第67話 帰れば、また修理が待っている
翌朝。
音の森。
記憶樹の前。
ポォン。
朝の風に揺れて。
一本の音響樹が。
静かに鳴った。
昨日までとは。
違う。
無理に。
昔を再生している音ではない。
ただ。
今日の森が。
今日の風で。
鳴らした音。
修は。
少しだけ。
立ち止まって聞いた。
「いい音ですね!」
隣で。
リペも。
胸を張っている。
「お前が鳴らしたわけじゃないけどな」
「私も昨日歌いました!」
「その記録はしっかり残ってるよ」
「名曲です!」
「森の歌?」
「はい!」
「もーりー♪」
「朝から再演しなくていい」
少し離れたところ。
エルドが。
杖をつきながら。
こちらへ歩いてきた。
胸には。
古い木製の笛。
「もう帰るのか」
「はい」
修が頷く。
「アルドの手帳に」
「一度帰れって」
「書いてあったので」
エルドが。
鼻を鳴らす。
「死んでも人を使う男だな」
「本当ですね」
「ノアも似たようなところがあった」
「やっぱり弟子ですね」
エルドは。
少しだけ笑う。
そして。
修の持つ。
第五巻を見る。
「持っていくんだろ」
「はい」
「時計台を直すのに」
「必要みたいなので」
「そうか」
エルドは。
記憶樹を見上げる。
「ここは」
「俺が見ておく」
「大丈夫ですか?」
「何十年見てきたと思ってる」
「そうでした」
「ただし」
エルドは言う。
「今度は」
「誰も入れるなとは言わん」
「え?」
「ハルネ村の連中が来たら」
「森を荒らさない限り」
「好きにさせる」
修が。
少し驚く。
「変わりましたね」
「変わってない」
「そうですか?」
「俺は昔から」
「心が広い」
修は。
昨日まで追い返されたことを思い出す。
「……そういうことにしておきます」
「なんだその顔は」
リペが。
手を挙げる。
「私も心が広いです!」
「お前は腹だろ」
「失礼です!」
「昨日どれだけ食った」
「記憶にありません!」
ポォン。
記憶樹が鳴った。
修が笑う。
「森には残ってるけどな」
「消してください!」
「記憶を大切にしろよ!」
エルドの小屋。
出発前。
修は。
ノア修理記録を。
もう一度開いていた。
音の森。
第五の遺産。
その部分。
今まで。
最後に書かれていたのは。
『第五の遺産は、俺が預かる。』
そして。
場所と。
オルゴールの情報。
だが。
今。
新しい文字が。
一行だけ。
浮かんでいる。
『師匠。』
『たぶん、これでいい。』
「……」
修は。
しばらく。
その文字を見る。
ノア。
アルドの弟子。
時計職人にはなれなかった。
でも。
修理屋にはなった男。
アルドが作ったものを。
ただ守るのではなく。
間違った使われ方をした時。
自分で。
止めた。
共鳴軸を外し。
エルドと一緒に。
記憶を。
過去から切り離した。
完全に。
正しかったかは。
分からない。
でも。
それでも。
自分で考えて。
直そうとした。
修は。
小さく呟く。
「十分」
「修理屋だったよ」
その時。
リペが。
横から覗く。
「ノアさんですか?」
「ああ」
「会ってみたかったですね」
「そうだな」
「私の修理も」
「してくれたでしょうか?」
「毎日大変だったと思うよ」
「なぜです!?」
「外れすぎなんだよ」
リペが。
自分の腕を見る。
「最近は大丈夫です!」
ポロッ。
腕が落ちる。
「今!」
「これは偶然です!」
「絶妙すぎるだろ」
エルドが。
外から叫ぶ。
「出発するなら早くしろ!」
「はい!」
修は。
ノア修理記録を閉じた。
森の出口。
ハルネ村まで。
戻る道。
来た時と。
同じ森。
なのに。
まるで違う。
ポォン。
リーン。
カラン。
時々。
木が鳴る。
完全に。
昔の状態へ戻ったわけではない。
むしろ。
戻っていない。
音の種類も。
鳴る間隔も。
きっと。
昔とは違う。
それでいい。
リペが。
嬉しそうに。
音を追いかける。
「こっち!」
ポォン。
「あっちです!」
リーン。
「待ってください!」
「木は逃げてないよ」
「音が逃げます!」
「それは消えるからな」
「捕まえます!」
「どうやって?」
リペが。
両手を広げる。
「こうです!」
ポォン。
「捕まえました!」
「気持ちの問題だな」
森の入口。
初日に。
見つけた。
古い案内板。
『音の森へようこそ』
『耳を澄ませて歩いてください』
修が。
足を止める。
リペが。
看板を見る。
