1話 導入
「あれ?配達の方ですか?」
彼女はそう言って右手に持っていたジャムの瓶を棚に置き、左腕にかけていた籠を作業台に置く。籠の中には何種類かの瓶と缶詰が入っていた。
彼女はエプロンのポケットから折りたたみ式の板を出し、ペンを手に持った。
「ああ、いえ、違うんです。自分はこの辺りに越してくるライドです」
「あら、ごめんなさい。大きな荷物を持っていらしたから」
何事もなかったように、ポケットへしまった。
「私はロア。ここで雑貨屋をやってます。越してくる…というと、まだ引っ越しは済んでないのですか?」
「ええ、住む場所を探しに来ました」
「この村ですと、空き家は村長が管理しています。もう尋ねられました?」
「いいえ、まだです。これから行きます。それで、村長はどちらに?」
「多分、村長さんの家ですね。いなくても、家の者に聞けば分かると思いますよ。ではお気をつけて」
ロアはにっこりと微笑んで送り出そうとする。その顔は邪心のない、安心できる笑みだ。
「…あの、どこか教えて貰ってもいいですか?」
「あっ、すみません。そうでした」
天然さんなのかな。
「この店から左に曲がって進み、銭湯の前のT字路で右折して進むと右手にいくつか屋敷が見えてきます。屋根に風見鶏とガーゴイルのついた屋敷です。角度次第では生垣で見えないかもしれないので、少し離れて見てください」
「分かりました。ありがとうございます」
「私も店番が無ければ案内できるのですが…」
店の入り口に誰かがやってきた。
「ヴィア、ちょうどいいところに!少し店番をやってくれない?」
ヴィアと呼ばれた少女は店に入り、ロアに近づく。
「いいけど…、どうして?」
「この人、ライドさんを村長さんの家に案内するから。それじゃ頼んだわ」
「ふーん」
ヴィアはこっちを見た後、姉の方に向き直す。
「じゃあ私が案内する。お姉ちゃんは店番を続けていて。いいでしょ?」
「…別に、駄目な理由はないけど」
「決まりね。私はヴィア、よろしくライドさん」
「あ、ああ、こちらこそよろしく」
「お姉ちゃん、行ってくるね」
「…行ってらっしゃい」
ロアは事務的に淡々と送迎の言葉を述べた。
「こっちですよー」
ヴィアの後について歩いて行く。
「ところでライドさん、どうして村長の家に行くんですか?」
「空き家を紹介してもらうためだよ。この辺りに引っ越すので。それに渡すものもある」
「この村がいいですよ。分かりませんけど」
「分からないのに?」
「ライドさんの都合は分からないですけど、私は歓迎です。あなたからは悪い人の感じはしない。だからここがいいですよ」
「そうか、ありがとう。まあ、空き家があればだけど」
2人は敷地に入り、鍵のかかっていない扉を開けて家に入る。扉の前にはプレートがあり、在室の所にカーソルがあった。ヴィアがノックをすると、返事が返って来る。
「雑貨屋のヴィアです。お客さんを連れてきました。ドーダイさん、今、いいですか?」
「大丈夫だ、入って」
「失礼しまーす」
「失礼します」
扉を開けて部屋に入る。部屋の手前にはテーブルとソファ、その奥に作業机と椅子、後ろに窓があり、左右に本棚が並んでいる。ドーダイは机の横を通ってこちらへ歩いて来た。
「私が村長のドーダイです」
「こんにちは、ライドです。マリス島から私の師匠ルアハの使いで来ました。これが手紙です」
「おお!先生から!」
ライドはドーダイに手紙を渡した。
「読みますので、そこにかけてお待ちください」
ドーダイはソファに座り、対面を手の平で指し示す。そこに座った。
「じゃあ私はこれで。ライドさん、またね」
「ああ、またね」
「ヴィアちゃん、気を付けてお帰り」
ヴィアは扉を閉めて出て行った。2人きりで話しやすいように察して出て行ったのだろう。
「先生は元気ですか?」
ドーダイは読みつつ尋ねる。
