2
あれから何年経ったんだか。
あたしもさすがに今じゃ小娘って見た目じゃないよ。
黒髪に黒い瞳は相変わらずだけど、変化しなくても妙齢なご婦人って感じさ。
ただ、魔力を封印しちまってるから、この見た目以外変化しようがないんだけどね。
今いるところも、王様が平定した頃から随分変わった。いくつかの戦乱を経て、領土は広くなったけど、統治しているのはもう王様の一族じゃない。王様のひ孫の代であの王国は潰え、次に台頭した王族が長く支配している。
その間、魔法使いはどんどん少なくなった。太古の昔、この地に満ち満ちていた魔力が、自然や科学の不明の解明が進めば進むほど感じ取れなくなったせいもあるし、希少な存在として秘匿されるようになったせいもある。
反面、様々な技術は進み、昔はせいぜい海峡を渡るくらいしか出来なかった船が、長い航海に耐え、新しい大陸を発見できるほどになったりもした。その結果、髪の色、肌の色が違う人間も、今じゃこの国でちらほら見かけるようになったりしている。
まあ、白い肌に黒髪はいまだに肩身が狭いけどさ。不吉ってよりは、混血かもって思ってもらえるようになっただけ、マシかもね。
王都の外れ、ミューランの森の中の小さな小屋が、今のあたしの住まいさ。
ここに落ち着くまでは色々あったよ。
まず、ダスティンが亡くなった後、あたしは命を狙われた。
他ならぬ王様から。
何をどう思ったのか、彼はあの一連の悲劇の原因を、あたしだと思っていた。
そして、王様にとってダスティンは本当に大切な家臣だったから、その悲しみは転じて激しい怒りに変わって、こっちに向けられたんだ。
仕方ないからとっとと逃げた。
やり返すのは容易だけど、あたしは王様を殺したくなかった。
結局、十数年は、各所を転々としたかな。
本当はあの庵で、転生したダスティンが会いに来るのを待っていたかったけれど、王様の怒りが鎮まるまでの数年くらいなら大丈夫かと思って。案外怒りが長かったけどね。
やがて王様が落馬でぽっくり逝ったと風の噂で聞き、逃亡生活を終えたあたしは、まず師匠の元を訪れた。
『あたしの魔力を封印してほしいんです』
師匠は、すっかり年老いて老婆の見た目。
いや、実際老婆だったけど、その横には同じように年老いた最愛の夫がいて、普通の家庭を築いてた。なんて幸せそうだったろ。
『たった一人の人を見つけたけど、その人は死んじまったんです。紅血の契約に縛られたまま。あたしはそれを見守りたい。一年でも長生きしたいんだ』
あたしだけぺらぺらしゃべって、師匠はただうなずくだけ。
最初師匠は反対した。封印して良いことって、寿命が延びるってことだけで、それ以外は普通の人間と同じだからね。魔力なしに、この長い命を生きるなんて、それこそ魔女認定されて殺されそうになっても逃げる以外何にもできない。
それでも、最後には願いをかなえてくれた。
そして、ずっと肌身離さず持っていたであろう、師匠の師匠が授けてくれた護符を、あたしの手に握らせた。
『わたしゃもうすぐお迎えが来る。ここまで素晴らしい人生を送らせてもらった。これは魔法使いが当たり前にたくさんいた時代の、わたしの師匠の大魔女、真昼の魔女様からいただいた護符だ。まだまだ力がたっぷり残っている。これを魔力を封印してしまうあなたに授けよう』
あたしにはその護符に、師匠がありったけの魔力で守りを重ねてくれたことが分かって、思わず涙ぐんだ。
『ありがとうございます』
護符に額をつけ、泣き顔を隠す。
『見守り続けるのはつらいだろう。だけど、そう決めたなら、わたしはあなたを送り出すだけだ』
最後に手の甲をさすってくれたその温かさを今でも思い出せた。
懐から、その護符をそっと取り出す。
美しい朱色の糸で縁どりされたお守り袋を開けると、薄く木を削った、紙の代わりの板が見えた。
今じゃ町で号外をばらまけるぐらい紙は簡単に手に入るけど、これが作られた時代は、これが貴重だった紙の代わり。
魔力を封印されているから、そこに込められたものは何も感じ取れないけど、あの日の思い出を容易に思い出させる力を、こいつが持っていることだけは分かる。
お守り袋の中には、護符と一緒に石が入っていた。
庵のそばで見つけた、ダスティンの瞳にそっくりな紺碧色の石。
最後に会いに来てくれた次の朝、これを偶然見つけた時には、彼の代わりに思えて泣きながら握りしめた。
ダスティンはあれから輪廻を繰り返している。