「あ」
「覚えてた?」
「もちろんです!」
修が触れる。
【対象:案内板】
【損傷率:71%】
「帰りに直すって」
「言ったからな」
工具箱。
木材。
釘。
補修材。
古く。
腐った部分だけを。
取り替える。
文字は。
完全には。
書き直さない。
読めるところは。
そのまま残す。
新しい板。
古い板。
少し。
色が違う。
リペが言う。
「新品みたいにしないんですか?」
「しない」
「どうしてです?」
修は。
案内板を見る。
「昔からあったって」
「分かる方がいい」
「でも」
「壊れてるところは直す」
「なるほど」
「新品に戻すんじゃなくて」
「これからも使えるようにする」
「第五の遺産と同じですね!」
修が。
少し笑う。
「そうかもな」
最後。
表面を拭く。
【損傷率:0%】
看板。
古さは残る。
でも。
しっかり。
立っている。
『音の森へようこそ』
『耳を澄ませて歩いてください』
その下。
空白。
リペが。
何かを書こうとする。
修が。
すぐ筆を止める。
「何書く気?」
「リペ来訪記念!」
「書かない」
「名所になります!」
「落書きになる」
「では」
「第五の遺産修理済み!」
「秘密っぽいからやめよう」
リペが。
しょんぼりする。
修は。
少し考え。
看板の裏へ。
小さく。
日付だけ。
刻んだ。
今日。
森が。
また新しい音を。
始めた日。
「これくらいなら」
「いいだろ」
リペが笑う。
「私も!」
「一個だけな」
「はい!」
リペが。
その横へ。
小さく。
『リペ』
と刻んだ。
「名前書いた!」
「一個って言ったので!」
「そういう意味じゃない!」
昼前。
ハルネ村。
渡り鳥亭。
「戻ったぞー!」
リペが。
大声で叫ぶ。
宿の主人が。
店から顔を出す。
「おお!」
「無事だったか!」
「はい!」
「第五の遺産も!」
修が。
リペの口を塞ぐ。
「そこは大声で言わなくていい!」
主人が笑う。
「何かあったんだな」
「色々ありました」
「エルドは?」
「元気です」
「そうか」
主人は。
少し安心した顔。
「今度」
「食い物持って」
「また行ってみるか」
修が頷く。
「喜ぶと思います」
「本当か?」
「たぶん」
「顔には出さないでしょうけど」
「それは分かる」
主人は。
荷車を。
裏から出してくれる。
預けていた。
修理済み品。
工具。
旅道具。
「そうだ」
主人が言う。
「これ」
一枚の紙。
簡単な。
地図。
「帰り道」
「南側を通ると」
「少し近い」
「ただ」
「橋が一本壊れてるって」
「聞いたけどな」
修が。
地図を見る。
「壊れてる?」
リペの目が。
光る。
「ご主人様!」
「寄りません」
「まだ何も言ってません!」
「顔で分かる」
主人が。
笑う。
「修理屋に」
「壊れた橋の情報を」
「教えた俺が悪かったな」
修が。
ため息。
でも。
地図を。
鞄へ入れる。
「……見るだけ」
リペが。
両手を上げる。
「寄り道です!」
「見るだけだからな」
「修理道具持ってます!」
「それはいつも持ってる!」
「完璧です!」
「何がだよ」
結局。
南の道を。
通った。
二時間後。
小さな川。
そして。
橋。
「……」
修が。
立ち止まる。
リペも。
橋を見る。
木製。
幅。
荷車一台分。
中央。
一部。
板が抜けている。
欄干。
片方破損。
「ご主人様」
「なんだ」
「見るだけです」
「そうだな」
「見ました」
「ああ」
「壊れてます」
「うん」
「直せます」
「……」
リペが。
ニコニコしている。
修は。
橋を見る。
【対象:木造橋】
【損傷率:19%】
【通行危険度:中】
【応急修理可能】
「……」
修は。
工具箱を降ろした。
「見るだけは?」
「見た結果」
「直した方がいい」
リペが。
胸を張る。
「これが修理屋です!」
「嬉しそうだな」
「帰るまでが出張です!」
修が。
少し驚く。
「それ」
「前にも言ったな」
「覚えています!」
「珍しい」
「褒めてください!」
「あとでな」
一時間。
橋。
補修。
抜けた板。
近くに。
古い予備材が。
置かれていた。
腐っていない部分を選び。
削る。
合わせる。
固定。
欄干。
完全には直せない。
だが。
応急的に。
危なくないところまで。
戻す。
【損傷率:19% → 7%】
【通行危険度:低】
「よし」
リペが。
橋の上。
何度もジャンプする。
ドン!
