~手の届かない花~15
「なにやってんだ、さっさと帰るぞ」
「おまえ、なんでここに」
「研さんが心配してるぞ」
夏鈴は膝の上に顔を戻した。
「心配なんてしてない」
「してるさ、おまえのとうちゃんだろ」
「佐々木の主さまは信吾の父さまでありんす。わっちはついでで引き取られただけだもの」
「ついでだっておまえらはもう家族だろ」
「……かぞく?」
「血はつながってなくてもさ、信吾はおまえのこと大好きだし、研さんはおまえを心配してる。そういうの、家族だよ。……研さん、お前を頼むっておいらに頭を下げたんだぜ」
「そんなの……」
夏鈴は膝をぎゅっと抱えた。
「そんなの知らない、聞きたくない」
太一は夏鈴の座っている濡れ縁に近づくと、ひょいと飛び上がって隣に腰を下ろした。
「おまえ、研さんのこと嫌いなのかよ」
「……」
「一緒にいたくないのか?」
夏鈴はかすかに頭を横に振った。
「なら帰ろう」
「わっちの帰るところは廓でありんす」
夏鈴は小さな声で言った。
「きっといつか帰される……」
「研さんはそんなことしねえよ。あの人は子供の俺との約束だって破ったことないんだ。かあちゃんが、研さんはきっといいとこのお武家だって言ってた。そういう人は一度決めたことは必ずやり遂げるって」
「……ほんとでありんすか」
「ほんとさ」
夏鈴は顔をあげ、太一を見つめた。
「わっちを廓へ決して帰さない……?」
「絶対だよ、おいらが保証する」
太一は夏鈴に見つめられ、赤くなった顔を隠すように頬に手を当てた。
「あちいな、蚊もいるし、帰ろうぜ」
太一は濡れ縁から飛び降りると夏鈴に手を差し出した。夏鈴は少しとまどった顔をしたが、おずおずと手を差し伸べた。
太一の手は湿っぽかった。それでも夏鈴はその手をぎゅっと握った。
夏鈴が地面に降りたとき、寺の階段のほうから男たちの話声が近づいてきた。
「ちょっと隠れようぜ」
太一が言って濡れ縁の下に入り込む。
「なぜでありんす?」
「夜中に子供だけでいると怒られるからさ」
夏鈴も太一のあとをついて、膝をついて濡れ縁の下に入った。
「きっとすぐどっか行くよ」
やってきた男たちは二人のようだった。縁の下からは地下足袋をはいた足しか見えなかった。
「お頭はもう日本橋か?」
「そうだ、早いとこ得物を持っていかなきゃどやされるぜ」
そう言いながら二人は濡れ縁にあがる。キイと本堂の扉が開く音がした。そのあとガタンゴトンと重いものを動かしたり引きずったりするような音。
やがて男たちは戻ってきた。
「今晩襲うのは伊丹屋だな」
「ああ、大仕事だ。お頭は伊丹屋を最後に江戸を出ると言ってる」
「俺たちはどうするんだ」
「分け前をもらったらばらばらさ。ほとぼりがさめるまではおとなしくしてろ、世間が黒鼠の名前を忘れるまでな」
縁の下で太一と夏鈴は顔を見合わせた。なにか言いそうになる夏鈴の口を、太一があわててふさぐ。
男たちは話しながら寺から去っていった。
「―――」
完全に声が聞こえなくなってから、太一と夏鈴は縁の下から這い出した。
「あ、あいつら……」
「黒鼠って夜盗でありんす。伊丹屋を襲うって言いなんした」
「そうだ、確かに言ってた」
「伊丹屋にはもう主さまが行っておりやんす」
太一はちょっとの間考えていたようだが、
「夏鈴、おまえすぐに伊丹屋に知らせに走れ。おいら、番屋に行ってくる」
「わっちが?」
「おまえなら伊丹屋に入れてもらえるだろ? 黒鼠が店を狙ってるって教えて店のみんなを逃がすんだ」
「で、でも……」
夏鈴はためらった。研之介の前から逃げ出してきた手前、顔をあわせづらい。
「意地はってる場合じゃねえだろ、研さんが殺されてもいいのかよ」
太一に言われて夏鈴はぶるぶると頭を振った。
「じゃあ行け、走れよ」
太一はとん、と夏鈴の背中を押した。とと……足を踏み出し、夏鈴は太一を振り向いた。
「た、太一も気をつけなんし」
「おう!」
太一は石段を駆け下りていった。夏鈴はしばらくその背を見送っていたが、自分も寺の裏へ駆け出した。




