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泥濘の抱擁、甘き空洞の胎内

 その街の境界、夕闇が溶けたジャムのようにねっとりと路地を埋める場所に、その「オーガニック・デリ」は口を開けていた。

 今回、力なくドアを押し開けたのは、かつて将来を嘱望された若手作家、修一しゅういちだった。


 修一は、枯渇していた。

 書くべき言葉、向き合うべき現実、そして自分を律する意志。それらすべてが、都会の乾いた風に削り取られ、彼の心はひび割れた大地のように荒廃していた。

「……もう、頑張れないんだ。誰かに優しく包み込まれて、何も考えずに、ただ甘い夢だけを見ていたい。厳しい現実も、孤独な夜も、全部忘れてしまえるような場所へ行きたいんだ」

 修一は、すがるような目で店主を見つめた。自立という重責に耐えきれず、彼は母の胎内に戻るような、究極の「安らぎ」を求めていた。


 店主の男は、修一のひび割れた指先をじっと見つめ、カウンターの上に「それ」を置いた。


「安らぎ、ですね。外界を遮断し、内側の甘美なぬくもりの中に沈み込む……でしたら、これをお試しください。大地の慈愛をすべて凝縮し、時を止めた黄金の揺り籠です」


 店主が差し出したのは、異様なほどに重厚で、深い緑色の皮を纏ったカボチャだった。

 それは通常のそれよりもさらに硬く、表面には大地の皺のような深い溝が刻まれている。しかし、掌を当てると、植物とは思えないほど温かく、微かな「鼓動」のような振動が伝わってきた。


「『パンプキン・ナーセリー(南瓜の育児室)』。これを、皮ごとじっくりと時間をかけて煮込んでください。そして、その果肉が泥のように柔らかくなったとき、あなたは真の充足を知るでしょう」


 修一は、夢遊病者のような足取りでそのカボチャを持ち帰った。

 彼は大きな鍋に水を張り、言われた通りにその塊を煮始めた。

 火にかけて数時間が過ぎる頃、部屋中に、噎せ返るような甘い香りが立ち込めた。それは、蜂蜜を煮詰めたような、あるいは幼い頃に食べた温かい離乳食を思い出させる、抗いがたい誘惑の匂いだった。


 煮上がったカボチャを、彼はスプーンを使わずに、手で掬い取って口へ運んだ。

 ……甘い。

 舌の上で溶ける果肉は、驚くほど濃厚で、体温よりも少し高い熱を持っていた。それを飲み込むたびに、修一の脳内からは不安や焦燥が消え去り、綿菓子のような幸福感に塗り潰されていった。


「ああ……これだ。僕は、ここにいたかったんだ……」


 変化は、まず彼の「骨格」に現れた。


 翌朝、修一が立ち上がろうとしたとき、自分の身体がひどく「柔らかく」なっていることに気づいた。

 骨が、粘土のようにしなり、筋肉は溶けかかったバターのように形を失っている。彼は床に崩れ落ちたが、痛みは全くなかった。むしろ、硬い床に身体が「馴染んで」いく感覚が心地よかった。


 三日目。

 彼の皮膚は、急速に硬質化を始めた。

 柔らかくなった内臓を守るように、背中や腹の皮膚が、あのカボチャと同じ厚い緑色の「殻」へと変質していったのだ。

 

 彼は、もはや一歩も歩くことができなくなった。

 手足は胴体へと吸い込まれるように短くなり、身体全体が丸みを帯びていく。

 

 そして五日目。

 修一の意識は、自分の「内側」へと沈み込んでいった。

 

 彼の身体の内部には、巨大な「空洞」ができ始めていた。

 脳も、心臓も、肺も。すべての臓器が、壁面へと押しやられ、薄く引き伸ばされていく。

 その代わりに、空洞の中には、黄金色の繊維と、ぬらぬらと光る無数の「種」が溢れ出した。

 

 種は、彼の過去の記憶だった。

 書きたかった物語、愛した人の顔、挫折の痛み。

 それらすべてが、硬い殻に包まれた「種」となり、温かい果肉の海の中にぷかぷかと浮いている。

 修一は、その種の一つ一つを愛おしむように、甘い泥の中で微睡み続けた。


「……もう、何も書かなくていい。誰も、僕を傷つけない……」


 彼の声は、もはや口から漏れる気泡のような音にしか聞こえなかった。


 七日目。

 修一のアパートの床を突き破るようにして、巨大な、完熟したカボチャが鎮座した。

 

 その殻は鉄よりも硬く、斧を振るっても傷一つ付かない。

 しかし、その内側は、摂氏三十八度の温かさに保たれた、甘い、甘い地獄だった。

 

 修一の自意識は、すでに個体としての形を失っていた。

 彼は、自分自身が作り出した「甘み」に溺れ、自分の記憶である「種」を苗床にして、永遠に自立することのない胎児として、その空洞の中に溶け込んでしまったのだ。


 一ヶ月後。

 家賃の滞納を不審に思った管理人が部屋に入ると、そこには生活の痕跡をすべて押し潰すようにして、巨大な、そして不気味なほどに美しい深緑色の塊が置かれていた。

 

 管理人が恐る恐るその表面に耳を当てると、中から、ドクン……ドクン……という、ひどくゆっくりとした、しかし確かな鼓動が聞こえてきた。

 

 そして、そのカボチャからは、時折、赤ん坊が喉を鳴らすような、満足げな溜息が漏れ出したという。

 

 店主は、今日もエプロンの上に付着した、粘り気のある黄色い繊維を丁寧に拭い去る。

「甘えの果ては、自らを育むことのない、閉じた胎内ですさて、次は……あまりに潔癖で、汚れを許せない。世界を白黒はっきりさせたいという、潔癖な魂に。土を喰らい、自身の毒で白く輝く『大根』などは、いかがでしょうか」

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