第256話:新説「むのきょうち」
ふとその時、俺は友人から昔聞いた話のことを思い出した。
国道256号線を特に宛てもなく南へ向かって走っているときのことだ。
愛車PCX160からほんの僅かに伝わってくるエンジンの振動、純正マフラーからの静かな排気音。ヘルメットに取り付けたブルートゥースのスピーカーからはお気に入りのクラシックロックが流れている。
バイクに乗って走っているときは、余計なことを考えなくてもいいところが魅力だ。
いや、余計なことなど考えられない。考えていられない。
余計な考え事は、事故のもとだ。車でも自転車でも、もちろん徒歩でもそうだが、バイクに乗りながらの考え事は、俺の中では最も危険なことだと思っている。
だから、今の俺は「無の境地」にいる――などと大袈裟なことを言ってみる(笑)
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急激に朝晩の気温が下がった10月。この道沿いに流れる川からの影響もあるのか、スマートフォンに表示された気温より体感は寒く感じる。
だが、何故か暑いよりはましと思ってしまうのは、バイクではどうやっても暑さからの逃げ場がないことからだろう。
それはそれとして、昔、友人から聞いた話だ。
この話は、少なくとも40年は前、いやもっと前だったかもしれない。それほど昔の話だ。
もしかすると、話した本人もそんな話をしたことを覚えていないかも知れない。
小学3年生の俺は、その友人からこんな話を聞いた。
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彼は、柔道の道場に通っていた。毎週月曜…に行っていたと話していたと思う。
その中で、彼は練習の最後に5分間の座禅を組むという話をしたのだが、その時先生にこう言われた。
「心の中を「無」にする。」
こうして「文字」にしてしまえば、何も考えず、心を「から」にして――と、一目でわかる。
だが、当時小学3年生の友人はこれを「言葉」で聞き、こういう解釈をした。
「心の中を「む」にする。」と。そして彼は、心の中で唱えた。5分間、唱え続けた!
「むむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむ(以下略)む!」
……確かに、心の中は「む」が一杯になっているわけで、ある意味心の中を「む」にするという意味は合って…いるのか?
まあまあ、この話を聞いた少年の俺、そして一緒に聞いていた周りの友人たちは過呼吸になるほど大笑いをした――と言う話だ。
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心の中を「無」にする。時々これに似た話を何気ない雑談の中、会話の中で耳にすると今でも思い出して思わず笑いそうになってしまうことがある。
そして今、それを思い出してしまったことでバイクに乗りながら俺は思わず笑いそうになっていた。
いけないな、これでは「無」の境地ではなく「む」の境地じゃないか(笑)
だが、有難い。
そんなことを思い出しながら、こうして走っていられる今という時間に感謝だ。
で、あの友人は今何をしているのだろう。もう30年以上顔を合わせていないと思うが、まあまあそれはそれ。そして俺にはこれはこれという人生がある。お互い、悪い知らせがなければ、それが聞こえてこなければ、伝えるようなことがなければそれでいいじゃあないか。
おっと、バイクに乗っての考え事はよくないな(笑)
俺はふと、考えるのをやめようとしたが……これはよくないな。
思い出したら、頭の中で「む」が踊り始めやがった(汗)
あとがき
ガレージ・ザ・ローカルロードライダーズ:著者の気が向いたら執筆する不定期投稿で連載中――




