23
期末テストも終わり、ついに夏休みを迎えた。
「おにぃ、バイト頑張ってね!」
朝から癒やされる笑顔とともに、夏木が手作り弁当を差し出してくれた。
「ありがとう、夏木」
「どういたしまして、おにぃ」
俺はいつものように夏木に見送られ、バイト先へ向かった。
夏休みの後半に入るまでは、ほぼ毎日のようにシフトが入っている。
それだけではない。
学校から出された夏休みの課題も、かなりの量がある。
バイトと課題。
どちらか一方に偏らないよう、しっかり両立しなければならない。
なかなかハードな夏休みになりそうだ。
それでも、朝早くから俺のために弁当まで作ってくれた夏木を見ていると、弱音を吐いてはいられない。
よし、頑張ろう!
そう意気込みながら自転車を漕ぐ。
夏の日差しに照らされること、十分。
ようやくバイト先へ到着した俺は、自転車を駐輪場に停めて店内へ入った。
「おはよう、白金」
「お、おはようございます、店長」
店に入ってすぐ、床にモップをかけている天野店長と出くわした。
いきなり声をかけられたため、少し驚いてしまった。
だが、ちょうどいい。
シフトが始まるまでは、まだ少し時間がある。
店に入る前、従業員用の駐輪場には俺の自転車しかなく、駐車場にも店長のものらしい青いスポーツカーしか停まっていなかった。
だから、先に来ているのは店長だけだと思っていた。
これは、店長にいいところを見せる絶好の機会なのではないか?
ここで頼りになるところを見せれば、店長からの評価も上がる。
信頼されれば、今後も優先してシフトを入れてもらえるかもしれない。
そうなれば、給料も増えるはずだ。
「店長、何か手伝うことはありませんか?」
「ない」
即答だった。
天野店長は俺を見ることなく、黙々とモップを動かしている。
いや、そんなはずはない。
開店前で、しかも今は店長しかいないのだ。
何か一つくらい、俺にもできる仕事があるはずだ。
それに、このままでは俺のアピールチャンスが消えてしまう。
「店長、俺、何でもします! だから何でも言ってください!」
「なら、休憩室で休んでいろ」
「は、はぁ……」
休むことの何がアピールになるのだろうか。
それに、店長が働いているのに、俺だけ休憩室へ行くというのも気が引ける。
俺がその場から動けずにいると、天野店長が小さくため息をついた。
「はぁ……休むのが嫌なら、向こうへ行ってみろ」
店長が、お手洗いのある方を指差す。
すると、ちょうどそのタイミングで、バケツを持った神崎先輩が男子トイレから出てきた。
どうやら、俺たちの会話が聞こえていたらしい。
「悪いな、白金。お前の出番はもうないぞ」
神崎先輩はニヤニヤしながら続ける。
「あっ、まだ隣の女子トイレが残ってるかもしれないぞ。よかったな、白金〜」
「残念。あいにく、こっちも終わったわよ」
そう言いながら女子トイレから出てきた葵先輩が、神崎先輩を冷たい目で見た。
「白金を女子トイレに入れようとしないの」
「冗談だよ、冗談」
「白金」
天野店長に呼ばれ、俺は店長の方を向く。
「見てのとおり、お前のすることは完全になくなった。休憩室で二人と休んでいろ」
「……分かりました」
こうして、俺のアピールチャンスは始まる前に消えてしまった。
それにしても、俺より早く店へ来ている人がいたとは……。
なんだか、少しだけ悔しい。
◇
開店までの時間、俺たちは休憩室で待機することになった。
神崎先輩はスマホをいじり、葵先輩はストローをくわえながら、退屈そうに飲み物を飲んでいる。
ちなみに俺は、夏休みの課題を少しでも進めようとしているところだ。
特に会話もないまま、五分、十分と時間が過ぎていく。
「あっ、そうだ」
突然、何かを思い出したように葵先輩が声を上げた。
「ねぇねぇ、白金君。結局あのあと、どうしたの?」
葵先輩は机に頬杖をつき、面白そうに俺を見る。
「さあさあ、お姉さんに聞かせてみなさ〜い」
おそらく、以前相談した末永さんの件についてだろう。
葵先輩には相談に乗ってもらった。
