後編
駆ける足を緩めないまま、白馬のジェラルドが口を開いた。
「アシュリー様、このまま、私にしがみ付いて顔を伏せていていただけますか?」
「わかったわ。こんな感じでいい?」
手綱を片手に握り変え、ジェラルドの鬣に顔を埋めるように彼の首元に両腕を回した私に、彼は頷いた。
「ええ、完璧です。私が合図するまで、そのまま顔を上げないでいてくださいね。
では、参りましょう」
白馬はさらに速度を上げると、城の門の前に走り込んで行く。
彼が近付くと、何故か高い城壁の門が、ぎぎと軋む音を立てながらゆっくりと開いていった。
(門が向こうから開けられた…?)
私は体勢を低くしてジェラルドにしがみ付いたまま、自分の髪が風に流れる間からちらりと城門に視線を走らせてから、内心で首を傾げた。
もしかすると、この馬は黒魔術師団のお仲間だったのだろうか?
けれど、駆ける白馬の鞍上にいるこの状態では逃げる訳にもいかず、どうしようもない。私はとりあえずジェラルドにしがみ付いたまま、城壁の内側へと入っていった。
***
城壁内の厩は脇目に見ながら通り過ぎ、白馬はそのまま聳える城へと向かって行く。
ここでも、ジェラルドが姿を見せると、駆け込む彼に向かっておもむろに城の門が開かれた。顔を伏せたまま周囲の様子を伺ったけれど、時折見掛ける黒装束の者たちも、特にこちらに攻撃をしてくる様子はない。
大理石の床を叩く硬い蹄の音が、城内の廊下に大きく響く。
やがて彼が入っていったのは、城の中央付近に位置すると思われる大広間だった。
広間に敷かれた厚い絨毯に、ジェラルドの蹄の音が吸い込まれたかと思うと、彼は徐々に速度を落として、そのまま歩みを止めた。
ジェラルドに言われた通り、まだ顔は上げずにそっと辺りを窺うと、ジェラルドの前に1人の男性が立っていた。
その背の向こう側に、大理石の柱に縛り付けられている男性2人の姿が見える。
部屋の壁際には、黒装束の男たちも数人控えているようだ。
私は細心の注意を払って、ジェラルドの正面に立つ男性の顔に、顔を伏せたままゆっくりと視線だけを向けたけれど、その人物が誰かに気付いたとき、あまりの驚きに思わず息を飲んだ。
(この方、第一王子のスコット様…!)
少し吊り上がった金色の瞳に、艶のある栗色の髪、そして冷たく整った顔に満足気な表情を浮かべているこの男性は、ジェラルドがさっき辛辣な言葉を吐いていたこの国の第一王子その人で、恐らく間違いはない。
その肩には、彼と同じ金色の瞳をした、眼光の鋭いハヤブサが乗っている。
「よく戻ったな、ジェラルド。ご苦労だった」
その背後から、慌てたような悲鳴に近い叫び声が聞こえてきた。柱に縛られている男性の1人からだ。彼の藍色の髪と茶色の瞳、そして甘い顔立ちにも見覚えがあった。
「ジェラルド、どうしてだ…!?
どうかリリアナは巻き込まないで欲しいと、あれほど君に頼んだではないか…!」
(あら、あちらは第二王子のライリー様だわ。
そして、私のことをリリアナと間違えている…?)
確かに、私の背格好と腰まで流れる金髪は妹のリリアナとそっくりだ。
顔さえ見えなければ、ジェラルドの背にいる私をリリアナと勘違いしても不思議ではない。
この様子からすると、リリアナを攫おうとした黒幕は、きっと第一王子なのだろう。
そして、第二王子の横で同じく縛られている、こちらに視線を向けるプラチナブロンドの端正な顔立ちの男性は、記憶の限りは私の知らない人だった。
第一王子のスコット様は、ライリー様の言葉を耳にして、ふっと笑いを漏らした。
「ライリー、お前が手を拱いているのが悪いのだ。それほどこの令嬢に想いを寄せているなら、さっさと腰を上げて行動に移していればよいものを。
…お前の母親である今の正妃は、俺から母も、そして父の心も奪っただろう。お前の欲しがるものはすべて、俺が奪ってやる」
「兄上、何度も言っているではないですか。兄上の母君が亡くなられたのは、王家付きの医者でも手の施しようのなかった病のせいで、母上の差し金ではありません。
それに、父上が兄上に眉を顰めるのは、ひとえに兄上の言動が原因でしょう。今後王位を継ぐ者として、もっと民のことも考えないと…」
ライリー様の言葉に、スコット様の顔色が変わる。
「うるさい!この状況でもお前は俺に意見するのか!
