鼠と滅亡
富野達が村を出て30分程が経ち、依然として描かれる前のキャンバスの様に真っ白な風景が続いていた。
「大丈夫か、トミノ。落ち着かない様子だが」
馬車の中で目線を泳がせている富野をゼイドは気に掛けた。
「えぇ…。もし帝国から追手が来た時、どうすれば良いか不安で…」
「大丈夫だ。帝国側の間接統治者である『十ニ支機団』の本陣が居る都からここまではかなりの距離が有る」
ゼイドは腕を広げて見せた。
「昨日は馬車を動かそうとは思えない程の悪天候だったから、今日の朝に出発したとして、我々の村まで半日は掛かるだろう。どうあっても追い着けないさ」
「そうでしたか…」
富野はやや安堵したと同時に、ゼイドが述べた『十二支機』という単語に疑問を覚える。
「すみません、ゼイドさん。
『十ニシキダン』ってどんな組織何でしょうか?」
「知らないのか?十ニ支機団と言うのは――」
不意に、馬車の速度が上がった。
――ブゥィーーーン!!
と言う、異音が馬車の後方から響いて来る。
「――何だ、この音は?」
ゼイドが馬車の幕から後方を覗くと、足裏にスキー板、脹脛にジェット噴射器の様な物を装備した大男が、凄まじいスピードで迫って来ていた。
「…マスト!速度を今より更に上げてくれ!!」
異常に気付いていたマストは、既に馬を全速力で走る様に手綱を引いていた。
然し、後ろから迫る大男はそれと比べ物にならない程の速さでこちらに向かっていた。
「ゼイドさん!あの人は一体!?」
「――どうやって我々の動きを察知したか分からないが、恐らく帝国側の者だ…仕方無い」
ゼイドは刀を構え、臨戦態勢に入った。
「――トミノ。馬は動かせるか?」
「え?」
「私とマストで奴を迎え撃つ。
いざとなれば、馬と荷台を切って君だけでも先へ向かってくれ。」
ゼイドの提案に富野は息を呑む。
「そんな…もしあいつがゼイドさん達に危害を加えるなら、俺が身体を受け渡します!」
「馬鹿を言うな!そんな事は絶対にさせな――」
瞬間、バキッ!!っという派手な音が馬車の幌を襲う。幌の上部分が壊れ、その破片が辺りへ飛び散ると共に、先程の大男が彼等の前に姿を現した。
富野達の居る辺りはまだ辛うじて崩れてはいないが、積荷は既に踏み潰されていた。
「彼をこちらに渡して下さい。」
男は抑揚の無い声で彼等に向かって言い放った。
「それは出来ない。去れ。」
「それは出来かねます。」
ゼイドは瞬時に相手の左腹部へ向け刀身を抜き放った。然しその相手は己の肘と膝で刀を挟み、受け止めて見せた。ギャリギャリと金属どうしが擦れ合う音が鳴る。
それと同時に人間であれば完全な死角から、矢が彼の後頭部へ向け撃たれた。だが、彼は頭を180°回転させ己の歯で矢の先を捕らえた。
(…!!やはり人間では無いな!)