そのため、俺に黙秘権はない……多分。
俺はシャープペンを机に置き、あのあとどうしたのかを話すことにした。
「結局、末永さんと一日出かける話は断りました」
「え〜、断ったんだぁ。まあ、白金君らしいけど」
葵先輩は少し残念そうに言った。
「ただ、あれだけ頑張ったご褒美は、別の形で返したいと思って……今度、うちで手料理をご馳走することにしました」
「ふ〜ん。女の子を家に呼んで、手料理まで振る舞うんだ」
葵先輩の口元に、楽しそうな笑みが浮かぶ。
「白金君、それって一緒に出かけるより大胆じゃない?」
「どうしてそうなるんですか。ただ料理を食べてもらうだけですよ」
「一日、ひとつ屋根の下で過ごすんでしょ〜?」
「食事をするだけです。そこまで長い時間ではありません」
変な意味も、下心もない。
ただ料理を振る舞って、末永さんに喜んでもらうだけだ。
すると、それまでスマホをいじっていた神崎先輩が勢いよく顔を上げた。
「おい、白金」
「はい?」
「お前、今、女の子を自分の家に呼ぶって言ったか?」
神崎先輩が険しい表情でこちらへ詰め寄ってくる。
「はい。そうですけど……」
「お前はいいよな! 家に呼べるくらい女子に人気があってよ!」
「いや、別に人気があるわけでは……」
たまたま、こういうことになっただけだ。
「俺には、家に来てくれる女子なんて一人もいないのに!」
「それ、胸を張って言うことじゃないでしょ」
葵先輩が呆れたように言う。
「うるさい! 葵には俺の気持ちなんて分からない!」
「分かりたくもないけど」
二人のやり取りを眺めていると、休憩室の扉が開いた。
「お前たち、そろそろ開店だ。準備を始めろ」
天野店長が俺たちを呼びに来たことで、休憩時間は終わった。
◇
「よし、夏休み初日のバイト、頑張るぞ!」
「おう。張り切りすぎてミスするなよ」
一緒に接客を担当する神崎先輩から軽く注意され、俺の夏休み最初の勤務が始まった。
開店直後は客も少なく、店内には比較的ゆっくりとした時間が流れていた。
普段との違いといえば、夏休みに入った学生や、母親と一緒に来店する小学生が多いことくらいだ。
しかし、昼どきが近づくにつれて徐々に客足が増え、店内も忙しくなっていった。
注文を受け、商品を渡し、空いた時間に店内を整える。
昼の混雑が一段落した午後一時過ぎ、俺は一時間の休憩をもらった。
◇
休憩室へ戻った俺は、夏木が作ってくれた弁当を机の上に置いた。
蓋を開けると、彩りよく詰められたおかずが目に入る。
やっぱり、自慢の妹が作ってくれた弁当だけあって美味しそうだ。
いや〜、出来のいい妹を持って本当によかった。
そう思いながら弁当を味わっていると、休憩室の扉が開いた。
入ってきた人物は俺を見つけると、真っすぐこちらへ歩いてくる。
「お疲れさま、白金君。ここ、座ってもいいかな?」
葵先輩が俺の向かいにある席を指差す。
できれば一人で、夏木の弁当をじっくり味わいたい。
だが、向かいの席は空いている。
断る理由はなかった。
「もちろんです。どうぞ」
「ありがとう、白金君」
葵先輩は俺の向かいに座り、自分の弁当を机の上へ広げた。
「いただきます」
そう言って、葵先輩も弁当を食べ始める。
「それ、白金君が作ったの?」
「いえ、妹が作ってくれました」
「へぇ〜、白金君に妹がいるんだ」
葵先輩は興味深そうに俺の弁当を見る。
「朝からお弁当を作ってくれるなんて、白金君、妹ちゃんに愛されてるね〜」
「はい。自慢の妹です」
「ふふっ。即答なんだ」
当然だ。
夏木以上に出来のいい妹など、そう簡単にいるはずがない。
葵先輩は小さく笑ったあと、俺の弁当に入っている卵焼きを指差した。
「ねぇ、白金君。その卵焼き、私のと一つ交換しない?」
「えっ、これですか?」
正直に言えば、夏木が俺のために作ってくれた卵焼きは、誰にも渡したくない。
しかし、交換なら葵先輩の卵焼きも食べられる。
それに、先輩には普段から世話になっている。
少し迷った末、俺は弁当を葵先輩の方へ差し出した。