お前と、それからそこにいるその男の命運は、俺が握っていることを忘れるな」
うっと口を噤んだライリー様から視線を逸らして、スコット様はつかつかとこちらに近付いてくる。
白馬の首に顔を付けるように伏せていた私の真横まで来ると、スコット様は私の顎をくいと持ち上げた。
スコット様の月のように輝く金色の瞳が、私の瞳をひたと見つめている。
「…」
私はどうしてよいかわからず、ぱっと目を逸らし、そのまま目を伏せた。
その後ろで、ライリー様が小さくあっと声を漏らしたのが聞こえた。きっと、顔を上げた私を見て、私がリリアナではないことにようやく気付いたのだろう。
「ほう、ライリーの言っていた通り、美しい娘だな。だが…」
スコット様は目を伏せたままの私の顔を見ながら、訝しげに首を傾げた。
「…可憐で儚げな、たおやかな花のような娘だと聞いていたが…?
どちらかというと、この鋭く研ぎ澄まされたような雰囲気は、戦の女神アテナか、あるいはアマゾネスといったほうがしっくりと来るような…」
(…き、気にしてるのに…!)
幼い頃はリリアナと似ているとも言われたけれど、成長するにつれ、そして武術が身に着くにつれ、今となってはリリアナとは決定的な何かが違うことは自覚していた。
私の心の中に黒いものが渦巻いたとき、後ろにいるライリー様が青ざめたのが見えた。心の中で呟いているつもりなのだろうけれど、彼の口から焦って溢れ出る言葉が聞こえてきた。
「ああ、兄上。そんなことを言っては。
馬上から、殺気が…!」
スコット様には、ライリー様の言葉は耳に届いていないようだ。
「…まあいい、これもこれで悪くないな。気に入ったぞ」
スコット様は私を馬上から抱き下ろすと、なぜか急に私の足元に跪いて、右手を差し出して来た。
そこには、大きなブルーダイヤモンドの輝く金の指輪が握られている。
状況を掴めず目を瞬く私の左手を取ると、スコット様は優しげな微笑みを浮かべた。
「これは王家に伝わる婚約指輪だ。
一度はめると、婚姻を結ぶまでは抜けない魔法がかけられている。
これを受け取ってくれるか?」
「…えっ?」
これは、いきなりのプロポーズなのだろうか。
まだ会ったばかりだというのに、あまりに軽薄すぎやしないだろうか。
「これを受け取れば君は将来の王妃だ。
…第二王子のライリーと結婚するよりも、ずっといいだろう?
さあ、この指輪を左手の薬指に」
「…」
戸惑い、固まったままの私の前で、スコット様がくくっと小さく笑った。ちらりと見ると、彼の顔には今は黒い笑みが浮かんでいる。
「ああ、指輪を受け取った後のライリーの顔が見物だな。
随分と長いこと、この娘に片想いをしていたようだからな…」
そんな呟きを漏らすスコット様は、ジェラルドに聞いたとおり、あまり性格がよろしくないようだ。
人のものだから欲しい、ということなのだろうか。
これは、明らかに人違いだ。私をリリアナと間違えている。
…とはいえ、今この指輪を受け取ってしまえば、私は王妃になるようだ。
大分性格に難ありの王子様のようだけれど、もう新しい縁談が見込めなさそうな私には、たなぼた的なお話だったりするのだろうか?
条件的には申し分ないものの、優良物件…と言えるのかはかなり怪しい。けれど、今の私には、相手を選べるほどの余裕はない。
彼を支えて、もう少しまともに更生させられる可能性も、あるのだろうか?
しばし逡巡した私だったけれど、スコット様のことをよく知らない上、さすがに、人違いを隠したまま指輪を受け取る訳にはいかないな、と思って口を開きかけた時だった。
「あのう。何か勘違いなさっているようですが、私は…」
最後まで言い終わらないうちに、壁際に張り付くように並んでいた、黒装束の男の1人が慌てたように叫び声を上げた。
「ス、スコット様!
