Ωは致命的 一~三
※舞台と登場人物は同じですが、以前の問題とは別の話になります。
※アリバイ表等があるため、押絵表示ありにして下さい。
閑話.
夜の食堂で、アキラは佐伯雄太とウイスキーを飲んでいた。アキラはロックで、佐伯は水割りで飲んでいる。
「じゃあ、アキラさんは、バリバリの理系なんですね」佐伯が言う。
「そうですねえ。研究室に配属されたら、数学系の研究をしようと思ってます」アキラは空のグラスに残った氷を、名残惜しそうに舐めながら答えた。
「数学系かあ。化学式なら、そこそこできるんだけどなぁ」
「まあ、数学ってだけで、ちょっと身構えてしまう人は多いでしょうね。ましてや研究となると、進んでやる人は珍しいんじゃないですか」
「そう? 経済とか文系の人でも、数学的な分析をしてる人だっていると思うけど」
「まあ、そうなんですけどね」と、グラスに酒を注ぎながらアキラが言う。「俺のキャンパスでは、数学を専門にやってる研究室のある棟があるんですけど、『隔離病棟』なんて呼ばれてますよ」
佐伯が声を上げて笑った。
「僕も、コンピューターとか使って数値的解析とかやったことあるけど」佐伯はおかしそうに、右手でグラスをフラスコのようにくるくると回している。「あの手の実験は、もうしたくないものなぁ」
そうだ、と突然佐伯が声を上げた。
「アキラさん。僕が数学のクイズを出しますから、やってみて下さいよ」
「クイズですか?」頭をかきながらアキラは言った。「こんなに酒飲んでて解けるかな」
「簡単な問題ですから」と佐伯。「いきますよ」
A、A、B、C、E、H、Mと佐伯がアルファベットを読み上げた。もう一度繰り返す。A、A、B、C、E、H、M。
「さて、次のアルファベットは何でしょう?」言い終わった後、佐伯は愉快そうにグラスに口を付けた。
「A、A、B、C、E、H、M……ですか」アキラはまず、アルファベットの間隔がどんどん開いていくことに着目した。こうなると、その間隔数を列挙するよりほかは無い。ピンと来た。その数列には心当たりがある。
続いて、アルファベットを数字に置き換えてみることにした。
「フィボナッチ数列、ですね?」アキラはその数列の名を答えた。
「おお、早い」佐伯は少し驚いた様子だった。
「次のアルファベットはU=21になるはずです」
「正解です」佐伯は手を叩いた。「理系の人には簡単すぎました?」
「一般的には分かりませんけど」とアキラが答える。「こういう知恵だけは何故が働くんですよ」
全く無駄な能力だとアキラは思う。この手のなぞなぞは、受験勉強の休憩時間に、数学パズルなどの本を読みながら、よく解いていたものだった。かつては、それが役に立つと信じていたが、今のアキラにとっては何の意味もないものだった。
意味のある謎、意味のない謎。それらを見分ける力が、受験勉強には必要だった。しかし、学問の世界に決して意味のない謎など存在しないとアキラは知っている。知ってはいるが、納得が出来ない。それがアキラが学問の道を挫折した理由でもあった。
かつてヒカリが暗号モノのミステリを頑張って解析していたが、そんなものに何の意味があるのだろうと、アキラは考える。暗号を作った人物には、一体どのような意図があったというのか。
翡翠荘の殺人
第二問・Ωは致命的
一.
