6-3甘い男《その後の話》真実の愛。
どうして、どうしてどうして、どうして…こうなった。
対処できないほど悲惨な事態にはなってはいないが、もう心が擦り切れて疲れてしまっている。
俺はただ愛のある幸せな家庭を持ちたかっただけなのに。
幼い頃はそれこそ俺は父にも母にも愛されて幸せというものを知ったしそれが当然だった。
だけれども、いつからか…得られるはずの幸せは減っていった。
メリアと婚約した頃も嬉しかったし将来は彼女と幸せな家庭を築くのだと疑いもしなかった
でもメリアが入ったことで母との時間は減り、俺も後継教育に忙しくなって小さな不満が生まれた。
(メリアと過ごす時間があるなら自分との時間は?)
愛の時間を奪われているように感じ、それからはメリアに対して義務的にしか接せなくなっていった。
そうなってくるとメリアのことが気に食わない。
いまなら子供じみた嫉妬だと解るけれど、そんな気持ちを抱えたままの俺は病弱だった母を亡くし、しかも直後に愛人を邸宅に招き入れた父のことも信じられなくなっていった。
国内どころか世界中の名医を訪ね治療法を必死に探していたほどに愛した妻が死んだというのに、もう愛人がいるのかと。父を嫌悪した。
だからこそ俺は真実の愛を渇望するようになり、義務の婚姻に疑問を持つようになった。
自分でも捻くれて拗らせていたなとはおもう。
だけど正解を見つける前に父が突然に黄泉の泉に旅立ち、悲しみに浸る暇もなく伯爵家当主になってしまった。毎日が不安で押しつぶされそうで辛い。
…そんな時に彼女に出会った。
ユーレアは朗らかで控えめなメイドという印象だった。けれども何度も顔を合わせるうちに彼女の笑顔に惹かれ、打ち解けたいとおもうようになり、ほのかな恋を抱き始めた。
婚約者がいるのに俺は何をしてるんだろうと自分を責めたことはある。でも彼女のことを考えるのを止められなかった。
しかし青臭いかもしれないが、初恋であり、俺にとっての真実の愛は彼女にあった。
だから余計に益々メリアは目の上の瘤のように感じ、俺は現実というものを見誤り愚かな選択をしていくことになってしまった。
『メリアだったら…』『メリアなら…』元妻と愛妻を比較しては落胆する未来があることも知らずに、真実の愛に目が眩んで目も耳も塞ぎ甘い地獄に落ちていったような気がする。
□□
「カーマイン、カーマインったら。どうかなさいまして?」
「…あぁ、ユーレアか、」
かつてはパッと目を惹くと愛らしさと折れそうに華奢だった肢体はどこへやらの年相応に老いた女が薄着でベッドの中に入り込んでいる。
まだ二十代なのにだらしない身体が透けて見えるからなお最悪だ。
言葉遣いだけは婦人らしくなったとはいえ、彼女は結局は何者にもなれていない。
以前は、俺が愛しすべてを与えさえすればユーレアも輝く貴婦人になるのだとおもっていた。
けれどそうじゃない。
「ねぇ、カーマイン…今夜は、」
与えられた環境に甘え切った人間は努力も研鑽も忘れこんなにもだらしなくなってしまう。
恋に溺れまともな判断が出来なかった男だから、体で迫れば願いをかなえてもらえるとおもっている。
「すまない、ユーレア。疲れてるんだ。」
本当に疲れていてやんわりと手をのけさせるつもりがパシッと払いのけてしまった。
「前もそう言って断ったわ。夫婦の義務を蔑ろにするなんてっ」
余裕が無いところに彼女の可哀想ぶる言い方にカチンときた。
「…無駄な知恵ばかりつけて、義務がどうこうというのならまずその怠けた体を見られるようにしてからにしろ。今のお前じゃ勃たない。」
「っひどい!」