その娘は、お探しの娘とは違います。
そいつは、この前、お探しの娘を夜会で攫おうとした時に強烈な腕を見せた娘で…!」
「…何だって?」
スコット様が驚きに目を瞠った瞬間、ジェラルドがスコット様に駆け寄ったかと思うと、その後脚でぱかんと勢いよくスコット様を蹴り飛ばした。
スコット様の身体は宙を舞うと、そのまま壁に叩き付けられ、ずるずると壁伝いに滑り落ちた。
肩に止まっていたハヤブサは羽ばたき、スコット様の手に握られていた婚約指輪もまた飛んで行ったようで、からりと指輪が床に落ちる軽い金属音が聞こえた。
その時、首を左右に振ったジェラルドの身体から白い靄のようなものが立ち上ったのが見えた。
不思議に思っていると、柱の辺りから声が聞こえてくる。
視線を向けると、第二王子ライリー様の横にいた男性が私に呼びかけていた。
「アシュリー様、そこに私の剣があります。
それで、私たちの縄を解いていただけますか?」
随分と白馬のジェラルドに似た声だなと思いながら、その男性とライリー様が縛られている柱から少し離れた窓際に立て掛けてあった一本の立派な剣を鞘から抜き、すぐに走り寄って彼らの縄を切った。
プラチナブランドのその男性は、私が手渡した剣を構えつつ、柔らかく私に微笑んだ。
「ありがとうございます。
…もう少し、貴女のお力を借りても?」
周囲に目をやると、黒魔術師たちが手に何やら怪しげな光を浮かべながら、こちらに近付いてきている。あれは攻撃魔法だろう。
私はすぐに彼の言葉に頷いた。
「もちろんですわ。…さあ、参りましょうか」
ライリー様も立ち上がったけれど、少しその膝が震えている。
プラチナブロンドの男性は、窓際にあったもう一本の剣を青ざめているライリー様に手渡すと、剣を握り直して黒魔術師たちに向き直った。
いくつかの光の弾がこちらに向かって飛んでくる。
さすがに、丸腰の私には、少し離れた距離からの魔法攻撃は厳しい。
両腕を顔の前で交差させて魔法を防ごうとしていると、プラチナブロンドの男性が私を庇うように、すいと私の前へと進み出て、その剣でいくつもの光を薙ぎ払った。
どうやら彼の剣は特殊なもののようだった。そして、今の剣捌きから見るに、彼はかなりの剣の使い手らしい。
目の前で私を庇ってくれた広い背中に、今まで男性に守られた経験のなかった私は、思わず胸が高鳴るのを感じた。
彼は私を振り返った。
「大丈夫ですか?」
「…ええ、今あなたに助けていただいたお陰で」
「残る魔術師たちの魔法の発動までには、まだ時間がありそうです。
今のうちに、接近戦に持ち込みましょうか」
私は頷くと、小走りになって床に身を屈めてから、一番近くにいた黒い服の男…さっきスコット様に向かって叫んだ男の足元に蹴りを入れた。
彼がぐらついて体勢を崩したところで、彼の顔を覆っていた黒い装束がはらりと落ち、中の男の顔が覗く。
「あなた、スコット様の取り巻きの…!」
慌てた彼が魔法を手から放とうとした直前に、彼の背中に私が拳を叩き込むと、彼はうっと声を漏らして膝から崩れ落ちた。
床に伸びてしまった彼の顔をもう一度見る。
…彼は、多少素行の悪いことで知られる、とある貴族の次男坊だった。
確か、昨日の夜会にも招かれていた筈だ。
(ふうん…)
ある程度の高位貴族には、魔法が使えるものも少なくない。
そして、夜会の人混みに紛れて屋敷の内側からリリアナを狙ったとするなら、あれほど警備が厚かった屋敷内に容易に入り込んだのも頷ける。
…そういえば、あの夜会の時、外部から不審者が侵入したならホール内に飛び散る筈の窓ガラスは、ほとんど室内には飛んでいなかったように思う。
横にいたもう1人の男が、後退りをしながらひっと悲鳴を上げ、両手の上に浮かべた火の玉をこちらに放った。
すぐに高く跳躍した私は、その火の玉を飛び越えて、がら空きになっていた彼の脇腹に蹴りを一撃お見舞いした。
「…」
彼も静かに床へと沈んでいった。
倒れる途中で彼の顔も露わになった。
