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【第六十話】割れ窓理論

 王都は本格的な冬を迎えたが、雪が降り積もるのはもう少し先になりそうである。


 だが、それでも寒いものは寒い。


 寒くなると人は外出するのが億劫になる。


 だから、大通りから一本路地に入るだけで人影が疎らになる。


 人が疎になると色々と問題が起こるものである。



「それでは対策会議を始めたいと思います。

 先ずは相談内容の説明からお願いします」


 寒い冬でもリリアはいつも通り元気そうである。


 前世では"子供は風の子、大人は火の粉"であるとされているが、リリアは大人なのに風の子なのかもしれない。


「王都警備隊の隊長を務めております、ヨーク=ミマワールドです。

 皆様には貧民街をはじめとした下町の治安維持にご協力をお願いしたいのです」


 がっちりしたガタいの良い大男が五人の前で、可愛らしく"ペコリ"と頭を下げた。


 隊長のミマワールドは魔獣であるオークと遜色のない大きさだと言っても過言ではないほどである。


 ミマワールドが街角に立っていれば治安を乱そうなどとは誰も思わないのではないだろうかとユウイチは思う。


 だが、これでこの話は一件落着という訳にはいかないようである。


「ミマワールド様、治安維持に協力とはどういうことかしら?」


「も、もしかして、私達にも巡回に参加しろと言うことですか?」


「私達で自警団を組織して、悪の組織と戦うとか?」


「だからと言って、パワードスーツの着用は絶対に駄目よ」


 ラボラトリー・エンジェルズの連携攻撃なら賊を倒すのは朝飯前かも知れない。


 だが、エンジェルズ見たさに集まった群衆がパニックを起こす可能性は十分に考えれる。


 そうなるとは治安維持どころの話ではなくなっていまう。


「いえいえ、皆様のお手を煩わせるつもりは毛頭ございません。

 治安維持に役立つ魔導具があれば教えて頂きたいのです」


 今や王都のアイドルであるエンジェルズの申し出にミマワールドは恐縮しきりである。


 ユウイチが、これ程までに恐縮する人を見るのは前世のワイドショーの某リポーター以来かもしれない。


「それなら、撃退も可能な偵察用ドローンを見張り役にするのはどうかしら?」


 ミレイが素材採集の旅で大活躍したドローンを治安維持に使う提案をした。


「で、でも、誰かがドローンに魔力を登録する必要があります」


「それに、登録者はドローンと一緒にいないといけないわね」


 アルマとリーネが言う通りドローンは事前に魔力の登録が必要で、必ず登録者の近くを飛行しているのである。


「恐らく、魔力を登録するのは警備隊の隊員になりますね。

 その場に警備隊の隊員がいるのならドローンは必要ありませんね」


 ミマワールドは、まるで前世で"コンピューターの父"と言われたジョン・フォン・ノイマン並みの理解力を示した。


「それなら、悪事を働く気にならないようにする魔導具を皆で考えてみましょうか?」


 そう提案したミレイ自身は全くのノープランのようである。


「街の中だと武力行使をせずに犯罪を抑止するような魔導具の方がいいですよね」


「そ、それなら、良い匂いとか心地の良い音楽を流すとか……?」


