使者
密かに決起の準備を進める共藍城に、南方からの使者が現れたのは冬の初め頃だった。
「柏木知道と申します。紅麦公の使者でございます」
ついに来たか、という思いがまず先に立った。
琉は紅麦に対して複雑な感情を抱いていた。琉の影武者として捕らえられた清隆を無傷で解放してくれた、という恩はあるが、その意図は全く見えてこない。
信用すべきか、疑うべきか、判断が付きかねているのだ。
しかしこの使者が共藍へ来た目的だけはわかっている。
「例の取引について、ご回答をいただきに参りました」
”例の取引”とは、琉が皇帝に就く手助けをする見返りに、紅麦を外交上対等の存在として扱うこと、というものである。この取引にしても、紅麦が得る見返りは大きいものとは言えない。外交上の扱いを変えたところで、それがそのまま実利に結びつくとは限らないからだ。
「まずは詳細の話を聞かせてもらおうか。私を帝位に押し上げるため、紅麦は何をしてくれると言うのか」
「人、を差し上げましょう」
「人、だと……。兵か。それとも奴隷ということか。いったいどれほどの人数を用意しているのか」
衆南や南方諸国では、多くの奴隷が経済活動を支えているという。しかし弦では奴隷は野蛮なものとして廃止されている。一応は聞いてみたものの、琉は提供されるのが奴隷ならば、この話は断るつもりだった。
「いえ、兵でも奴隷でもございません。紅麦公が殿下のために用意した人数は、一人、でございます。つまり殿下の手足となる”人材”でございます」
「ほう……」
人材。つまりは臣下ということだろう。
「たった一人だと! たった一人で弦皇帝の位を左右しようと言うのか!」
戒燕が不快さを滲ませた声を上げる。
弦は弧と並び大陸東部地域の多くを支配する強国である。その皇帝の位が軽いわけがない。侮られていると感じるのも無理からぬことであった。
しかし戒燕の怒気を浴びながら、柏木知道は眉一つ動かさない。
「紅麦公が提供する人材は、この柏木知道でございます。ご承諾頂ければ、今後は共王の臣下の一人として、力を尽くす所存でございます」
戒燕には見向きもせず、その「人材」が自分であることを躊躇いもなく口にした。自身が弦国の帝位を左右し得る、というにも等しい宣言。その堂々とした様に、琉は興味を引かれた。
「お主が……。なるほど、見たところ武勇を誇る武人には見えんな。お主の武器はなんだ。何を持って私を助けると言うのか」
柏木知道の挙措を見る限り武芸の達人には到底見えない。そうなると衛舜のように智謀によって琉を補佐しようと言うのだろうか。
「私の武器は弁舌でございます。この舌一つで共王殿下の意を通す槍となる所存でございます」
その返答は意外なものであったが、琉は素直に「この槍が欲しい」と思った。
これから対袁氏の兵を挙げることを考えた場合、全ての敵を薙ぎ倒して玄安へ向かうというのは現実的ではない。無意味な抵抗を辞めさせる降伏勧告の使者を使うことは多いだろう。その他にも、旗幟を明白にしない地方の実力者を味方に引き入れたりする場合などにも弁舌の徒が重宝する場面は多いはずだ。
――それを考えて紅麦公はこの男を寄越したのか。
しかし悪印象抱いていた戒燕は納得しない。
「舌一つで、だと。ならば、その槍が鋭いことを示してもらおうか。その舌でこの私を納得させてみろ」
たしかに、実際の槍を買う場合でも全く試さずに買うことはない。いったいどんな”試し斬り”をして見せてくれるか、と琉も期待の面持ちで柏木知道の次の言葉を待った。
「お断りします」
しかし柏木知道の舌が発したのは、拒否の言葉だった。
「私の弁舌は見世物として振るうためのものではございません」
「それではいったいどうやって、その槍が優れたものだと証明するのだ」
「実際の戦場でご覧に入れましょう」
ここでいう”戦場”とは、交渉の場ということであろう。
「そもそも私の交渉の相手は共王でございます。失礼ながら、郭将軍に説くことは私の役目に含まれません」
この言葉で、戒燕の不快の感情が臨界に達した。
怒りの形相で剣に手をかける。
「殿下、この男は信に足りません。今すぐ切り捨てる許可を頂きたい」
「待て、戒燕。落ち着け」
琉は苦笑交じりで制止する。
何故か琉はこの男を既に気に入り始めていた。
「私もお主が弁舌を振るうのを見てみたいと思うのだが、戒燕が相手では不足か」
「共王がどうしても、と仰せになるのでございましたら、郭将軍に説くことも吝かではございません。しかしそれは大した意味を持ちません」