この日は日中ずっとハイキングをしており、足が棒のようだった。
早いとこ宿で休みたい。アキラはそう考えていたが、ヒカリの話によると、今日から宿泊するペンションは山中にあり、まだ四十分ほど歩かなければならないということだった。
その事実にアキラは愕然とし、顔をしかめたが、ヒカリの方はいつも通りの笑顔である。
突然、はらはらと雪が揺り始めた。ついさっきまでは冬にしては珍しいくらいのカンカン照りで、雪が降りそうな気配は全くなかったが、山の天気は変わりやすいということだろうか。
アキラとヒカリは山のふもとにある道の駅に駆け込んだ。中は暖房がきいており、その暖かさと、なにより休憩できるスペースがありがたかった。
「それにしても」ヒカリは頭に乗った雪を払いながら言ってきた。「どうしようね。この雪、ちょっと強くなりそうなんだけど」
アキラは窓から外を見た。つい今しがたこの休憩所に入ったときよりも、確かに雪は強くなっているようだった。アキラはまたしても顔をしかめる。
「『ちょっと』どころで済めばいいがな」
自分はどうしてもヒカリに対しては皮肉めいた口調になってしまう。どうでもいいことを考えながら、アキラもヒカリに習い、頭に乗った雪を払う。
「どこかで座りたい」アキラはそう言って食堂の方へと向かった。
へんぴな場所にある道の駅だというのに、食堂は混雑していた。
奥の方のテーブルに、二人分の空いた席を発見した。テーブルを挟んだ奥側の椅子に、眼鏡を掛けた男が一人腰掛けていた。
「すみません」アキラは男に声をかけた。「ここ、いいですか?」
「ああ、もちろん構いませんよ」男は笑顔で答えてきた。
すみません、ともう一度断りを入れ、椅子に腰掛ける。続いてヒカリも隣に座った。
相席した男は、怪我でもしているのだろうか、右腕の袖をまくり、肘を出して湿布を貼り替えているようである。
窓の外を見ると、雪はますます強くなっていくようだった。どうしたものかと思い、アキラは頭をかいた。
「雪、やむかねえ」ヒカリが声をかけてきた。
「こりゃあ、しばらく無理だろう」
「こんな雪で山の中歩くの危険だしなあ」
「まあ、のんびり休んでよう」アキラは頬杖をついた。「俺は疲れたよ」
「体力ないなあ」
「お前が能筋なだけだ」
ヒカリはドジで間抜けだが、体力と好奇心だけは一人前以上だ。アキラはそう思っている。自分も運動は得意な方だが、ヒカリのフィジカルはどうなっているのかと疑うほどだ。今日も散々歩いたはずだが、彼女はまったくの涼しい顔をしている。
「タクシーでも拾って行くしかないかなあ」ヒカリは携帯電話を取り出した。「ちょっと『翡翠』に電話するね」
ペンション『翡翠』。これからアキラとヒカリが宿泊しようという宿である。ヒカリは数カ月前、友人との旅行で翡翠を訪れ、いたく気に入ったようだった。
『もう一回行きたいな』そう言ってアキラを誘い、旅行へ行くことが決定したのが、一週間ほど前。冬休みに入りたてのころだった。
「……ええ、大丈夫なんですけど、到着がちょっと遅くなりそうでして。はい。はい」
ヒカリが先方に連絡している間、三度窓の外をみた。雪はますます強くなり、もはや吹雪いてきていると言っても大げさではない。
「はい、では失礼します」ヒカリが電話を切った。
どうだって? アキラが先方の様子をヒカリに尋ねようとした、その時だ。
「あの」相席の男が話しかけてきた。「『翡翠』って、この先にあるペンションですよね?」
アキラは驚いて正面に座る男を見た。ヒカリも同様のようだった。
道の駅から翡翠までは、車でおよそ三十分ほどである。
「本当にありがとうございます。佐伯さん」何度目になるだろうか。アキラは車の後部座席から、運転する男に礼を言った。
「はは、いいんですよ。そんなにお礼をいわなくても」男は丁寧な口調で返す。
男の名前は、佐伯雄太。医者を目指す大学院生である。アキラ達と相席になった彼は、偶然にも同じ宿泊先、翡翠に向かう最中だったという。彼は車を持っており、アキラとヒカリは彼に翡翠まで同行させてもらうことになったのだ。
車内に入れてもらう前、二人は何度も礼を言ったが、こうして好意的に車で運んでもらっては、何度感謝してもしたりないというものだ。
「翡翠って、すごい良いところなんですよ」ヒカリは車内に流れる曲に合わせて頭を軽く揺らしている。
「へえ、ヒカリさんは行ったことがあるんですね」佐伯は運転をしながら、後部座席のヒカリに答える。
「そうなんです。夏に一回行ってきたんですよ」とヒカリ。「雰囲気良くって、飲み物も安いですし、すっかり気にいっちゃって」
料理もおいしいですしね。ヒカリはそう付け足した。
「あ、そうだアキラ」ヒカリは思い出したように言った。「図書室あるんだけど、『オメガの悲劇』、置いてあったはずだよ」
「お前、好きだな。それ」アキラは淡白に答える。
「面白いから、読んでみなよ。活字恐怖症克服だと思ってさ」
「わかったわかった」アキラは適当に返事をした。
確かに、『オメガの悲劇』は最近映画化され、テレビでもCMをやっている話題作だ。そういえば、アキラの友人も原作を読んだと言っていた。
『活字恐怖症克服だとおもってさ』。活字に対するトラウマを克服する、良い訓練か。アキラは『オメガの悲劇』を読んでみることにした。
その後、不思議と三人は馬が合ったようで、佐伯との会話も盛り上がった。
車は雪の中、山道をどんどんと進んでいく。
アキラ達はペンション翡翠に近づいて行った。
今夜、殺人の起こる、そのペンションに。
二.