「はい。しかし、住む場所が人体に酷なのです」
「ふむ」
「そこにも書いてありますが、あの島は近年、夏の酷暑と台風の増加で、人の住むのに適した場所とは言い難くなっています。ただ、夏以外は過ごしやすいのです。そこで、我が師は夏の間に移住する場所を探されています。弟子の私がその候補地であるこのメーティラピア村に様子見に来たわけです。私の他に2人の弟子が別の場所を調べています」
「それで、移住となると大勢ですね。何人ですか?」
「10人前後でしょうか。冬でも留守番のために常時3,4人は残ります。同様に3,4人は島に残って留守番の予定です」
「10人くらいであれば受け入れは可能です。しかし小さな村ですから一度に来られると住民を怖がらせてしまうかもしれません。まあ、ここにあるように、ここが選ばれるかはまだ未定ですが」
「はい、私が様子を調べてからになります。そこで、お願いがあるのですが、私をこの村に住まわせて下さい」
「…先生の弟子であれば大丈夫でしょう。空き家を案内しますね、こちらへ」
ドーダイは立ち上がって歩き始める。ライドは後ろについて行く。
「ライドさん、家具はありますか?」
「いえ、徐々に買って揃えて行こうと。毛布と簡単な調理器具はあります」
「そうですか。家具は私の家に予備は無いので…」
「いえお構いなく。自分で探します」
「分かりました。あ、サウィン!」
ドーダイは2冊の本を胸に抱えて運ぶ若い娘を呼ぶ。
「何?お父さん?」
「父さんはこれからライドさん、新しい住民だ、を空き家に案内してくる」
「はーい」
「ライドさん、娘のサウィンです。村の経営を手伝ってもらってます」
サウィンは本を台に置いて手を前で組む。
「初めまして。私はサウィン、よろしく」
「ライドです。こちらこそよろしく」
「見たところ、同年代でしょ?なら敬語は無しでどう?」
「君がいいなら、そうしよう」
「ライドはどこから来たの?」
「マリス島という南東の方から」
「島!海が見える?」
「えっ?ああ、海に囲まれた小さな島だよ」
「ナマコとかイカとかウニとかいる?食べる?」
目を輝かせてぐいぐいと近づいて来る。近づいた頭、揺れる髪から甘い匂いが漂ってくる。
「うん、どうしてそんなことを?」
「ここは山の間にある高原でしょう?聞いたことはあっても見たことはないから気になって。加工品も極まれに店頭に並ぶけど、とんでもなく高いのよね。向こうではどうやって料理するの?」
ドーダイがサウィンの顔の前に開いた手を出す。彼女はキョトンと手から視線を走らせて父親の顔を見る。
「サウィン、終わりそうにないから話は後にしよう。先にライドさんを家に案内しないと」
「そうね、ごめんなさい。ではまたの機会に」
サウィンはこちらににっこりと笑って上品に手を振って見送った。
「すみませんね。あの子は興味を持つととことん追求しますから」
「いいことじゃないですか」
「ライドさんが気にしないならそれでいいですが…」
村の中、踏み固められた道を歩く。道は草が禿げて砥粉色の地面が顔を出している。道の外には草が散るように生え、色とりどりの小さな花が咲いている。
家によって異なるレンガや石が敷き詰められており、入口にポストがある。家のすぐそばには畑があり、何か育てているようだ。注視しているとドーダイが気づいて話始める。
「ここでは大体一家に一つの畑があります。作っているのは自分たちが食べる用ですね。でもそれだけだと栄養が偏りますから、買ってきたものも食べます。売るために作っている大きな農場を持っている人もいますよ」
「そうなんですか。ひと段落着いたら何か作ってみようかな」
「作ったら倉庫の他、利用料を払えば洞窟に保管できます。地下室を作れば、地下室もできますね。猫に倉庫番させる家が結構ありますね、変わったところでは蛇があります。あ、着きました」
