第二十四話 『夏の一日 急の終わり』
もう何度目になるかわからない精霊魔術特有の結界が引き起こす、グニャリという感覚。しばらくするとそれから開放され、普通の空が広がる場所へと戻ってきた。
すっかりと日は暮れ、耳に夜の生き物たちの声が聞こえる。先程までは聞こえなかった音たちに、本当に戻ってきたんだと、全員が感じていた。
同時に、人の気配が増えた。
九津たちが現れたことを向こうも気がついたのか、足音が近づく。複数だ。
「お兄ちゃん、遅いよ。もうっ」
さすがにもう戦うことにはならないよね、と九津が確かめようとすると、先に声をかけられた。むしろ怒られた。
声の主は界理だ。
界理は年相応に可愛らしく膨らませてずんずんと近づいてきた。
「界理、どうして」
「みんな長いこと待っててくれたんだよ」
「みんな?」
そう言うと九津は界理の後ろに控える五人の大人たちに目を向けた。界理も、歩幅をずらして手で促した。
一人は優しそうな男性だ。年の頃は四十前後か。視線が合うと会釈してきたのでこちらも返した。
次に三人一組と思われる男たち。九津たちを見ていなかった。一人はきっちりとしたスーツ姿。一人は野性的な服装。もう一人は軽薄そうな格好だ。共通点があるとすれば、その視線の先、それと各々が持つ装飾品にキラリと光る精霊石だろうか。
最後は、こちらを穏やかそうに見ている最年長の男だ。老紳士という呼び方がぴったり似合いそうな顔立ちに、姿勢である。
「え…と?」
「お父さんっ」
「それにじいさん」
『ほぉ。あの三人もいるようじゃのぉ』
「包女お姉さんたちはご存じの方々なのですか」
九津と瑪瑙が並ぶ面々をきょとんとした表情で見つめると、面識のある三人が言った。
包女の言う「お父さん」は言葉通りの意味だろう。だとすれば、光森の言う「じいさん」や、筒音の言う「あの三人」などは抽象的過ぎてわからなかった。
とくに「あの三人」と言う筒音の顔は、勝ち誇った子供のようだ。逆につられるようにその三人を見た光森の目は、険しかった。
「誰…」
「若っ」
九津が尋ねる前に、三人組が動いた。駆けつける先は操流人たちの下だ。
ああ、と概ね理解出来る。そもそも光森も面識のある束都といえばそう多くないはずだ。
「えとね、束都の人たちみたいだよ」
「ん、だね。なんとなくわかった」
界理の回答に返しながら、それならば筒音たちの反応もわかると納得した。つい先ほど、一戦を交えたばかりなのだから。
そう九津が考えていると、包女が「お父さん」と呼んだ人物、日戸が声をかけてきた。
「その髪色…君が九津くんだね」
「はい、え…と、鷲都さんの?」
「いつも娘がお世話になってます。父の日戸です」
「悟月九津です。こちらこそ鷲都さんにはいつもお世話をかけています」
丁寧に頭を下げる日戸に、失礼ないよう決まり文句を返すと、日戸は笑った。顔つきはあまり似てないが、穏やかな雰囲気、纏う優しい気配というのか、そういうのが似てるなと九津は思った。
次に日戸は瑪瑙に向いた。瑪瑙もそれに気づき、少し背筋をピンと伸ばした。
「君が瑪瑙ちゃん」
「は、はいなのですよっ。包女お姉さんのお父さん。姓は鵜崎、名は瑪瑙。どうぞ、以後よろしくお願いするのです」
「こちらこそ」
瑪瑙の見事な九十度のお辞儀を、驚きながら楽しそうに眺めて、日戸の紹介が終わった。それを見計らったかのように老紳士が前へ進み出た。
「今回のことはすまなかった。ワシの配慮が足りんかった故に、包女くんを始め、君たちにまで迷惑をかけてしまった。許してくれ」
老紳士の急な謝罪と、瑪瑙に負けない角度のお辞儀に、九津たちが意味を理解しきれなかった。
