18-10 偽りの魔王
大長城ギガスラインにたどり着いたのは夜明け前でした。
わたし単独なら半日たらずで済む移動も、タルトの足では休憩をはさむ必要もあり、実に3倍近くの時間を要しました。
疲れ果てた彼女を背負って天高き城壁を登り、無事にレゥムの旧市街に戻ったのは朝方です。
その後はリュックいっぱいの薬草やモンスター素材、少量のプリズンベリルを彼女に任せ、23000ガルドといういささか多すぎる下取り報酬をいただきました。
「さすがに、あたいはもう疲れたよ……。あとはアンタが勝手にやんな、あたいは、もう寝る……」
「あなたもシスター・クークルスに負けず劣らずの働き者ですね。おかげで助かりましたよ」
レゥム大聖堂の司祭ホルルト氏との接触が、無事かなったのは昼前です。
そのハイテンポは疲れて戻ってきたというのに、一睡もせずに骨董屋を出て行ったタルトがベッドにぶっ倒れるのと引き換えに実現されました。
「エレクトラム殿、こちらこそ姉御のエスコート助かりましたよ。この通り昔からやたらと面倒見の良い方でしてね、ま、そこが姉御の人徳だと思ってます」
「はい、つまりあなたが代わりに引き継いで下さるということですね」
後は元冒険者のタルトの右腕が手配してくれました。
「へい、そういうことで。ではこちらへどうぞ、ホルルト氏はあなたと会えるのをたいそう楽しみにしているそうですぜ」
タルトの昔話を聞いてしまった以上、彼の詳しい素性も少し気になりました。
バーニィとも顔見知りのようですし、もしかして旧市街の生まれなのでしょうか。
●◎(ΦωΦ)◎●
いつものあの埃っぽい屋根裏部屋は、再度訪れると埃一つない空間に変わっていました。
あれからホルルト氏は密会にここを使うようになったのでしょうか。
8つのイスとテーブルが部屋の中央に並んでいます。
「ようこそエレクトラム殿、貴方の来訪を心待ちにしておりました」
「フフ……あなたも変わり者ですね。長く生きましたが、司祭クラスに好かれたのはあなたが初めてですよ」
タルトの右腕はわたしをここに案内すると、帰ってきた姉御を皆で祝うと言って帰って行きました。
今はホルルト氏とわたししかここにはいません。
「信用のおける人間は世に数少ないと私は思っております。その中の一人が、たまたまネコヒトのエレクトラム殿だっただけ、ただそれだけのことですよ」
「それは奇遇ですね。わたしもあなたを信用した上で、今回ここに姿を現したのですよ。あなたなら問題ない、そう考えました」
テーブルは円卓、8つのイスはどれも同じ形の素朴なものでした。
それが彼の性格でしょう。司祭でありながら、己を神聖な者にはしたくないのかもしれません。
「光栄です。しかし貴方の方から現れるくらいだ、よっぽど看過できない事態が起きているのでしょう」
初老の司祭がやわらかくわたしに笑いかける。
そうです。まさかわたしが、よりにもよって司祭の位にある者にこんな話をするだなんて、長生きするとジョークのような経験ばかりできて困ります。
「ではお聞きします。魔王の遺品、その所在に何か心当たりはありませんか?」
「ほう、それはまた急ですね。ご遺品については調べれば、ある程度の所在はつかめるかもしれません。ですがなぜ……?」
魔王様は人間の領土、その東の果てで世界から消えました。
魔王の遺品が人間の世界に散逸しているのはこのせいです。
「その前にもう1つ質問を。エドワード・パティントンという男を知りませんか? 恐らくは研究者、あるいはそれに近い仕事をしていたはず」
「エドワード……うむ、どこかで聞き覚えがあるが思い出せない。あまり珍しい名前でもない、記憶違いの可能性もある……」
残念ながら空振りでした。
まあそこはいいのです、わたしは警告にも来たのですから。
「しかし魔王の遺品ならば聖堂の管轄です。場所が見つかった際にそのつど、交換条件を飲んでいただけるならば積極的に取引させていただきたい」
「相変わらずのしたたかさですね。こちらもそれで構いません、無条件の善意などうさんくさいだけですから」
「ごもっとも。とは外では言えないものでしてな、綺麗事を並べるのが私の仕事のようです。む、どうなさいましたかな?」
わたしはそこで少し考えました。
人間の領土に散逸する魔王の遺品。同じくして、人間の領土にてパティアという研究成果も生み出された。
