第五十六話 『この日、違う場所で、同じことを思う』
そろそろだろうか。時間を計りながら九津は全員の顔を見た。
「これで概ね説明は終わりました。何か聞きたいことは?」
光森が口を開いてからしばらく、誰も言葉を発しなかった。思案しているのだろうと思う。欠伸をした筒音以外。
ここでも最初に口を開いたのは光森だった。
「はい、先輩」
「とりあえず妖怪と天使の仲が悪いことを知った。天使があまり人間に対して好意的ではないことを知った。それで、どうすんだよ」
ふむ、と光森の質問に心の中で答える。全員が同じ表情に見える。あの眠たそうな筒音でさえだ。
それで、どうする。
そうなのだ。考えることは単純だ。例えそれまでの事がいくつあろうとも、問題視するのはそこなのだ。
知識として知った。では、その情報から得た可能性を考慮してどうするればいいのか。
「どうしましょう…って言うのが正直な感想ですね。結局のところ、うちの師匠には今回のことは耐えろ、と言われただけなので」
自分ばかりで考えてもわからないのは同じだ。素直に九津は心中を吐露した。
耐えろ。その言葉が差すのは、
「耐えろ…襲ってくるかもしれない妖怪たちと戦えってことだよね?」
「ん、そういうことになると思う」
「妖怪さんと…なのですか」
『なんじゃ、不安か?情けない』
包女と瑪瑙のやり取りに筒音はそう言うが、二人の表情はますます暗くなる。言いにくそうに、
「ですが、ですがですよ、筒音さん」
瑪瑙がうつむき加減で言う。
「私は筒音さんと知り合って、妖怪さんともわかり合えることを知ったのです。それは当然、包女お姉さんも先輩さんもそうだと思うのです」
頷く二人。同意の意味を示す。それは、
「ともなれば、やはり話し合いでどうにかならないものなのでしょうか?」
と言うことだ。瑪瑙の、私はなるべく戦いたくはないのですよ、という声は小さいながらに静かな部屋に響いた。
「私も、瑪瑙ちゃんの意見に賛成かな。やっぱりどうしても戦う必要性を感じないんだ」
そうなのかもしれない。九津は考える。
「先輩は?」
「どちらかと聞かれれば、俺も戦わずにすむなら、そら、そっちがいいだろうって話だ」
そうだろう。九津も思う。
「…筒音はどう思う」
『妾としては、そうじゃな』
しかし、
『甘い、としか言いようがないのじゃよ』
「はっ?なんだよそりゃっ」
光森が身を乗り出したのを見て、九津も同意した。
筒音に。
─────
五人の妖怪の一人である青年は空の上から日が沈む海を眺めていた。
彼は夕陽の色が好きだった。自分たちの命の源である妖力と似ていたから。そしてそのまま移り変わる赤色を見るのが何よりも好きだったからだ。
彼の胸の奥に残る彼女の象徴たる色。それを己の瞳に焼き付ける。
『あの二人、暇をもて余しすぎて好き勝手に動いているぞ。いいのか』
『構いませんよ、まだ動くわけではないのですから』
側では仲間の褐色の女と色白の男がいる。腕を組ながら女がここに居ない二人の仲間に険しい顔をして、男は優雅そうに何処からか用意したのかわからない茶器を出してお茶をたしなんでいた。
一口飲む。すると彼は知ったように頷いた。
『なんだ、それは?』
『これですか?これは最近流行っている紅茶の新種ですよ。あ、飲みますか』
女が怪訝そうに尋ねた。どことなく澄ましたようなの答えの男だが、なるほど、と女は気にしない。むしろ、
『いや、いい。それにしてもお前は好きだな、人間たちが作り出す食べ物が』
それで納得するという域に達していた。
『好き、というよりも新しいものを作り出すと知恵いうのに、なかなか楽しませてもらっているんですよ』
『そうか』
もう一口含みながら答える男に、気のない返事をした。
それもそうだ。彼女は今とても残念な気分になっていたからだ。
『浮かない顔ですね』
『…本当に人間というものはこれほどまでに妖気を感じ取れなくなっていると言うのか?全く気にした様子がないぞ』
それは幾多の年月を経て久方ぶりに訪れた、東の大陸の小さな島国に生きる人間たちの落胆ぶりにつきる。
落胆と言ってもあくまで彼女を主にしての事だが、どうしても現在に生きる人間たちの『妖怪の気配を全く気づかない』状態に許しがたい感情が生まれそうになるのだ。
しかし、それにおいて彼女は我慢を覚えている。彼女にとっての恩人との約束でもあるからだ。
そんな彼女を見て何か察したのか、
