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その箱を開けた世界で  作者: ナガズボン
第1章 鳳凰院 蓮火(仮題)
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プロローグ:出会い


『人は裏切る』


 阿架貫《あかぬき》 駈《かける》の信条だ。


 友達だと思っていた者は、彼が好いている異性と親しそうにしている駈に腹を立て、変な噂を流すようになった。

 道端で困っている年寄りを助けたと思ったら、そいつは悪質なスリだった。


 そして、今は。


 駈の目の前に迫ってくるのは、巨大な武器を振り上げる虫のような見た目の、だが虫としては考えられないほどの巨体。

 後ずさろうとする駈の背中とかかとに当たったのは、いっそ残酷だと思えるほどに無機質な、ダンジョン特有の赤茶けた壁。


 駈の汗ばんだ手で握られている剣は、今もなお迫ってくるモンスターとの攻防を経て、中ほどから折れていた。

 駈の身に付けている装備は、攻撃を避けるために転がり回っていたせいで擦りきれてボロボロになっており、その身体を守ることはもうない。


 壁際に追い込まれ動きを止めた駈の身体は、思い出したようにあちこちで痛みを訴え始めた。

 随分と長い間粘る駈だったが、もう諦めろというように膝に笑われていた。


 さらに付け加えると、駈の信条通り。


 ここまで一緒に潜ってきた者たちは、駈を囮にして逃げ出していた。

 状況を打開する術が、ない。


 また裏切られたかと思いながらも、ずっと懲りずにいたことが今の状況に繋がっているのだろうな、と。

 駈は自分でも知らない内に、自嘲の笑みを浮かべていた。

 その表情は、これから死にゆく人間とは思えないほどに、ただただ淡々としている。

 不思議と駈の中で、裏切られたことに対する恨み憎みはなかった。

 結局のところ、きっと自分が悪いのだとさえ思っていた。


 徐々に迫る自らの死を前にして、しかし駈の頭を占めているのは、たった一つの事で。

 

(結局、僕は何だったのかなぁ)


 何よりも答えを得たいと思っていたその疑問、それは自らの存在。

 自分がどこで生まれ、どのようにしてそこにいたのか。


 誰も彼もにありふれているようで、しかし自分にとってはとても大きな、悲願とも言える難題。

 それを解明することなく死んでいくのが、駈にとっては数少ない心残りだった。


 一流の冒険者になれば、その答えも出たのだろうか。

 幼い頃に聞かされた話によれば、恐らくはそうなのだ。

 だがそれも、もう叶いそうにない。


 あと数秒。

 間違いなく、自分を死に追いやるであろう現実が近づいてきている状況で。

 そんなことを考えていた駈の表情に浮かんだのは、それでも静かな笑みだった。


 どうせだったら最後くらい、精一杯に笑って終わってやろう。

 

 果たしてその笑みに込められている感情は、後悔か諦観か。

 それともわずかばかりの抵抗か。

 駈自身にも分からなかったが、確かに笑う。


(ごめんね……鈴……)


 そして、もう一つの心残り。

 いつも味方をしてくれた口数の少ない、だが、とても優しい幼馴染みの少女へ、届かないと分かりながらも心の中でそっと謝罪した駈は、目を瞑って覚悟を決めた。


 死神の持つ鎌のようなモンスターの武器が、駈の僅か一メートルほど頭上にまで迫ってきた、その時である。


 ーーーシュッ、バンッ!!!

「ギィエエエエー」


 空間ごと切り裂くような鋭い音と何かが爆ぜる空気の振動、追いかけるようにモンスターの悲鳴が、駈の耳に響く。

 同時に肌を焼くような熱さを感じ、驚いた駈が目を見開くと、巨大な炎の塊がそこにあった。

 駈を襲おうとした武器は引っ込められており、塊は後ろによろめいていく。

 彼は思わず腕を掲げ、炎が生み出す眩しさと熱から逃れようとした。

 目が潰れてしまうと錯覚するほどの威力だった。


 そして。

 放れた魔法よりもなお、目映いまでに美しくサラサラと流れる鮮烈な赤色が、駈の掲げた腕の隙間から横目に滑り込んでくる。


 自分を散々苦しめていた強敵が、断末魔を上げながらあっけなく燃え上がっていく光景を、駈はただただ唖然と見送っていた。


 駈の記憶が正しければ、そろそろ消炭になりそうなモンスターはブラッドマンティス。

 カマキリを血のように紅く染め上げ、3~4mの大きさにしたような見た目で、討伐ランクは上級下位、自分の身体並みに巨大な鎌を使うモンスターである。

 中級よりも上の冒険者でもまず手が出ない、やっかいなモンスターのはずなのだが。

 最後にか細い声を上げると、その身は炎によってあっさりと崩されたのだった。

 