矢を放ったマスト、人間とは違う感触で己の刃を受け止められているゼイドの2人は、相手が人ならざる「物」であると確信した。
ゼイドは力を込め、相手に掴まれた刀身を解くと、続けて正面から素早い突きを回転した頭部へ向けて繰り出す。だがその刃は敵に突き刺さる前に、鋭い蹴りによって頭より上へ弾かれ、馬車の幌に刺さる事となった。
「ぬぅ…!」
ゼイドの切っ先は鈍くなっていた。
村を魔物から守る為とは言え、還暦にも近い身体を連日動かし続けていた事から、疲労はピークに近かったのだ。そして疲労感だけなら、馬車を動かしながら敵の隙を伺っているマストも同じであった。
(全開状態なら分からないが、今の私では厳しいな。奴を巻き込み荷台と馬を分断するのもままならないか…)
「御二方、こちらは過度に争う意図はございません。また彼を帝国本土へ連れ帰る事も致しません」
「…何だと?」
ゼイドは警戒を解かなかった。他人を滅多に疑わない彼と言えど、この場において猜疑心が宿った。
「なら君の目的は何だ? 死刑囚である彼と、逃亡に協力する我々を捕らえる事じゃないのか?」
「あなた方を試すように我が主から命を受けたのです。
ですが、見るからに調子が優れていない御様子。これでは試した所で意味は無い様だ」
「――君の主とは何者だ?」
ゼイドが訝しんでいると、男の指先から謎の白煙が上がる。
「ッ!!二人とも、口を――」
言い切る間も無く彼等の視界は閉ざされ、意識に靄がかかる。
「短時間ですが、お眠りください」
ピピピッと、電子音が鳴り響く。
『どうだい、見つかったかな?』
「はい、対象を発見致しました」
『良し、それじゃあ丁重に連れてきてくれ給え』
話し相手の上機嫌さが声からも伝わって来る。
「申し訳ございません、モルル様。彼等が思った以上に疲弊していた為、実力を測る事が出来ませんでした。何なりと処分を」
『おや、そうだったかい。
まぁ良いさ、これからどうにでも出来る事だしね』
モルルは大して残念がる様子も無く、通話を続ける。
『……それより今は、彼の顔を早く私に見せてくれ』
「はい。仰せのままに」
ピッ、と通話が切れる。
「…この馬車、思ったより傷んでいましたね」
壊れかけの馬車を見て男が呟いた。
「後で直して差し上げなければ――」
「…ここは?」
富野が目覚めてから初めに目にしたのは、魔物との戦いを終えた時の天井と同じ景色、つまりハーンズの部屋であった。
「おう、起きたかトミノ」
ベッドの近くにある椅子に腰を掛けていたハーンズが、富野に呼び掛けた。
「ハーンズさん!その――」
(何から話せば良いんだ…)
富野は慌てて上半身を起こし、自分達に起きた事を話そうと頭の中を整理していた。
「まぁ落ち着け。取り敢えず今は安全だ。ゼイドとマストも、皆無事だよ。」
少し離れたテーブルでは、ゼイド達が座っていた。危害を加えられた様子は無い。
「それは良かったです…」
「お前に用がある奴らが来てる。色々言いたい事があるらしい。
――後は任せるぜ」
ゼイド達と共にテーブルに着いていたモルルはカップを起き、ゆっくりと富野の方へ向かう。
「…はじめまして、と敢えて言わせて貰おう。
モルルだ。これから宜しく」
初対面であるが、彼女が差し出した手に悪意が無いと感じた富野は、己の手を交わそうとした。その瞬間であった。
モルルは、富野を抱き締めた。
「…!
何を!?」
彼女は言葉を返さず、ただ彼が持つ肌の温かさや感触を布越しから感じ取っていた。
その姿は、まるで恋人どうしの抱擁であった。
程なくしてモルルは手を解き、再びゼイド達の居る所へ戻った。
「いや、すまない。気にしないでくれ。
話をしようじゃないか」
富野本人と、側で見ていたゼイド達は混乱していたが、今は彼女が話す事の方が重要であるため口を挟まなかった。
「おっほん…。私と君の関係はまぁ、いつか話すよ。
それより本題だ。私は君達にある提案をしに来たのさ」
「その提案は我々の身を危険に晒す事になる物か?」
ゼイドは紆余曲折有れど彼女等がこちらにとって害では無い事を理解しながら、真意の分からぬ相手を探るべく疑問を投げた。
「はっきり言って『目的』、つまり彼を救う為ならそうならざるを得ない」
「…どれぐらい危険なんだ?」
「命懸けになる。勿論我々の命も懸けるがね。
人ならざる身体に命は無いが、そこは比喩だと思ってくれ」
辺りが静まり、ゼイドも口を噤んだ。
「フフ、協力しないならそれでも全然構わない。この話は忘れてくれ」
「まだあんたの提案も聞いてないのに忘れろって?」
エリアがモルルに向けて述べた。
「聞いてくれるのかい?」
「人間じゃ無いんだから、勿体ぶらないで」
少しの間を置き、モルルは口を開いた。
「私と、この国を滅亡さないか――?」




