出陣
琉は対袁氏の兵を挙げる、という決断を下した。
しかしその実行には慎重に慎重を重ねなければならない。
相手は弦の中枢を支配している袁氏である。いきなり挙兵し漫然と兵を玄安へ向けても、到底敵う相手ではない。
必要不可欠なものは、共藍以外の地方を支配する諸侯・貴族たちの協力だ。しかしそれは琉が幼少期からこれまで望み続けて未だに手に入れることができていないものでもある。琉が反袁氏の旗を掲げたとき、ただ「無道の袁氏を除く!」と訴えるだけでどれだけの勢力が集まるだろうか。
――「勝てるかもしれない」と思わせる勢いと、「動かざるを得ない」と思わせるだけの強力な大義名分が必要だ。
それはそう簡単には得られない。
琉はそう思っていた。
しかし、ある男がその二つを満たす可能性を携えて共藍に現れたことで、事態は大きく動き出した。
ぼろぼろの身なりで倒れ込むように共藍の城門へ辿り着いたその男は、休息を勧められたのも拒否し「一刻も早く共藍公への面会を!」と求めた。
「お主は……!」
その男と面会した琉は、驚きの表情を隠せなかった。琉はその男に見覚えがあった。
男の名は、陸子安。
長清公・煌崔の腹心であった男である。
「生きていたのか。これまで何をしていたのか」
煌崔が死んだと朝廷から発表があった後、一部の煌崔の臣下たちは反袁氏の声を上げ袁氏に粛清されていたが、その中に一番の臣下であるはずの陸子安の名はなかった。煌崔が捕らわれた際に抵抗し殺されたものと思われていたのである。
「私はずっと長清公のお傍に仕えておりました」
「なに……。では兄上は生きておられるのか……!」
「はい。長清公は角楽に幽閉されております。私も長清公と共に捕われておりましたが、密かに角楽を脱出し共藍公へ助けを求めに参上した次第でございます」
角楽は弦の地理上の中心に位置する黄央郡に属する小県である。黄央の郡都は主要な街道がいくつか通る比較的大きな都市であるが、角楽は街道からは外れており産業的にも目立ったもののない小さな都市である。
戦略的に重要な地域でもなく、堅牢な城壁を持つわけでもない。要人を幽閉して守るには適しない都市のように思えるが、それが逆に”そこに幽閉しているはずがない”という思い込みによって煌崔の存在を隠すことができていたのであった。
煌崔の生存とそれを報せた陸子安の出現は、琉には天佑に思えた。
煌崔が煌荘暗殺を否定し袁氏の無道を訴えれば、それは大きな大義名分となりうる。袁氏が死亡したと発表している煌崔が生存していたという事実が、袁氏の偽りの支配者であることの証拠にもなる。
何より煌崔の存在自体が、琉一人では不安があった”反袁氏勢力をまとめる求心力”を補強してくれるはずである。
また、煌崔が今は袁氏の子弟が主となっている長清へ戻れば、旧主を慕う民が立ち上がり大きな戦力となることも期待できる。
しかし良いことばかりではない。
「長清公が生きていたとすると、殿下の継承順位は下がることになります」
そう言った戒燕が心配しているのは、袁氏を打倒した後のことである。琉の兄である煌崔が生きている以上、煌登を除いて空位となった皇帝の座には煌崔が就くのが自然な流れである。
しかしその懸念に琉が揺らぐことはなかった。
「民のことが第一だ。無道を行う袁氏を野放しにはしておけない。そのために、まずは兄上をお救いしよう」
最優先に考えるべきは民である。
もはや琉に迷いはない。
琉にとって好都合な来訪者はさらに続いた。
今度の使者は、敵方である袁氏から送られてきた。
「皇帝陛下から共王への勅命にございます」
彭昭元と名乗ったその使者は慇懃に挨拶をしたが、その顔に侮りの色があることを琉が見逃すはずがなかった。それは幼少の頃から最も見慣れた色なのである。
「今、弦国内には不遜にも皇帝陛下に不満を持ち国土を荒らす賊が蔓延っております。そこで陛下は共王にその諸賊の討伐を任せることになさいました」
「諸賊の討伐か……。具体的にはどの賊を討てば良いのか」
賊と言っても様々だ。
食うに困って盗賊として活動する者。朝廷に不満を持って反乱を起こす者。この混乱に乗じて一旗揚げようという者。
共藍の周辺には賊はほとんどいないが、共関のすぐ外には銀洞という大規模な盗賊団がいるし、少し北へ行くと青幟という反乱軍も活動している。
しかし、勅命には明確に標的は定められていなかった。
「諸賊は諸賊です。まあさしあたっては銀洞辺りでしょうか。標的は適宜私が確認し指定致します」
袁氏の意図は明らかである。
諸賊の討伐により国土の安定を図ることは表向きのものに過ぎず、真の狙いは諸賊と争わせることで共藍の力を削ぐことであろう。銀洞と呼ばれる賊を討伐した後も、次々に標的を指定し共藍軍が消耗しきるまで転戦させるつもりなのだ。
琉の下に「共王を皇帝に!」という民の声が集まっていることを、袁氏も当然掴んでいるはずだ。琉はこれまでその声に応じて立ち上がる気配を見せることはなかったが、袁氏としては僅かな懸念材料も残しておきたくはないだろう。
しかし衛舜はこの袁氏の策は愚策であると断じた。
「これは好機です。公然と兵を動かす口実となります。勅をお受けなさいませ」
彭昭元さえなんとかしてしまえば、玄安の袁氏に怪しまれることなく兵を自由に動かせる。諸賊を討ちながら徐々に角楽の近くまで兵を進めることができれば、煌崔救出の成功率は格段に上昇するだろう。
なにより、弦の民を苦しめる賊の存在を野放しにもしておけないのも確かである。
すぐに彭昭元に勅命の拝受を告げる。
これにより、共藍軍は堂々と出兵に向けての準備を進めていくことができた。
春。
琉は久しぶりの軍装に身を包み、共藍の城門をくぐった。
琉が率いるのは、表向きは勅命に従い諸賊を討伐するための軍である。その標的を指定するため、勅命を携えてきた彭昭元も軍中に従っているが、この男は途中どこかで”処理”しなければならないだろう。最終的な目標はあくまでも煌崔が捕われているという角楽なのだ。
僅かな緊張が琉の身を震わせる。
琉が最後に兵を率いたのは、この共藍に来た当初の河賊討伐の兵だった。その前は初陣のときである。初陣は総大将である煌丞の下で部将の一人でしかなく、河賊討伐の兵は千程度の小規模の戦だった。
今回は二万の軍勢を総大将として率いる。
そして敵は弦の中枢を支配する袁氏。
しかし緊張はあれど、不安はなかった。
「いよいよですね、殿下」
幼少期から聞き慣れた声に振り返る。
「頼りにしているぞ、戒燕」
戒燕はその言葉に応え、頼もしげな笑みを浮かべ頷いた。
「二人で、いえ、皆で力を合わせれば、きっと大望は果たせます」
いつか聞いたようなその言葉。
しかし今はその時とは違う。
今は二人だけではない。
初陣のときには頼れる存在は戒燕しかいなかった。
しかし今は志道、衛舜、琅琅、祢祢、清隆、子昂など頼れる臣下が数多く琉に従ってくれている。
「行こう」
進軍の合図を出し、馬首を東へ向ける。
太陽が、目指す先に輝いている。
琉は決意を新たに手綱を握りなおした。