 前世ではクラシック音楽で犯罪が減少した例はあるが、ユウイチはクラシック音楽とは無縁の生活を送っていたので再現は難しいかもしれない。


 ましてや、匂いに関しては前世でも試した例がないはずである。


「アルマ様、所長の魔導具で匂いと音の組合せは危険じゃない?」


 匂いを使った魔導具はフェチ文化を深掘りしてしまうかもしれない。


 それと、魔石の記憶が音声機能の魔法陣に干渉すれば、またおかしな事態になりかねないとリーネは心配しているようである。


「それなら、いっそのこと"割れ窓理論"を実践してみようか?」


 ユウイチが提案した割れ窓理論とは、前世の犯罪学者のジョージ・ケリングが提唱しジュリアーニ元ニューヨーク市長が実施して効果を上げた犯罪抑止理論である。


「所長さんは、武力行使に及んでわざと窓を割ると仰りますの?」


「所長の魔導具の暴走は日常茶飯事だけど、だからと言って窓を破壊するのは駄目よね」


「ゆ、ユウイチ所長が遂にグレてしまいました!」


「……ユウイチさん、私達に問題があれば直しますから考え直して下さい」


 "夜の校舎の窓ガラスを壊して回った"と歌ったのは前世のカリスマロック歌手でユウイチは無実である。


 だから、ユウイチは特にグレたわけでも腐ったミカンになってしまった訳でもない。


「一枚の割れた窓ガラスを放置しておくとその建物は管理されていないと見なされて、さらに多くの窓が割られるなどして環境が悪化するんだよ。

 そして最終的に街全体の治安が低下して凶悪犯罪が多発するようになるんだ」


 前世の受け売りだが、こちらの世界ではユウイチによって初めて提唱される理論である。


「ほう、それでは割れた窓をすぐに直せば治安の悪化は防げると言う理屈になるな」


 ユウイチは割れ窓理論を簡単に説明しただけなのだが、相変わらずミマワールドの理解は早く絶妙な合いの手になった。


「窓に限らず落書きやポイ捨てなどの軽微な犯罪を徹底的に取り締まって、小さなルール違反や問題を見過ごさない姿勢を見せることこそが犯罪の抑止力になるんだよ」


「なるぼどな。

 それを続ければ、治安の維持に繋がると言うわけだな」


 ここまでくるとユウイチとミマワールドの間には台本が存在するのではないだろうかと勘繰りたくなる。


 前世なら"ヤラせ"だと批判を受けかねないほどである。


「それですと頻繁に巡回して、割れた窓などを直ぐに発見する必要がありますわよね」


「そうね、今よりも巡回の回数や人数を増やさなければ駄目ということよね」


「そ、それなら周辺住民の協力を仰がないと難しいかもしれません」


「王城に訴えて落書きやポイ捨て禁止の新しいルールを作りましょう!」


 四人は各々に割れ窓理論の実践の仕方を考えているようである。


「所長殿の言う理論は理解できたが実践するとなると人海戦術になってくるな。

 果たして効果が出るまで続けられるかどうか…… 」


 決して警備隊の人員に余裕があるわけではないので、ミマワールドは人海戦術による割れ窓理論の実践には消極的な姿勢を見せた。


「そうか……

 それなら魔導具できることを考えてみるか?」


「そうしてもらえると有難い。

 急かすつもりはないのでじっくり取り組んで欲しい」


 こうしてユウイチは割れ窓理論を実践するための魔導具を発明することになったのであった。



 対策会議から一週間が経ったある日の研究所では、割れ窓理論用の魔導具のプレゼンが始まろうとしている。