…目を閉じたままのこの顔も、やはりどこかの舞踏会で見掛けた記憶がある。
私は一つ溜息を吐くと、もう一度広間をぐるりと見渡したのだった。
***
「…アシュリー様、さすがの腕前ですね。
思わず見惚れてしまいましたよ」
爽やかに笑う目の前のプラチナブロンドの男性も、あっという間に黒装束の男たちを一掃してしまっていた。
今は広間内はしんと静まり返っている。
とはいえ、手加減はしていたようだ。倒れている男たちは皆、気を失っているだけのようで、血を流している者は1人もいなかった。
「いえ、あなた様も素晴らしい腕をお持ちとお見受けします。
あの、あなたのお名前を伺っても…?」
「私の名前は、ジェラルドと申します。隣国から参りました」
「ジェラルド様。
えっ…。あの、お馬さんと同じ、名前…?」
「ああ、それはですね」
ジェラルド様はくすりと笑った。白馬とも似た、澄んだ碧眼が楽しそうな色を浮かべている。
「つい先程まで、私は第一王子のスコットの魔法にかけられていたのです。
それで、私の愛馬と、私の意識が入れ替えられていました。
白馬の姿で貴女を迎えに上がった時、その中身の意識は私だったのですよ。
愛馬と入れ替わっても言葉を失わずにいられたのは、不幸中の幸いでした」
「そ、そうだったのですか…」
「友人である第二王子のライリーの元を訪れている時、私の愛馬をスコットが欲しがりましてね。
なかなかの名馬でしょう?当然、私は譲らないと拒んだのですが、そうしたら、私が首を縦に振るまではと、スコットに魔法で愛馬に意識を閉じ込められてしまった。
…思うようにならないとすぐに実力行使に出るとは、一国の王子ともあろう者が、困ったものです」
壁際で動けずにいるスコット様にちらりと視線を向けた彼に、私はおずおずと尋ねた。
人間としての彼の名前には、聞き覚えがある。
「あの、ジェラルド様。もしかして、あなた様は…」
ジェラルド様は、嬉しそうに微笑んで私の顔を見つめた。
「おや、私のことをご存知でしたか。
…ええ。私はジェラルド・ルーデイユ・リゲル、隣国の第二王子です」
「まあ…!」
驚きに目を瞠る私の前に、彼はなぜか上品な仕草で跪くと、私の手を取った。
「アシュリー様。私を助けてくださって、感謝の気持ちに堪えません。
貴女は大変に魅力的な方だ。あなたの美しい身のこなしは、伝え聞いていた以上で感銘を受けました」
「い、いえ。
私こそ、先程のように、男性に守っていただいたのは初めてのことで、とても嬉しく思っておりました」
彼はその美しいサファイアのような深く青い瞳で、私の瞳をじっと見つめた。
「貴女に、一つ伺いたいことがあります。
先程、貴女の家に伺った時、結婚相手を探していると耳にいたしましたが?」
「…っ、お恥ずかしいのですが、その通りです」
小さく俯いた私の手を握る彼の手に、ぎゅっと力がこもった。
「…私は、貴女のお眼鏡に叶うでしょうか」
「……えっ?」
彼の言葉にぽかんとする私に、頬を染めたジェラルド様が続ける。
「私の国では、強さは美徳とされます。
自らの身を守る強さを備えた女性は、とても魅力的だ。
…この国の男性たちは、自分より優れた力を持つ女性を遠巻きにするなんて、実に狭量ですね。
貴女が私の国に来たら、あっという間に縁談が殺到することでしょうが、それは私の望むところではありません。
…急な話で驚かれるかもしれませんが、私の妻になってはいただけませんか?」
「…わ、私がですか?」
「はい。
実は、私がライリーの元を訪れていたのも、自国内では、私が心から妻にと望むような女性が見付からず、この国まで足を伸ばしていたからなのです。
…スコットの魔法に掛けられた時は、困ったことになったものだと思いましたが。それ以上に、この国を訪れた甲斐がありました。
貴女は、私が想い描いていた理想の女性です。
事実、私が愛馬と入れ替わっていた時、背に乗せて嫌な気持ちがしなかったどころか、一緒に駆ける時に心が弾んだのは、アシュリー様たった一人だけでした。
