3話
「ごめーん。この人、よくよく話を聞いたら、私が良く行くケーキ屋さんの店長の友達だったみたい。一回しか合ったことないから気付かなかったよー!」
「……そうか。でも、それを確認するにしては時間がかかったな? 20分は話してたぞ?」
「中々、思い出すのに手間がかかっちゃった」
両手を合わせて兄に「ごめーん」と謝る一条 日華。彼女が紅葉 万葉を好いていると知らなければ、かなり魅力的な女子と言えるだろう。
顔の濃い一条 陽と兄弟だとは思えない。あまりにも似てなくて、DNA鑑定を依頼したくらいだ。結果は90%以上が血縁関係にあると出た時には驚いたものである。
「想くんもごめんねー」
「……」
勿論、二人の元に戻ってくるのに時間がかかったのは、僕たちが本当に知り合いだったからではない。単純に、僕が何者で何が目的なのかを説明するのに時間を要したのだ。
当然ながら、信用はされなかったのだけれど、常人じゃ手にすることのできない個人情報とデータを開示することで、一応は信じてくれたようだ。
秘薬のことも――半信半疑だが「使っても良いかも」と言っていた。
一条家の祖先は忍者と言われれば、認めたくなるくらいの変わり身の早さで一条 日華は僕と手を組んだ。
もっとも、紅葉 万葉を好いていると誰にも言えなかったのだ。秘密を僕みたいな人間でも共有することができて嬉しいのか。
「でー、これから、ちょっとケーキでも二人で食べることになったから、ゴメン。二人はたまにはデートでもしながら帰ってよ」
「馬鹿、兄貴をからかうなよ。別に俺は一人で帰るから問題ない」
「照れちゃってー。じゃあ、万葉。こんな兄でもよろしく頼むねー!」
「はーい。無事に家まで送り届けます」
紅葉 万葉が敬礼をした。それに答えるように一条 日華も敬礼をすると、僕の腕を掴んで早足で歩きだした。
「……よく我慢したね」
自分から好きな相手を兄に任せるのは辛かったのか。
唇を噛んで、眼には涙を浮かべていた。
「あの馬鹿兄貴は、私が欲しいものを手にしてるくせに、大事にしようとしないんだ。だから、私が友達として――!」
それもまた情報通りだった。
一条 陽と紅葉 万葉は付き合ってはいるものの、デートをする回数は普通の高校生カップルに比べて極端に少ない。
二か月に一回。
遠距離恋愛かと僕でも思う回数だ。
それは、一条 陽が自信を鍛えることを優先していること。そして、紅葉 万葉はそんな一条 陽が好きだと言うことだった。
「ねぇ……。さっき言ってたことは本当なの? 私が兄から万葉を奪えるって!!」
「ええ。あなたが本気で望むのなら。とは言え、この話はあるきながらすることではないので――どうですか? 私の行きつけの喫茶店にでも」
これがまずは第一関門だ。
見知らぬ人間と知らない喫茶店やバーに入ることを了承する。本気で後がない人間じゃないとこの誘いには乗ってこない。
ここで、「あ、やっぱりやめときます」や「私のお気に入りの店が……」と提案できる人間はまだまだ余裕はある人間。
そんな人間に貴重な秘薬を預けることはできない。
「……」
一条 日華は数回瞬きをしたのちに言う。
「万葉を手に入れるためなら、何処にでも行きます」
彼女の精神は、僕が期待している以上に狂っているようだった。
◇
「そんな薬があるの……? でも、そんな凄いものがあるなら、なんでもっと噂にならないの?」
僕は青と白のカプセル型の錠剤を見せる。外見だけで言えば市販の薬となんの変わりもない。こんな小さな粒で力が手に入るなんて。
それが一条 日華が秘薬を見た第一声だった。
「ええ。簡単に言えば優れている薬には副作用があるように、これにもまた、少なからず副作用があるんですよ」
「副作用……」
「ええ。昔はこのクスリを服用して何人も死者が出たらしいですよ」
死という言葉を聞いて、一条 日華が顔を顰めた。
「今はもう、人が死ぬことはなくなりましたが、しかし副作用があるのは事実です。ですから、こうしてテスト者を探して、同意を得てから試しているというわけです。現在は副作用と大袈裟に言ってはみましたが、実際は気にする程のことではないんですけどね」
「そうなの?」
「はい。種明かしをしてしまえば――薬を飲んだ時に抱いていた感情をより強くさせる。と言うものです。一条 日華さんの場合は、紅葉 万葉さんのことをより強く好くのかもしれません」
「なーんだ。それだけ?」
覚悟していたよりも副作用が小さなことだと拍子抜けたのか、安堵したように姿勢が崩れた。感情が強くなるとだけ聞けば、些細なことに感じるかもしれない。
だけど、それは人を殺すストッパーすらも壊してしまうものなのだ。
ブレーキのない力ほど扱い難いものはない。
そんなものが、多くの人に渡れば、世界は混乱して滅んでいく。だからこそ、使用許可が得られないらしい。
「じゃあ、早速貰おうかな?」
一条 日華は僕が持っている新薬に手を伸ばした。なんか、さっきからタメ口だし、馴れ馴れしい態度なのが気になるけど、まあ、我慢しよう。
元より人に文句やケチをつけるのが嫌いないい人ぶる僕だ。
言えるわけもない。
文句は言わないけど、まだ、話しが終わっていない状態で渡すことはできない。
