清流の処刑、擦り下ろされる神経
その街の境界、常に水の流れる音が絶えず、冷気が足首に絡みつくような路地裏に、その「オーガニック・デリ」は翠の光を湛えて存在していた。
今回、あまりに端正で、しかし表情を凍りつかせたような男が入ってきた。若き数学者の秋庭だった。
秋庭は「純粋」を愛していた。数式のように明確で、一点の曇りもない美しさを信条としていた。しかし、彼が直面する現実は、醜い嫉妬や、泥臭い人間関係、そして彼の理論を正しく理解しようともしない大衆の無知に満ちていた。
「……耐えられないんです。この世界はあまりに濁り、雑音に満ちている。私はただ、清らかな場所で、誰にも邪魔されずに真理だけを見つめていたい。私を汚そうとする者たちを、一瞬で黙らせるような、鋭利で清浄な力が欲しい」
秋庭の指先は、絶えず汚物を避けるように宙を泳ぎ、その瞳は、濁った現実を見るたびに激しい痛みに晒されているようだった。
店主の男は、秋庭の透き通るような、しかし殺気を孕んだ瞳をじっと見つめ、カウンターの上に「それ」を置いた。
「清廉、ですね。淀みを嫌い、冷たい水の中で自らを研ぎ澄ます……でしたら、これをお試しください。美しさの裏側に、触れる者を拒む鋭い毒を秘めた、大地の牙です」
店主が差し出したのは、不気味なほど鮮やかな緑色をしたワサビだった。
それは野菜というよりは、爬虫類の尾、あるいは結晶化した猛毒の塊のようにも見えた。表面はゴツゴツとしたいびつな突起に覆われ、そこからは鼻を突くような、脳の芯を直接揺さぶるような鋭い芳香が漂っていた。
「『エメラルド・スティング(翠玉の刺)』。これを、鮫の皮でできたおろし金で、自らの手で丁寧に擦り下ろしてください。その『痛み』を全身に浴びたとき、あなたは世界から隔絶された、冷徹な聖域を手に入れるでしょう」
秋庭は、自らの魂を浄化するかのようにそのワサビを持ち帰った。
彼は自宅の冷暗所に、絶えず冷水を流し続ける装置を作った。その水の音だけが響く部屋で、彼は鮫皮のおろし金を取り出し、ワサビを回すようにして擦り始めた。
シュル、シュル。
擦り下ろされるたびに、部屋の空気が一変した。
眼を焼くような、鼻の奥を突き抜けるような、暴力的なまでの清涼感。それは香りと呼ぶにはあまりに鋭く、吸い込むたびに肺が凍りつくような感覚があった。
彼は、自ら擦り下ろしたその翠の泥を、一気に喉の奥へと放り込んだ。
「……、ッ!」
衝撃。
視界が白濁し、脳漿が沸騰するような激痛。
しかし、その激痛の後に訪れたのは、信じられないほどの静寂だった。秋庭を悩ませていた外界の雑音が、鋭い刃で切り落とされたかのように消え去ったのだ。
「これだ……僕が、研ぎ澄まされていく……」
変化は、まず彼の「分泌」に現れた。
翌朝、秋庭が目覚めると、枕元が緑色の液体で濡れていることに気づいた。
それは彼の目から、鼻から、耳から溢れ出した「涙」だった。その涙は驚くほど刺激が強く、触れたシーツの色を一瞬で奪い、木製のベッドフレームを白く変色させていた。
彼の感覚は、もはや正常な「受容」を拒否していた。
三日目。
秋庭の皮膚は、急速に硬質化し、不気味な緑色の「鱗片」へと変わっていった。
その鱗片の隙間からは、絶えず微細な翠の霧が噴き出しており、部屋に入ろうとした飼い猫は、その霧に触れた瞬間に激しく咽び、二度と近づこうとはしなかった。
彼は、自分自身が「歩く猛毒」へと変容していくことに、至高の悦びを感じていた。
五日目。
秋庭の肉体は、内側から「摩滅」し始めた。
彼の神経系は、目に見えない巨大なおろし金で擦り下ろされているかのように、絶えず削られ、粉砕されていた。
彼はもはや、思考を数式にまとめることもできなかった。
あるのは、自分を汚す世界に対する、純粋で鋭利な「攻撃性」だけ。
彼の足は、床を貫いて基礎を壊し、地下を流れる古い湧水層へと到達した。
七日目。
秋庭の肉体は、完全に「ワサビ」へと置換された。
部屋の真ん中に、冷たい水に浸かりながら、天井に向かって反り返るように直立した、巨大な翠の塊。
そこには、かつての秋庭の顔を思わせる、冷笑を浮かべた輪郭が浮き出ている。
彼は究極の清廉を手に入れた。
しかし、その周囲には、もはやいかなる生命も存在できなかった。
彼が放つ強烈な揮発成分は、半径数十メートルの草花を枯らし、鳥を墜落させ、人々の視力を奪った。
彼は「清らかな闇」を求めた末に、自分自身を、誰も近づくことのできない「美しき毒の杭」へと変えてしまったのだ。
数ヶ月後。
近隣一帯が、原因不明の「呼吸器不全」と「眼の痛み」を訴えたため、防護服を着た調査隊が部屋に突入した。
そこにあったのは、一面が緑色の粘液で覆われ、触れるものすべてが腐食した、地獄のような静寂の部屋だった。
中央に鎮座する、翠玉のように美しく輝く巨大な柱。
調査員の一人が、測定器を近づけようとしたその瞬間。
ピシッ。
柱の表面に亀裂が走り、中から、凝縮された「苦悶の記憶」が、眼を焼く霧となって一気に噴出した。
それは、世界を拒絶し続けた秋庭が、最後に残した「誰にも理解されなかった真理」の咆哮だった。
店主は、今日もエプロンの上に付着した、翠の刺激的な汁を、静かに指で弾く。
「清らかすぎればそれは毒にもなります。さて、次は……どれほど踏まれても、自分の意志を持てない。誰かの命令を待ち、ただの『道具』として使われることに慣れてしまった……そんな、卑屈を通り越した無力な魂に。自身の中に眠る『熱』に気づかず、誰かを温めるためだけに消費されたいと願う『サツマイモ』などは、いかがでしょうか」