いや、包女たちはなんとも渋そうな顔だ。襲ってきたのは束都の方だ。なのにこの顔は何故かと思ったが、もしかしたらこの辺の事情もあるのかもしれない。
九津が思案して言葉に詰まらせていると、日戸が促してくれた。
「先生、この子たちはあの場に居なかったんですよ。まず自己紹介とか、説明が必要なんじゃ…」
「おっ、そうじゃった。気持ちが先走りすぎておったわ」
コホンと咳払いを一つした。仕切り直したようだ
「ワシはガータック・シュヴルツァ。この事件の根底を生んだ張本人じゃ」
「ん…それは」
「え?え?ではでは、おじいさんも束都の方なのですかっ」
「ちげぇよ」
ガータックの意味深な発言に、驚く二人。しかし意外なところから出た否定がさらに二人を驚かせた。
操流人だ。
まだ弱々しさは残るが、主張した。
「違うだろうが、じいさん。そもそもの原因はオレだろうが。オレがっ、じいさんのっ」
「そうじゃのぉ。お主がワシの研究成果を無理矢理奪おうとしたことも、事件が広がった一因じゃ」
「ああ?一因だと?」
ガータックの物言いに、操流人は不満そうだ。起き上がらない体を無理に動かそうとし、失敗する。
苛立つように、悔しそうにガータックを見上げる。
「ワシがもっと早く、この研究をみなで使えるようにしておけば、こんなことにならなかったのじゃ」
ガータックが困惑したように言う。
光森と筒音は頷いていた。包女と日戸もなんとも言えない顔だ。その表情から、ガータックの言葉の信憑性が増す。
しかしそうなると、ガータックがこの襲撃事件の「原因」だ。
「知識を欲することの大切さを、知識を求める者への配慮を、ワシは教わり、知っていたはずなのにそれを怠った。それこそがこの事件の原因であり、発端じゃ」
だからこそ謝らねばならぬのだ、と続ける。
九津は思わず自分に言われてるのではないかと錯覚するほど身に染みた。まさに今日、瑪瑙に対して自分が感じたことではないか、と。
瑪瑙の無邪気で貪欲なまでの好奇心を、寛容さという無慈悲な戒めで遠ざけていた罪。
九津自身も皮肉ぎみに口の端を上げるしかなかった。
「すまなかった。みなに迷惑をかけた」
ガータックはもう一度、静かに強く言った。
「けっ。言ってろ」
誰も答えない中、操流人だけが不貞腐れたように呟いた。それを合図に観垂が喋りだした。
「で、坊っちゃん、立てます?なんだか小鹿みたいになってましたけど」
「…」
「あぁ、もうそんないじけてないで、返事をしてくださいな」
「オレはいじけてなんかっ…」
返事の無い操流人に観垂が笑いを堪えながら体を揺する。面倒臭そうに顔を歪ませた操流人は、真っ直ぐに自分を見つめる観垂たちと目が合った。
緊張をほどくように、観垂は自然体で語りかける。
「知ってますってば。いじけてなんかいられないですもんね」
「そうです。今回のことで未熟な術の使い手がどうなるか知ってたでしょう。さぁ、自分で立ち上がってください」
「…けっ。当たり前だ」
卦我介も混ざり、そんなやり取りが行われる。それには駆けつけたばかりの良平や堅吾には驚くものがあった。
ここに来る以前にあった操流人の、全てを嫌うような伝わる拒絶感が抜け落ちていたからである。
首を傾げる良平。
「あれぇ。なんか操流人さん、雰囲気変わってないスか?なんかちょっと前のギスギスしたのとも、ちょい違うような…」
「おう、なんかな、俺もそれは感じてたぞ。なんかトゲトゲばっかだったのが、一本トゲになった感じだ」
「あはは、よくわからない例えっスよ。けど、言いたいことはわかるっスね」
「お前ら軽口を言ってる暇があれば椴丸の介抱をしてやってくれ。俺も疲れた」
