18-11 酵母探しと街角の小さな幸せ
聖堂はレゥムの町の象徴です。
わたしの記憶が正しければ、その昔は町どころか畑すらここにはありませんでした。
最初に住み着いたのは聖職者どもです。ギガスラインに詰める兵士たちを慰めるために、物好きが教会を建てると発展が始まりました。
「――というわけでして、月日の果てにそれがレゥム大聖堂となったのです。だからここがレゥムの中心なのですよ」
「貴方はまるで見てきたように言うんだな……。いやレゥムの歴史に関しては俺よりずっと詳しそうだ」
この町はわたしにとって人間の成長の証なのです。
レゥムに来るたびに恐れを覚えます。ただの草原でしかなかった場所に、彼らは町を生み出して今も工夫の限りを尽くしている。
「おや言ってませんでしたっけ、わたしこれでも普通の人の、6、7倍ほど生きてるんです」
「6、7倍って、それはさすがに嘘だろう……」
「フフフ、疑ってくれてもかまいませんよ。それよりキシリール、パン酵母のある場所へとわたしを案内して下さいますか」
「ああそうだった、それなら俺に任せてくれ。近くに知り合いのパン屋があるから俺が交渉してみせるよ」
そう言って彼は自分の馬には乗らず、たづなを引いて歩き出す。
きっとそれだけ目的地がここから近いということでしょう。
「それはありがたい。しかしつくづくあなたもお人好しな方ですね……」
「そうあるべきだと父に教わった。それとも人に親切にしちゃダメだとでも?」
「はい、詐欺師はその親切心につけ込みます。もう少しあなたはわたしを疑うべきですね」
その気はないとキシリールは腕を横に広げみせました。
それからしばらく無言で歩くと、間もなくして彼の言う知り合いのパン屋に着きました。
軒先にはバケットと丸パンの描かれた看板と、沢山の観葉植物が飾られています。
パンに使うのでしょう、花もありましたがヨモギなどのハーブ類が特に目立ちました。
「なかなか良い店だろ、大聖堂に来るときはできるだけ寄ってるんだ。ああ、あそこの屋根はちょっとはげてるけど中は綺麗だよ」
「残念、言わなければ気づきませんでした」
店は赤レンガの建物に木製の屋根を乗せた二階建てで、奥に長細いのが印象的でした。
うちの里にもこういう建物があってもいい。ぼんやり眺めるのに満足するとキシリールの背中を追って、わたしも店内へと入っていきました。
「悪いね、もうほとんど残ってないんだ。パンの耳くらいならあるけど……あら?」
「ごぶさたしております、女将さん」
カウンターの向こうに女性がいました。
中肉中背、30半ばほどの顔の血色の良い方でした。
「なんだ、キシキシさんじゃないか! 来るならもっと早く来なよ、もう何にも残ってないよ!」
「いや今回はパンが目当てじゃないんです。実は女将さんにお願いがありまして……」
そのお願いとは一緒に来た怪しいフード男に関係するのだろうと、女将さんの目がこちらに向けられる。
わたしが店主なら、こんな怪しいヤツが店に入ってきたらまず喜びません。
「こちらの方に、パン酵母をわけてはくれませんか?」
「初めまして女将さん、わたしはエレクトラム・ベルと申します。酵母が商売にかかわる大切な物であることは理解しています、ですがわたしどもの里には、パン酵母がまだありませんでして……」
よって彼女の血色の良い赤ら顔が、ぶしつけな要求に興奮して真っ赤に染まるのも道理でした。
「何だってッ?!」
「怒らないで下さい女将さん! 俺からもどうかお願いします、彼の頼みを聞いてやって下さい」
「ちょっとアンターッ、早くこっち来なッ!」
彼女が店の奥に向かって怒鳴りました。
きっと旦那さんか、あるいは従業員を呼んだのでしょう。どうやらわたしとキシリールは手順を間違えてしまったようでした。
「あ、待った! 話は聞いてただろ、パンくずと酵母を持ってくるのを忘れんじゃないよ! このお客さんの村、硬いパンしか作れないんだって、そんなの大変だよアンターッ!」