ドン!
ドン!
「耐久試験です!」
「やめろ!」
「丈夫です!」
「お前基準は厳しすぎる!」
橋は。
無事。
修は。
近くに。
注意書きを残す。
『応急修理済み』
『本修理が必要』
『大型荷車は一台ずつ』
「これで」
「町か村の人が」
「ちゃんと直すだろ」
リペが尋ねる。
「ご主人様が」
「全部直さないんですか?」
「ああ」
「どうして?」
「俺たちは」
「帰る途中だから」
「それに」
修は橋を見る。
「誰が使って」
「誰が管理してるかも」
「分からない」
「勝手に全部変えるのは」
「違う」
リペが。
うんうん。
と頷く。
「成長です!」
「その言葉好きだな」
さらに。
道。
夕方。
小さな丘。
そこから。
遠く。
見えた。
村。
そして。
時計台。
修が。
足を止める。
「見えた」
リペが。
ぴょん。
ぴょん。
跳ねる。
「帰ってきました!」
まだ。
少し距離がある。
でも。
確かに。
帰る場所。
工房。
村。
時計台。
何度見ても。
少し。
安心する。
不思議なものだと。
修は思う。
旅へ出る。
知らないものを。
見る。
新しいものを。
直す。
それは。
楽しい。
でも。
帰ってくる場所が。
あるから。
旅は。
旅になる。
村の入口。
すでに。
何人か。
こちらに気づいていた。
「修だ!」
「帰ってきたぞ!」
子ども。
走る。
大人。
手を振る。
そして。
一番前。
ロイ。
木剣を。
高く掲げる。
「修ー!」
「おかえりー!」
「ただいま!」
リペも叫ぶ。
「ただいまです!」
その横。
赤い角のヤギ。
ポチ。
いや。
ロイにとっては。
「バルガ!」
ロイが叫ぶ。
「見ろ!」
「ドラゴンと仲良くなった!」
メェェ。
修が笑う。
「よかったな」
「もう戦わない!」
「それがいい」
「でも!」
「たまに修行する!」
「ほどほどにな」
工房の前。
修は。
固まった。
「……」
扉。
その前。
荷物。
壊れた椅子。
鍋。
ランタン。
木箱。
人形。
工具。
古い時計。
謎の瓶。
そして。
張り紙。
『修理お願いします』
『帰ったらお願いします』
『急ぎません』
『リペア市またやってください』
『この鍋は爆発しません』
「最後の一文が」
「逆に怖い」
リペが。
嬉しそうに。
数える。
「一!」
「二!」
「三!」
「四!」
「五!」
途中から。
適当になる。
「いっぱい!」
修が。
荷物を見る。
「何件ある?」
近くにいた。
町長が。
笑いながら答える。
「三十四件」
「増えてる!」
「お前が」
「旅先で修理してるって」
「話が広がってな」
「隣村からも来てる」
「……」
リペが。
胸を張る。
「人気店です!」
「休ませて」
町長が。
笑う。
「今日は」
「誰も頼まんよ」
「え?」
「帰ってきた日くらい」
「休め」
修が。
少し驚く。
以前なら。
帰ってきたら。
すぐ。
修理。
それが。
当たり前だった。
でも。
今は。
村の方が。
言ってくれる。
休め。
明日でいい。
「……ありがとうございます」
「おう」
町長は。
時計台を見る。
「ただ」
「明日は」
「あっちだな」
修も。
見る。
時計台。
アルド。
第五巻。
最後のページ。
『六つ目を探す前に』
『一度』
『帰れ。』
『時計台の地下を』
『開ける時が来た。』
修の表情が。
少し引き締まる。
夜。
工房。
久しぶりの。
自分の机。