「おう、任せとけ」
同意する堅吾ごと卦我介に言われ、二人は椴丸の側へ向かった。そこへ今まで里麻から話を聞いていた唯羅が仲間たちのもとへ戻ってきた。
「お前たち、話は鷲都の雀原どのに伺った。よく無事で戻ってきてくれた」
それねぇ、と観垂は苦笑する。
「本当に大変なことになってたのよ。けど、まぁ、なんとかね、難を逃れたって感じかしら。ほとんどは鷲都のお嬢様、あとそこの金髪のぼくちゃんのおかげだけどね」
肩を軽くすかし、視線で本当の功労者を教える。
話を聞いて知っていた唯羅も頷き返し「ああ」と一言、観垂と操流人に向けていた体を九津たちに向けた。
「この度は束都一同、迷惑をかけました。とくに鷲都の代行者である包女どのには一度ならず二度までも。この恩は、かならず私の身をもってお返しします」
深々と頭を下げた。
「なに言ってやがる。誰もお前に責任をとれなんざ、言ってねぇだろぉが」
「確かに言われてはいません。しかし、私たちだけですまなかったのもまた事実。それはそれとして責任を取らねばならないことなのです」
操流人は拗ねたように言うが、唯羅は受け入れない。こうなれば頑固な唯羅はなかなか聞く耳を持たないだろう。操流人は面白くなさそうに黙りこんだ。
包女は慌てた様子もなく、穏やかなまま言う。
「ガータックさんがああ言った以上、私からあなた方を咎めたりすることは出来ません。当主である父も…」
包女の視線に首を縦に振る日戸。意志は同じようだ。それに静かに頷き返す包女は、訝しむような唯羅に「それに」と続ける。
「私は、私のやらなければならないことをやっただけのことです。そしてそれは、まだ終わっていません」
ますます不思議そうに眉をひそめ、そのまま包女の出方を待っている。
包女は背筋を伸ばし、瞳に意思を宿した。
「束都の代行者どの。あなたは間違っています」
びくりと体を動かず気配があった。しかし何も言わない。観垂たちは気になる様子だが、構わず包女は言う。
「そんなあなたに尋ねます。私には力を貸してくれる友人たちがいます。支えてくれた人たちが居ます。あなたは、どうですか?」
「………見て、わかんねぇのかよ」
しばらくの沈黙のあと、操流人はそれだけ言った。
強がりではない、本心。
今、この場に居てくれている六人こそが、自分を支えてくれる人物だと、語ったのだ。
包女は嬉しそうに微笑む。満足そうだ。
「なら、もうあなたは間違えることはありませんね」
全てを肯定するように良かった、と目を細めた。
「本当にありがとうございました」
唯羅がまた深く頭を垂れた。
去り際、観垂と卦我介に支えられるように歩く操流人の背中に向かって、声をかけた人物が二人いた。
ガータックと九津だ。
「学ぶ思想や姿勢に、正解も不正解もありはしない。ただその中で、どれが自他ともに認められるかはわからないものだ。もし、教えが必要なことがあったのなら、今度は正々堂々正面から来なさい。学びの門は常に求める者の前へ開かれておるからのぉ」
ガータックは思い出を含ませるように、なんせ魔術も学問も同じく簡単で単純で純粋なものだからと、楽しそうに付け加えた。振り向かずに言葉を受け止める背中は静かだった。
そして九津も語りかける。
「あのさ、無駄な努力を笑うのはいつだって他人だよ。だけどさ、無駄な努力と見切りをつけるのはいつだって自分なんだ。努力したって報われないことは数あるけどさ、努力をしてきたからこそ報われたことだって少なからずあったんじゃない?」
操流人は歩みを止めた。
「うっせえよ……金髪。お前はいちいち説教くせぇんだよ」