「……一つだけですよ」
「やった。ありがとう、白金君」
葵先輩は嬉しそうに俺の弁当から卵焼きを取り、そのまま口へ運んだ。
「ん〜、美味しい!」
「本当ですか?」
「うん。甘さもちょうどいいし、すごく美味しいよ」
自分が褒められたわけではない。
それでも、夏木の料理を美味しいと言ってもらえると、まるで自分のことのように嬉しくなる。
「そうですか。よかったです」
「じゃあ、交換だから私のもね」
葵先輩が自分の弁当から卵焼きをつまむ。
そのまま俺の弁当へ入れてくれるのかと思った次の瞬間、卵焼きが俺の口元へ差し出された。
「はい、あーん」
「え?」
突然のことに、俺は反射的に口を開けてしまった。
その瞬間、葵先輩がつまんでいた卵焼きが口の中へ入ってくる。
「どう? 私のも美味しい?」
俺は卵焼きを飲み込み、素直にうなずいた。
「はい、美味しいです。……でも、葵先輩」
「ん?」
「その箸、さっきから先輩が使っていたものですよね?」
葵先輩は手に持っている箸へ視線を落とした。
そして、一瞬だけ動きを止める。
「あ〜、もしかして間接キスって言いたいの?」
「もしかしなくても、そうなりませんか?」
「ふふっ。白金君って、意外とそういうの気にするんだね〜」
葵先輩が楽しそうに笑う。
「可愛いところあるじゃん」
「からかわないでください……」
「はいはい、ごめんね〜」
どうやら、葵先輩はまったく気にしていないらしい。
変に意識してしまった俺の方が、なんだか恥ずかしくなってきた。
「だけど、これくらいで慌ててたら、まだまだお子様だね〜?」
「葵先輩に言われると、なんだか余計に悔しいです」
「ふふっ。だって私は、白金君より人生経験が長いお姉さんですから〜」
葵先輩は余裕そうな笑みを浮かべ、再び弁当を食べ始めた。
しかし、なぜかそのあとしばらく、葵先輩が俺と目を合わせることはなかった。
まあ、気のせいだろう。
こうして、葵先輩との昼休みは過ぎていった。
◇
休憩を終えた俺は、午後の仕事へ戻った。
午前中とは違い、午後は徐々に店内が混み始めた。
特に午後五時から七時頃までは、帰宅途中の学生や会社員が次々と来店し、息をつく暇もないほど忙しかった。
注文を受け、商品を渡し、空いたトレーを片づける。
それを何度も繰り返しているうちに、ようやく勤務終了の時間を迎えた。
帰りの十分は、朝よりもずっと長く感じた。
「ただいま……」
家へ帰り、玄関で靴を脱いだところで、一気に身体の力が抜けた。
その場に座り込み、壁へ背中を預ける。
少しだけ休もう。
そう思って目を閉じたあとの記憶はなかった。
「おにぃ! 大丈夫? しっかりして!」
夏木に肩を揺すられ、俺はゆっくりと目を開けた。
「……夏木?」
「もう、びっくりしたよ。こんなところで寝てるんだもん」
どうやら俺は、十五分ほど眠っていたらしい。
「本当に大丈夫? あまり無茶しちゃ駄目だよ」
夏木が心配そうに俺の顔をのぞき込む。
「大丈夫だよ、夏木。今日は久しぶりの一日勤務だったから、少し疲れただけ」
そうだ。
まだ夏休み初日で、この生活に慣れていないだけだ。
そのうち、バイトと課題を両立する生活にも慣れるはずだ。
その後、夕食と風呂を済ませた俺は、眠気をこらえながら夏休みの課題を進めた。
時計が午前零時を回る少し前。
そろそろ寝ようと思ったとき、机の上に置いていたスマホが光った。
画面を確認すると、末永さんからメッセージが届いていた。
『今度の約束、楽しみにしてるね!』
その短い文章を見て、俺は今度作る料理について考える。
末永さんは、何を作ったら喜んでくれるだろうか。
『俺も楽しみにしてる。苦手な食べ物があったら教えて』
そう返信してから、俺はベッドへ横になった。
バイトと課題。
それから、末永さんとの約束。
どうやら今年の夏休みは、思っていた以上に忙しくなりそうだ。
読んでくれてありがとうございます!
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