時刻は七時ジャストだった。
佐伯はペンションの前に車を停め、アキラとヒカリに先にペンションに入るように促した。アキラとヒカリは最後に佐伯に礼をいい。ペンションへと入っていった。
暖かい空気がアキラ達を包んだ。暖房は十分にきいており、アキラは少し暑いくらいだった。
スリッパへ履き換えた二人は、受付へと進み、ベルを鳴らした。
しばらくすると、このペンションの従業員だろうか、二十代半ばほどの若い女性が駆け足でこちらに来るのが見えた。
「二人で予約していた、日向です」ヒカリが言った。
「はい。こんばんわ。お待ちしておりました」女性が目を細めた。「ヒカリさん、お久しぶりです。またいらして下さって、どうもありがとうございます」
「また、お世話になります」
「こんな大雪が降って、大変だったでしょう」
「いえ、実はこちらのお客さん……佐伯さんと偶然会って、車で運んでもらったんです」ヒカリが笑顔で答えた。
後ろの玄関が開く音がした。アキラが振り返ると、ペンション入ってきた佐伯の姿がった。佐伯はこちらに気が付いたようだった。
「予約していた佐伯ですが」言いながら受付の方に近づいてきた。
「ようこそいらっしゃいました。お待ちしておりました」女性がお辞儀をする。
「私は、このペンションの責任管理を任されております。このペンションでは、私一人ですので、ご用命の際には何なりと申しつけ下さい」そう言って管理人の女性は、アキラ達三人に鍵を渡した。「皆さん、お部屋にご案内しますね」
アキラ達がペンションに着いた頃、既に食事の時間は始まっているとのことだった。
アキラは部屋で上着を脱ぐと、鍵を持って食堂へ向かうことにした。
夕食は山菜の天ぷらを中心とした和食だった。こいつは旨そうだ、と思いながらヒカリを待っていると、先に佐伯がやってきた。
「どうもアキラさん」佐伯が声をかけてきた。
「佐伯さん、よかっらご一緒に」アキラが佐伯を誘う。
「いいんですか? では遠慮なく」佐伯は自分の分の料理をアキラ達のテーブルに運び、アキラの横に腰掛けた。
やがてヒカリがやってくると、アキラ達の正面に腰を掛けた。
管理人が飲み物の注文を取りに来る。
「私、赤のグラスワイン」ヒカリが真っ先に言う。
「俺はビールを」続いてアキラ。
「僕もビールで」最後に佐伯が注文する。
管理人は注文を受け、しばらく待つように伝えてから調理場へと消えていった。
アキラは自分たち以外の宿泊客を見た。
姉妹らしい女性が二人、ヒカリの後ろ側にある席で談笑している。一人はロングヘア、もう一人はショートヘアという髪型だった。
少し離れたテーブルには、短髪で大柄な男が座って、ビールを飲んでいる。食事をしながら、何やらノートに書き込みをしているようだった。
そうこうしているうちに、管理人が酒を運んでくる。お待たせいたしました、とだけ言い、管理人は去っていった。
「じゃあ、頂きましょうか」佐伯が言う。
アキラと佐伯は互いに酌をし合う。三人はグラスを手に持った。
「ハイ。乾杯」ヒカリの掛け声とともに、三人はグラスを軽くぶつけた。
「そういえば、ここ娯楽室あるんだよね」ヒカリが何の脈絡もなく言った。
「娯楽室? 何があるんだ?」アキラが尋ねる。
「ビリヤードとダーツ」ヒカリが答える。「入室に一組百円かかるけど」
「百円でいいのか」
「うん。なんかコインロッカーみたいな感じで、百円入れると扉が開く仕組みになってるみたい」
