認めるわ!
結局、彼は私の無事を確認すると、名乗らずに去ってしまった。
でも、私は彼の名前を知っている。
ダンディさん。
いえ。
ダンディ様~……。
ぽわわん。
そうこうしていうるうちに、時刻は午後2時。
お昼が終わりそうになってしまった。
ログアウトしてから、昼のワイドショーを見ていたはずなのに、何にも記憶にない。
私の記憶にあるのは、ひたすらリピートされる、ダンディ様だけ。
「大丈夫でしたかな? ご婦人」
「あの、えぇ、大丈夫です。その、良かったら名刺交換してくれませんか?」
「な~に。名乗るほどの者じゃありません。それでは失礼」
「あ、まって。名前はもう知っているの。正式にお近づきになりたいの。……って、もういないわ」
大体、その数秒をひたすらにリピートしていた。
時々は喧嘩のシーン。
あぁ。ダンディ様……。
私は、もうワンリピートしようかと思ったけれど、夕食の準備をしなくてはいけなかった。
「今日はずいぶんと豪華だな」
パパは春巻きを箸で切りながら言った。
「本当。なんかの記念日なの?」
美紀はチラシ寿司を小皿に取り分けながら言った。
「そぉ~? 別に普通よ~」
私は豚の角煮を口に運びながら言った。
「いやいや。豪華だろ」
パパはチラシ寿司を指差し、
「まず、寿司だろ」
続いて、春巻きを指差し、角煮を指差し、コロッケを指差し、鳥のから揚げを指差し、サケのムニエルを指差し、茶碗蒸しを指差し、ポテトサラダを指差し、ポテトフライを指差し、卯の花を指差し、お吸い物を指差した。
「10もおかずがある」
「あら。お吸い物はインスタントよ」
「ほかは手作りじゃん。やりすぎだって。これ、食べきれないよ」
美紀もパパに賛同するらしい。
別に、普通なのに。
いえ、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、テンションが高かったのは認めるわ。
今日はみんなの帰りが遅かったから、もう1品、もう1品と増えていったことも認めるわ。
でも、頑張ってるのは今日だけじゃないのに。
それだけじゃなかった。
せっかく頑張ったのに、なにやら不満みたいだ。
「しかも、組み合わせが滅茶苦茶だしな」
「ね~。お母さんって微妙に味覚が変だよ」
「結婚した当時なんか、味噌汁に玉ねぎを入れたんだぞ」
「嘘! 信じられな~い」
「あら~。私の実家じゃ普通だったのよ。と言うか、多分私の地方じゃ普通なのよ~」
「俺は母さんと同郷だ」
「っていうか、私もだけどね」
「何よ何よ! じゃあ、私も同じ地元よ!!」
「いや、知ってるから。うざっ」
パパに変だと言われた時に、友達に調査したけれど、玉ねぎのお味噌汁は割りと普通だったもん……。
あ~あ。
家族って、無くしてみないと母の大事さを分かってくれないものよね。
嫌になっちゃう。
ダンディ様なら、なんて言うのかな。
きっと、毎晩、ありがとうって言ってくれるの。
つい、お茶漬けとたくわんだけみたいな日があっても、文句言わないの。
それどころか、心配してくれるのよ。具合でも悪いのかって。
知らないけど。
でも、きっと、そうよ。
そして、頭も撫でてくれちゃって。
「私は人々から成功者と言われている。確かに地位も名誉も権力も金もある。
だが、本当に私のことを理解している人は誰もない。
そんなものは、私の宝ではないのだ。
全部下らないではないか。
……私の人生における最大にして雄一の成功は、お前を手に入れたことだけだ」
とか言ってくれるのよ。
知らないけど。
きっと、絶対、そうよ。
きゃ~!
も~、やだ~!