「所長さん、これは普通のガラスと同じ様に見えますわよ」


「でも、こっちは見たこともない板だわ」


「で、でもこれが魔導具と言うことはリリア様?……」


「透明な魔導具って……

 ユウイチさん、まさか素材はスライムじゃないですよね?!」


 四人は珍しそうに壁に立て掛けられた窓と板壁を触っていたが、リリアの一言で一斉に振り返りユウイチを"じとっ"とした目で見ている。


「これは"形状記憶ガラス"で、そっちは"原状回復壁"だ。

 リリア君が言った通りスライムを素材に使った魔導具だよ」


 前回の魔導ルームランナーのベルト部分のスライムには何の問題もなかった。


 だから、ユウイチは堂々とスライムを使用したと宣言した。


「あぁー、またしてもスライムですか……」


 ユウイチの潔い自白にリリアが指で額を押さえて天を仰いでいる。


「窓のガラスには乾燥した後に粉末にしたスライムを、こちらの板壁にはスライムとアースドラゴンの骨の粉末を混ぜてあるんだよ」


 板壁は前世の石膏ボードのようなものでアースドラゴンの骨が汚れても白さを回復する役目を担っている。


 もう一方のスライム入りのガラスはひび割れや少しぐらいの欠けならば自己修復できる魔導具である。


 そもそも、前世の強化ガラス並みの強度が備わっているので、簡単には傷が付かないようになっている。


「スライムだけでも不安なのにアースドラゴンまで入っているなんて……」


「これが夜な夜な暴れ回って、治安を乱す心配はないのかしら?」


「きっと、ガラスと板壁が喧嘩を始めるわ」


「ぎ、逆に仲良くなって歌い出したりしないですか?」


 スライムを使用した魔導具の信用は相変わらず低い。


 今回が名誉挽回の機会になればよいのだが、結果しだいでは汚名の挽回になりかねない。


「これを店舗や家屋に順次設置していく。

 窓が割れたままだとか、落書きが放置されることがなくなれば、何れ治安が良くなるはずだよ」


 前世での割れ窓理論の成功を知っているユウイチは自信満々で語る。


「これは、眉唾ものですわね」


「そうね、絵空事よ」


「う、胡散臭いです」


「皆様、疑わしきは罰せずの精神で見守りましょう」


 プレゼンの関所のお白州で、ラボラトリー・エンジェルズの四連アタックが見事にユウイチにヒットした。


 だが、遅れて現れたミマワールドの承認が取れたので、二つの魔導具はユウイチの名誉をかけて貧民街に設置されることが決まったのである。



 割れ窓理論を実践して半年後のある日のこと。


「このところ、やけに仲間が減っている気がしないか?」


「以前とは街の様子がすっかり変わっちまいましたからね」


 いかにもアウトローな感じの二人組が貧民街への入り口である路地に立って会話をしている。


 二人が見つめる先には太陽をキラキラと反射させているガラス窓と白壁が路地の奥まで続いている。


 道路横には等間隔にゴミ箱が設置されていて、道路に落ちているゴミは一つとして見つけられない。


「あれは新しくオープンした店舗だよな。

 これで、今月だけで三件目だぞ」


「食い物屋は、俺たちのようなワルの溜まり場になってすぐに閉店しちまってたのに」


 割れ窓理論のお陰で、この辺りは若い女性が一人で安心して歩けるほどに治安が良くなっている。


「あっ、警備隊の巡回だ! 

