベリウス”は簡単な魔法を唱える。
「だがやはり獣人ではたいした補充はできないようだ」
血を吐き、ひゅうひゅうと喉を鳴らしながら、ノークが崩れ落ち、エルネスティが何てことを、と悲鳴をあげる。
「私の“永遠”の礎となるのだ。私がこれから生み出すものの礎とな。光栄に思え」
転がったノークの身体を蹴り飛ばしながら、“リベリウス”は嘲笑を浮かべ……エルネスティはギリ、と唇を噛んだ。
こんなものが、こんな狂った魔法使いが前王国の魔術師団長? 皇帝顧問魔法使い? 天才?
「……永遠? 完全だ? あなた天才とか言われたっていうくせに、馬鹿だったのね」
エルネスティは“リベリウス”を嗤う。
「あなたがひとりだけで創り出せるのは、とても狭くて偏ってるものだけよ。そこに完全なんて存在しないわ。むしろ“完全”からは程遠いものでしかない。それがわからないなんて、馬鹿にもほどがあるわ。
あなたがひとりでできることなんて、たとえ時間が無限にあったとしても有限でしかないのに、そのことにも気づいてないの?
あなたみたいに頭の悪いひと、初めて見たわよ」
“リベリウス”の顔から笑みが消えた。「よく口が回るようだな、女」と、魔法を唱え始める。エルネスティもすぐに防御結界の魔法を唱えた。
“リベリウス”の放った魔法はかろうじてエルネスティの障壁が弾いたが、破られるのは時間の問題だろう。持っている魔力量も魔法の技量も違いすぎる。
「どうやら図星を指されたようね。やっぱり前王国……クレーフェルト皇国が滅んだのは、あなたの自業自得のせいだったのね」
「何?」
「おおかた、その、あなたを殺しそこねたとかいうやつに成敗されそうになって、焦って魔力暴走でも起こしたんでしょう? 下手打った魔法使いの巻き添えを食うなんて、皇国もとんだとばっちりだわ」
「黙れ女!」
“リベリウス”が足を踏み出すと同時に剣を振りかぶり……エルネスティを斬り伏せようとした剣は、ツェルに止められていた。
「やっぱり結構な馬鹿力だな。オルト、ちょっと余裕ないから、強化を頼むよ」
「わかった」
それからオルトはちらりとカリンを見やり、「……カリン、悪いな」と目を眇めた。