石造りの家が目の前に見えた。庭や畑には草が伸びている。
ドーダイが鍵を刺そうとドアノブを掴むと、ドアが開いた。
「あれ?鍵が壊れたかな?」
家に入ると、誰かの気配がする。
「誰ですか?ここは許可なく入ることは禁止ですよ」
部屋の壁に男がもたれ、帽子を被って休んでいる。男は帽子を取って起き上がった。左右で目の色が異なり、金色と褐色の目を持っている。
「そういうあんたは誰だ?」
「私は村長です。空き家に勝手に入られては困ります」
「村長…」
男はそうポツリと呟き、無表情でドーダイをじっと見て、周囲を見渡す。
「まだ40代…50行かないくらいだろ?本当に村長なのか?」
「本当に村長です。60代前後がいないから私がやっているのです」
「なるほど…。それじゃあ出ていくよ」
男は出入口へと歩いていく。
扉の前で足を止めた。突然ピタリと、流れる雲も、そよぐ草木もなく、風景が止まったかのように。
「どうしました?忘れ物でも?」
「忘れ物…か、そうだ。まだ貰ってない」
「何を…」
男は魔導書を開く。宙に炎が現れ、中から人の体に牛頭の怪物が出現した。大きな斧を手に持ち、刃先がギラリと鈍い反射光を出している。
「こいつを読みな」
怪物の前に巻物が出現し、何か呪文を読み上げたと思うと、冷気が噴き出し、部屋の隅にあった像を凍り付かせる。巻物は時間が経って消えていった。
「さあ、ああなりたくなければ金を出しな。命よりは安いもんだろ?」
「この村には大した金はなありません盗ったところで…」
「あるだろう?知ってるぜ、ある投資家が用意した金があることを。この山にしかいない菌類を集め培養し、薬や食いもん、酒にする…。その資金を貰っているんだろう?」
「どうしてそれを…?」
「あるんだな!?じゃあとっとと出しな。へへっ、食堂で聞いちまった。迂闊だな、あのおっさん。あんなことを外で喋っては駄目だぜ」
「やめるんだこんなこと」
男はヒュウと息を吹く。ニヤけた顔から表情が消え、気の毒そうな顔を向ける。
「脅迫の方が楽だが、強盗にしたっていいんだぜ?」
「やめろ!」
男は声のした方、ドーダイの後ろから前へ出てくるライドに目をやる。
「俺に命令する気か?やれ、ミノタウロス」
怪物は斧を振り被り、村長に向けて勢いをつけて振り下ろす。
その瞬間、地面から氷の壁が出現して刃を受け止める。斧が凍り出し、ミノタウロスは後ろに下がった。氷壁の傷には氷が埋め合わせて戻っていく。
「アイスウォール…お前も召喚士か。まさかこんなタイミングで出会わすとは運命の悪戯か」
ライドの魔導書が開いており、複数のページに栞が差し込まれていた。
「その力は、こういうことに使うものではない」
「ケチケチするなよ。難しく考えることはない、与えられた機会は上手く使うものだ」
「目先の利益だけを見て、もっと大きな機会を逃している」
「ほう?面白いことを言うな」
「信用を得られれば、もっと大きな機会が回って来るんだ。それをフイにするような真似をするのは愚かな選択だ」
「回ってきたところでできるのか?強盗程度はできるがよお、大それたことができるほどの力じゃない。分かるか?」
「分からないな。わざわざ堕ちていく意味が」
「違うな、難しく考えすぎだ。堕ちているなんて思い込みだ。コルクを抜くのに素手ではなくコルク抜きを使うのを手抜きだ、堕ちたと言うか?言わないだろう?同じことだ。堕ちてもいないし手抜きでもない。上手い使い方なのだ」
「違う。話にならない」
「ああ、そう。やれミノタウロス、削り落とせ」
ミノタウロスはアイスウォールに斧で斬りかかる。
「呪法・強化錬成」
アイスウォールの冷気が増した。受けた斧の斬り傷はすぐに再生し、ミノは近づいた影響で凍傷を負い、後ろへ下がる。
「アイスウォールに強化の呪いをかけた。その攻撃力では、こっちの再生力を上回れず、攻撃で近寄る度にダメージを負うぞ。もう突破は無理だ。魔導書を置いて降伏しろ」