「変わってますね……それ」佐伯が言った。
「しかし、ビリヤードか」アキラは二杯目のビールを飲みながら言う。「最近全然やってないな」
「僕なんて全然ですよ。ビリヤードなんて一ミリも知りません」そう言って、佐伯は左手で天ぷらに箸を伸ばす。
その手つきが少し不器用なのに、アキラは気が付いた。道の駅で佐伯が右肘に湿布を貼っていたことを思い出す。
「佐伯さん。肘、どうしたんですか?」
「え? ああ、よく気が付きましたね」佐伯が意表を突かれた顔をした。「ちょっとぶつけちゃって。昨日から調子が良くないんです」
「アキラって、変なところで鋭いよね」からかうような笑顔で、ヒカリは言った。
「放っておけ」
ヒカリが出された料理を食べ終え、箸を置いた。恐るべきスピードだと、アキラは思う。
「ああ、おいしかった。ごちそうさま」一気に食べちゃった、とヒカリ。
ヒカリは結構な大食である。そのくせ小柄な体つきで、身長もアキラの胸元までしかない。
そんなことを考えていると、突然後ろから声が聞こえた。
「あの、ちょっといいですか」
アキラは驚いた。先ほど見た宿泊客の女性の一人が声をかけてきたのである。
「プリンを作ったので、皆さんにお配りしてるんです」女性ははにかんだ笑顔で言った。「よかったら、食べてもらえませんか」
アキラやヒカリとそう歳は変わらないだろう。ロングの黒髪、ハッキリとした顔立ちだが、その瞳は優しそうな輝きを見せている。
「いいんですか」ヒカリが顔を輝かせた。「じゃあ遠慮なく」
「マジで遠慮無いな」ヒカリの即答に驚愕し、ツッコミを入れた。
「ありがとうございます。僕も頂きます」佐伯が言った。
女性は照れたように笑いながら、プリンを配っていった。その立ち振る舞いもどこか優雅であり、彼女の育ちの良さが伺えた。
彼女はプリンを配り終えると、お辞儀をして去っていった。
ヒカリがさっそくプリンにありついた。「おいしい」と声を上げる。
アキラも箸を使い、器用にプリンの一部をすくいあげ、口へと運んだ。プリンの甘さと、カラメルの丁度いい香ばしさの香りが口の中に広がる。確かに旨いとアキラは感じた。
プリンを食べ終えたヒカリは、先に席を立った。先程のプリンの女性に礼を言いに行くと言っていた。
アキラと佐伯はそのまま食堂に残り、続けて酒を酌むことにした。
「そういえば、佐伯さんは観たことあるんですか?『オメガの悲劇』」
「ああ、原作読みましたよ。映画のCMとか観てたら気になっちゃって」
「へえ、面白かったですか?」
「そうですね。多分、小説あまり読まない人でも楽しめるんじゃないかな」佐伯が言った。
二人が談笑していたときである。大柄の男が声をかけてきた。「にぎやかですな」先程見た男性客だ。
「すみません、うるさかったですか」アキラは申し訳なさそうに言った。
「いやいや、全くそんなつもりじゃないんです」男は両手を前に出して振った。「お二人はお友達ですか?」
「実は今日、初めて会ったんです」と佐伯が説明する。「道の駅で偶然ね」
「ほほう、そうでしたか」男が人懐っこい笑顔を浮かべた。「実は一人で飲んでてもつまらなくて、私も混ぜてもらっても構いませんか」
「いいですよ」佐伯が言った。
「よければ、ご一緒に」アキラも了承する。
「じゃあ、失礼して。あ、私は時田淳一っていうモンです」言いながら、時田と名乗った男はヒカリが座っていた席に腰掛けた。
三人はグラスをぶつけ、晩酌を交わし始めた。
三.
