第六十一話 『パーティーは始まったばかり』
後編、始まります。
黄昏の時を過ぎて陽が沈み、訪れたるは夜という名の黒き時。本来ならば天使がもっとも好む時間だ。しかし今夜だけは違う。
この町の今夜の主役は天使でも人間でもない、妖怪たちだ。そしてその先陣、土地神や魑魅魍魎と揶揄させる妖精たちがこぞって町に現れた。
普段はその姿を町並みに、文明に、人間に合わせ隠して見せないが、今夜は違う。無礼講だ。好奇心旺盛な妖精たちはみなぎる妖力をたぎらせながら躍りたった。
──い、今、あの電信柱、動かなかったか。
──それよりさっきから変な声も聞こえてるよな。
──うわ、なんだアレ。仮装…なのか。
普段は人間たちと、それらに認められた生き物たちだけが我が物顔で闊歩する道。だが、今宵の主役は自分たちだ。構わず、堂々と満月の下を歩く。
人間たちがあわてふためいている。なんと楽しいことか、なんと愉しいことか。妖精たちは弾むようにそれぞれ思う様に舞い踊る。
これからもっと楽しくなるぞ。これからもっと愉しくするぞ。妖精たちははしゃいだ。今宵の主催者たちがこの町を訪れるのだから。
町はまだ、パーティーの始まりを知らない人間たちで溢れていた。それもおそらく時間の問題だろう。
もう、パーティーの始まりは告げられたのだから。
『猛威の怪』
モウイイノカイ。
『もう、居よ』
モウイイヨ。
─────
九津は初めて、勝てない、そう思わされた。瑪瑙の言う通りだからだ。
自分以外が狙われることなどある程度想定はしていた。しかしこれは問題外だ。
まさか、本当に町全体、町そのものの人々を守れ、などと。
「耐えろって…これを…この状況を…これは無理だろう」
『どうした、人間。顔色が悪いようだが?』
澄ました顔でアスモデウスが言う。
そりゃ、そうだろう。歯軋りで言葉にならなかったが、伝わったようだ。アスモデウスはこのときになってわずかに表情を崩したように牙を見せた。
『ようやくわかったようだな。百鬼夜行の真髄が』
嫌になるほどわかった。それこそ顔を見たらわかるだろう、そんな言葉を投げつけてやりたかった。
こんな状況になったのならば、否が応にもわかってしまうではないか。師匠である最強の魔女と称される島木月帝女があれほど注意していた理由が。
百鬼夜行。まさか本当に町そのものを相手に喧嘩を、いや、もはや戦争をしなくてはならないほどのものだったとは。
そんなこと、知るよしもなかった。考えられたはずなのに。
「ん、くそ…冗談だっていってほしいくらいだよ。こんな…ここまでなんて…」
アスモデウスの声に合わせるように、闇夜に負けず輝く光、ベルゼブブが溢れていく。光は一つ一つ形となり、それが妖精のような妖怪だとわかる。その数は幾つだ。数えるのも馬鹿になりそうなほどだ。まさに八百万とまで言われるほどだった。
あの数の妖怪が町に赴けば、大変なことになる。そうでなくても、町は大変なことになるだろうに。焦燥感に駆られながら、九津は考えた。
それは町にいるはずの妖精のことだ。
なぜなら妖精は、精霊と同じくどこにでも居て、普段、一般人の感覚では確認できないものを含めて数が計り知れないのだ。
その違いは在り方だ。
精霊は、この世界の理に存在する魔力生命体だ。だから炎や水、風や影などの実態のないものから草や花などの自然物や、人工の物にも宿る。
しかし妖精を、精霊と同じように妖力生命体という一くくりで言い切るには、足りないのだ。
なぜなら自然物や人工物に宿るものもいれば、人間のように生命体として実態をもち活動し、肉体を持ち、子をなし、寿命を全うするものもいるからだ。だからその種類、数は計り知れず、精霊の比ではない。
そして今回、厄介なのは人工物に宿る妖精と、肉体をもつ妖精たちだ。