そして、あたしはそれを見守り続けている。
誓願は、未だ果たされていない。
一番の要因は、何度生まれ変わっても、姫にまったく記憶がないことだ。
あたしは勝手に誓願の中身は、ふたりが幸せな夫婦になるってことだと思っていたから、記憶がなくても姫の生まれ変わりと愛し合って結婚すれば良いと思っていた。
ところが、ダスティンはそれでは誓願が果たされないと言う。
彼は生まれ変わるたんびにあたしを見つけ、会いに来た。
あたしも何度目からかは、前の彼が亡くなった時にいた場所から、次の彼が会いに来るまで動かないようになっていた。
時にはダスティン(毎回名前は違うけれど、あたしはいつも心の中ではダスティンって呼んでいる)がなかなか会いに来ず、もしかして前回の時に誓願が果たされていたのかと思うこともあったけれど、ある時彼にそう言うと、誓願が果たされて、あたしにそれが知らされないことなんてないんだと言い聞かされた。
姫は毎回身近な、彼女に想いを寄せる人間に殺され、ダスティンはそのとばっちりで亡くなったり、辻褄を合わせるように唐突に亡くなった。
そろそろあたしも気づく。毎回姫を殺す人間は、きっとあの最初の使用人だ。
こいつも紅血の契約に縛られていると。
姫に想いを寄せ、ダスティンと婚姻を結ぶことを聞き、思い余って愛する人を殺してしまったんだ。それにより誓願が果たされず、こいつを含め、三人がずっと輪廻を繰り返しているのだと。
あたしはダスティンに、次こそ先にそいつを探し出し、殺しておしまいと言った。
まるで契約を履行できるよう、彼を思っての発言のようだろ?
違う。毎度姫が殺されてしまうことを嘆き悲しむダスティンを、あたしがもう見たくないのさ。
永遠に彼が、姫との約束を果たすために輪廻を繰り返すのを、そばで見守り続けるのがつらくなっただけ。ダスティンがこれを繰り返し続けられる原動力って何だい?
そんなの、姫への愛しかないだろう…。
これはあたしへの罰ですか。
婚姻が決まっている男に、想いを寄せてしまった罰ですか。
なんだかんだと理由をつけて、惚れ薬じゃない惚れ薬を渡してしまったせいですか。
今生も誓願は果たされなかった。
メイドに生まれ変わった姫は、屋敷の息子に殺された。
出入りの商人だったダスティンが、身分違いの恋に悩む姫に気付いた、翌日だった。
「魔女殿、今度もダメだった」
とばっちりで死ななかった時、ダスティンは必ずあたしに会いに来て、そう言った。
「だから、まだ死なないでくれ」
そして不安気な顔でそう言う。
「大丈夫だよ。魔力も封印してるし、真昼の魔女様は封印しなくても千年生きたって聞いてるよ」
にっこり笑ってそう言ってやると、ブルネットの巻き毛を揺らして小さくうなずく。
瞳は変わらず、紺碧の碧。
その瞳をじっと見つめていたら、だんだんそれが濃い碧に変わって来た。
「はくはくはく」
言葉に出来ない何かを呟く。
「はくはくはく!」
口の形で何を言っているのか想像しようとするけれど、それはいつも失敗した。
いつしか瞳は深海の碧になり、彼はあたしをその胸に抱き込んだ。
あの頃は腕の中にすっぽり収まるくらい小娘のようだったあたしが、今じゃあんたをしっかり抱きしめ返してあげられる。
彼の肩に頭を預け、じゃ香の香りを胸いっぱいに吸い込む。
「あたしはいつでも見守っているから。次も必ず、会いに来て」
見守り続けるのはつらい。
でも、ダスティンの魂から離れることも出来ない。
懐のお守り袋を、ぎゅっと服の上から握る。
とっくの昔に土にかえってしまっただろう師匠の笑顔が、あたしを励ますように思い浮かんだ。
あたしはいつまで見守ってあげられるだろう。
魔力を封印して生きて来たこの数百年、命の危険がなかったとは言わない。
ダスティンには口が裂けても言えないけど、あたしの背中には長い刀傷もあった。
あの時は、普通に生死の境をさ迷った気がする。
でも生きてる。きっと護符のおかげ。
けれど、確実に感じていることがあった。
命の灯が細くなってきていることを…。
あたしの不安が伝染したのか、ダスティンはあたしをさらに強く抱き込んだ。
あたしより、ダスティンの方が辛いのだ。
毎回愛する人を殺され、救えず、そして約束を果たせない。
事情を知っている人間が一人でもいて、それを吐き出せることは、きっと彼の助けになっているはずだ。
「次はどんな人に生まれ変わるんだろね」
あたしがぽつりと言うと、彼はそっと体を離した。
