【第11話】
「休日」という概念は、労働や学業といった「平日の拘束」が存在して初めて成立する、極めて相対的な価値基準である。
毎日が日曜日のニートにとって休日は単なる「曜日」でしかないように、学校に友達がおらず、部活にも所属していない僕のような人間にとっての休日は、「学校という名の強制収容所から解放された、持て余すほどの虚無」でしかない。
だが、今週の休日に限って言えば、僕のその見解は致命的なエラーを吐き出していた。
「……ねえ。なんで私は、貴重な土曜日の昼下がりに、霊脈駅前のカフェで落ちこぼれの『基礎魔術回路図』の添削なんていうボランティアをしているのかしら」
向かいの席で、八代ルイが冷ややかな声で呟いた。
彼女の目の前には、一口しか飲まれていない高価な『星幽ブレンド』のコーヒー。そして僕の目の前には、彼女の容赦ない赤ペン(魔力によるホログラム描画)で真っ赤に染め上げられ、もはや原型を留めていないノートの残骸があった。
「それは僕も同じことを思っていたよ、八代さん」
僕は自分の安物の水(ただの浄水)をすすりながら、至極冷静に答えた。
「僕だって、休日はワンルームのベッドの上で、天井の木目を数えながら宇宙の真理について思索に耽るという重要なミッションがあったんだ。それを『小テストで赤点を取ったペナルティ』という大義名分のもとに、休日のカフェという最もリア充(この世界では魔充と呼ぶべきか)の生息密度が高い危険地帯に連行された僕の身にもなってほしい」
「あなたのその、息を吐くように自分の無能を棚に上げる詭弁スキルだけは特待生レベルね」
「褒めてくれて構わないよ」
「褒めてない」
八代ルイは深くため息をつき、電子ペンをテーブルに置いた。
私服姿の彼女を見るのは初めてだったが、いつも制服で武装している時とは違い、少しゆったりとしたオフホワイトのニットを着ているせいで、ひどく年相応の……ただの可愛らしい少女に見えた。
もちろん、口を開けば猛毒が飛び出すので、あくまで「視覚的なバグ」に過ぎないのだが。
「しかし、不思議だね」
「何が?」
「君のような学年首席の超エリートが、わざわざ休日を潰してまで僕のような底辺モブの面倒を見ているという状況だよ。いくら僕が優秀なパシリだとしても、費用対効果が悪すぎる」
僕はふと、本当に純粋な疑問として、口に出してしまった。
「……もしかして、君。休日に遊ぶような友人は居ないのか?」
その瞬間。
本当に、一切の淀みも、感情の起伏も、表情の変化もなく。
八代ルイはコーヒーカップの取っ手に指をかけたまま、すっと僕の目を見て、今日の天気を告げるような、あるいは「お茶が美味しいわね」と世間話をするような、極めてナチュラルで平然とした声で言った。
「ぶっ殺すわよ」
「……ぶっ殺す!?」
僕は思わず、飲んでいた水を吹き出しそうになりながら驚愕した。
聞き間違いではない。彼女は確かに今、「君を物理的かつ生物学的に終わらせる」という明確な意思表示を、コンビニで弁当を温めるくらいのテンションで口にしたのだ。
「ちょっと待ってほしい! 話の飛躍が過ぎないか!? 『休日に遊ぶ友人はいないのか』という、極めて一般的な対人関係のアンケートに対するアンサーが、『お前を殺す』になる論理的帰結を、僕にも理解できるように説明してくれないか!」
「説明も何も、事実を述べたまでだけど。私服のニットの下で『第三種・体内魔力励起』の術式をこっそり起動させるくらいには、殺意の閾値を振り切ったわ」
「実行に移そうとするな! 街中のカフェで血の雨を降らせる気か!」
僕は必死で両手を振り、彼女の無表情な殺気を宥めようと試みた。
「だって、失礼極まりないじゃない。学年首席の、この美少女に向かって、『友達がいないロンリーガール』みたいなレッテルを貼るなんて」
「美少女と自分で言うメンタルは嫌いじゃないが、それならそれで『いるわよ、失礼ね』で済む話だろう。なぜ僕の命を奪う方向へシフトしたんだ」
「……魔術社会における『友人』なんて、政治的派閥の形成や、研究データの共有(搾取)を目的とした、相互利用の隠れ蓑でしかないわ。私は自分の研究を邪魔されたくないの。だから、群れないだけ。孤高なの。友達がいないんじゃなくて、作らないの。わかる? このニュアンスの違い」
「……なるほど。つまり『友達がいない』という事実そのものは肯定しているわけだ」
「ぶっ殺すわよ」
「二回目! 二回目の殺害予告! しかも今度は右手の指先で『火炎球』の術式を編みかけているね! ストップ! ストップだ八代さん!」
僕は半狂乱で叫びながら、彼女の右手を両手で押さえ込んだ。
指先から漏れ出た微かな熱が、僕の手のひらをチリチリと焦がす。
「……チッ。まあいいわ。今日のところはあなたの命は助命してあげる。その代わり」
八代ルイは不満げに舌打ちをして火炎の術式を解くと、空になった自分のコーヒーカップを指差した。
「そこのカウンターで、一番高い『星霊石のタルト』を追加で買ってきなさい。あなたの奢りでね。それが、乙女の繊細なプライドを踏みにじった慰謝料よ」
「……等価交換の法則が、またしても僕の財布を破壊しにきている」
「行くの? 行かないの? 行かないなら、ここがあなたの墓標になるけど」
「行きます。喜んで行かせていただきます」
僕は深くため息をつき、財布を握りしめて席を立った。
休日のカフェという非日常空間においてすら、僕の「理不尽な暴力に屈してパシリをする」という日常は、強固に守られ続けているらしい。
背後から聞こえる「タルトは温めてもらってね」という彼女の能天気な声に、僕は心の中で「孤高の美少女なんてものは、ただの寂しがり屋の同義語だ」という真理を、誰にも聞こえないようにこっそりと書き留めたのであった。