同感だ、と後ろから聞き慣れた声が聞こえた気がするが、九津は無視した。
「悟月九津だよ。よろしく、束都の代行者どの」
「束都操流人だ。修行して、次は、ぜってぇぶっ倒す。金髪、覚えてろよ」
「……ん、楽しみにしてるよ、操流人」
「けっ」
それだけ言うと、もう操流人は足を止めなかった。観垂のウインクを始め、それぞれが別れの挨拶をする。
瑪瑙が大きく手を振りながら観垂に向けて、「オカマさん」なるフレーズを使ってしまい、一悶着起こりそうになったのを全員で止めた。
どうやら「オカマ」は向こうでも禁句のようだった。
見送る面々の背中が遠くなるのを見つめて、九津がポツリと呟いた。
「帰ったね」
「うん」
包女が答えた。背後ではすでに里麻が日戸たちに次にするべきことを話しあっている。流石に仕事が早い。それには筒音たちも混ざって声が聞こえた。
「疲れたね」
「うん、疲れたよ」
「でも楽しかった気もする」
「それは悟月くんだけじゃないかな?私はずっとハラハラドキドキしっぱなしだった」
「そお?鷲都さん、ずいぶん立派な語りだったよ。ああいう世界でやり取りしてるんだなって感心したよ」
「あれは雰囲気というか、なんというか」
何気ない会話。その中で突然の九津の賞賛に照れたようにしどろもどろになる。それこそ操流人や唯羅に悠然と言葉をかけていた者と同一人物と思えないほど、声がか細くなった。
九津は肩を揺らした。
「でも、最後の方。鷲都さんの力があったからこそ出来たことだよ。ありがと」
「……あれはっ、…うん」
最後の方。足りない力を補ってくれたのは他の何者でもなく、紛れもなく包女だった。だからこそ、あの作戦は成り立ち、実行でき、成功したのだ。
それに対する自分の気持ちを言ってなかったのを、九津は思い出したのだ。
包女は何かいいかけたが、それでも真っ直ぐにこちらを見ている九津に、素直にその言葉を受けとることにしたようだ。互いにはにかむように顔を合わせた。
なんとも言えない時間が流れる。それを壊したのは、
「それでお兄ちゃんたち。手を繋いでいるのは構わないんだけど、みんな、もう家の中に入ろうって話になってるんだけど」
「うわっ…びっくりさせるなよ、界理」
「か、か、界理ちゃん!」
悟月界理だった。
外野からは「さっすが妹、あの中に入ってくなんざ俺には出来ないな」とか、「すごいのですよ」や『シシシ。頼もしいではないか』など聞こえる。その微妙な空気に一線を引いていた者たちの声だ。
界理は二人が繋いだままの手に視線を落としたあと、何事もなかったかのように二人を見た。
「先行くから。なるべく早くね」
「え…?手って…あぁぁ!!」
「おわっ」
すでに歩き出していた界理に言われては初めて気がついたかのように、慌てふためき九津の手を払う包女。その勢いに九津は思わず声を出した。
黙ったまま、自分の掌をじっと見つめる包女はわずかに震えている。
今が月の発光のみで照らされている世界であるため、誰にも見られることはなかったが、その顔は魔力を象徴するように染まっていた。近づけば、湯気の上がる音でもするのではないかというほどに。
ただ近づかずとも、顔色を確かめずとも、複数名はにやにや笑っていたので、その心理はほとんど隠しようがなかった。
「ごめん、鷲都さん。鷲都さんの手を握ってたら俺、元気になれるから、つい。きっと相性がいいせいだね」
「あ、あ、相性が…いいって、そんなっ」
九津の言葉に包女は両手で頬を挟み、ぶんぶん体をくねらせた。
あくまで九津の言う「相性がいい」というのは、魔力と活力であり、消費の激しかった活力を、包女の魔力によっていまなお補い回復に回せたことを言っただけに過ぎない。
