~手の届かない花~16
五
店の入り口が激しい勢いで叩かれた。すでに休んでいた店のものたちが飛び起きる。使用人部屋の空いている一室に控えていた研之介も、刀を手に入り口へ急いだ。
店先にはすでに与ノ助も来ていて、おろおろした様子で研之介を待っていた。
研之介は与ノ助にうなずくと、刀を腰に差し、店に降りた。
「―――誰か」
刀の束に手をかけて研之介が問うと、
「わっちです、夏鈴です」
戸の向こうから喘ぐ声がした。研之介は驚いてしんばり棒を外した。
「夏鈴? 戻ったのか」
戸を開けると汗まみれの夏鈴が店の中に転がり込んできた。全身で荒い息をしている。
「どうしたのだ」
「く、黒ねず、み」
「なに?」
研之介は振り返ると与ノ助に水を持ってきてくれるように頼んだ。与ノ助はすぐに奥に飛んでいく。
与ノ助の両親も寝間着のまま顔を出した。
研之介は土間に手をついている夏鈴の顔の汗を拭いてやった。
「さあ、夏鈴、落ち着いて話せ」
「―――黒鼠がお店を狙っています」
与ノ助が水を持ってきてくれた。夏鈴はそれをゴクゴク飲む。
「お寺の境内で聞きました、太一も一緒に。今夜黒鼠が伊丹屋を襲うと言ってました。それが最後の仕事で、そのあと江戸を離れると」
夏鈴の言葉にその場にいた大人たちは顔を見合わせた。
「本当か?」
「た、大変だ!」
研之介は与ノ助に向かって言った。
「店のものたちを隠せる場所はあるか?」
「く、蔵があります」
「ではそこへ移動させてくれ。店の金や貴重品も」
「は、はい」
「―――ちょっと待て、与ノ助」
声を上げたのは与ノ助の父、伊丹屋の大旦那彦兵衛だ。与ノ助と違って鶴のようにやせている。長年女性客を相手にしていて備わったのか柔和な顔だが、目に力がある。
「これが子供の嘘、いや、嘘と言わずとも思い違い勘違いだったらどうするのだ」
夏鈴はきっと彦兵衛を見上げた。
「嘘でも勘違いでもありんせん! 一緒に聞いた太一は番屋へ走りました。もうじきお役人も駆けつけます」
「役人が」
そのとき、再び戸が叩かれた。集まっていたものたちがびくっと身をすくませる。
研之介が戸に寄った。
「開けてくれ、おいら、太一ってもんだ」
その声に研之介は急いで戸を開けた。
「太一!」
「研さん、大変だ!」
「黒鼠のことだな? 役人は?」
「それが……」
太一は与ノ助からもらった水を飲むと、悔しそうな顔をした。
「番屋へ行ったんだけど、信じてもらえなくて。追い返されちまった。役人はこねえ」
「なんだと?」
「黒鼠に関する報せはたくさんあって、いちいち相手にしてられねえって言われた」
彦兵衛はうなずいた。
「ほれみろ、お役人だって信じてない。子供の言うことだ、二人して夢でも見たんだろ」
「そうじゃねえ! ほんとにおいらたち聞いたんだ」
太一と夏鈴は研之介を見上げた。
「研さん、ほんとだよ」
「主さま、ほんとに聞いたんでござんす」
研之介は二人の頭にぽんぽんと手を置いた。
「うむ、俺はおまえたちを信じるよ」
与ノ助を振り向く。
「与ノ助、お主もこの子らを信じてやってはもらえぬか」
与ノ助はちらっと父親を見た。父親はむずかしい顔で首を横に振る。
「……あたしは研さんを信じます」
それでも与ノ助は言い切った。
「与ノ助!」
「おとっつぁん、使用人をみんな蔵に集めてください。金子も一緒に」
「しかし、こんな大騒ぎをしてそれこそ鼠の一匹もでなかったら……」
「そしたらよかったよかったって胸を撫で下ろしましょうよ。なに、ほんとに夜盗がきたときの練習をしたと思えばいいんです。ね、おとっつぁん。お願いだから、佐々木さまを、あたしを信じてください」
「しかしな」
その父親のそでを不安気な顔をした女がひっぱった。彦兵衛の妻のおだ。こちらは息子とよく似たふっくらとした品のいい顔をしている。
「あんた、与ノ助がここまで言ってるんです。聞いてやりましょうよ」
彦兵衛は口をとがらせたが、しぶしぶうなずいた。基本的にこの二人は与ノ助に甘いらしい。
「わかった、では店のものを全員蔵に集めよう。しかしほんとに盗人どもがきたとして、役人もこないのに大丈夫なのか」
「それは心配ご無用」
研之介は刀の柄を叩いた。
「この佐々木研之介、夜盗ごときに遅れはとらぬ。必ず店の人間と金子は守ってみせる」




