6.甘い男《その後の話》種は芽吹く。
(……どうして、こうなったのだろう。)
疲れ切った体で家に戻り薄いスープを口にする。
疲れた身体を気遣うスープ……なら良かったのだが、そういうわけではないのが余計に俺を疲れさせる。
「はぁ……」
メリアが妻だった頃はこんなことはなかった。
むしろこんなに室内が煌びやかなのに粗食を強いられるのはユーレアを妻にし女主人としての権利を渡してからだ。
紆余曲折あった婚姻当初、俺たちは苦労を共にしてはいたもののそれでも幸せだった。
貴族籍を持ってはいてもメイドとして働いていたユーレアは学園に通ったことすらなく基礎知識が足りなかった。そこで教師を手配し語学算術教養に始まりあらゆる分野の家庭教師をつけ学び終えるのに二年…の予定だった。
彼女も必死に学んでいたし意欲もあったから。
けれどもその期間中に妊娠し中断。
社交も、社交界には顔の広かったメリアの友人が多く、ユーレアが親しくさせてもらっていた相手はその最たるもので爪弾きにされると泣き暮れるので無理強いをすることなく家で穏やかに過ごさせた。
(もともとメイドだったしな…)
二人だけの時間は、本当に、本当に幸福に満ち溢れ憂いを感じさせなかった。
…が、そうでなくなる現実が次々に俺の目の前には突きつけられることになる。
まずはじめはメリアの実家であるノクオリオ伯爵家との事業停止。失踪したのがメリアだったことを差し引いても探し出せなかった俺への風当たりは強かった。とりあえずの折衷案で違約金などもなく痛み分けでどうにかなった。
家の稼業全体で言えばややマイナスではあるが、それでも三年で持ち直す程度のこと。気にしていなかった。
事実、ユーレアに家庭教師をつけ領地運営に役職に本来なら女主人がすべき家営もすべてカーマインが担っている間はどうにでもなっていた。
だが、いざ女主人の権限を渡したらこうだ。
はじめて家営をさせた時など屋敷中の窓の張替えと床の絨毯の敷き替え、それから高級な食器類の買い替えに一年分の予算を使い切った。
『…は?』と、おもった。
帳簿を見返すと二ヶ月で使用人の給金分の予算までつかい込んでいた。
(メリアなら…こんなことはなかったのに。)
使用人の服がヨレヨレなのも洗濯石鹸を買えないほど困っている証拠。
最初は不慣れな運営に失敗しているだけだと目を瞑ったが、ずっとずっとこうでは困る。
カーマインはバーレイズ伯爵家当主という立場がある。
家営が上手くいっていないなんて使用人の口から洩れようものなら恥さらしだ。
よって女主人としての立場を損なわない程度に予算を与え真似事をさせておくようにしたが……スープが薄くなっている。
(月ごとに予算を渡すようにしてもたった数日で使い切ってしまったのか…)
食堂の煌びやかさから察するに商人の口車に乗って購入したのだろう。
いつもそうだ。
(…………メリアなら。)
ユーレアとの幸福を得る反面、幼い頃からの家の空気が荒んでいくのを感じ気落ちする。
いや、むしろメリアはたった一年間だけでも誠心誠意この家に尽くしてくれていた痕跡があるだけに、落差に心が傷つく。
同じ学園に通っている間、メリアは目立つ方ではなかった。
平均をキープするだけの彼女を俺は侮っていたのかもしれない。
そもそもユーレアとは違い幼い頃から教育を施されていた彼女は貴族令嬢として淑女として学園に通えるだけの実力があったのに。
事故で亡くなった父も早くに病に臥せった母も彼女のことを実の娘のように愛し慈しんでいたのに…。
母亡き後、この家に女主人の顔をして入り込んだ父の愛人ですらメリアとは親しくしていたのに。…父が亡くなってすぐに追い出したから音信不通だが、あの愛人にはのこってもらって女主人の采配などの教師として雇えばよかった。
メリアがいた頃は良好だった侯爵家とのつながりもユーレアを娶ったことで親交が断絶したのが大きな痛手となった。侯爵夫人が「客人を誘惑するメイド教育をしていると笑いものにされた」と烈火のごとくお怒りで一切の音信不通となってしまった。
バーレイズ伯爵当主となって十年弱、ユーレアは息子も娘も産んでくれたが、…それだけだ。
子が育ち歩けるようになってもユーレアは子供を言い訳にし社交には出ようとしない。
むしろその子供のためを思うのなら社交に出て積極的に子の縁を繋ごうと何故おもわないのだろうか。
妻にも子供にも愛情はある。
しかし責任は俺だけに課され、ある時からこころから笑えなくなっていた。
(愛に生き現実に疲れることと、義務で結ばれても互いに支え合う生き方は、…どちらが正解だったのだろう?)
愛に生きたことに後悔はしないが、愛は無くとも支え合えた絆は得難い愛に似ていたかもしれない。
「……疲れたな。こんな夜更けに考え事をしても頭が痛くなるだけだ。」
薄いスープだけを飲んで食事は終りにした。
もう誰とも顔を合わさずにゆっくり夢も見ないほどに眠りたい。
それだけが今の俺の望みだ。
何も考えたくない。
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