それでも言葉自体の意味に過剰な反応を示す包女は、
「ちょっ、鷲都さん!」
感情の許容量が振り切れたらしく、何やら呟きながらへなへなとその場に崩れこんだ。
そして、
「大丈夫…うん、大丈夫。ごめんね、悟月くん」
へへへと照れたように微笑んだ。
よくはわからないが疲れて崩れこんだわけではないと理解した九津は、今度はスッと自分の手を差し出した。
「じゃ、行こっか」
「……うん、行こう」
最初は躊躇っていたが、九津の手に自分の手を重ねた包女は家に戻るために立ち上がった。
立ち上がりと同時に離された手を名残惜しむように、包女は自分の掌の温度を確かめた。
しかし直ぐに前を向く。そして、先を行く九津の隣へと掛けていった。これから楽しい時間が始まるだろうことを期待しながら二人は並ぶ。
七人に迎えられ、門をくぐると完全に人の気配は消えた。
こうして、閉門と共に魔術師の一族たちが絡む慌ただしかった一日が終わりを告げようとしている。
そんなある夏の一日の出来事を、空の流れる落ちる星たちは見ていたのだった。
─────
「しっかし、せっかくだからサインの一つでももらっときゃ良かったっス。ガータック老に、今度はいつ会えるんだかわかんないっスからね」
「あんたね。あの場でそれ言えてたら、ある種尊敬するわ…それよりもさ」
帰り道。束都の一行はぞろぞろと揃って歩く。目指す場所は鷲都家からかなり離れたところに駐車した車のある場所だ。
その途中で観垂が良平に尋ねる。どうしても気になっていることがあったのだ。
「あの雀原って呼ばれてた女のこと知らない?今まで気がつかなかったけど、なかなかの魔術師よ」
「雀原っスか?んんん、聞いたことないっスけどね。他に情報は?」
「無いから聞いてんでしょ」
「いや、待て」
観垂の問いに唇を歪ませて考えた良平だったが、正解らしき該当者が出なかった。そこへ質問返しをすると、回答は別のところから来た。
少し空を見上げながら卦我介が思い出す。
「リマ…確か、あの白髪の少女にそう呼ばれていたぞ」
「雀原リマ…リマ…リマ…まさか、っスよね」
「あん?どうしたんだよ」
卦我介のヒントから導き出した答えに、良平はいい淀む。どうにも釈然としないようだ。そんな良平を堅吾が焦れったそうに催促する。
「早く言えよ、スッキリしねぇじゃねぇか」
「そっスね…確かにリマって名前の有名な魔術師は、いるにはいるんスよ」
「ほう、誰だ?」
「焦れったい、早く言いなさいよ」
せっつかれるように良平は口にした。
「間違いじゃなければ、孤高と不老の魔女を異名に持っている、リマ・コウンドールって人っスよ」
魔女。その呼び方が響いた瞬間、誰もが口を閉ざした。考えることは皆同じだ。
まさか、だ。
まさか世界にその名を轟かす異名「魔女」を冠する者がこの地に、しかもある一つの組織に属するなんて、と。
信じきれない面々を他所に、楽観的に堅吾が言う。
「そぉか、魔女…か。戦ってみたらわかんだろうけどな」
「やめときなさい。どっちにしろ、あんたじゃすぐやられるわよ」
「それにだ、堅吾。何よりお前はあの獣にリベンジするんじゃなかったのか?」
背中に椴丸を抱えた唯羅が言うと、ばつの悪そうに堅吾は顔を歪めた。
「だな。まずはあの魔獣モドキだ、こんちきしょう」
「そういうことだ。私たちはまだまだ及第点が多すぎる。これからの精進のために、今日の経験を活かさなくてはならないな」
唯羅の言葉に、全員が黙りこむ。自ずと視線は一点に集まる。
操流人のところだ。