伸ばしてきた女子高生の細い手を躱した。
「なによ!」
「残念ですが、タダでは渡すことはできません。あなたが女子高生であることを配慮すると――30万円で譲りましょう」
これまで夢見る少女のように目を輝かせていた一条 日華だったのだが、30万というお金の話に一気に現実に引き戻された。
因みにこの秘薬と取引する値段は、それぞれの営業に任されている。
つまり、タダで渡す人もいれば、お金を取る人間もいる。
僕はお金を取る方の人間だった。
自分が生活するため――ではなく、これもまた人の覚悟を見るためのものだ。その人が払えるか払えないかの値段を告げる。
お金を用意する努力を見て、本気度を図り――例え準備できなくても諦めずに必要なんだと頭を下げればタダで渡す。
それが僕のやり方だ。
もっとも、お金と秘薬を交換した場合は、売った金額の7割を会社に納めなければいけないのだけれど。
「そんな大金……払えないよ」
女子高生にとって30万は――いや、社会人である僕からしてもかなりの大金だ。本当かもわからない薬に出すにしては、大きすぎる。
「諦めるかどうかの判断は任せます。金額が容易できましたらこちらに連絡を……」
今度こそ写真ではなく名刺を渡す。
そこに乗っているのは連絡先以外は出鱈目な文字列。僕の名前も会社の名前も全部が嘘だ。
「と言っても、3か月後には違う端末に変えてしまうので、それまでがリミットです」
「……分かりました」
◇
「と言うことで、取り敢えずは問題ありません。後は、連絡が来るのを待つだけです」
僕は緊張をなんとか誤魔化しながら、面持ちでデスクに座る男に言った。一条 日華と別れてから一週間が経過していた。
重苦しい沈黙から逃げるように部屋の中に視線を転がす。
全てのモノが高級品だと自己主張する部屋。
滑らかな皮のソファに腰かけ、テーブルに肘をついて話を聞く男は、どうやら偉い立場の人間らしい。僕なんかが、お目に掛かれるはずもない重役だった。
「それで……。ターゲットは購入する気があるのか?」
年齢は50歳くらいだとは思うのだけれど、童顔からかはっきりとした年齢が読めない。ただ、お偉い人に向かってこういうことを言うのは失礼なのだろうが、小僧感が半端ない。
この部屋に入る前に先輩が「子供っぽいから緊張する必要はない」と言っていたのは性格の話では無く、見た目のことなのかと実感した。
「半々だと」
「それは困るね。今回の件は多くの人間が興味を抱いている。恋愛感情でも効果はあるのか。それにしても――我々には想像もつかない発想だな。最後まで君がやってくれれば心配はないんだがな……」
小僧は――じゃなかった、お偉いさんはそう言って僕の斜め後ろに立つ先輩を褒めた。遠まわしに僕なんかに任せないで先輩が一人で進めるべきだと言っているのだが、
「ありがとうございます。想太にもいい経験になります」
と、笑顔で言葉を避けたのだった。
重役にも物怖じしない先輩の態度。人の上に立つ人間はこうなんだなと感心する。
避けないで貰った方がありがたいのだが、出来る先輩は後輩の気持ちまでは探れないようだった。先輩の場合は知っててやらせているんだろうが。
「私もいい結果を出せるよう、精一杯フォローしますので」
「……ふむ。ならば安心だ」
「ええ。では、失礼します」
先輩は笑顔で会釈をすると扉を開いて部屋の外に出た。僕はこの部屋に一人取り残されないよう、慌てて先輩の後に続いた。
「うん。初めてにしては良かったんじゃない?」
「全然です。滅茶苦茶緊張しましたよ! なんで、急に報告しなきゃいけないんですか! これまで、そんなこと一回も――!」
「それだけ期待してるんですよ」
「なら、やっぱり先輩が――」
「私も今は忙しいから。正直、手が回らないのですよ」
「……」
そう言われると何も言えなくなる。
月ごとの秘薬の消費量、使用者の状態、お金を渡した場合、発生する納金の計算。それらは全て先輩が行って、報告をしてくれていた。
「それに、私個人の売り上げも落ちてきています。そこを突っついてくる相手もいますから」
「そうなんですか……」
「ですから、私の右腕に相応しい君に仕事を任せたのです。いきなり大変な目に合わせてるとは思いますが……。想太ならやってくれると信じていますから」
先輩は僕に向かって微笑んだ。面と向かってそう言われては、頑張ろうと思う僕は単純なのだろうか。
人に必要とされるのは素晴らしいことだ。
でも――、
「なんで僕なんですか? 僕より成績のいい人はいくらでもいます」
「ふふふ。それはね、想太が私と似ているからだよ。自分が弱いのを知っているから人を助ける。純粋な気持ちを想太が持ってるから、つい、任せたくなったんだ」
「……」
「今回の件だって、多くの人が期待していると知りながら、自分の意思を折らずに取引を持ち掛けましたしね。これは、私の引退の日も近くなりそうです」
「先輩……」
ここまできたら、後は一条 日華がどうするか。一応、彼女がお金を用意できなかった場合、形だけでも上が納得する言い訳を考えておくようにと、有難い宿題を残して先輩と分かれた。
だが――その宿題を考える間もなく、僕の携帯が振動したのだった。




