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夏が終わる前に、君は消える  作者: きなこもち
夏が終わる前に、君は消える

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後日譚 ――七月の風

数ある作品の中から読んでいただきありがとうございます。


楽しんでいただけたら嬉しいです。

よろしければ評価・ブックマークなどで応援していただけると励みになります。


一年後


七月中旬。


空は深く、絵の具を塗ったような青をしている。

アスファルトは陽射しを跳ね返し、靴底に熱が伝わる。


蝉の声が重なり、空気が震えている。

湿った風が肌にまとわりつく。


蓮は一人、あの交差点に立っていた。


事故の日と同じ時間。

同じ角度の光。

同じ白線。


信号が赤から青へ変わる。

車が滑るように通り過ぎる。

買い物袋を提げた人が足早に渡る。


世界は何も知らない顔をしている。


蓮は目を閉じる。


ブレーキの甲高い音。

アスファルトを擦るタイヤ。

自分の喉が裂けるような叫び。


全部、思い出せる。


以前のように断片ではない。

ぼやけてもいない。


怖さも、痛みも、あの瞬間の光の色も。


はっきりと、思い出せる。


それでも、膝は震えない。


足は地面を踏みしめている。


逃げない。


逃げなくなった。


目を開ける。


交差点はただの交差点だ。


「鈴」


声に出す。


蝉の声にかき消される。


返事はない。


当然だ。


それでも、胸の奥は静かだ。


空洞ではない。


あたたかい重さが、確かにある。


あの四十九日間が、ここにある。


消えていない。


---


夕方。


川沿いの道。


去年と同じ風が吹いている。


草が揺れ、水面が細かく波立つ。

太陽は西に傾き、川を橙色に染めている。


蓮はポケットから小さな風鈴を取り出す。


透明なガラス。

薄い青が光を受けて淡く輝く。


去年の秋、商店街の片隅で見つけたものだ。

季節外れの箱に無造作に入っていた。


短冊は白紙のまま。


何も書かなかった。


言葉に閉じ込めるより、音で残したかったからだ。


近くの若い木に紐を結ぶ。


指先が少し震える。

結び目を確かめ、手を離す。


風が吹く。


ちりん。


澄んだ音が川辺に広がる。


一年前の音と同じ高さ。


けれど、少し違う。


あのときは別れの音だった。


今は、思い出の音だ。


蓮は小さく笑う。


「ちゃんと生きてるよ」


声はまっすぐだ。


誰に向けているか、分かっている。


雫のこと。

自分のこと。

そして、消えた鈴のこと。


守れなかった悔しさも、好きだった事実も。


全部抱えたまま、立っている。


---


背後から足音が近づく。


「蓮」


振り返ると、雫が立っている。


薄いワンピースの袖を風が揺らす。

額に小さな汗が光る。


「やっぱりここでしたか」


息を整えながら、微笑む。


蓮は肩をすくめる。


「バレたか」


「分かります」


雫は隣に並ぶ。


風鈴が鳴る。


ちりん。


「いい音ですね」


蓮はうなずく。


「去年の夏の音だ」


雫はそれ以上聞かない。


問い詰めない。


ただ、隣に立つ。


その距離があたたかい。


指がそっと触れる。


現実の重さ。


確かな温度。


消えないもの。


---


風が強く吹く。


風鈴が鳴る。


ちりん。


澄んだ音が空へ溶ける。


蓮は空を見上げる。


去年と同じ、強い青。


だが、もう違う。


あの夏は終わった。


鈴は消えた。


それでも。


消えたからこそ、残った。


好きだったこと。

守れなかった悔しさ。

一緒にいた四十九日。


すべてが、自分の骨の中にある。


「ありがとう」


今度は、迷わず言える。


涙は出ない。


ただ、静かな感謝だけがある。


雫がそっと手を握る。


蓮も握り返す。


風鈴がもう一度鳴る。


ちりん。


音は高く、澄んでいる。


悲しみではない。


誓いの音だ。


夏は、また始まる。


けれど。


あの夏は、終わらない。


胸の奥で、あたたかく鳴り続ける。


蓮は歩き出す。


雫と並んで。


ちゃんと、自分の足で。


未来へ。


ここまでこの物語を読んでくださり、本当にありがとうございました。


この作品は、とても小さな問いから始まりました。

「もし、大切な人とあと四十九日だけ会えるとしたら、人はどう生きるのだろう」

失うことは誰にでも起こります。

突然の別れも、避けられない別れも。けれど人は不思議な生き物で、いなくなった人の時間を胸の中に残したままそれでも生きていきます。


この物語は、幽霊の話ではありません。喪失の話でもあり、同時に記憶の話でもあります。


消えてしまった人は戻りません。けれど、その人と過ごした時間は消えません。


四十九日という限られた時間の中で蓮は泣き、怒り、後悔し、そして少しずつ前を向いていきました。

そして物語は終わっても、蓮の人生は続いていきます。

大学生になり社会人になり、やがて年を重ね、縁側で夏の音を聞く老人になるまで。

それでも、胸の奥には変わらず残るものがあります。


風鈴の音。あの夏の空。そして、四十九日という短いけれど確かな時間。


この作品を書きながら、「忘れること」と「覚えていること」は、どちらも前に進むために必要なのだと思いました。


人は、すべてを抱えたまま生きていくしかありません。

だからこそ、過去は重荷ではなく時には静かに背中を押してくれるものになるのかもしれません。


もしこの物語が、誰かの心の中にある「忘れられない夏」を少しだけ優しく照らすことができたなら、それ以上に嬉しいことはありません。

最後にもう一度。ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。


あなたの夏にも、きっと忘れられない音があるはずです。

それが、悲しい音ではなく、いつか懐かしい音として鳴る日が来ますようにいつまでも祈っております。


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