支えられながら歩く操流人は静かだった。負けたこと、これからするべきこと、考えることが色々あるのだろう。あえて誰も語りかけない。しかしこう締め括ると、沈黙に耐え難く続けた会話が裏目に出たようにおもえた。
今日の経験。これは操流人に痛く響くだろう。この中で一番手痛い経験をしてしまったのだから。
ところが、そんな操流人が静寂を破った。
「ちっ。ぎゃぁぎゃぁ言うだけ言って急に静かになんなよ。馬鹿かお前ら」
声の力はまだ弱い。それでもらしく振る舞う操流人を、椴丸以外の全員が見守る。
そして次の言葉に息をのんだ。
「んで大馬鹿はオレだってわけだな…けっ」
喉に何かつっかえたように言葉が出てこない面々を置き、操流人が続ける。
「だがな、どんなに大馬鹿でもな、情けなくてもな、オレは魔術師であることを誇りに思ってんだよ。悪いかよ、これでも必死なんだよ。だからな、オレは強くなる。なってやるさ魔術師として、他の誰にも文句の一つもつけられねぇほどにな。なんか文句、あるか?」
皆嬉しそうに首を振り、ありませんと呟いた。
寝息の聞こえる椴丸の顔も、どこか満足そうだった。
「頑張りましょうね、操流人様」
七人は車に乗るまでの間、あとは誰一人口を開かなかった。しかし、各々の気持ちは高まっていることを意識し合っていた。
この気持ちが個人を、ひいては束都を強くする予感を携えながら、鷲都の地を去って行った。
─────
「ってことがあってさ、月師匠 」
「あんた、リマに合ったわけ?ってか、あの女が… 日本にね ぇ…しかも誰かの下についてるなんて…」
九津から鷲都家での出来事を聞き、九津の師である島木 月帝女は、受話器越しに感慨深そうな声でどういう風の吹き回しかしらと呟いた。
九津としても、リマ・コウンドールこと雀原里麻との話の中で、彼女が知り合いと呼んでいたのが自分の師匠であることを確信し、愕然としたのを思い出した。
しかも里麻は、九津の数少ない弱点とも言える過去を知っていた。
ズバリ、父親が昔、「王様」というあだ名で仲間たちから呼ばれていたという事実だ。正直なところ、現代日本に生きる十代には恥ずかしすぎる内容だった。精神的ダメージが深すぎる。
なんとしても秘密にしておきたかった事なのだが、ふとした拍子に何処から漏れるかわからないというのを、あの日に知った。
とくに光森や筒音あたりは喜んで、あの呼び方に繋げるのではないかと恐怖した。
王様の子供。つまり、王子。
実際に既知の人々からは少数派であるが、そう呼ばれてしまっていた。
そうならないよう、なんとかひた隠しにしていることを察してくれたのか、里麻が当たり障りの無い話で濁してくれたので助かった。そうでなければ嬉しそうにニタニタと「王 子」などと、若干二名ほどに馬鹿にされていたかもしれない。
そんな風な戦慄を覚え、大人しくしていると、月帝女が尋ねてきた。
「まぁ、私らの繋がりなんて音信不通が当たり前だしね。で、それよりもあんた」
「えっ、元気だったか、とか会いたい、とかないんだ?師匠 」
「別に?言ったでしょ、相手を気にしないのが、普通だって。何よりあの〃孤高〃が誰かと一緒にいるなら、それはそれであの女の一つの生き方、私がどうこう言うことじゃないわ」
九津が久々の知人にたいして聞きたいことがあるのでは、そう思って話題にあげたのだが、あまり興味をひけなかったらしい。むしろ、月帝女の言葉に、逆に納得させられてし まった。
魔女としての代名詞。魔女そのものが、最上級の魔術師としての代名詞だが、それ以外にも意味があった。何を冠する魔女か、である。