「酷いのはどっちだ。幼い子供たちでさえ出来る四則演算もやれないから家の金を無駄に食い潰すくせに。社交も出来ない、計算も出来ない、商人の口車に乗って贅沢することしか頭にない君が容姿も衰えたら何が残る?」
「永遠に愛してるって言ったじゃない!」
「あぁ、確かにいった。…だがあの頃の、昔の君を永遠に愛していたのであって、今の君じゃない。」
愛しているという言葉に胡坐をかいて、我儘を通すために身体で迫るような女ではなかった頃のユーレアを愛していた。
無情にも時間が過ぎるほどに自分の手から零れ落ちていく美しい記憶。
それを必死に搔き集めては思い出に浸り自分を納得させようとしていた。
「でも、不義密通をする女を許すほど耄碌はしていないよ?」
「…ぁ、いえ、そんなこと、は…」
「ははは…してるよね。俺が間抜けに何も気がついていないとでもおもったか?侯爵家のメイドだったのに、汚れた洗濯を誰がするかも忘れるほどにおもい上がっていたのか。商人が連れてきた去勢済みの性奴隷との火遊びは黙認したけれどね、気が弛んで他の男とも…というのは容認できないよ。まして今、君の胎の子は俺との子じゃないだろう。」
「ぇ…?」
言い訳が始まる前に枕元のベルを鳴らし扉前に待機していた護衛の家騎士を呼ぶ。
「不義密通の証拠は押さえてある、いますぐこの女を拘束しろ。」
「証拠なんてありません!」
「あるだろ、その胎に。…黙って始末するなら見過ごそうとも思ったけれど、ここ最近は頻繁に身体を求めてきたね。どこぞの不貞の子を家門に入れようとしていたとは…俺も舐められてるな。」
女当主としての教育を施されてさえいればユーレアもこんな愚策には走らなかっただろう。表面的なことしか知らないからこんなに愚かなのだ。
なぜなら家門当主には日記のような記録を残す義務があるからだ。
一日の流れだけではなく、何時何処で誰と情を交わしたか、という極めてプライベートでセンシティブなことも書き記しておく義務がある。
それがあるからこそメイドとの間に私生児であったり、平民の女との間に庶子といった子供のことも我が子の裏付けになるのだ。
…二人目以降にユーレアと情を交わした記録も記憶もない。二人目以降は産後の肥立ちが悪いからと断られていたし。
そうなれば彼女の胎の子こそが不貞の証拠だ。
この国は貴族制の社会基盤がある。
だからこそ平民とは一線を画した優劣が存在し、家庭内でも長子とそれ以下と区別され、そもそも男女というだけで平民間でも差はある。
貴族の男、家門当主には許されても妻である女主人は不義密通した瞬間から全ての権利も何もかも剥奪される。
元の生家が強ければ裁判に縺れることもあろうがユーレアの実家はとうに没落しており名ばかりの貴族だ。
けれど名ばかりとはいえ貴族は貴族。平民に比べれば同じ罪でも罰は重くなる。
よって、ユーレアは平民ならば浮気の喧嘩別れ程度のことで貴族籍剥奪の上に放逐という重い罪になった。バーレイズ伯爵家から身一つで追い出されることになり今までの生活が一変するだろう。
そこに平民となった女が貴族家に不義の子を絡ませようとした罪が追加されたらどうなるか。
よくて犯罪奴隷となるか、最悪は労役刑の囚人の慰安婦になるか。…だ。
(可哀想だし愛していたからそんなことにはしたくなかったけれど…バーレイズ伯爵家の血脈を穢すことだけは流石に容認できなかったな。)
最初の妻に逃げられ真実の愛と信じた二番目にも不貞をされたみっともない男になってでも、俺は子供たちとともに生きていく道を選んだ。
………………
…………
………
…
*補足*
メリアはカーマインのこの「自分は健気な被害者」という振舞が心底嫌いだった。