「ふむ……、私が相手ならば不満はないか」
「もちろんでございます。そのために私は参りました」
「しかし私相手に説くのと、戒燕を相手に説くのと、訴えるものが同じであるならば、そこに違いはないのではないか」
琉の言葉に、柏木知道はゆっくりと首を横に振る。
「交渉とは相手を見て行うものでございます。訴えるものが同じであろうとも、相手によって説く内容が異なるのは必定でございます」
柏木知道は視線を戒燕の方へ移す。
「相手が剣を持つ場合、槍を持つ場合、弓を持つ場合、それぞれ戦い方が同じではありえないのと同じことでございます」
戒燕を相手に説く場合は、武に関することを例に用いた方が良い、ということであろう。
「なるほど。では、私を相手にする場合は、どのような例を用いるのだ」
「相手によって説く内容を変じるということは、相手を良く観察しその心情を察する技術が必要となります。その技術を用いて、一つだけ断言できることがございます」
「ほう、なんだ」
「共王は既に納得しておられますゆえ、これ以上言を重ねる必要はない、ということでございます」
ついに琉は吹き出してしまった。
「ははは、確かに私は既にお主を気に入っている。いいだろう。紅麦公との取引は成立だ」
琉が既に結論を定めていたことをも、柏木知道は見抜いていた。それだけで柏木知道の言った”相手の心情を察する技術”が確かなものであることの証明となる。
「お待ちください、殿下」
これまで沈黙を保っていた衛舜が口を挟んだ。
「衛舜も不服があるか」
「いえ、殿下が受け入れることを決断なさったのであれば、そこに異論はありません。しかしいくつか条件を付けて頂きたいのです。よろしいですかな、柏木殿」
「何なりとお申し付けください」
「殿下の臣下となるのであれば、今後貴方が最優先とすべきは紅麦公ではなく共王に対してであること。これだけはこの場で誓約して頂きたい」
「もとよりそのつもりでございます。また、紅麦公からは私の働きが不服であれば見返りの件もなかったことにしても構わない、とも仰せつかっております」
それは通常ならば考えられない条件である。後になって一方的に契約を反故にすることもできるのだ。もちろん琉はそのようなことは考えていないが、ここまで琉を信用し柏木知道を信頼した紅麦公はやはり非凡な人物と言わざるを得ないのではないか。
「良いだろう。期待しているぞ」
「色好い御回答を頂き幸甚の極みでございます」
柏木知道が恭しく頭を下げ、臣下の礼を執る。
その瞬間、柏木知道の眼前に鋭い光を放つ刃が突き立てられた。
清隆である。
「その礼を執るということは、今言ったことはもう反故にはできないよ。もし破ったらこの刀がその首と胴を分かつことになる、ということを承知しておいてもらおうか」
静かに、しかし恐るべき圧力を発して脅迫の言葉を突きつける清隆。
しかし、やはり柏木知道は些かも表情を変えることはなかった。
「確かに、承知しております」
――この男の真の武器は、弁舌ではないな。
琉が見抜いた柏木知道の真の武器。
それは、胆力、であった。
戒燕が激しく怒気を発しても、清隆が静かに刀を突き付け脅しても、柏木知道の感情の色は僅かたりとも揺らぐことはなかった。
弁舌における単純な技術も凡庸ではないだろうが、それを非凡というべき領域に押し上げているのは、この恐るべき豪胆さではないだろうか。
――これほどの男を寄越してくるとは、紅麦公の下にはどれほどの逸材が眠っているのだろうか。
当面は味方でいるであろう南方の新興国が空恐ろしく思えた。
「ところで、お主は弧国の出身か」
琉が気になったのは、柏木知道の名であった。
「弧そのものではありませんが、弧に極めて近い属国の生まれです」
「そうか。ともみち、とは弦ではあまり聞かぬ名だからな」
弦と弧は使う文字も言語も大きな違いはないが、文化風俗においては違いは多々ある。
その一つが姓名である。
弦では一字姓がほとんどであり、二字姓は極めて珍しい。逆に弧では一字姓も珍しくはないがどちらかと言えば二字姓の方が多い。
また、読み方も同じ字でも弦風と弧風で異なることがある。例えば”知道”と書いた場合、弦では”ちどう”、弧では”ともみち”といった具合である。
「私は既に殿下の忠実な臣下でございます。殿下の良いようにお呼びくださいませ」
「そうか、ではお主はこれから”ちどう”と呼ぶことにしよう。良いな、知道」
「承知致しました」
改めて弦風に呼ばれた知道は、恭しく頭を下げた。