九津の師匠である月帝女が魔女として冠しているものは 「稀代」と「術識」だ。「術識」これは「魔術を越え、あらゆる術式に通じる者」をさして呼ばれるらしい。それから「稀代」がさすのは「最強」らしい。確認はとったことがなかったが、本人が言い切っているので、九津はそれを信じる以外、他になかった。
そして里麻にもある。それが「孤高」と「不老」だ。
実際に三十代の姿で現れた里麻は、戦いが終わったあとは五十代の姿へと変わったいた。この容姿の変化は、確かに年齢という鎖に捕らわれない「不老」を思わせた。
これは付加魔術の原理であり、 下位術式にも通じる力の 一端らしいことは本人からも聞いていたし、九津自身も似たような真似事はできる。しかし、実際に正真正銘の魔術の使い手にして「魔女」なる者との差は、歴然としたものだった。
それから「孤高」。彼女は強くあるために、孤独を選んでいたらしい。月帝女との面識も、数回しかないとのことだった。美学であり、信念。とにかく強くなるための馴れ合いを必要としていなかったらしい。
鷲都家に来るまでは 。
その辺のところも、九津の秘密と重なって曖昧にされてしまっていたのだが、どうやら月帝女の言葉が正しければ、本当に昔は孤独を好んでいたようだ。
あの日の里麻しか知らない九津には意外だったが。
「で、それよりも、どうだったのよ、その精霊魔術師との戦いは」
受話器の向こうの師匠は、不遜の弟子の勝負の行方の方 が気になるらしい。
九津は少し考えるように答えた。
「結果としては…引き分けかな?お互いが未熟で、いろんな人の力を借りなきゃ場を納めることも出来なかったし」
「ふーん、あっそ」
「軽っ。軽いよ、師匠っ!」
自分から聞いてきた癖にやたらと淡白な月帝女の返答に 、九津もさすがに少し寂しくなった。
「別にどうでもいいのよ、勝敗は」
「ええ…聞いてとてそれは」
「問題は、あんた自身がちゃんと自分は未熟だってことを 自覚して勝負できたかどうかってとこだから。それから言えば、あっそ、で終われる程度に私は満足したわけよ。わかった?」
「…ん。でも、さ」
月帝女の言葉に僅かに不平を漏らしかけたが、続く言葉に頷くしかなった。それでも「何処が」未熟だったのかを伝えなくてはいけない。
「消滅してしまっても仕方がない、とか…楽なんじゃないかって思ったのは…我ながら情けないよね」
あの時、九津は不覚にも、一瞬とはいえ己の力の及ばなさを棚にあげ、魔力生命体となった操流人と精霊本体とを切り離すことを諦めかけた。
実行するとしても、失敗を前提に考えてしまった瞬間があったのだ。
それを打ち消し、成功へと導いたのは、他ならぬ包女だった。包女の助力、一言がなければ無理だったのではないか。
そう考える度に、己の未熟さが明るみになる。
向こうでもこちらがどうして黙りこんだのが伝わったのだろうか 、僅かに優しさを含ませたように声を弾ませた。
「そういうことよ、弱いってことは。だからあんたは、相手を殺さなくてもいいくらい強くなんなさい」
「…………ん、そうだね。精進します」
「どうしても気になるなら、しょうがない。未熟者の弟子のためにこの私が一肌脱いでや」
「ありがとうございました、師匠。日本の夏は暑くてバテそうです。俺、もう寝るんで…母さんっ」
遮るように早口で捲し立て、母親を呼ぶ。むしろ叫ぶ。 月帝女は軽く息をついた。
「………あんたね。ま、いいわ。早く 輝に代わんなさい」
「ん、じゃあね、師匠」
「おう、馬鹿弟子。忘れんなよ、私はあんたの師匠なんだからな」
月帝女のその言葉を最後に、九津は母、輝に受話器を渡した。
夏の日に重くなっていた心は、少しだけ軽くなっていた。
これにて「とある夏の一日編」、終了です。