最終話 まあ、悪くない
とある静かな昼下がり。
都心の外れ、路地裏にひっそりと佇む小さなカフェ。
客の姿はなく、壁掛けテレビから流れるニュースの音声と、窓を打つ雨音が静かな店内に響いていた。
俺はソファに腰かけて、ブラックコーヒーを一口啜る。
爽やかな苦味を感じながら、ぼんやりとテレビの画面を見つめた。
『――半年前に発生した、イグニス社CEOドルヴァノ・イグニスによる殺人未遂事件について、続報です』
ちょうど、例の男の話題だった。
映像には、連行されるドルヴァノの姿が一瞬だけ映る。
カメラを見返すその瞳の奥に、怒りの炎が静かに燃え上がっているのを感じた。
『警察当局はすでに身柄を拘束。現在はインターポールを通じ、各国との連携捜査が進められています。また押収された資料の一部から、複数のダンジョン関連事故との関与が疑われており――』
肩がずきりと痛む。
レーザー銃で奴に撃たれた場所だ。
俺やルクシアに対する殺人未遂……そこから始まった捜査は、過去の違法行為へと広がっていった。
違法な金銭の取引や密輸、それに事故として処理されていた不審死の数々。
これまで権力と金で揉み消してきた悪事が、次々と暴かれだしたのだ。
「……ちゃんと、落ちるもんだな」
小さく呟き、コーヒーを飲み干す。
そのとき、ポケットの中でスマートフォンが震えた。
リマインダーの通知だ。
設定していた時刻になったという報せ。
そろそろか……と思ったところで、店の扉が開いた。
ベルの音が小さく鳴る。
店の扉から入ってきたのは、季節外れの分厚いコートに身を包んだ女だった。
つばの広いハットを外すと、縦ロールの金髪が現れる。
サングラスとマスクを外したその顔は見間違えようもない。
「――お待たせしたようですわね」
「いや、時間通りだ」
女――天城ルクシアは、俺の向かいに腰を下ろした。
店内を一瞥し、わずかに目を細める。
「静かでいい場所ですわね……貸し切ったんですの?」
「ここは――」
言いかけて、止めた。
カウンターの奥から、小走りでやってくる足音が聞こえたからだ。
「――あっ、ルクシアさん! いらっしゃいませ!」
明るい声が店内に響いた。
声の主である姫宮は、カウンターを開けて俺たちのテーブルの脇までやって来る。
「あら、貴方のお店でしたの?」
「ただのバイトなんですけど、マスターにお願いして使わせてもらったんです!」
そう言って、姫宮は少しだけ胸を張る。
「今ケーキをお出ししますね! ルクシアさん、お飲み物は何にしますか?」
「紅茶をお願いしますわ。ストレートで」
「はいっ!」
姫宮は軽く頭を下げて、奥へと戻っていった。
俺はそれを見届けると、視線を向かいのルクシアへ戻す。
今回の会は、ルクシアの呼びかけが発端だった。
『少し話したいことがある、どこかで会えないか』。
そのメッセージに俺は快くOKを出したが、互いに顔が売れすぎている。
人目を避けるために、姫宮のバイト先であるこの店を借りたのだ。
少しの沈黙のあと、俺はルクシアに気になっていたことを聞いた。
「そういや、家族はどうなったんだ?」
ルクシアの家族は、ドルヴァノに借金をしたことで彼の監視下にあった。
その借金を帳消しにしてもらう代わりに、ルクシアはイグニス=ギアでタダ働きをしていたのだが……。
「ドルヴァノの逮捕と同時に、あっさりと解放されましたわ。数々の悪事が明るみに出る前に、一つでも多く証拠を消しておきたかったのでしょう」
「そうか……よかったな」
「ええ。それに伴って、私のスポンサー契約も破棄されましたわ。今は私が自分で仕事を選んでおりますの。……大変ですが、悪くありませんわ」
ルクシアはそう言って、優しく微笑んだ。
イグニス=ギアによる縛りが無くなり、彼女は自由に仕事ができるようになったらしい。
どおりで、最近は以前にも増して、あちこちでその顔を見るようになったわけだ。
「――お待たせしました!」
そこへ姫宮が戻ってくる。
トレイで運んだケーキと紅茶を、丁寧にテーブルへ並べた。
「手際がいいじゃないか」
「えへへ……もう働いて一ヶ月になりますから」
姫宮は少し照れたように笑う。
「あら、最近始めたんですのね? 貴方ほどの人気があれば、配信一本でも生活していけるでしょうに」
「そ、そんなこと……なくはないんですが」
一瞬だけ謙遜しようとして、訂正する姫宮。