この状況はあまり良くないのではないか。
「その魔王様の遺品なのですが……可能ならば、できるだけ急いでかき集めた方が良いかもしれません」
「ほう、それはなぜですかな?」
「勘です。それがわたしたち、魔族と人間の共存に繋がるとわたしは思います」
「貴方の口からそんな言葉が出るとは、ははは、正直意外ですな……」
それは綺麗事でした。
共存、それが出来ないことはわたしが誰よりも知っている。
だからこそ、わたしはあの哀れな白化病の男、ニュクスを否定できない。
どちらかがどちらかを滅ぼせば、確かにそこで永遠にも等しいこの戦いが終わるのです。
「フフ……たまには綺麗事も必要かと思いましてね」
エドワード氏のスポンサーがいたとする。
パティアは魔王の遺品、魔王だけが身につけることが出来る装具に装備適正を見せた。
仮に、パティアがプロトタイプで、その次となるベータタイプが存在していたらどうだろう。
「確かに。こうして人間とネコヒトが顔を合わせているのです、共存など不可能と言ってしまっては何も進展しないでしょうな」
エドワード氏の逃走により開発が中断されていたとしても、いずれ生まれることになるのは間違いない。
ならば敵は、いずれ魔王の遺品の利用価値にも気づく。
「代価はどんな方法を使ってでも払います、ですので急いで下さい、散逸した遺品の情報を」
「ならば説明をしてくれ、エレクトラム殿。話せる部分だけでもかまわない」
最初からそのつもりです。パティアのことは彼にも隠したい。
魔王の遺品に適正を持つ人間の娘がいると、もし誰かに知られたらどうなるでしょうか。
ええ答えは一つです。魔王の再来と恐れられ、わたしたちは人間の国だけでなく魔軍全てを敵に回すことになる。
「わたしは大地の傷痕である男と出会いました。それがエドワード・パティントンです。しかし彼はわたしと出会って間もなくして死にました。襲撃者が彼の命を奪ったからです」
ナコトの書を取り出してそれをホルルト司祭に見せました。
パティアの存在は隠し通し、このナコトの書を演劇の主役にするために。
「なんと、その本の力には私も助けられたものですが、そんな経緯があったのですか……」
「はい、ですが問題はその襲撃者のバックにいた者たちです。そいつらはもしかしたら、今も魔王を生み出す研究をしている可能性があります」
それは長い歴史の中、多くの狂人どもが考えついたことでした。
絶対なる存在の力を己の物にしたい。
その傲慢で狂った願いを持った者はけして夢を実現させることなく、いずれ天命を迎え歴史から消えていきました。
「なんと愚かな……。それが本当なら、ううむ……。だが証拠はあるのですか?」
「はい、わたしがその証拠そのものですよ。御覧下さい人間の神の僕よ」
この時のためにわたしは己の手首をローブの中に隠していました。
アレはこのホルルト氏から報酬としていただいたものです。
隠さねばまず顔を合わせたところで、腕輪について突っ込まれていたでしょう。
今でも不可解な夢のようです。
何の冗談か、魔王様の腕輪はわたしの腕をパティアの代わりに選んだのですから。
わたしは仰々しいお辞儀の後に彼の前に手首を差し出し、腕輪をローブからさらけ出す。
それもそうでしょう、あなたが報酬としてこれを選ばなければ、こうはならなかったのです。
ホルルト司祭は驚嘆と共に顔をおおいうつむきました。
「おお、神よ、何てことだ……」
「きっとこのナコトの書は、魔王の後継者を生み出すための道具か何かだったのでしょう。わたしは選ばれてしまったようです、彼女の遺品に」
全て嘘です。本当の研究成果はパティアです。
ですがその真実は誰にも知られてはならない。
だからわたしはあの愚か者、正統派の魔将アガレスのように、魔王の後継者を騙ることにしました。
願わくば他の遺品もわたしを認めてくれることを望みます。
わたしはパティアの笑顔のためなら、偽りの魔王になったってかまいません。
●◎(ΦωΦ)◎●
彼は協力を約束してくれました。
世界のバランスを崩せば、最前線であるこの国は焦土になるかもしれないと、ホルルト司祭は理解したのでしょう。
それからサラサール王子の続報を聞かされました。