工具。
棚。
椅子。
リペは。
床へ。
大の字。
「帰ってきましたー!」
「そうだな」
「やっぱり」
「工房が一番です!」
「宿のベッドより?」
「はい!」
「床なのに?」
「落ち着きます!」
「お前の寝床」
「一応ちゃんとあるからな」
「ここが好きです!」
「好きにしろ」
修は。
机。
アルド修理手帳。
第一巻。
第二巻。
第三巻。
第四巻。
そして。
第五巻。
五冊。
並べる。
その横。
ノア修理記録。
さらに。
時計台修復ノート。
開く。
【時計台修復率:59%】
以前と。
変わっていない。
だが。
その下。
【七つの遺産】
【第一:継承済】
【第二:継承済】
【第三:継承済】
【第四:継承済】
【第五:継承済】
【第六:未確認】
【第七:未確認】
そして。
【七つの音】
【第三:帰港の鐘】
【第五:継承の音】
他。
空白。
「まだ」
「分からないことだらけだな」
リペが。
床から。
顔だけ上げる。
「明日」
「地下ですね!」
「ああ」
「宝物ありますか?」
「分からない」
「金銀財宝!」
「アルドだから」
「たぶん修理関係だろ」
「工具!」
「それはありそう」
「お菓子!」
「何十年前のお菓子だよ」
「保存食です!」
「食べないでね」
修は。
第五巻を。
もう一度開く。
地図。
時計台。
地下。
その横。
よく見ると。
小さな。
一文。
昨日は。
気づかなかった。
『地下室を開けるには』
『五つの遺産が必要だ。』
「……」
修が。
ページへ顔を近づける。
さらに。
その下。
『ただし』
また。
ただし。
「嫌な予感」
リペが。
起き上がる。
「何です?」
修が読む。
『鍵は』
『地下にはない。』
「……?」
次。
『時計台の中にもない。』
「え?」
さらに。
『工房にもない。』
リペが。
腕を組む。
「では」
「どこです?」
最後の一文。
『修理屋なら』
『もう持っている。』
「……」
修とリペ。
顔を見合わせる。
「持ってる?」
修が。
自分の道具を見る。
古い鍵?
違う。
あれは。
第五の遺産用。
工具?
修理師章?
アルドの手帳?
ノアの手帳?
「何だ……?」
リペが。
腰から。
何かを抜く。
木製しゃもじ。
「これです!」
「絶対違う」
「第六の遺産!」
「普通のしゃもじだって鑑定しただろ!」
「でも!」
「修理屋なら持っています!」
「料理人だよ!」
「私たちも持ってます!」
「たまたまだよ!」
その瞬間。
時計台。
遠く。
村の中央。
ゴ……
低い。
音。
修が。
窓を見る。
時計台の。
止まったはずの。
内部。
ほんの一瞬。
歯車が。
動いた。
カチッ。
一秒。
そして。
止まる。
机の上。
五冊の。
アルド修理手帳。
同時に。
淡く。
光った。
修が。
立ち上がる。
「……明日」
「地下を調べよう」
リペも。
しゃもじを掲げる。
「はい!」
「それ置いていこうな」
「鍵かもしれません!」
「絶対違う!」
帰ってきた。
異世界リペア工房。
三十四件の。
修理依頼。
いつもの村。
いつもの工房。
そして。
ずっと直し続けてきた。
時計台。
五つの遺産を。
巡ったことで。
ついに。
閉ざされていた。
その地下が。
動き始めた。
次に直すべきものは。
遠い町にも。
深い森にもない。
最初から。
ずっと。
帰る場所の。
すぐ下で。
修を。
待っていた。




