凶器です
※騎士団長はヒロインではありません。
※騎士団長は乙女ではありません。
しみじみと。
そう、あたかも床にこぼれて高級なカーペットをお釈迦にしてしまった葡萄ジュースのように染みわたるお声で罵られたんだけど、騎士団長はここで泣きわめいて走り去るべきだろうか、それともさめざめと顔を覆って泣き崩れるべきだろうか。
いや、落ち着こう。
とりあえずまだ部屋がゆがんでいるので扉が開かないという事情から逃亡は不可能であるし、さめざめと泣き崩れたらそれこそ『阿呆か』と一刀両断されるに違いない。
よってこれらは未来の見えすぎる下策である。
ので。
「『阿呆』の採決が下った理由的なものをお伺いできないだろうか」
真顔でじいっと返してみた。
すると。
「あんた、俺たちが最初からヤシロと知り合いだったことや、最初からあんたらが何をしたいのか知っていたのに言わなかったから泣いていたのか」
さようでございますけれども何か。
質問に質問で返さないでいただけないだろうか。
そして真顔な騎士団長を駄目なものを見る目で見降ろさないでいただけないだろうか。
まあ、改めて言葉に、しかも本人からされると大の大人がそれくらいのことで、と言われそうではある。それはわかる。自分でも軟弱な、と思わなくもないし、だからこその黒歴史である。
――が、事実それをしてしまったのは仕方がないことだったとも思うのだ。
なぜならばそれは当の元凶たちが凡人であった場合の理屈であるからだ。
彼らは、凡人ではない。
自由人だ。
紛うことなき、自由を追求し常識を『そんなもの』に成り下がらせ、己の行動原理に何の疑問も持っておらず基本的に他者をかえりみることをしない、そしてそれを許されうるだけのふざけた実力を持つ、自由人なのである。
あとは推して知るべし。
騎士団長はいい加減、疲れていたのだ。
だのにそれがまさかの必要のない労力であったかもしれないという事実を唐突に突きつけられて心に衝撃が訪れないのは独自の世界を生きている自由人の同類という名の鋼の精神を持つものだけであるだろうと騎士団長は愚考する。
ていうか、騎士団長が泣いている原因までご存知とはやはりミコトは地獄耳である。
そして聞いていたならばなぜ今の今まで涼しい顔で無視を決め込んでおられたのだろうか、清々しいまでの厚顔無恥である。
その清々しさが気に入ったとかほざくヤシロのような歪んだ性癖は持ち合わせていない騎士団長は胡乱な瞳で見つめ返した。
――が。
が、だ。
ぴしりと硬直する事態が、騎士団長を襲う。
そう、それはするり、と。
不意に、ミコトの白く美しい指の背が、騎士団長の頬をなでたことから。
わずかに残っていた涙の痕を、拭うように。
優しい手つき。
そして彼は言ったのだ。
「……阿呆」
それは慈愛に満ちているような。
きしり、固まった騎士団長の頬をそのまま指が移動して、つい、と顎を上向けられた。
いったい何が起こっているのだろう。
なお、ここで言っておくならば先ほど部屋ごと歪んだ衝撃で騎士団長たちは全員床にしゃがんだ状態であり、ミコトは立ったまままだ。
よって美しい御尊顔に上から覗きこまれるという事態が発生している次第である。
それはわかる、それはわかるのだけれども。
その深い色合いの瞳には、騎士団長の茫然とした顔が映りこんでいる。
「……一度で覚えろ。前にも言っただろうが、あの頃、そんな話をする仲だったか?」
まったく、とため息を吐くそれさえも麗しく、
「今とあの頃は、違うだろう」
自覚をしろ、と目を細めた。
騎士団長は、動けない。
むしろだれも、動けない。
――けれど、
「それに、」
近く、近く、密やかに、
「俺は、この道中、それなりに愉快だったが……それは駄目なのか」
ふと、微笑む、それに。
「……だめ、じゃない、ですぅ……」
息も絶え絶えに、答えるまでが限界だったのは、仕方がない。