言えなくなったこと
カエルンに報告してから、数日後。
シェイドは訓練の前に、アレンの執務室へ呼ばれた。部屋にはカエルンもいた。
「先日の件は、教官と本人たちに確認しました」
シェイドが座ると、アレンは話し始めた。
「任された作業を押しつけたことと、あなたやリア様への発言について、二人には厳しく注意しています。今後は訓練担当にも様子を見てもらいます」
「……ありがとうございます」
「また何かあれば、知らせてください」
隣のカエルンも、シェイドへ顔を向けた。
「前にもお伝えしましたが、報告したことを責められても、我慢しないでくださいね」
「うん。分かった」
話したことを、きちんと確かめてもらえた。
シェイドは少し肩の力を抜き、二人へ礼をした。
◇
その日の訓練では、教官が組む相手を決めた。
何度か打ち合ったあと、相手の騎士がシェイドへ声を掛ける。
「右へ避ける時、足より先に身体が右を向いている。だから、どちらへ動くか分かるぞ」
「……あ」
シェイドは、さっきの動きを思い返した。
剣を避けようとして、足を運ぶ前に肩を回していた。
「それで、避けた先にも剣が来てたんですね」
「ああ。動き始めるところを見ていた」
「もう一度、お願いしてもいいですか?」
「ああ」
次は、先に身体を向けないよう意識した。
すぐには直らなかった。それでも何度か試すうちに、相手の打ち込みを避け、構え直せることが増えた。
休憩になると、ノイッシュとミストが近づいてきた。
「何、教えてもらってたんだ?」
「避ける前に、身体の向きで行き先が分かるって」
「オレも見てみる。次、組めたらな」
「ノイッシュも同じことしてたりして」
ミストに言われ、ノイッシュが自分の肩を見る。
「……じゃあ、オレのも見てくれ」
シェイドは笑って頷いた。
離れたところには、先日の二人もいた。目が合うと顔を背けられたが、何か言われることはなかった。
今日は、教わった動きに集中できた。
◇
翌日、リアの部屋へ入ると、机には授業で使う本が用意されていた。
「シェイド、先生がいらっしゃるまで、まだ少しあるの。その前に、これを見て?」
リアが持ってきた紙には、温室で見た青い花が描かれていた。
「描いたんですか?」
「うん。帰ってから。覚えてる?」
「はい。通路の脇に咲いていた花ですね」
シェイドは紙を受け取り、自然に笑った。
「札まで描いてある」
「そこは覚えてたの。でも、花の真ん中が少し分からなくなっちゃって」
リアが隣から絵を覗き込む。
「シェイドも見てた?」
「見ていました。確か、ここは――」
廊下で足音がした。
開いた扉の向こうを、城の使用人が通り過ぎていく。
シェイドは顔を上げた。
――気に入られてるなら、最初から有利だよな。
紙を持つ手が止まる。
シェイドは姿勢を正し、絵をリアへ返した。
「花の本にも載っていたと思います。そちらで確かめれば、分かるかもしれません」
「……本?」
「はい」
リアは受け取った紙と、シェイドの顔を見比べた。
まだ先生は来ていない。廊下を通った人も、シェイドを呼んだわけではなかった。
「シェイドは、どう見えた?」
「僕も、はっきりとは覚えていませんので」
さっきは何か言いかけていた。
リアは紙へ目を落とした。
「……そっか。あとで調べてみるね」
「はい。先生がお越しになるまで、こちらで待機します」
シェイドは扉のそばへ戻った。
リアはしばらく絵を持ったまま立っていたが、やがて机へ向かった。
◇
午後の面会に使う部屋が、変更になった。
シェイドはカエルンに、開始時刻と客の変更がないことを確かめた。移動に使う廊下も確認してから、警備担当へ伝えに行く。
戻ると、相手の返事まで報告した。
「新しい部屋の入口にも、人を回してもらえるそうです」
「ありがとうございます。必要なことを確認できましたね」
「前は、時間を聞かれて答えられなかったから。今日は先に聞いておいた」
カエルンが頷いた。
「よい報告でした。では、休憩にしてください」
「うん」
次の予定へ目を向けたところで、もう一度呼ばれる。
「シェイド。仕事は問題ありませんが、少し力が入りすぎているように見えます」
「……そう?」
「休憩の間まで、次にすることを探さなくてもよいのですよ」
シェイドは手元の予定表を見た。
まだ、忘れていることがあるかもしれない。そう思って、何度も確かめていた。
「うん。気をつける」
予定表を置き、水を飲みに向かった。
