5.前王国の城跡/7
“リベリウス”は強かった。
カリンの身体の俊敏さと剣の腕に加えて、さらに強力な魔法が使えるようになったのだ。
しかも、さすが腐ってももと魔術師団長と言うべきか、詠唱も早く威力も確かだ。
「ジリ貧だわ」
できることならコレの始末をつけて、ノークのことも連れ帰りたい。けれど、状況がそれを許さない。と、“リベリウス”が魔法を放つ。
「っつ」
「オルト!」
エルネスティを庇うように覆い被さり、オルトが代わりに魔法を受けてしまったようだ。彼の肩にみるみる血がにじんでくる。
「……オルト、エルネスティ。僕だけならなんとか逃げる算段はある。君らは行ってくれ。障壁でここを閉じてしまっても構わない」
剣を合わせ、“リベリウス”の身体を蹴り飛ばしながら、ツェルが囁いた。
「本当だな?」
「ひとりなら、地上くらいまではなんとか飛べる、そうなるとむしろ君たちだよ、大変なのは」
ツェルはまた斬り掛かってきた“リベリウス”の剣を受け止めた。それほど大きな魔法を使わないのは、“補充”が間に合っていないから、魔力不足で使えないということだろう。
ツェル、とエルネスティは心配そうに目を細め、ひとつだけ防御の魔法を掛ける。それから「絶対逃げるのよ」と言い残し、オルトに手を貸すとすぐにこの場を離れた。
通路の途中途中で立ち止まり、いくつもの障壁や結界を作りながら、もと来た道をひたすら進むが……これだって、単なる時間稼ぎにしかならないだろう。ツェルが引くまでにいったいどれほどの距離が稼げるだろうか。
戻れる限り戻って、最後に休息を取った小部屋に駆け込み、結界と障壁を二重に張った。扉も魔法で補強した。もし追いつかれても、すぐに破られる心配はないだろう。
ここまで来る間、本当に簡単な血止めの魔法しか掛けられなかったせいか、オルトの肩の傷からはだいぶ血が流れてしまっていた。顔色もあまりよくない。すぐにもう少し上の治癒の魔法を唱え、オルトの傷を塞ぎにかかる。
それから荷物を漁り、痛み止めの薬を出してオルトに飲ませ、並んで床にへたり込んだ。
「ノーク、連れて来れなかったわ」
膝を抱えてエルネスティはぽつりとこぼす。
「もう少し、用心するべきだった。カリンの様子がずっとおかしかったのに、見つけたものにばかり意識がいってた」
オルトが顔を伏せて言えば、エルネスティも目を伏せる。
「私もよ。あの部屋を見つけて、先のことしか考えてなかったもの」
“完全な生き物”を求めたという“創造主”リベリウス。あんな方法でまだ生きてたなんて、知らなかった。
何をもって“完全”なのかと思えば、それはとても詰まらないものでしかなかった。
──そう、完全なんて、この世界には存在しない。だって、世界は変化していくものだから。もし、たとえ今この瞬間が完全だと思えても、そこを過ぎてしまえばまた変化に飲み込まれ、不完全なものへと変わってしまう。ほら、やっぱり“完全”なんて、“完全”からは程遠いものじゃないの。
「完全が存在するとしたら、たぶん神の国くらいよ」
そう独りごちながら、ああ、だからあの魔法使いは“完全”を追い求めることを止められないのかもしれないと考える。魔法使いにとって、神の技へ挑戦することは究極の目的だもの。
ここまで使った結界と治癒の魔法のおかげで、大きな魔法を使えるほどの魔力は残ってない……と少し不安になりながら、扉を振り返る。ツェルは無事だろうか、と考えて、彼ならきっと隙を見つけてどうにか逃げるだろうと思い直した。
ツェルの言う通り、むしろ、問題なのは私たちのほうこそか。
オルトは顔を伏せたまま、じっと考えているようだった。
「どう? 動けそう?」
「腕は、少し厳しいな」
エルネスティは、ふう、と息を吐く。肩の傷はやはり深手だったのだ。ちゃんとした専門の治癒魔法使いの癒しでなくてはこれ以上は無理だろう。