…あとは、スコットを含め、私に跨った者は容赦なく振り落としましたよ。
どうか、私の手を取ってはいただけないでしょうか」
熱のこもった瞳で私を見つめる、凛々しく美しい面立ちのジェラルド様を見て、私も抑えきれず心がときめいた。
はい、と返事をしようと心に決めた、その時だった。
「ち、ちょっと待ってくれ!」
ジェラルド様と私が振り向くと、壁際にいるまま、まだ立ち上がれずにいるスコット様がその声の主だった。
「あ、そうだ、スコット様」
さっき、黒装束の男たちと戦う前に、戦いに巻き込まれないようにと真っ先に拾ったものが私のポケットの中に入っていた。
私はつかつかと彼に歩み寄ると、それをポケットの中から取り出して、彼に手渡した。
先ほど彼から私に誤って差し出された、あのブルーダイヤモンドの指輪だ。
「これ、王家にとって大切なものなのでしょう?お返しいたしますわね。
…もうお気付きかと思いますが、私はライリー様が想いを寄せるリリアナではございません。その姉にございます。
もう二度と、リリアナを狙うような真似はしないでくださいませね」
「いや、その指輪は返さなくていい。むしろ、そのまま受け取ってくれ」
「…はい?」
きょとんと首を傾げた私に、スコット様が真っ赤にその顔を火照らせた。
「君の戦う姿には、痺れたよ。…まるで、身体を電撃が貫いたかのような衝撃を覚えた。
…君には、ジェラルドではなく、是非とも俺の妻になってほしい」
「…」
私は一瞬言葉を失ったけれど、首を横に振って、嗜めるようにスコット様に伝えた。
「人のものを欲しがるというのは、あまり幸せに繋がる道ではございませんよ。
スコット様が真に大切に想う方を、どうぞこれから見付けてくださいませ」
「い、いや、違うんだ」
焦ったようにスコット様は言葉を続けた。
「ジェラルドの言葉を聞いたからではなくて、俺は、君がいいんだ。君に側にいてもらえたら、俺は、きっとこの国の良き王を目指せると思う」
後ろから、一つ大きな溜息が聞こえた。ジェラルド様からだ。
「…スコット。まずは、このような騒ぎを起こした責任を取ることを考えることだな。
君が、多少訳ありの、素行は悪いが魔法の使える貴族の令息を集めて、こんな黒魔術師の一団を組織したのだろう?
これでこんな騒ぎは終わりにすると約束するなら、今回だけは見逃してやる」
「くっ…」
悔しそうにスコット様が俯いている。
まだ動けずに蹲っているスコット様を尻目に、ジェラルド様は私の横に立って私の手を取ると、そっとその甲に優美に口付けた。
そして浮かべた彼の蕩けるような微笑みに、私は鼓動が早くなり、かあっと顔に熱が上るのを感じたのだった。
***
そして、後日。
ジェラルド様と私の縁談はトントン拍子にまとまり、私は隣国へと嫁ぐことになった。結婚を来年に控え、今の私はジェラルド様の婚約者だ。
私の両親もリリアナも、この降って湧いたような縁談をとても喜んでくれた。そして、アルフレッドも、今まで見たことのないような大きな笑顔で私たちを祝福してくれた。
私の家を改めて訪れたジェラルド様が、美しい妹のリリアナを知っても、私だけを見ていてくれたことにも、私は少なくない感動を覚えていた。彼ならば、信じてついていけると思う。
そして、私が、愛馬の姿になっていたジェラルド様に乗って出掛けるとき、リリアナが叫んだ言葉を後で聞いたところ、
「ライリー様はひ弱ですから、お姉様には似つかわしくありませんわ!」
だったらしい。
リリアナに聞いたところ、ライリー様には何度も想いを告げられていたけれど、その度に断っていたという。
その理由が、お姉様の足元にも及ばないほど剣の腕が弱いから、だったと聞いて、私はライリー様に少し同情したものの、リリアナの言葉にも納得してしまった。
…だって、私は見てしまったのだ。ジェラルド様が黒装束の男たちを薙ぎ払う横で、棒立ちになって青白い顔で震えているライリー様を。