先言を撤回します。キシリールが紹介してくれるだけあって、とても善良な方でした。
善人の周りには善人が集まるのです。しかしそれを、善人の皮をかぶった悪党が騙すのも世の常ですが。
「女将さん……はぁっ、てっきり怒らせたのかと、ああもう冷や冷やしたよ……」
「同感です。ですがいいのですか、大事な商売道具でしょう?」
「あたしと旦那はね、白いやわらかいパンが食べたくて店を始めたんだよ。減ったら作ればいいだけさ、遠慮しないで持ってきなよっ」
「そうでしたか。ああ、これは代金です」
奮発して布袋より銀貨を5枚取り出して、カウンターに置きました。
いいえ置くつもりでしたが、手首をつかまれそうになったので慌てて引っ込めるはめになりましたよ。
「持ってきなって言っただろう、そんなのいらないよ、いいからタダで持っていきなよ!」
「いえタダで貰うのは気が引けます。あなたの善意に報いたいのです」
「いや……女将さんはこうなったら譲らない人です。諦めて受け取られては?」
そこに店の奥から気の弱そうな旦那さんが現れて、木製のトレイに酵母の塊とパンくずを乗せてきてくれました。
背丈は奥さんと同じくらいの小柄で、なんだかかわいらしい旦那さんでした。
「ありがとうアンタ、愛してるよ」
人前だというのに情熱的です、奥さんの方から旦那さんにキスを3度も4度も繰り返す。
それを眺めていると、わたしもこれ以上ごねるのが面倒になってきました。
「そうですか、ではいただきましょう。お二人ともありがとうございます、これでうちの里でもおいしいパンが食べられますよ」
行きに薬草を詰めてきた布袋があります。
その中にトレイの上の酵母とパンくずを詰めてゆく。
それが済むと仲むつまじい二人に、いつもよりゆっくりとわたしはお辞儀をしました。
「んまっ?!」
「お、おおっ……」
ところが勢いを付け過ぎました。
頭を上げるとフードが外れかかり、大急ぎでそれを戻すことになったのです。
バレていないかで言えば、フフフ、これは絶望的ですね……。
「今の……」
「はい、もし今のを見てしまったのなら、どうか秘密にしてやって下さい。里には31名の子供がいます、わたしたちは彼らにやわらかいパンを食べさせてやりたいのです」
わたしを見逃してくれたら、きっとあなたたちの元に小さな幸せが訪れるでしょう。
「秘密にしていてごめん。だけどそうなんだ、こちらのエレクトラムさんは人間の子供を育ててる。だからこのことは……」
女将さんと旦那さんはさすがに驚いていました。
ですがキシリールがいて良かった。彼のおかげで怖がったり、わたしに敵意を向けたりはしませんでした。
いえそれどころか……。
「そうなんだね、それじゃあ秘密にしようね。アンタもそれでいいだろ?」
文句はないと旦那さんまで腕を組んで、二人はわたしに笑って下さいました。
人間がこんな人たちばかりなら、血みどろの歴史も終わるというのに難しいものです。
「感謝します。ここの酵母なら、見違えるほど美味しいパンが作れるような気がしてきました。あなた達と、この素晴らしいパン屋に幸運と祝福を……」
わたしはフードを下ろし、偽らざる真実の姿でもう一度お辞儀をして店を出ました。
後のことは、後日キシリールがどうにかしてくれることでしょう。
それから軒先に戻ると、わたしは足を止めて背後のキシキシに振り返りました。
「キシリール、少し気が変わりました。近くに金物屋はありますか? わたしにトンカチと釘を購入させて下さい」
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翌日の朝辺りに、あの心やさしいパン屋の夫婦は気づくことになるでしょう。
彼らが大切にするパン屋に、小さな幸せが訪れたことに。
わたしの身軽さがあれば、屋根の応急手当など昼寝よりも簡単なことでした。




