白銀の独裁、残響する異臭の刻印
その夜、店主はデリの看板を下ろし、古びた真鍮の調理器具を詰め込んだトランクを手に、街で最も高い場所にそびえ立つ超高級マンションの最上階を訪れた。
依頼主は、巨大IT企業の若き創業者であり、冷徹な独裁者として恐れられる男、我妻だった。
我妻は「支配」という名の渇きに狂っていた。
彼は富も名声も手に入れたが、それでも満足できなかった。彼が望んだのは、人々の「記憶」と「生理」を支配すること。自分の名前を聞くだけで人々が震え、自分が去った後も、その場所に自分の存在が消えないほどの強烈な「傷跡」を残すことだった。
「……誰もが僕を忘れていく。会議が終われば、僕の影響力は薄れ、世界はまた僕のいない日常に戻る。それが許せないんだ。僕が一度触れた場所、一度関わった人間には、一生消えない『僕の刻印』を刻み込みたい。誰の鼻腔にも、誰の脳裏にも、僕という劇薬を永遠に居座らせたいんだ」
我妻は、大理石のテーブルを指先で苛立たしく叩きながら、店主を睨みつけた。
店主は無言でトランクを開き、銀の皿の上に「それ」を置いた。
「消えぬ記憶、ですね。その白き鎧の内側に、周囲を力で屈服させる強烈な芳香を凝縮した、大地の心臓……でしたら、これをお試しください。一房で世界を塗り替える、白銀の暴君です」
店主が差し出したのは、乳白色の薄皮に包まれた、異常に巨大な「にんにく」だった。
それは野菜というよりは、研ぎ澄まされた「牙」の集合体、あるいは地中から引き抜かれた「聖者の拳」のようにも見えた。表面は真珠のような光沢を放っているが、その隙間からは、一嗅ぎしただけで涙が溢れるほどの、暴力的に凝縮された「熱」が漏れ出していた。
「『インペリアル・セント(皇帝の刻印)』。これを一房ずつバラし、芯を抜かずに、あなたの体温に近い温度の油でじっくりと揚げてください。そして、その『黄金の牙』を、あなたの喉が焼けるまで噛み砕くのです」
我妻は店主を追い出すと、自らキッチンに立った。
高級なオリーブオイルの中で、白い房が躍る。
パチパチ、シュワアアア……
加熱されるにつれ、マンションの最上階に、凄まじい「臭気」が充満した。それは食欲をそそる芳香などではなく、他者の五感を麻痺させ、思考を停止させるほどの、重厚な「権力の匂い」だった。
我妻は、熱を帯びた黄金色の実を、一気に口に放り込んだ。
「あっつ……」
それは、喉から胃にかけて溶岩を流し込まれたような衝撃だった。
鼻を抜け、脳を直接殴りつけるような強烈な刺激。我妻の視界は真っ白に染まり、全身の細胞が、にんにくの成分によって強制的に「再起動」させられていく。
「これだ……力が、僕の……血管を……支配していく……!」
変化は、まず彼の「皮膚」に現れた。
翌朝、我妻が鏡を見ると、彼の肌は陶器のように真っ白になり、指先からは細く鋭い「白い爪(房)」が、鱗のように芽吹いていた。
彼が軽く息を吐くだけで、部屋の豪華なカーテンは一瞬で変色し、窓ガラスには、拭いても決して落ちない「黄金色の曇り」がこびりついた。
三日目。
我妻は会社に出向いた。彼が廊下を歩くだけで、秘書たちは顔を背け、涙を流して崩れ落ちた。
彼が発する言葉は、もはや音声ではなく、物理的な「刺激」となって社員たちの皮膚を焼き、鼓膜に「我妻」という名を刻みつけた。
彼と握手した投資家は、その手のひらに、三日経っても消えない強烈な「にんにくの匂い」と、皮膚を腐食させる熱を植え付けられた。
「……見たか……誰も僕を……無視できない……。僕の匂いが……世界を……埋め尽くすのだ……」
五日目。
我妻の肉体は、自重に耐えきれず変質した。
彼の背中からは、巨大な「白い牙」のような突起がいくつも突き出し、彼の家全体が、彼の毛穴から噴き出す「黄金色の油」で塗り潰された。
家具も、絵画も、すべてが我妻の分泌液によって分解され、一つの巨大な「白い肉塊」へと取り込まれていく。
彼は、マンションの最上階で、一棟まるごとを支配する巨大な「にんにくの心臓」へと変貌したのだ。
七日目。
我妻の肉体は、完全に「にんにく」へと置換された。
最上階のフロアを埋め尽くす、白銀の光沢を放つ巨大な房。
そこからは、街の全域に届くほどの、圧倒的な「支配の臭気」が、絶え間なく溢れ出していた。
人々はその匂いを嗅ぐたびに、姿の見えない我妻の「存在」を思い知らされ、恐怖と吐き気に震えながら、彼の名前を脳裏に刻まざるを得なかった。
数ヶ月後。
我妻の行方を探るべく、防護服に身を包んだ特別調査隊がマンションへ踏み込んだ。
彼らが見たのは、大理石さえも黄色く変質し、金属がすべて腐食した、異様な「白と金の神殿」だった。
中央に鎮座する、脈打つ白い塊。
一人が測定器を向けた瞬間、塊の表面にある薄皮が、パサリ、と剥がれ落ちた。
中から現れたのは、かつての我妻の顔を象った、巨大で硬質な「黄金の実」だった。
「……わすれ……られない……だろう……? ぼくは……おまえたちの……血の中に……いるのだから……」
調査隊が撤退した後も、その街から我妻の匂いが消えることはなかった。
雨が降っても、風が吹いても、人々が食事をするたびに、寝るたびに、その鼻腔の奥には、あの傲慢で、暴力的なまでに力強い、我妻の「刻印」が蘇る。
彼は手に入れたのだ。死してなお、世界を一生汚し続ける「永遠の独裁」を。
店主は、街を見下ろす丘の上で、トランクを閉じた。
彼のエプロンには、まだあの男の傲慢な残り香が、一滴の油となって付着している。
「個性を極めた魂は、最後には他者をすべて排斥し、孤独な異臭となって漂うことになります。さて、次は……季節の移ろいと共に現れては消える、実体のない蜃気楼のような魂。華やかな舞台の影に隠れ、自らの中心を持たず、ただ『一瞬の輝き』のためにすべてを捨てる。香りの残滓だけを残して消え去る、虚飾の貴公子『みょうが』などは、いかがでしょうか」