 全く、ここは住み難い街になっちまったな」


「ちげぇねぇです。

 兄貴、王都で別の場所を探しますか?」


「馬鹿野郎、最下層の貧民街でこれだぞ。

 俺たちが安心して住める場所なんて、もう王都にはねぇだろう」


 こうして二人は王都を後にして別の街へ流れていったのであった。


 ここで、話しは割れ窓理論が実践されて一ヶ月ほどが経ったある日の研究所に戻る。


「ユウイチさん、今回は珍しく問題が起こっていませんね」


「リリア君、それがそうでもないのだよ」


 今、研究所には貧民街の変化を見て記憶形状窓と原状回復壁の注文が殺到してる。


 先日もユウイチは王城の窓と壁の全面交換の契約を終えたばかりである。


「ユウイチさん、もしかして忙し過ぎるとか?」


「いや、納期には余裕をもって契約しているから問題ない」


「忙しいのでなければ何が問題なんですか?」


「いいかリリア君、よく聞いてくれ。

 なんとスライムの取引価格が四倍になっているんだ!」


 ユウイチがこの世の終わりのような顔をしてリリアに訴えている。


 汚物や水の浄化にスライムは欠かせない存在なのだが、ユウイチの発明した形状記憶窓と現状回復壁が需給のバランスを狂わせてしまったようである。


「なんだ、そんなことですか。

 ウフフ、これは自業自得ですね。

 これで、魔導具の素材にスライムを使い難くなりますね」


「はぁー、ヴィーラング殿に依頼した分の入荷はまだかなぁー」


 困り果てているユウイチの横で、リリアは不敵な笑みを浮かべるのであった。



 後日談。


 王都は窓と壁のリフォームブームに沸いている。


 公爵もブームに乗り遅れる訳にはいかないのだが、このところ何かと問題が起きているようでリフォームの話は後回しになっている。


「貧民街の治安が回復したお陰でアジトにしていた空き店舗が使えなくなりました」


「だが、他のアジトもあるであろ?」


 子爵の報告を聞く公爵は、いつものようにワイングラスを燻らしている。


「いえ、それが少々厄介なことになっておりまして……」


「正直に申せ、何があった!?」


 このところ失態が続いている子爵を公爵が"ギロり"と睨み付ける。


 子爵の肝はこれでもかと言うぐらいに冷えているに違いない。


「それが、近頃のスライム価格の高騰でバートン商会の台所が火の車でして、活動資金の援助がままならないようなのです……」


 バートン商会はリーネの実家であるクロイツ商会と王都で鎬を削る大商会である。


「ん、スライムとバートン商会の台所に何の関係があるのだ?」


 公爵は苛立たしそうに"クルクル"とワイングラスを回し始めた。


 事と次第によっては、このワイングラスが自分の顔に飛んでくるかもしれないと子爵は気が気ではない。


「バートン商会はスライムの先物取引で大赤字を被った模様でございます」


 バートン商会は浄化を専門とする業者へ大量のスライムを受け渡す契約を結んでいた。


 まさかスライムの取引価格が、ここまで高騰すると思っていなかったため現物の手配はしていなかったのである。


「今から手配しても価格は四倍、来月には五倍になっていてもおかしくありません」


 どうやら、スライムが底値になった時に買い付ける作戦が仇となったようである。


「フッ、バートンのヤツは欲に目が眩みよったか。

 人間、欲を欠くと大切なものを失うと言うことだな」


 自分のことを棚に上げて、公爵は人生の何たるかを語るっみせる。


「それで計画にはどう影響すると言うのだ?」


「バートン商会から活動資金を得ていた傭兵団が王都を去るそうです」


「くっ、勢力を拡大するために援助をしてやったものを……

 全く恩知らずな奴らよ」


 そもそも、傭兵団を相手に恩を売ろうと言うのが間違いである。


 傭兵が忠誠を誓うのは金であり、奴らからすれば金の切れ目が縁の切れ目なのである。


「計画の一部であった、貧民街のアジトと五十人の傭兵団を一度に失いました」


「子爵よ、何故こうなった?

 儂が納得できるよう説明せよ!」


 子爵は先ほどから公爵が"クルクル"と回し続けているワイングラスの行方が気になって仕方がない。


「はい、貧民街の治安の回復を宰相が警備隊に命じました。

 警備隊は魔導具研究所に協力を仰ぎ、言われた通りに治安を回復させました。

 その時に魔導具研究所が作った魔導具にスライムが使用されおり、それがスライム高騰の原因のようであります」


「ぐぬぬ、またしても田舎出の狸が関わっておるのか!」


「その上、教会の女狐が養殖していたスライムで莫大な利益を上げた上にバートン商会に恩を売ったようでございます」


「何、教会の女狐も一枚噛んでおるのか!」


 公爵はワインを"グイッ"と煽ると空になったワイングラスを足元に叩き付けた。


 粉々になったワイングラスを更に靴裏で"ぐりぐり"と踏みつける。


「もう良い、下がれ」


 公爵は子爵に向かってヒラヒラと掌を振った。


 すごすごと部屋を後にした子爵と入れ替わるように黒服の男が部屋に入ってくる。


「かなりの支障が出ておりますが、如何なさいますか?」


「いっそ計画を前倒しにするか……

 いや、急いては事を仕損じる。

 ここは忍耐が肝要であるな」


「計画を中止されるおつもりはございませんか?」


「馬鹿なことを申すな。

 計画にどれだけの時間と金をかけたと思っておる」


 かけた時間と金の分を越えるリターンを考えているであろう公爵が不敵な笑みを浮かべている。


「これは差し出口でございました」 


「よい。

 計画の修正に全力を上げてくれ」


 公爵の言葉に黒服の男は一礼して、その場を辞した。


「しかし、詰めの段階にきて難渋するとは思わなかったわ」


 王城を見詰める公爵の顔には苦々しさが滲み出ていた。


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