また嫁が二人増えたが、別の嫁が後宮から二人消えたと。わたしが知りたくもない話を。
今より半月後に戴冠式が執り行われ、やつは史上最低の王となるそうでした。
●◎(ΦωΦ)◎●
「おおエレクトラム殿、お久しぶりです。覚えていてくれましたか、俺です、騎士のキシキシです!」
「あなたの名前は忘れたくても忘れられませんよ、キシリール。あの時は酷い別れとなりましたがまた会えて良かった。彼の親切心に感謝しませんとね」
タルトから何か聞いていたのかもしれません。
ホルルト氏は退出際にキシリールを呼んでくれました。
「ぅ……っ、頼む、あの夜のことは忘れてくれ……。あの後、森の教会に戻ったら、教会のお局様方に捕まって、やれハレンチだのなんだのと言われて、もう、大変だったんだ……」
「女装あるいは裸という究極の選択でしたからね。ま、どちらを選んだのかは聞かずにおきましょう」
タルトは寝てますし、男衆は彼女のお帰りパーティで忙しいでしょう。
そうなるとキシリールというレゥムの案内役の登場には非常に助かりました。
さあこれからパン酵母とひょうはく剤。それからエドワード氏の正体を探しに行きましょうか。
「ちょ、ちょっと待ってくれっ、女装なんてするわけないだろ!!」
「冗談ですよ。あなたの大切な騎士装束は今も彼女が有効活用してくださってます。あなたの献身で、彼女の身分をあちらでも隠し通せたのです。誇りを持って下さい」
「姫殿下が、俺の服を――い、今も、着ているだってっ!? くっ、くぅぅぅ……!」
キシリールは騎士の模範らしい真面目なやつです。
光栄なようで不敬極まらん現状に、彼は頭を抱えてしばらく悶絶し続けるのでした。
●◎(ΦωΦ)◎●
その頃パティアは――
「ねーこーたーんーさーんーがー、こーろー、ん~~、だっ!」
里の子供たちと、広場の光る大木の前で遊んでいたそうです。
振り向いたときに動いていたら負け、それがねこたんが転んだゲームだそうで。
「みたよみたよー、らぶちゃん、しっぽうごいた!」
「嘘だ、うごいてないよーっ!?」
「うごいたのー! はい、ラブちゃんのまけー、パティアとー、て! つなごーね、えへ、でへへへへへ……」
「不気味な笑い方するなよっ!」
「だって、うれしすぎて、ついー」
「というか本当に動いたの? パティアがただ、ぼ、僕の肉球、触りたいだけじゃ……」
ええまあ本当にラブレー少年の尻尾が動いたかどうかは、現場にいなかったわたしからは定かではありません。
まあ真偽はさして重要でもありませんでした。
「うん、うごいたぞー。ラブちゃんのしっぽ、ふりふりーーって! うごいちゃうんだよねー、がまんしても。はぁぁ……かわいかったー……」
「僕はかわいくない! この尻尾はカッコイイんだ、男の誇りだって、男爵様も言ってた!」
いえ男爵閣下の言葉をいちいち真に受けるのもどうかと思います。
あの人、あまのじゃくですから本音を口にすることの方が少ないくらいですし。
尻尾は男の誇りというのもちょっとよくわかりません。
「いいから早くしろラブ公、女の子と手繋げるんだぞ、むしろ何が不満なんだよ」
「不満しかないよ! もぅっ……これでいいだろ」
ラブレー少年は素直な子です。パティアから見て4つ年上のお兄ちゃんです。逃げたりしないでうちの子と手を繋いでくれました。
あのねー、ラブちゃんのにくきゅう、ねこたんのよりー、かたいけどね、そこがいいんだよ! またさわりたいなー。
と後でわたしに語ってくれるほど喜んでいましたしね。
「でへへ……ラブちゃんと、て、つなげるしあわせ……。はー、もう、ねこたんがころんだごっこ、どうでもいいかも……」
ラブレー少年と手を繋ぎたいためにこの遊びを提案したんだとしたら、うちの娘は意外と策士なんでしょうか。
「いいから早くしろパティ公っ、ずぅぅぅーっと動き止めてる側にもなれ!」
「おおー、バニーたんたち、わすれてたー」
「忘れるなよおいっ! とっとっどわぁっ?!」
ちなみにずっと片足立ちのバーニィおじさんは、そのとき転んで鬼に捕まってしまったそうです。
ラブレー少年とバーニィが手を繋ぐと、やたらと仲が良さそうでパティアが嫉妬していたとも、後で騎士アルスが楽しげに教えてくれました。
過去はどうあれ、今のパティアは笑顔に囲まれている。その事実だけあればわたしには十分でした。




