~手の届かない花~17
その夜遅く、伊丹屋の裏庭の塀に梯子がかけられた。黒い影が五つ、その梯子をのぼり、庭へと降りる。
あらかじめ調べてあったのか、無駄のない動きで勝手口に回ると、その戸を手慣れた様子で外してしまった。
台所から奥へと足を忍ばせて入り、主の寝室と目星をつけた部屋の障子を勢いよく開ける。
だが、そこに敷かれた布団の上に、人の姿はなかった。
「おかしら!」
隣の部屋から手下の声がする。
「おかしいですぜ、布団の中はからっぽだ」
「こっちもそうだ」
「まさか感づいたのか」
手下たちが片っ端から障子や襖を開けてゆく。だが、誰もいなかった。
「くそ、やばい! ずらかるんだ!」
「金は?」
「この調子じゃ隠されている」
盗人たちが入ってきた台所に向かおうとしたとき、廊下に立ちはだかったものがいた。
「誰だ!」
「貴様が言うのか、黒鼠」
スラリ、と刀を抜いて佐々木研之介は言った。
「今宵は気が楽だな、動けなくさえすれば、息の根を止めなくてもよいのだから」
蔵の中では伊丹屋一家と店のもの二十人、それに太一と夏鈴が息を潜めていた。
「主さま……」
蔵の戸に手を当て夏鈴が不安げに呟いた。
「大丈夫さ、心配すんな。研さんは強いんだぜ」
「ほんと?」
「ああ、○○町の道場や○○町の道場で師範代を負かしたことだってあるんだ」
「でも、相手はほんとの刃物を持ってるし。道場の練習なんかとはわけが違いやせんか」
言っているうちに最悪な想像をしたのか、夏鈴の目に涙が盛り上がってくる。
「主さまが死んでしまったら、わっちはやっぱり吉原に―――」
「そんなことない!」
太一は夏鈴の細い肩を掴んだ。
「研さんは死なないし、そんなことになったらおまえはおいらンちに来い」
「え……」
「油揚げの煮付け、教えてやる。一緒に店で働きゃいい」
「太一……」
夏鈴は太一の着物の袂をぎゅっと握った。
「太一……どうして夏椿の花をとろうとしたんでありんすか……?」
太一はうろたえた顔をした。夏鈴は涙をためた目で、逃がしはしないと言うように太一を見つめている。
太一は夏鈴から視線を外し、ぽつりぽつりと言った。
「……おまえが……誰にも手の届かない花だっていうから……おいらが花をとれたらおまえはひとりぼっちじゃないって思えるかもしれないって……」
「……太一はやっぱりおバカでありんすねえ」
夏鈴がかすれた声で言う。なにを、と太一が夏鈴を見て、はっと息を飲んだ。
夏鈴の目から堪えきれなかった涙がぽろぽろこぼれていたのだ。
「あんな言葉を真に受けて……わっちなんかのために怪我をして……」
「おいらがそうしたかったんだから、いいじゃねえか」
太一はむきになって言い張った。
「太一のおばか」
夏鈴は涙をぬぐった。
「うるせえ」
「おばか……だけど、ありがとう……」