「今回の俺は、お気に召さない?」
こういう話の時、ちょっととぼけて軽い空気にするのが今のあんたらしいよね。
「お気に召してるよ。いっつも珍しい食べ物持って来てくれるしね」
「なんだ。差し入れのお陰か!」
はははと笑って彼は立ち上がった。
今生の名前はオースティン。
あたしよりちょっとだけ背が高くて、細身。
「黄金のダスティンも、ブルネットのオースティンも、その前の赤毛のローウェンも、他の時も、いつでもあたしのお気に入りだよ」
腕を組み、彼を見つめる。
「特にお気に入りは、その、紺碧の瞳さ」
何度生まれ変わっても、変わらない瞳。変わらない香り。
変わってしまうところも、変わらないところも、あたしにとっては愛しい男。
姫が亡くなった以上、オースティンもほどなく死んじまうんだろう。
「明日も来るよ」
そう言い残してオースティンは帰っていった。
残念だけど、それが彼の姿を見た、最後になってしまった。
それから二十年以上が過ぎただろう。
あたしは、そろそろ不安になっていた。
これまでで一番ダスティンがあたしの前に姿を現すのに要したのは、十七年。
住まいは変わらずミューランの森の外れ。
時代が進むごとに人は人に無関心になり、ちょっとした細工でひとところに長く住んでも怪しまれないようになっていた。
あたしはいつの間にか、ここに住んでいた母にそっくりの娘ということで周囲に認識されていて、変わらずダスティンを待っているのに。
住み出した頃はあたし以外誰もいなかった土地が、人口の増加とともに、いつしか集落となり、あたしはそのコミュニティーに取り込まれていった。
「ジリアン、今日もありがとう」
「お大事に」
あたしはいつしか『ジリアン』と名乗っていた。
もちろん真名じゃないよ。
ダスティンが現れるまでここにいるなら、名乗る名前が必要になっただけ。
あたしはここじゃ、ちょっと薬草に詳しい人間として重宝されている。
以前も薬草から薬を作り、店に売って小銭を稼いでいたけど、その縁で最近は集落の人間相手に治癒師のようなこともしていた。
そして、あたし自身が、最近は薬湯を欠かせなくなっている。
春ごろから、咳が止まらない。
ダスティン…。早く現われて…。
ジリジリした毎日を送りながら、作った煎じ薬を持って王都のなじみの店に出かけた。
「すごい人だね!」
まるで祭りのように、王都の大通りは賑わっている。
あたしはこんな日に来たことを後悔していた。
かと言って、ここまで来て、半日かかる道をそのまま戻るわけにはいかない。
「今日は、辺境での蛮族との戦いに勝利した騎士団の方々が戻って来られる日なんだよ」
まだ年若い薬屋の店主が興奮した顔で話す。
王都から半日も離れると、情報はほとんど来ない。ましてやあたしのいる集落は年寄りが多い小規模なもんだ。行商人も立寄らないから、そんな戦があったことはまったく知らなかった。
勝利の行軍と聞き、あたしはかつての黄金の騎士の姿を思い浮かべる。
ダスティン…。
その時だった、大きなラッパの音が鳴り響き、店主が慌ててカウンターから飛び出してきた。
「来なすった!ほら、ジリアンさんも見に行こう!」
店主に手を引かれて、大通りに足を踏み入れる。
大勢の人にもみくちゃにされながら、少しでも前に行こうと引っ張られた。
髪をまとめている手ぬぐいが落ちそうになって、慌てて被りなおす。
「わあ!ちょうどこの隙間から見えるよ!」
店主が人と人の隙間からその先を指さす。
「あれが、蛮族を制した立役者の第一騎士団!その中でも、英雄と呼び声高いのが、あの騎士様だよ!」
あたしは店主ほど背が高くない。
紙吹雪と人の頭でほとんど何も見えない。
頑張って頭を左右に動かしてみるけど、周りの人間も少しでも見える場所を探して動き回るから、どれだけ頑張っても見えやしない。
せめて店主とはぐれないようにしようと思ってあきらめた時だった。
あたしの髪を覆っていた手ぬぐいが、誰かの振り上げた手に引っかかり、どこかに飛ばされてしまう。その反動で、まとめていた髪まで、はらりと広がり風になびいた。
「わあ!」
店主の驚く声で、前を見る。
突如、あたしの視界が開け、目の前に大きな黒い馬がやって来た!
恐る恐る振り仰ぐと、そこには黄金の髪をなびかせ、あたしを見下ろす紺碧の瞳。
…ダスティン!
咄嗟に声を出さなかった自分を褒めたい。
騎士様はあたしをじっと見つめると、声を出さずに呟いた。
『ま・じょ・ど・の』
と。