それは作戦とも呼べぬ作戦の中に、里麻たちを始めとする魔術師たちによる精霊結界による町の住人たちの避難がある。それが上手く出来ない可能性があるからだ。
どう言うことかというと、ようは精霊結界に転移するときに一緒に連れて行ってしまうからだ。
それはその人が大切に持っている物に宿っているのかも知れない。それが持ち主を絶対に傷つけない保証などない。もしかしたらたまたま持ち出したものや、着ていた服に宿っているのかもしれない。
またそれは、人間を転移させるさいについて来るかもしれない。紛れ、離れず、憑いて来るかも知れないのだ。同じ肉体をもつ生命体として。
そうなってしまえば、今回の精霊結界による避難は意味をなさない。それどころか、完全に逃げ道を失いかねない。
さらに時間が経てば経つほど厄介な存在が町へ向かう。外から内からの両方では、どちらにしろまずい。
「くっそ…」
荒っぽく呟くが、なんの解決の糸口も見つからない。
アスモデウスはまた澄ました表情に戻り、こちらを見ている。九津は町とアスモデウスを交互に見た。
とにかく一旦町に戻ってベルゼブブの方を自分が退ける。その前に界理たちにも連絡をつけて加勢に来てもらわなきゃ。そうだ、鷲都さんに頼んで結界は中止してもらって、出来れば雀原さんにはこっちに来てもらって。
考えろ、考えろ、考えろ。自分に言い聞かす。
そうだ、鷲都の魔術師の人たちにも来てもらって避難誘導をしてもらえれば、いや、でも何人妖精が見える。視認出来る相手ならまだしも隠れていたりしたら被害が増えるだけか。そもそも逃げるって何処に。
足りない、足りない、足りない。自分の中の自分が悲鳴をあげている。
時間も、人材も、力も、知識も、何もかもが足りない。足りなさすぎた。
あの魔女が、自分が知る限り最強の魔女があれほど「気を付けろ」と言っていたのに、自分は何をしていたんだ。昨日までの自分をぶん殴ってやりたい。
「どうしろって言うんだよ…師匠」
弱音が溢れる。それを聞く妖怪は、優しいような冷たい声で囁く。
『諦めろ。そして受け入れろ』
「だぁぁぉぁぁぁっ」
九津の絶叫が響く。声にならない声。心の底から込み上げてくる感情がそうさせたのだ。
せめてこいつを倒して、今考えたことを少しでも早く実行に移す。九津はそう決める。
しかし、焦りと怒りによる攻撃はアスモデウスには届かなかった。
『どうした、人間。さっきまでの方がいい動きをしていたな。今は単調すぎる』
「うるっさい。そんな、暇は、ないんだよっ」
ふらりふらりと流れるようにかわすアスモデウに、なおも感情を揺さぶられる。その間にも周りを囲むように輝いていたベルゼブブたちは夜空に喰らい尽くすように拡がりながら町へと向かったいた。
もう町ではすでに在住していた妖精たちが動き出しているかもしれない。そこへこのベルゼブブたちも加わってしまっては。
考えただけでも頭が痛くなる。
いや、痛くなるだけならいい。頭痛程度で町ひとつを救えるのなら、なんと安いことだろう。現実逃避による脳の作用か、九津はそんなことを思ったいた。
救う。今の自分には到底無理だった。無理だと言うことを思い知らされた。
目の前の妖怪は強く、向かうベルゼブブという妖怪たちは数が多すぎる。
包女たちを見ても、瑪瑙以外動けそうにない。むしろ、どうすると、言いたげにこっちに視線を飛ばしている。
迷うような包女の顔に応えられない。焦るような光森の顔に応えられない。怒りをみせる筒音の顔に応えられない。
そして。
泣きそうになっている瑪瑙の顔に、何も言ってやれなかった。
こんなことで終わるのか。
九津は初めて知ることになる。自分の命以上に失うことが怖いものがあると言うことを。
彼にとって、初めて望みが絶えた瞬間だった。
「つみ」をおかした「ななにん」の「ようかい」、さいごのひとりは、「あくま」の「おう」のことをあいしていました。それとおなじだけ、たったひとりの「にんげん」をあいしてしまいました。