「この程度で?冗談はきついぜ兄ちゃん。召喚士なら召喚以外にも魔術や呪法を使えるもの。この程度想定内だ。ミノタウロス、こいつを使え!」
男は大型の剣を呼び出し、牛頭人はそれに持ち替える。そして振りかかり、氷壁を一撃で粉砕した。氷壁の残骸は光を放って消えていった。剣も顕現時間が終わり、消えていった。
「これでお前たちは守るものは無くなった。降伏しろだあ?大層なことを言ってもこんなものか、がっかりさせるなよ」
「ああ…、もう駄目だ…、殺される…」
「フフフ…」
男の顔から笑みが消え、鋭い眼光でライドを見る。
「…お前、何がおかしい?」
「壁相手に随分と手間取ってくれた」
「……」
宙に雷を纏った旋風が出現し、中から亀の姿をし雲が姿を表す。
「次の相手か、いいだろう。叩き潰せミノタウロス」
「呪法・毒咬帰寂」
蛇の噛み跡がミノタウロスに浮かぶ。
「これは…!」
「行け、タートルクラウド」
タートルクラウドは身を潜めてミノタウロスに向かって体当たりで飛んでいく。
「防御だ、これを使え!」
鉄の鎧が出現し、ミノタウロスを覆う。タートルクラウドは斧による反撃を受けて雲の一部が散る。それでも攻撃を続行するが、体当たりは鎧に阻まれ、ダメージが深部まで届かない。
「残念、耐えきった。勝負はまだこれから…」
「いや、終わりだ」
「何…!?」
ミノタウロスは血を吐いて倒れ、光を放って消えていった。
「安静にしていればこの毒は中々回らないが、戦闘で体を動かせば毒はすぐに回る」
「手負いだったから、どうやっても毒でやられてた訳か…。だがまだ次の…」
「まだやるつもりなら…」
旋風や炎が複数出現し、中から怪鳥や妖精、幽霊や剣士たちが姿を表す。男は背後を見るが、完全に囲まれている。
「チッ…この残り魔力と装備じゃ無理か…。かくなる上は…」
男は魔導書を閉じ、逆さに持ってライドへと向ける。ライドはモンスターたちを制して男に近づく。
「かかったな!魔術・帰還術!もうこんなところ来ねえよ!」
「待て!」
男は光に包まれて散り、どこかへと消えていった。
「大丈夫ですかライドさん?」
「ええ。しかし逃がしてしまった。油断がありました。プレッシャーをかけるより、魔力が尽きるまで誘うべきだったか…」
ライドが魔導書を閉じ、表紙に手を掲げるとモンスターたちは靄となって姿を消していった。腰のホルダーに魔導書をしまう。
「追い払えただけで十分ですよ。助かりました、ありがとうございます」
「……。力になれて光栄です。しかし次は失敗しない」
「…思いつめ過ぎないようにほどほどにですよ」
部屋の隅にある石像には溶けた水滴がついていた。女性の姿をした精霊の像だ。
「またここにありますね。どうして…」
「また?」
「以前捨てたはずなのにこの部屋に戻ってきています」
「へえ、不思議なこともあるんですね」
ドーダイが呆れた目でこっちを見る。
「アクシデントはありましたが、次の家を見に行きましょう」
「いや、ここにします。綺麗でいい所ですから」
「いいんですか?他を見なくても」
「はい。決めました、ここにします。さっきのも何かの天啓でしょう」
「そうですか、ではこの住所で記録しておきます。鍵はすぐに新しいものに変えますね」
「お願いします」
「これでこの家はあなたのものです。好きに使ってください。では私は鍵屋を呼んできます」
ドーダイは扉を閉めて出て行った。石造りの中、窓から光が差し込み、白い板、白い天井と反射して部屋が明るい。寂れた暖炉と謎の像以外何もないただっ広い木の床。何を用意してどう配置するか。
ここが俺の新しい家、俺の安息地、俺がこれから描く世界。楽しみだ、これからの生活。
…まずあの姉妹に報告に行こう。案内の礼も言わなければ。
適切なキーワードに悩む。何度やっても慣れないものです。