彼女は配信で俺を映したことがきっかけで世間から注目を浴び、そして『ダンジョンの現実を伝える』という大志のもと、勉強系の動画をいくつかアップしている。
そちらの評判もよく、国内ではそこそこ人気のある配信者だった。
「もともと妹の治療費と家族の生活費のために始めた配信で、それが叶った今……ちょっと目標を見失ってるというか」
「なるほどですわね」
ルクシアは紅茶に口をつけ、嚥下してから息を吐く。
「やりたいことをやり、やりたくないことはやめる。その自由があるというのは、恵まれている証拠ですわ。ゆっくり、時間をかけて考えればいいのですわよ」
姫宮は小さく頷いた。
「……はい。もう少しだけ、探してみます」
そう言って頭を下げ、カウンターへ戻っていく。
その背中を見送ってから、ルクシアがこちらに向き直った。
カップを皿に戻し、陶器の触れ合うかすかな音が響く。
「さて、本題ですわ」
その一言で、空気がわずかに引き締まった。
「いよいよか」
わざわざ呼び出され、世間話だけで終わるはずがない。
短い沈黙のあと、ルクシアは迷いなく口を開いた。
「――私とパーティを組んでほしいんですの」
その言葉の意味を測りかね、俺は一瞬だけ沈黙する。
「……ぱ、パーティ?」
問い返した俺の言葉に、ルクシアは頷きを返す。
「これまで私は、イグニス社に縛られていたこともあって、ずっと一人でやってきましたの。ですが、先日の攻略で理解したのですわ。背を預けられる相手がいることの素晴らしさを」
その真っすぐな瞳に、あの戦いの光景が俺の脳裏をかすめた。
「黒野さん。貴方になら、私の背を預けられますわ」
なるほど。
つまり、ダンジョン攻略や配信活動のパートナーになりましょう、と。
そういう提案らしい。
俺はルクシアから視線を逸らさず、最初から決まっていた答えを口にした。
「ありがたい話だけど、断らせてもらうよ」
「……そう言うと思ってましたわ。ダメ元ってやつですの」
ルクシアは肩をすくめ、あっさりと返事をした。
俺は背もたれに体を預け、視線を天井に向ける。
「夢を見たんだ」
「夢、ですの?」
「昔の知り合いが出てきてさ、俺の人生を歩めって言われたんだよ」
かなり大雑把な物言いになったが、ルクシアはそれを追及しない。
「なるほどですわ」と一言だけ言って、ケーキを口に運んだ。
「長く続けてきたことも、一通り終わったしな。しばらくは休もうと思ってるんだ」
9年間開発を続けてきた、ダンジョン攻略支援用人工知能――アリスは完成した。
少しずつではあるが、市場に出回りつつある。
あとはもう、俺が手を出さなくても回っていく。
そういう段階まで、やっとこさ漕ぎつけた。
「……そうだな。落ち着いたら、また何かやってもいいな」
はっきりとした形はまだない。
ただ、止まったままではいないと、漠然とした思いを抱いている。
「素晴らしい選択ですわね」
ルクシアは目を細め、立ち上がる。
「もう行くのか?」
「今夜の便でフランスですの。魔具の新製品の、共同開発の依頼がありますのよ」
「相変わらず、忙しそうだな」
コートを羽織り、ハットを被って変装を完了するルクシア。
「貴方の席は空けておきますわ。気が向いたら連絡なさいな」
軽く言い残し、そのまま店を出ていった。
扉が閉まる音が店内に響く。
そのとき、ポケットの中でスマートフォンが震えた。
取り出して画面を開く。
『帰りは何時になりそうっすか? 夕飯作っとくっすね!』
愛沢からだ。
ふっと笑い、俺は返信を打つ。
一時間くらいで帰る……と。
送信して画面を閉じる。
カップにわずかに残ったコーヒーを飲み干し、椅子から立ち上がった。
「俺も帰るよ。ありがとな、姫宮」
「いえいえ、黒野さんには感謝してもしきれませんから……! こんなことでよければ、いくらでもですよっ」
変わらない調子の返事に、少しだけ気が緩む。
俺は軽く手を挙げて、店を出た。
外に出ると、雨は既に上がっていた。
湿った空気にアスファルトの匂いが混じっている。
ポケットの中でスマートフォンがもう一度震えた。
取り出して画面を見ると、「ビックリ!」と「投げキッス」のスタンプ。
思わず、わずかに口元が緩む。
画面を閉じて、スマートフォンをポケットに戻した。
顔を上げる。
灰色の雲はまだ残っているが、切れ間からわずかに光が差している。
濡れた路面が、それをきらきらと反射させていた。
――まあ、悪くない。
心の中でそう呟いて、歩き出す。
靴底で水を踏む感触を確かめながら、一歩ずつ。




