身代わりの品
王国軍出動の報が,病気の国王陛下に代わって第二王子イスファスカの名で発せられた.
異常な事態が起こっているのだ.
外国からの軍隊の侵攻,それに合わせたように王都を襲った火災と国王陛下のご発病.
私はひざの上で眠る男の顔を眺めた.
今,この王都でもっとも多忙な男だ.
多忙なわりには,夜は私の家まで来る.
来ない夜は,そのまま執務室の机の上につっぷして眠っているらしい.
みけんのしわを指でつついて,寝苦しそうな寝顔を少しでも楽にしてやる.
「……ちゃんと食事は取っているの?」
国を守る重責に押しつぶされるような弱い男じゃない.
「どうせ仕事しながら,飲みこむようにして食べているんでしょ?」
けれど,それにひとりで耐えられるような強い人間じゃない.
「……んあ?」
うっすらと開く瞳の色はこげ茶色.
燃える炎のような髪を持つ,赤の第二王子イスファスカ・トーン・シグニア.
身分高い王子様のくせに,まわりからイスカと気軽に呼ばれている妙な男だ.
「……俺,寝てた?」
頭を振りながら,起き上がる.
夜,私の部屋にやってきて,
「いきなり床に倒れて,そのままずっと寝ていたわよ.」
ひざを開放されて,私はせいせいしたと首をすくめた.
するとイスカは腕を伸ばして,私の顔から眼鏡を奪う.
「城へ戻る.」
すっくと立ち上がって,すたすたとドアの方へ向かった.
「まだ仕事が残っているの?」
眼鏡を返してほしいと手を伸ばしたけれど,イスカは無視をする.
大きな背中で拒絶して,ドアノブをつかんで回す.
「……起きて待っていてあげるから,眼鏡は返しなさい.」
ため息まじりに言うと,イスカの動きがぴたりと止まった.
まったく,でかい図体をして子どもなんだから.
「遅くなるし,……そのまま帰ってこないかもしれないぜ.」
背中を見せたままで,すねた子どものような声.
「かまわないから,さっさと城に戻って,さっさと仕事を済ませなさい.」
眼鏡を取られて困った私が,ずっと起きてイスカの帰りを待つように期待している.
「寝ていてもいいぜ,たたき起こすから.」
やっと振り返ったイスカの顔は,照れ隠しに怒った顔.
「イスカに起こされるなんて嫌だから,ちゃんと起きているわ.」
イスカの手から私の手へと,眼鏡が帰ってくる.
無事に戻ってきた眼鏡に,ほっと一安心.
「なぁ……,」
眼鏡をかけなおそうとすると,再び眼鏡が奪われた.
「これないと困る?」
にやっといたずらっ子のように笑う.
「困るわよ.」
手をつき出すと,ぎゅっと腕の中に抱きしめられた.
「俺がいない間,ずっと困っとけ.」
とんでもないわがままなせりふを残して,イスカは部屋から出てゆく.
「……ガキ.」
心も身体も奪われて,まさか眼鏡まで取られるとは思わなかった.
さびしがり屋で自分勝手でひきょうな男.
今夜は部屋の明かりは落とさずに,私の眼鏡を盗んだ男の帰りをずっと待っていよう.




