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『魔王が消えた』


そんな号外を聞いた喧騒は、丘の上のここまで聞こえてくる。窓の外のレンガ造りの街では、人が核分裂反応のように蠢いていた。


部屋に視線を戻す。談話室の向かいには、ここオスリア国の近衛兵士長のモスウッドがスーツ姿で座っている。面識は殆どない。


その横に置かれた、少し大きな乳母車。そこに横たわっているそれから、わざとらしく視線を逸らす。


「魔王が消えたからスーツなんですか?」


「まさか。鎧は重いんですよ?」


「へぇ、知らなかった」


もう一度乳母車を見る。何か良い冗談が無いかと2秒だけ考えて、結局そのまま聞いた。


「これは?」


「彼女は魔王城の最上階、空席の玉座の前で保護されました」


清潔な包帯で、上から下まで全て覆われている。何となく理解はしていた。頭があって、首があって、胴体がある。腕と脚は無い。頭の形にしては、少し小さい。


「彼女?」


「……見ますか?」


僕の返事を待たず、モスウッドは彼女の頭であろう部分の包帯を取った。

赤黒い肉が見える。皮膚が全て焼けている。下顎と右の眼球は無い。左の眼は充血が酷く、黒色の瞳が僕を見る。


「……僕は研究者であって、医療教会じゃないですよ?」


「えぇ、既に最高位の治療魔法を施してあります」


「……手脚は兎も角、皮膚は治るでしょう?」


「これで完治だと、ノクターン様は仰いました」


「……包帯を」


モスウッドが彼女の顔を隠す。血は一滴も出ていないのが証拠か。


外の喧騒を意識する程遠くなる気がした。この異様な人間が、場違いな気がしてならない。


「何故ここに連れてきたんです?里親にでもなれと?」


「はい」


「ははは」


冗談ですよ。を待ったのに、モスウッドは言わない。モスウッドは机の下に置いてある大きなカバンから、彼女の頭よりも大きな袋を取り出した。机に置かれた袋は、中でジャラリと鳴った。


「冗談ですよね?」


「上層部から許可が降りている、正式な依頼という形です」


「意味が分からない」


「勇者一行も消息不明です」


「……なんだって?」


「勇者リヒトと、幼なじみでしたよね?」


下の階で使用人が歩く音が耳に入る。どうすればいいか分からず、ただ意味もなく腕を動かし、悩んでるようなフリをする。


「最後に確認された、勇者リヒトの一行は6人。そのうち女性は2人」


「魔力検査は」


「2人とも田舎の出身で、そもそも履歴がありません」


「……その2人のうちのどちらかと?」


「いいえ、まだ何とも。違う可能性も……いえ、これはあくまで仮説です」


「研究者は仮説してなんぼです」


魔王城の玉座の前に転がっていた肉塊。勇者一行が1番有り得る。というか、それ以外があるのか?


「いずれにせよ、彼女は今回の件において重要な証人です。何せ我々は、魔王を見た事がありませんので」


傷1つ無い精悍な顔は、最後まで口角を上げないまま立ち上がる。天井に届きそうな頭がお辞儀をして、僕と同じ高さまで降りてくる。


「では、私は失礼します」


僕はまだ一言も受けるとは言っていないが、これはつまり、こちらに選択肢は無いのだろう。上層部なんて濁しているが、おおよそ検討は付く。


机に置いてきぼりにされた袋は依頼料では無く、口止め料に近い何かだ。一応中身を見る。ちゃんと貨幣だ。


「シャッテン様」


「あぁ」


ノックに返事をする。モスウッドを見送った使用人のフローラがドアを開ける。


「モスウッド様がお帰りになられました」


「……そう」


乳母車に横たわる、彼女の頭の包帯をずらす。瞳は確かに僕を捉えるように動くが、瞼が無い。だから充血しているのか。


「水瓶をふたつ、スポイトをひとつ持ってきてくれ」


フローラが一礼してドアを閉める。しかしこれでは、常に眼を潤さなければならない。

横に座って、彼女を見る。眼から表情は読み取れない。何も言わない。動かない。


「……君、魔王かもしれないって疑いが掛けられてるんだな」


「…………」


「僕はルナミス・シャッテン。魔法学の研究をしている。最も、発表した成果はひとつだけなんだけれど」


魔王の疑いをかけられた彼女の保護先は、魔法を便利にした事で、特権階級から忌避の目を向けられている僕にあてる。おおよそそんな所だろうか。


立ち上がり、棚から一冊の本を取る。何も書いていない白紙の魔導書だ。


「本来ならば、手を置いてもらうんだけれど」


彼女のお腹辺りに本を置く。僕が指を鳴らすと、本がひとりでに開く。1ページ目に文字が浮かぶ。


「よし、これでこの魔導書は君のものだ」


魔導書を手に取る。次のページを開いて、ペンで書き込む。


「これは君の身体とリンクしている。魔法のプレハブを書き込めば、君も魔法が使えるはずだ」


ノックがする。フローラが水瓶ふたつとスポイトを持ってきてくれた。水瓶をひとつ取る。まずは水を飲ませる。

下顎のない顔では、当然水は受け取れない。スポイトで水を取り、喉のある所に流す。彼女の首が動いて水を飲んだ。


「今君の魔導書に、水魔法を書き込んだ。ただ水を出すだけの魔法だけれど、それで喉を潤せる」


手も顎もない彼女には、魔法を使わせる前に身体の動きを覚えさせる必要があると踏んだ。もう一度スポイトで水を取り、今度は眼に水を落とす。眼球に落ちた水が広がっていく。


「……さぁ、感覚は掴めたかな?これで自身の水魔法で、目を潤せるはずだ」


数秒の沈黙。そもそも彼女は一言も発していない。そんな彼女の目から、水が溢れて零れていく。


上手くいったようだ。ボトボトと顔から落ちる水を、布で拭き取ってやる。


魔王なのかもしれない。リヒトの仲間かもしれない。でも僕は、リヒトの仲間なんて知らない。

同じ村で産まれたリヒトは、旅立って勇者になった。僕は才能がなかったから、一緒には行けなかったから。

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