「ようかい」は、その「にんげん」のこともいとしくていとしくてたまりませんでした。そのおもいはついに、その「にんげん」をはんぶんだけ「ようかい」にしてしまうちからをうみだしました。このせかいにはじめて、「はんよう」をうみだしたのです。
そのご、ふたりはながいあいだしずかにくらしていました。ところが、いへんはとつぜんおとづれたのです。
もともと「にんげん」だった「はんよう」のことをうとましく、また、うらやましくおもった「にんげん」たちがおおぜいあらわれたからです。
「はんよう」は、たくさんの「にんげん」たちにおそわれました。
あるときは、その「ようかい」としてのちからをおそれられ、またあるときは、その「にんげん」をこえたちからをうとまれて。
そしてついに「にんげん」は、「はんよう」を「ようかい」をよびたずためにとらえ、ひどいことをしたのです。
それから「ようかい」は「はんよう」をたすけるために「にんげん」たちをころしました。しかし、まにあわなかったのです。「はんよう」は、しずかにねむったように、しんでいました。
それから「ようかい」は、さらにたくさんの「にんげん」たちをころしました。どうしてもゆるせなくて、いみのない「にんげん」たちもころしました。「あくま」たちの「おう」がとめるまで、やめることはできませんでした。
こうして、もっとも「にんげん」をあいした「ようかい」はもっとも「にんげん」をにくみ、はじめて「にんげん」のためにかなしんだ「ようかい」はさいごまで「にんげん」にいかりをおさえられませんでした。
罪名、色欲。
それは二つの罪だった。皇の作り出した世界の理をねじ曲げて、人間を妖怪にする妖怪になったこと。そして、死んでしまった人間を悲しむあまり無意味な死を作り出したこと。
まるで導くように、誘うように皇たちにのみ許された禁忌に手を伸ばしたその妖怪には、慈しみと嘲りを交えて「愛憎の破壊者」となった。
アスモデウスが見つめる中、膝をついた九津はもう立ち上がれないはずだった。人間である彼の限界以上の力を、数を見せつけたからだ。
だから、彼の希望は潰えた。
──途絶えた、はずだった。が、
「おい、金髪、鷲都の。てめぇら何こんな雑魚どもに手間取ってやがる、あぁ?」
すっかり日の沈んだ浜辺に、精霊たちに好まれそうな声が憎まれ口とともに響いた。
すると次の瞬間には光と影のような螺旋が、夜空を行くベルゼブブたちを貫いた。有効な攻撃手段だったらしい。それは、あっという間に空を多い尽くすような黄色の輝きを、一つの塊から散りぢりになっていった。体勢、この場合は隊列だろうか。とにかく、進行を防いだのだ。
あれは、あの光と影のような螺旋のことは、九津はよく知っていた。この黄色に輝く光放つ妖怪たちにも、黒色に染まる夜の景色にも交わらない赤く輝く光。だというのに、光と影だと表現したくなるような存在。
あれは精霊だ。
九津は、今起こったことを呆然と見ていた。それはアスモデウスも同じだった。二人とも目の前で起こったことを理解しきれていないのだ。いや、二人に限ったことではなかったらしい。
包女たちも、辺りを見渡したり空を見上げたり、声の主を探したりしている。
声は続く。
「てめぇらを倒すのは、俺だ」
そう言うと、ようやく声の主は姿を現した。
後ろに複数の男たちを従えた小柄な少年。銀色の精霊たちが好みそうな装飾品をじゃらじゃらと付け、赤く輝く精霊石がその存在を示している。
彼の名は束都操流人。
精霊魔術師だった。
アスモデウス。書いてある通り、直訳は破壊者らしいです。なので人間を人間でなくす、という解釈を取り入れてみました。そこでモチーフ。人間を妖怪にする妖怪…つまり吸血鬼ですね。もう妖怪ものといったら鉄板です。