「……帰ったら、あなたが嫌だって言っても、王都に連れてって治癒魔法を頼むことにするわ」
「帰ったら、な」
自嘲するような笑みを浮かべるオルトに「もちろん帰るのよ、ふたりとも」とエルネスティは眉を吊り上げ……。
「そうは言っても、そうね、私、後回しにせず、転移魔法の訓練をしとけばよかったって思うわ」
肩を竦め、眉尻を下げて笑った。こういうことって、たいてい後の祭りになるのよね、と。
胸元に揺れる指輪が目に入り、ふと、王都にいる親友の顔が浮かぶ。彼女が突然寮を出たときは驚いたし、子供を引き取ったというのも、小隊長と結婚したって報告された時も、それ以上に驚いたっけ。学生の時から、変に悩むくせに思い切りはよくて、しかも全部決めたあとでの報告ばっかりだったわね。
ああ、私も彼女みたいに素敵な旦那さんを捕まえたかったなあ。
そこまで考えて、傍らに座り込むオルトに目が行った。不意に、くすくすと笑いが込み上げる。
「私、あなたのこと好きだわ。そうね、結婚してもいいかなって思うくらいには」
ちらりとエルネスティに目をやって、オルトは溜息を吐く。
「こんな時に、唐突に何言ってんだ。タイプじゃないとか言ってなかったか」
「あら、こんな時だから言っておくのよ。それに、家事ができる男は働く女の結婚相手に最適なの」
「……俺はお前みたいな跳ねっ返りを嫁にするのはごめんだ」
オルトが片眉を上げてそう返すと、エルネスティは失礼ね、と笑いながらも憤慨する。
「これでも私、銀槍騎士団の騎士達には結構モテるんだから」
「どうせ、特大の猫を被ってたんだろうが」
どうしてわかっちゃうの、とエルネスティが瞠目すると、わからないわけがなかろうと、オルトは返す。
「……騙されるほうが悪いと思うのよね」
「そうだな。そいつらの目が節穴なのは間違いないだろう」
しれっと言ってのけるエルネスティに、オルトもつい笑ってしまった。まったく、騎士どもの目はほんとうに節穴ばかりだ。こいつの表面ばかりに気をとられるなんて。
「……私、もう少し時間が欲しかったわ」
小さく嘆息し微笑みながら、ぽつりと漏らす。
まだ1年にも満たない期間ではあったが、彼の共同研究者として過ごすことができたのは、本当に僥倖だったと思う。
「──エルネスティ」
無事なほうの肩に凭せ掛けられたエルネスティの頭をオルトが抱き寄せ、優しく微笑んだ。いつも、おい、とか、お前、とか適当にしか呼ばないくせに……。
「私のこと名前で呼ぶなんて」
「大丈夫だよ」
珍しいわねと言おうとして、彼女は目を眇め彼を見上げた。いったい何が大丈夫だというのか。訝しむ彼女の手を取って、オルトは素早く自分の指にあった指輪をエルネスティの指へと移す。
「まだ終わらないよ」
一体何が? とますます怪訝に首を傾げるエルネスティを抱き寄せ、唇にひとつキスを贈る。
それから、オルトは指輪に魔力を込めた。ぐっと手を握ったまま。
「お前は、元気でな」
「オルト、何を……」
驚いた表情のまま目の前から消える彼女に、もう一度オルトは優しく微笑む。
──それからしばらく、オルトは腕に残された彼女の重みと体温を惜しんで身じろぎもせず、ただじっと座っていた。
「さてと」
深く息を吐いて立ち上がり、オルトは小部屋を出ると、真っ暗な闇に閉ざされた通路の先を見据える。
「アレの後始末を、少しでも付けないとな」
肩は治療したけれど、腕が痺れたような感覚は抜けていない。だいぶ血も流して、少しふらふらしてもいる。魔力だってそうそう残ってはいないだろう。
あの恐ろしいほどの身体能力に、今や魔法まで加わったアレが相手では、とてもどうにかできる気はしないが……そこまで考えて肩を竦め、走った痛みに顔を顰めた。
「ま、仕方ない。これも俺の運命ってことか」
オルトはゆっくりと歩き出した。