『嘆かわしい反面、これも自然の流れ、そう考えると腑に落ちますよ』
『それでもただただ漠然と生きる…私には合わないな、楽しくはなさそうだ』
また気の入らない声だった。そこへ、
『やーめーてーよー、もぉ!』
『あっはっはっ、お、ど、ろ、き、すぎぃ!』
仲間二人の楽しそうに聞こえなくもない声が聞こえた。一人は確実に楽しそうだが、もう一人はそうでもなさそうだ。
仲間の少年と少女の妖怪の二人だ。
変な者を見るように女が視線を動かす。
『あれはなんだ?』
『なんでも…がこの地の妖精たちに宿を借りては寝ているのを、…が見つけ出し無理矢理起こすという遊び、だそうです』
『…楽しいのか?』
『…さぁ』
要は遊んでいるらしいが、よくわからない。男は気にした風もなく、肩をすくめるだけだ。
『良いじゃないか。俺は、お前たちのそんな姿を見ているだけで楽しい』
沈み終わった陽を惜しみながら青年が呟いた。二人の注目がする。
『覚悟が、決められるからな。お前たち同胞とこの大地をあいつらから守るための、覚悟が』
始まった夜を睨み付けるように、彼は空を見た。
夜。黒。彼は、あいつらを連想させるこの時間が嫌いだった。
─────
「どう言うことだよ、キツネ」
「そうだよ、筒音。甘いってどういう意味なの?」
光森と包女が筒音の発言に意を唱えた。光森はそのままの意味の感情のだが、包女は悲しそうだ。言葉にせずとも、伝わるほど。
だが、今回ばかりは筒音は顔色一つ変えぬまま、三人を見返す。静かな声で確かめるように、
『包女、お主は大事なものを守るために覚悟を決めて修行を積み、戦っているのではないか?』
「そ、そうだけど」
『光森よ、お主とてなんのために強くなったのじゃ?』
「なんのためって…」
包女と光森は言い淀む。
包女は筒音の言う通りだと思いながらもどうしてもはっきりとは言えなかった。守るため。確かにそのために強くなろうとしたはずなのだが、何から守るか、また守るためにどうするかを決めかねていたのだ。
自分と同じ魔術師の人間ならともかく、違う立場の者と戦う場合の。
攻めてくるなら戦うのだろうが、やはり戦わずにすむのならそれに越したことがない。そう思ってるのが事実だ。
それを見越したように筒音は目を細めた。
『妾から言わせてもらえば、もし、攻めいる敵がいるのであれば全力で迎い打つだけじゃ。守るものがあるのならなおのこと。それは相手とて似て非なるであろう覚悟の上でしておることじゃろうしな。包女、束都が来襲したとき、お主はどうした』
同じ立場が相手なら戦える。それは間違いない。
「どうしたって…全力で戦って…」
『命のやり取り、とまではいかずとも、傷つき傷つける覚悟はあったじゃろう』
「……うん」
覚悟。そう聞かれると頷かざるえない。あの時は、そう言った条件を引っくるめてなお、覚悟を決めたからだ。
何をどう言おうと、戦うことを自分で決めたのだ。
『光森、それに瑪瑙。あの胡散臭い研究所の戦いやこれまでのことでお主たちは何を決めた?』
「…守るものがあるなら…強くならなければならないことでしょうか」
「ああ、そうだな。理由を問いただしたり、許す許さないも、まずはそのあとになるもんな」
普段の楽観的なモノの言い方ではなく、鋭く問い詰めるような口調。そんな筒音に二人はしどろもどろにも答えを導き始めていた。
これまでだって戦ってきた。
色んな理由で、色んな立場で、色んな能力者と。
なるほど。三人は筒音の伝えたいことがようやくわかった。しかしこの半妖は優しくない。わかったから、伝わったからと言って、言い止まる事はないのだ。
三人の目をしっかりと見据え、言い放つ。
『なれば覚悟を決めるのじゃ。相手がもう攻める気をなくすほどに強さを見せつけるのじゃ。例えば、自分たちがいればこの地は天使たちからでも守れる、というようなな』
不覚にも電撃を受けたようだった。あまりにもまっとうな意見だったからだ。
「…わかったよ、筒音。その通りだね。私が甘かったよ」
「本当に、なのですよ。私もこれまでで知った気になっていたのです」
「だな、向こうが来るならこっちはそれを全力で止める。この間だって竜脈を守れたんだ。やれないことはないだろう」
三人は笑って答えた。
『そうじゃな。何より幸いなことに主らは、妖怪には詳しく、妖怪にも負けない力を持っているではないか』
決意や覚悟は人それぞれであり、目には映らない。それでもその顔に浮かぶ表情からは十二分に伝わった。三人とも決めたようだ。