アキラ達は八時過ぎには解散した。
その後、アキラは例の小説である『オメガの悲劇』を二階の図書室へ探しに行くことにした。
一階の階段付近は吹き抜けになっており、二階に上がったところから一階のリビングが見えるかっこうになっていた。そんな少し洒落た造りになっているこのペンションは、清潔感が保たれており、気持ちが良かった。
図書室に入ると、意外にもそこには時田がいた。時田がこちらに気が付き、話しかけてくる。
「やあ、アキラ君。さっきはどうも」
「いえ、こちらこそ」
「本を読みに来たのかい?」時田はそう尋ねたのち、「まあ、それ以外にここに来る理由は無いですな」と豪快に笑った。
「時田さんも本ですか?」アキラが尋ねる。
「ああ、私はちょいと気になる雑誌があってね」
アキラは先程、時田が雑誌記者であると言っていたことを思い出した。
時田の表情には少し陰りがあり気になったが、アキラは自分の目的を果たすことにした。
図書室は意外と整理されており、小説のスペースには多少前後はしているものの、作者の名前順に本が置いてあった。
見つけた。『オメガの悲劇』である。
「何を読むんです?」時田が尋ねてきた。
「ああ、『オメガの悲劇』って本ですよ」アキラが本を見せながら答えた。「確か死体がオメガの記号のダイイングメッセージを残してて、それがすごい貴重なデータの鍵になってるとかなんとか……」
「ああ、あれでしょ? 映画化したヤツだ」時田が握りこぶしを掌にポンと落とした。
「そうです。俺の連れとか、佐伯さんも読んでるみたいで」
「へえ、そいつは。俺も今度映画観てみようかな」時田が笑顔で言う。
じゃあまた、と時田は言い残し、図書室を出て言った。
時田を見送ったアキラは、もう一度オメガの悲劇の表紙を見た後、自室で読もうと考え、図書室を後にした。
二階から見下ろしたリビングが賑やかである。見下ろすと、ヒカリが先程のプリンの女性とその姉妹らしき女性とトランプをしていた。
アキラが一階に降りると、ヒカリに呼び止められる。
「アキラ、ちょっとおいでよ」
「何だ? 俺は忙しい」
「あ、本を持ってるねアキラ。ちょっと見せて」
仕方なくリビングの方へ行く。プリンの女性と目が合ったので会釈をした。
「アキラ、この人達、高校生なんだって」ヒカリが言う。
「はじめまして」プリンの女性がお辞儀をする。「私、九条優衣といいます」
もう一人のショートカットの娘も挨拶をした。「私は妹の舞衣です」
アキラは改めて姉妹の顔を見て驚いた。二人の娘は、それぞれ清楚、活発と全く違うベクトルの印象を持っている。にもかかわらず、雰囲気がそっくりで瓜二つだからである。
アキラ自身も自己紹介をした。名を名乗り、大学二年生であることを告げた。
「アキラ、その本」ヒカリの視線がアキラの持つ本に注がれる。
「ああ」アキラが答えた。「『オメガの悲劇』だ」
姉妹のショートの方の舞衣が驚いた。「あ、『オメガの悲劇』の原作あったんですか」
「図書室にあったよ」とアキラが答える。
「私映画だけ観て、原作は読んでないんです」今度買って読もう、と舞衣が言った。
「私は全く知らないです。面白いんですか?」姉の優衣が尋ねた。
「面白いよ」と舞衣が言う。「今年の映画じゃ、私アレが一番好きだったもん」
「原作も面白いから、読んでみるといいよ」ヒカリが推薦する。
そんなことよりも、とアキラは思った。
「ヒカリ、お前、風呂の予約した時間もうじゃないのか?」
「ああっ、忘れてたや」ヒカリが立ちあがった。九条姉妹に申し訳なさそうに言う。「私、もう行かないと……」
「キリも良いですし」と優衣。「私たちも二階に戻ろうか」
リビングにいた全員が、解散することになった。
『文字には時折、非常に面白い形状をしているものや、強い結びつきをしているもの同士が存在することに気づいているだろう。すなわち、角度を変えたり、反転させることにより、全く別の記号や数字に姿を変えるものが存在するということに』
アキラは『オメガの悲劇』の文章を、自室で悪戦苦闘しながら読んでいた。どうしても、活字を見ていても集中することができないのだ。いや、集中することをアキラのトラウマが拒んでいるのである。
アキラは目頭を押さえ、時計を見た。時刻は九時三十六分だった。
うんと、背伸びをしていると、扉をノックする音が聞こえた。
「はい」返事をして扉へと移動する。
来訪者は誰かとドアスコープを覗いた。どうやら管理人のようである。
鍵を開け、扉を開くと、管理人が蒼白な顔色でこちらを見ている。
「どうかしたんですか?」アキラは尋ねた。
「それが、お、お客様が包丁で……刺されて亡くなっていたんです」管理人が震える声で答えた。