私は妄想の世界でクネクネしていた。
でも、現実じゃポーカーフェイス。
というか、むくれっ面。
すると、美紀はニヤケながら聞いてきた。
「記念日じゃないならさ、……なんか、あったんじゃないの?」
「あら~。なんかってなによ~」
「浮気……、とか? よく言うじゃん。急に優しくなったり家族サービスしだしたら浮気を疑ったほうが良い、みたいな」
「なななな、なななな、なんだって?」
パパは動揺しすぎだった。
そして、私も動揺した。
「浮気なんてするわけないじゃない!! なんてこと言うの!!」
私は怒鳴ってしまう。
美紀は冷たい目で、私を睨む。
「冗談だったのに、動揺されたら、マジ疑っちゃうんですけど~」
浮気なんて、してないわよ。
だって、してないもの。
ちょっと、ときめいただけだもの。
私はパパを愛したままだわ。
「母さんどうなんだ!?」
パパはテーブルを叩いた。
「してないって言ってるでしょ!!」
私は角煮を思いっきり噛んだ。
怒りをこめて、舌を噛まないように気をつけながら、力いっぱい何度も何度も噛んでやった。
「じゃあさ、お母さん携帯貸してよ」
「なんでよ?」
「なんでも。疑惑を晴らしてあげる。してないんでしょ?」
「えぇえぇ。どうぞどうぞ」
美紀は私の携帯電話をいじっている。
そして、パソコンを立ち上げ、携帯電話会社のホームページにアクセス。
すると携帯電話にメールが届いて、美紀はなにやら携帯電話を操作する。
それから、またパソコンを見た。
「あ、本当だね。ここ1週間、別に変な所に行ってないよ」
「そうなのか?」
「うん。スーパーと映画だけ」
「なんで分かるの?」
「今時の携帯はそうなの。紛失や盗難対策なんじゃない?」
「へ~」
携帯電話マスターである私が知らない知識を知っているなんて、美紀のITスキルは凄いのね~。
なんて、感心している場合じゃなかった。
「ほら、言ったでしょ! まったく、疑うなんて酷いわ」
「あぁ……。すまなかった」
パパは素直に謝ってくれた。
でも、美紀は違う。
ジトーッと私を見てくる。
「ねぇ。本当に何もないの?」
「ないわ」
「家に連れ込んだんじゃないの?」
「し、してないわ」
「そうなのか? 母さん」
「だから、してないって何度も言ってるじゃない!! もう、本当に怒りますよ!」
「もう怒ってるけどね。
ところで、お母さん知ってる?
不倫って超高いんだよ。ばれたら慰謝料を少なくとも100万円ぐらいは払うんだよ。
法律は主婦にだって容赦ないんだからね。
そんなへそくりないでしょ? 払えないでしょ?
しかも、パパに有利な条件で離婚されちゃうよ」
「本当にしてません!」
「なんか、怪しいんだよね~」
せっかくの晩御飯が台無しになった。
その後、私たちはほぼ無言で食事をする。
私はお腹いっぱいになるまでヤケ食いをして、後片付けもせずに寝室に閉じこもった。
「もう今日は寝ます! ふん!!」
そう言って、どかどか歩いていると、後ろからは美紀の声が聞こえた。
「敬語になるところが、本当怪しい」
まぁ、なんて娘なの。
私はあなたのために頑張ってたのに!
ベッドに潜り込み、数分経った頃、パパも来た。
パパもベッドに潜り込み、私の手を握ってくる。
まだ時刻は21時前。
「母さん。その、なんだ。俺は愛しているからな」
はい。
20年ぶりぐらいの、『愛している』頂きました。
そんなことで機弦を直す、私だと思ってるのかしら。
直っちゃうんですけど。
私は寝たフリをしながら、ちょっとだけ反省した。
認めるわ。
何もなかったけれど、あれは、心の浮気だった。
何もなくて、妄想の中だけだったのだから、パパがアイドルのABOBAに夢中になったり、バレンタインに若いOLさんからもらった義理チョコにデレデレしてたり、街中で美人さんがいると釘付けになったりするのと、一緒だとは思うんだけど、それでも少しだけ反省した。




