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夏が終わる前に、君は消える  作者: きなこもち
夏が終わる前に、君は消える

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夏祭り


七月二十二日。


夏祭り当日。


夕方の空はまだ明るい。


けれど空気は、どこか特別だった。


町内の神社へ続く道には提灯が並び、赤い光が少しずつ灯り始めている。


屋台の準備の匂い。

焼きそばの濃いソース。

綿あめの甘い香り。

遠くで太鼓の音が鳴る。


胸の奥まで、夏が入り込んでくる。


蓮は約束の場所に立っていた。


心臓がやけに速い。


緊張だけじゃない。


今日は、何かが決まる。


そんな予感がしていた。


「鈴」


心の中で呼ぶ。


「いるよ」


返事はある。


でも今までで一番薄い。


遠い。


風に乗って届くみたいな声。


「大丈夫か」


「平気」


即答。


でも息が浅い。


無理をしているのが分かる。


蓮は唇を噛む。


止めたいのに、止められない。


やがて人混みの向こうから雫が現れる。


水色の浴衣。

白い帯。

髪はいつもより高い位置でまとめられ、上品に飾り紐が揺れている。


歩き方まで丁寧だ。


人混みの中でも姿勢が崩れない。


鈴が言っていた通り。


驚くほど似合っている。


「蓮くん」


雫が少し照れたように笑う。


「変ではありませんか」


言葉遣いも柔らかい。


心臓が跳ねる。


鈴の声が、すぐに出てこない。


数秒。


蓮は自分で言う。


「似合ってる」


まっすぐ目を見て。


雫の頬がほんのり赤くなる。


「本当ですか」


「うん」


自然に出た。


鈴は何も言わない。


ただ、かすかに温かい。


それだけで、胸が締めつけられる。


二人で神社へ向かう。


人の波。

提灯の灯り。

笑い声。

夏の匂い。


雫が袖を少し摘まむ。


「人が多いですね」


裾を踏まないよう、所作が慎重だ。


蓮は一瞬迷ってから手を差し出す。


「離れるな」


雫が驚き、ためらい、それからそっと手を重ねる。


指先が触れる。


温かい。


確かな体温。


鈴の気配が、かすかに揺れる。


「いいじゃん」


小さな声。


でも弱い。


屋台を回る。


金魚すくいで雫が本気になり、

射的で真剣な顔をし、

かき氷で舌を赤く染めて恥ずかしそうに笑う。


そのたびに蓮の胸は温かくなる。


確かに楽しい。


確かに嬉しい。


でも。


どこかで、もう一つの心臓が痛んでいる。


「鈴」


心の中で呼ぶ。


返事が遅い。


数秒。


やっと。


「なに」


声が細い。


「出られそうか」


沈黙。


やがて。


「ちょっとだけ」


その瞬間。


視界がぐらりと揺れる。


身体の奥がひやりと冷える。


空気が入れ替わる感覚。


そして。


身体がわずかに軽くなる。


「雫」


声のトーンが変わる。


鈴だ。


ほんの一瞬。


雫が目を丸くする。


「え」


鈴は優しく笑う。


甘く、どこか諦めを含んだ笑み。


「今日は楽しんでね」


それだけ。


言葉の奥に、いろんな感情を押し込めて。


雫が戸惑う。


「蓮くん」


その瞬間。


鈴の気配がふっと揺らぐ。


力が抜ける。


「ちょっときついかも」


小さな声。


次の瞬間、蓮が戻る。


膝がわずかに震える。


雫が慌てて支える。


「大丈夫ですか」


「平気」


呼吸が荒い。


心臓が痛い。


「鈴」


呼ぶ。


沈黙。


長い。


「鈴」


もう一度。


やっと、かすれた声。


「ごめん。今は無理」


弱い。


今までで一番弱い。


「ちょっと休むね」


謝る声が甘くて、余計に痛い。


無理させた。


俺が。


雫が心配そうに覗き込む。


「本当に大丈夫ですか」


「うん」


身体は平気だ。


でも心が痛い。


神社の境内。


提灯の灯りが揺れる。


太鼓の音が響く。


花火のアナウンスが流れる。


夜空に一発目が上がる。


大きな音。


白い光。


歓声。


その光の下で。


蓮ははっきり気づく。


雫といる時間は未来だ。


眩しくて、温かい。


手を伸ばせば続いていく時間。


でも。


鈴は今までの全部だ。


笑った日も。

泣いた日も。

喧嘩した日も。

受験前の夜も。


全部、鈴がいた。


それを失うことを想像した瞬間。


胸が裂けそうになる。


花火が次々に上がる。


赤。


青。


金色。


雫が隣で言う。


「きれいですね」


声が弾んでいる。


蓮は夜空を見上げながら小さく言う。


「ああ」


でも視線はどこか遠い。


心の中で、静かに呼ぶ。


「鈴」


返事がない。


ほんの少し。


ほんの少しだけ。


その沈黙が長すぎる。


胸が冷える。


やがて。


かすかな声が届く。


「いるよ」


消え入りそうな声。


「ちゃんと見てる」


蓮の視界が滲む。


花火の光がにじんで揺れる。


夏の夜。


祭りの音。


人の笑い声。


その中心で。


蓮はようやく自分の感情の形を掴み始める。


これはただの幼馴染じゃない。


これはただの情でもない。


でも、まだ言えない。


言ったら、何かが壊れそうだから。


最後の大きな花火が夜空に広がる。


光が消えたあと、暗闇が一瞬深くなる。


その暗闇の中で。


鈴の気配が、また少し薄くなったことに。


蓮だけが、気づいていた。


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