空気を読みましょう
前回「週末」と言いながらこんなにも間をあけてしまってすみません!
「うるせえ」
たった一言、しかし凛とした声は室内によく透った。
支配者の降臨に、部屋の中の、空気が止まった。
騎士団長たちの逃亡も止まった。
心なしか崩壊寸前の天井の悲鳴も止まった。
そう、ついに動き出したのだ、この場における支配者が。
それは現在進行形で苦しんでいる魔王ではもちろんない。
黒髪の麗人・ミコトである。
あまりの騒ぎについに動き出した彼。先ほどまで周囲を完全に無視、助けを求めてるヤシロも泣き崩れている騎士団長も見事になかったことにしていた彼。世界が隔絶されているかの如くわれ関せずを貫き、スラギ・アマネと共にティータイムと洒落こんでいた彼。
何故だろう、先ほどまでの彼の無反応ぶりを反芻すればするほどに割と慣れ親しんだ暴力衝動がわいてきたが黙殺した騎士団長たちである。
しかし自分たちも在中する部屋の崩壊という危機的状況にあってようやく世界は繋がった。
出来ればもう少し早く連結してほしかったと願うのは傲慢なのであろう、かの麗人は自由人の中の自由人である、仕方がない。
仕方がないと思っていなければやっていられない。
だがしかし、ついに動き出した支配者、先ほどまでその支配者たちの過去の暴言・暴挙の記憶に傷ついていた騎士団長であるが今は周囲と心を一つに思っていた。
よっしゃ殺ってしまえ、と。
……いやちがった、やってしまえ、と。
ともかく。
「来い、」
麗しの自由人は静まり返った室内の注目をものともせずに、ヤシロの頭上――すなわち絶賛巨大化中の黄龍・イマに手を差し出したのである。
白く美しい手を、優雅に、つい、と。
――すると、何ということでしょう。
シュルリン、と大層可愛らしい音を立て、イマさんはその身を荘厳で神々しく巨大な龍から手のひらサイズのタツノオトシゴにしてしまったではありませんか!
そしてぽよん、愛らしく跳ねて、ちょこん、ミコトの手の上におさまってしまったのです。
その姿は、なんとも、そう、なんとも……
「まあ、これは……」
騎士団長の隣では王女が小声を漏らした。
「ええ、これは……」
騎士団長もぽかんとしつつ、つい呟く。
だがしかしいたしかたないであろう。
目の前の光景を前にして、感想をいだかずにおれるだろうか、いやおれない。
小さな小さなタツノオトシゴ。
鮮やかに黄色い体はふわんとした光を放っているかのようで。
ミコトの手のひらに収まり小さな体に大きな瞳できゅうんとご主人様を見上げるその姿に湧き上がる、この感情は……。
憐憫だった。
先ほどまで騎士団長たちまで巻き込んでヤシロを苦しめていた黄龍であるとわかってはいる。
だがしかし、滲み出る不幸の空気。
あんなに可愛らしいのに、あんなに小さな体なのに、むしろ今は人型を取ってはいないのに。
なぜあんなにも、人生に疲れ切ったおっさんの空気をまき散らしているのであろうか。
それはそう、ビールを片手に公園のベンチで項垂れているかのような、足きりでリストラにあったもののそれを妻子に言うことができずにずるずるとしているうちに給料日に事実を暴かれ激怒した妻に見捨てられ、家賃も払えず明日からはホームレスとなってしまうのであろうかという不安にさいなまれている……そんな、おっさんの空気だ。
そっと肩に手を置いて、いいことあるさと無責任な言葉をかけることすらもはばかられる。
そんな、空気なのだ。
やめて。
ホントやめて。
先ほどまでの神々しさは何処のどぶに棄て去ったのであろうか。浚ってきてあげるから教えてほしい。
が。
「お前らがヤシロに構ってほしいのはわかるが、そういうのは外でやれと言っただろうが。鬱陶しい。ヒキガエルにしてグリフォンの巣にぶち込むぞ」
……うんごめん、もう一回言って。