ならば導こう。
「ん、じゃ、続けるよ」
せめて少しでも良案に近づけるように、共に。
─────
散々弄ばれたあと、少年の方は不貞腐れたように口を尖らせて宙をぷらぷらしていた。それを少女の方はお腹を抱えて尚も笑って指を指していた。
『もー、酷いよー』
『いいじゃん、毎回毎回そ、れ、な、り、に、寝てるんだからさ』
『まーねー。寝心地はよくなってるしさー』
いつものやり取り。二人は顔を合わせればこんなものだ。他の三人もそれを知って、間に入ろうとは思わない。何より、女と男にとっては、そのやり取りに巻き込まれることは面倒だった。
二人を横目に、
『それで、どう見ます』
『この地一帯を見たところ、術式の使い手たちは多くない…さらに俺たちが見えるとなれば限られている』
青年は目を閉じて、今日得たこの地の情報を思い返す。自分の眼と力、妖精と仲間たちから得た情報は、女が落胆した通りのものだった。
これで竜脈の力を乱れさせた人間の特定するのは簡単になった。自分たちの妖力に反応できた人間たちの中にいるのだ。それほど多くはない。
『…それにしても本当に、…さんのいう通り少なくなりましたね。知識と力のバランスと言うものは、こうも崩れやすいのですね』
『この近くに魔術師たちの里があったが、私を認識したのは数人だったぞ』
『そうだろうな』
二人に青年が言う。
特定も出来そうで、戦力になるような人間も限られている。ならば行動に移るだけだ。
男がある提案を青年に尋ねるために口にしようとして、
『なら…』
『最上級だ』
青年の声に遮られた。女の方は不服そうな顔だ。
百鬼とは彼らの行うことの等級の話。その最上を差す。どう考えても、そこまでする理由は見当たらなかったからだ。
『最上級だと?それほどとは思わないが…』
『あの竜脈…見事だった。相当な使い手であることは間違いない』
『そうですが…』
男の方もも納得しきれていないようだ。
『それに数人とは言え、俺たちを認識し、警戒している輩もいるのは確かだ。それに魔術師の里もあるのだろう?』
『ああ、あの群れはそうだったぞ』
『彼らと無駄に争うことは避けたい。あの方の魔力を受け継いできた、言わば同胞だからな』
視線を合わせず、遠くを見ている青年。空を睨んでいるのか、それとも彼にしか見えないない何かを見ているのかはわからなかった。
『…わかりました。速やかに実行するために、という訳ですね』
『ああ』
それでいい。そう意味を込めて頷く。女はニィッと笑い、尖る牙を見せた。
『ならば集めるぞ、最上級を』
『ええ、そのために…さんたちは妖精たちの宿を回っていたのですから』
ギャーギャー騒いでいたようやくあの二人は落ち着いたようだ。気がつけばこちらを見ていた。
少年の方はそうとう面倒そうに、少女の方はくっしっしっと笑いを噛み締めながら。
『それで、やはり決行は?』
─────
資料を一度整理しながら、これまでに話し合って纏まったことを踏まえながら、九津は話し始めた。
「予想の範囲を越えることはできないんですどね、その妖怪たちの襲来は、次の満月の夜だと思います」
自然と全員、カレンダーに目が行く。鷲都家のこの部屋に飾られていたのは月単位の大きめのものだ。
この間満月だったのはいつだっただろうか。日付を追う。
「次の満月ってお前…」
「三日後、だよね…つまりそれって」
今日は二十八日。あと三日後と言えば、
「ハロウィンの夜、ということなのですね」
『百鬼夜行に相応しい日じゃな』
町で妖怪たちが騒ぐことが許された日だった。
─────
『満月のもとに決行する』
もう辺りは暗くなってしまっていた。夜だ。月明かりは随分と少ないが、とてつもなく嫌な気配で溢れている、気がする。
その中で青年は言った。
その言葉はまるでこの声を聞いているだろう誰かに宣言しているようだ。静かでいて、重い。
『これは罪を犯すことではなく、罰を与えることだ』
彼は続ける。これからのことを。
『これは報復などではなく制裁だ』
彼は続ける。この度のことを。
『我らが皇のため、そして慈悲深きあの方のため、この地を天使どもに付け入らせる隙を与えてはならない』
彼は続ける。これまでのことを思い返しながら。
『そのためにも、引き金となりうる者たちもろともこの町を、百鬼夜行の名のもとに降す』
だから彼は言いきった。
己の決意のために。