 辺りには魔法光の残滓と妙な静けさ、ついでに焦げ臭い匂いが残っている。


 ところで、駈にはもう1つの信条があった。


『人はなんだかんだ助けてくれる』


 変な噂を流された時、それは嘘だと言ってくれた人がいた。

 スられたその日に何も食べられなくなりそうだった時、おまんじゅうをくれた人がいた。


 そして今は。


 囮にされて死にそうだった時、助けてくれた人がいる。


 だから懲りていないのかと、駈はここにきてようやく自覚した。

 思わず、先ほどまでとは違う意味での笑みさえ浮かべてしまう。


 駈が自らの手を見ると、無意識に思いのほか力を込めて握っていた武器があった。

 その柄は少し湿っている。

 無惨な姿になってしまうまで付き合ってくれた愛剣を、駈は丁寧に腰の鞘へと収めた。


 少し間を置いた後、お礼を言うために恩人の方へと視線を合わせる駈。

 その先には、彼とそう年の離れていない少女が、腰に手を当て立っていた。


 彼女の目鼻立ちは駈が羨むほどにはっきりとしており、まさに「凛」という言葉を誂えたような端正な顔つきだ。

 それ故に、迫力さえ生んでいる険しい表情を、駈の方へ向けていた。

 ブラッドマンティスに襲われている時より恐いと感じたのは、駈だけの秘密である。


 動き難さがまるでなさそうな、見るからに上質な素材が使われている細身の戦闘服(バトルスカート)。

 あまりにも彼女に似合い過ぎている装備に包まれたその身体は、出るところは出て引っ込むところは引っ込むという、言わば非常に起伏に富んだ体型。


 そして目を奪われるのが、ほっそりとした腰の中程まで伸びている、黒く美しい長髪。

 光源がそこまで多くなく、少々薄暗いダンジョンの中にあってなお、圧倒的な存在感を放っていた。

 

 さらに駈の目は、確かに捉えている。

 魔法が炸裂した瞬間の明るさが知らせてきた、色鮮やかに変化し流れるように舞う朱を。

 その髪の変貌は、優れた魔法適性を持つ者にのみ現れる特徴だ。

 駈にとっては何とも、うらやましい話だった。


 総合的に言うと文句なく美女、いや自分と同じ年頃のように見えるので美少女だ。

 駈は彼女を、そう評した。


 何はともあれ命を救ってもらったお礼を言おうと、近づく駈だが。

「キミはお馬鹿なの!?」

 彼は初対面の美少女に罵倒された。


「10年ダンジョンにこんなところまで1人で来るなんてさ?! しかも丸腰だよね!?」


 自分こそ一人でという言葉は、実際に一人で来れているようなので出てこず、何も反論が出来ない。

 腰にぶら下げている剣は、彼女にとって武器のうちに入らないらしい。

 確かに安物なので仕方がない。

 駈は即座に謝罪の姿勢を取った。


「いやぁ、それはまさにおっしゃる通りです! しかしながら、一緒に潜ってきたやつらが、僕を囮にして逃げてしまったという事情もありまして、一人になってしまいました! ええ、もちろん、そんな人物たちと一緒にダンジョンに潜った、いや、潜ってしまった私の落ち度も大きいです!」


 そのまま地面にめり込むのではないか。

 それくらい下手に出てしまうほどの少女の剣幕だった。


「あとはお金にもあまり余裕がないんで、丸腰に見えるかもしれないですが、こんな武器しかなく! ええ、ほんと! 生きててすいません!」

 駈の服装は、お世辞でも良いと言えるものではない。

 貧乏冒険者。

 そんな言葉がぴったりと当てはまるような格好だった。

 言ってて自分で悲しくなってしまった駈は思わず、生きていることへの懺悔を始める。


 膝をつき始めた駈を見て、流石に言い過ぎたと思ったのか。

 彼女の表情が、ものすごく申し訳なさげで、気まずげなものに変わる。

 険しく固められていた顔が、彼女本来の性格を表すかのように和らいだ。


「うぇっ?! あ、やっ、あのっ、そんなつもりで言ったわけじゃっ!? あと、卑屈になりすぎじゃないかな!? うん! 生きてればきっと、良いことあるって!」


 悪い娘では、どうやらない。

 それどころか、駈を慰める始末だ。

 ただ、そんなつもりというのは、彼女も少し貧乏臭いと思っていた、ということか。

 哀しくなるので、駈はそれ以上考えないようにした。


「はい! 頑張って生きていこうと思います! それよりも助けてくれてどうもありがとうございます。助かりました! 何かお礼でも出来ればいいんですが」


「あっ、いや、そういうつもりで助けたわけじゃないから。身体が勝手に動いてたというか……むしろボクの方こそ、何も知らないのにあんなこと言ってごめんなさい。それじゃっ……」


「待て!!」


「はいいいい?!」


 お別れの言葉とともに、そのまま立ち去りそうだった彼女へ向かって、駈は叫んだ。

 思わず悲鳴を上げさせてしまったが、これだけは言わせてもらわなければならない。

 駈は自らの要望を述べた。


「申し訳ないんですが、外までご一緒してもよろしいでしょうか?」


 駈と彼女の出会い。


 その瞬間、世界の流れは大きく変わる。

 変わることになる。


 彼らがそれに気付くのは、まだ先の話。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 


 何も無い空間。



 そこには土があり、水があり、空があり、生き物があり、科学があり、魔法があり、そして一人の少女がいた。



 無いものが無い空間。


 しかし、少女にとってあってほしいものだけが、何も無い空間。



 理の外から少女は待つ。



「今回も始まったね。さあ……。君と僕はあと何回繰り返せば、ここで一緒になれるのかな?」



 そっとため息をつく。



「まあ、いつまでも何回でも待つけど」

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