いくら人柄がよかったとしても、これではリリアナに認めてもらえる日は遠いだろう。
それでもリリアナを諦めないならと、アルフレッドを彼の剣の師にと紹介したところ、どうも容赦なくしごかれているらしい。
最近、アルフレッドが妙に楽しそうなのは、それが理由のようだ。
スコット様の起こした事件に、国王はかなりの剣幕でご立腹だったという。隣国の王子を巻き込んで、あわや戦争という事態にもなりかねなかったのだから、それもそうだろう。
ジェラルド様の寛容な対応で、スコット様は廃嫡は免れたものの、一定の罰は与えられるらしい。
しかし、彼が申し開きの場で頑なに黙秘を続けているせいで、どのような罰が処されるかは、まだ決まっていないという。
***
私がジェラルド様と隣国に向かう日。
私は、ジェラルド様の愛馬である、あの美しい白馬の上で、ジェラルド様と一緒に鞍に跨っていた。
白馬の駆ける足は速く、頬を撫でていく風が心地よい。
そして、私を支えるようにしながら白馬を操るジェラルド様の体温をすぐ側に感じることが、嬉しくも恥ずかしくもあった。
(…あら?)
どこからか、私を呼ぶ声がしたような気がして首を傾げた。
ひゅっと、私の顔の横を羽ばたく鳥が掠めていった。
金色の瞳をした、一羽のハヤブサだった。
「このハヤブサ、どこかで…?」
そう呟いた私に応えるかのように、ハヤブサがなぜか口を開いた。
「このハヤブサを覚えていたのか、アシュリー。
俺の声が聞こえるか、スコットだ」
「…えっ、スコット様…!?」
「そうだ」
見覚えがあると思ったら、スコット様の肩に乗っていたハヤブサのようだ。彼は少し嬉しそうに、私の頭の上をくるりと一回転した。
「しばらく、俺自身は動けそうにないのでな。俺の魔法で、このハヤブサの身体に俺の意識を入れ替えた。
アシュリー、君がこれを受け取ってくれるまでは、俺は諦めないぞ」
よく見ると、ハヤブサの足には、きらきらと輝くブルーダイヤモンドの指輪が引っ掛けてある。
その様子を見たジェラルド様はふっと笑みを漏らした。
「スコット、君も諦めが悪いな。
私には、愛しい大切なアシュリーを君に渡す気はまったくないよ」
白馬の速度に合わせて羽を広げる金色の瞳のハヤブサを見ながら、私も彼に声を掛けた。
「私は、ジェラルド様とこれからも一緒にいたいのです。
お気持ちはありがたいのですが、ごめんなさい、スコット様。どうか、お元気で」
私の言葉に嬉しそうに顔を綻ばせたジェラルド様の身体に、私は馬上でぎゅっと両腕を回した。
それでも、スコット様にはまだ諦める様子がない。
「アシュリー、よく考えてみろ。
隣国では、慣れないことも多いだろう。知り合いだってほとんどいないはずだ。
自国の王妃のほうが、利点はずっと多いぞ…!」
私が首を横に振ったのを合図にするように、ジェラルド様がハヤブサをちらと見やって、その踵に力を込めると、白馬は一気にその速度を増した。
初めての隣国での暮らしに不安がないと言えば嘘になるけれど、私はきっと、大丈夫。
私にはジェラルド様がついていてくださるし、それに、アルフレッドが教えてくれたように、自ら動いて運命を切り拓くことが、隣国でもきっとできると思うから。
次第に遠くなるスコット様が起こした事件は、決して褒められるものではなかったけれど、それをきっかけに私の未来は変わった。
そんなスコット様を宿したハヤブサの姿に、私は感謝を込めながら、微笑んで大きく手を振ったのだった。
…それでもしぶとく隣国までついてきて、隙あらば私の指に指輪を嵌めようと、ライリー様よりはよほど俊敏な動きで狙ってくるスコット様が、しばらく私たちのところに居ついてしまい、よく喋るハヤブサとして隣国で有名になるのは、また少し先のお話。
たいしたオチのない話になってしまって、すみません…。
最後までお付き合いくださり、嬉しく思います。どうもありがとうございました!