◇
面会を終えたリアは、庭園を少し歩きたいと言った。
カエルンが予定を確かめ、バルドが先に庭へ向かう。
シェイドはリアに付き添って、部屋を出た。
「今日は、あったかいね」
「そうですね」
「温室じゃなくても、お花が見られそう」
「はい。庭園の方へ参りましょう」
リアは隣を見た。
シェイドは穏やかな顔をしている。けれど、温室で見た花について尋ねてくれることはなかった。
庭へ出ると、木の上から鳥の声がした。
小さな鳥が枝の間を跳ねている。
「シェイド、前にもあんな鳥を見たよね」
シェイドが顔を向けた。
「そうでしたね」
「本で探したけど、似ている鳥がいくつもいて」
「また調べてみると、分かるかもしれませんね」
「……うん」
鳥が隣の木へ飛び移った。
リアはその先を見上げたが、シェイドは歩いてきた道へ目を戻していた。
少し歩くと、以前、シェイドと並んで座って本を読んだ長椅子が見えてきた。
リアはその前で足を止める。
「ここで、ちょっと座ってもいい?」
「はい」
リアが腰を下ろすと、シェイドはそばに立った。
隣には、前と同じように一人分の場所が空いていた。
リアはそこへ一度目を向け、膝の上で手を重ねた。
「シェイドは……」
「何でしょうか?」
すぐに顔を向けられた。
訓練はどうだったのか。ノイッシュとミストは元気なのか。
聞こうとしていた言葉が、出てこなくなった。
「……なんでもない」
シェイドは少し屈んだ。
「お疲れでしたら、部屋へ戻りましょうか?」
「大丈夫。もう少し、ここにいたい」
「承知しました」
シェイドが姿勢を戻す。
リアは木々へ目を向けた。
声を掛ければ、必ず返事をしてくれる。
けれど、その先をどう話せばよいのか、今日は分からなかった。
◇
部屋へ戻る途中、ルイと会った。
「庭に行ってたのか」
「うん。少しだけ」
リアの返事を聞き、ルイはその顔を見た。
「何か、咲いてた?」
「……お花は咲いてたよ」
それだけ答えると、リアは廊下の先へ目を向けた。
ルイの視線が、そばに立つシェイドへ移る。
シェイドは礼をして、リアが歩き出すのを待っていた。
「リア。何かあったのか?」
「何でもないよ。ちょっと疲れただけ」
「……そうか」
ルイはそれ以上聞かなかった。
「なら、部屋で休めよ」
「うん」
二人を見送ってからも、ルイは少しの間、廊下に立っていた。
◇
部屋へ戻ると、ニーナがお茶を用意してくれた。
「どうぞ、リア様」
「……ありがとう」
リアは差し出されたカップへ手を伸ばした。
ニーナはその顔を見て、少し声を落とした。
「お疲れですか?」
「うん……少しだけ」
「では、ゆっくりお休みくださいね」
リアは小さく頷き、カップを両手で持った。ひと口飲むと、温かいお茶が喉を通った。
机の端には、青い花の絵がある。
授業のあと、本で確かめて花びらを描き直していた。朝よりも、温室で見た花に近づいた気がする。
シェイドは入口でレミユと、このあとの予定を確認していた。
リアは絵へ伸ばしかけた手を止める。
話が終わるまで待った。
やがてレミユが出ていき、シェイドが室内へ戻ってくる。
「リア様。このあとは、お部屋でお過ごしいただけます」
「……うん」
今なら、見せてもよいのかもしれない。
「シェイド、あのね」
「はい。何でしょうか」
シェイドが向き直った。
きちんと姿勢を正し、こちらを見ている。
リアは朝、絵を見て笑ってくれた顔を思い出した。
あの時は、もう少し話せそうだった。
「……本を取ってもらえる?」
「どちらの本でしょうか?」
「そこにある、花の本」
シェイドは本を持ってきた。
リアは両手で受け取る。
「ありがとうございます」
シェイドが、わずかに目を見開いた。
リアも自分の言葉に戸惑い、すぐに目を落とした。
いつもなら、ありがとうと言うだけだった。
シェイドは何か言いかけたが、リアが本を開くと口を閉じた。
声が少し沈んで聞こえた。
疲れているのかもしれない。今日は面会もあったのだから。
そう思い、扉の近くへ戻った。
リアは本の中に青い花を見つけ、絵を隣へ並べた。
描き直した花びらは、今度はよく似ている。
シェイドにも、そう思うか聞きたかった。
顔を上げると、すぐそこにいた。
呼べば、こちらを向いてくれる。
それでも、朝のように絵を差し出すことはできなかった。
リアは紙を本の間へ挟んだ。
ゆっくり閉じると、シェイドが顔を向ける。
「リア様。ほかに必要なものはありますか?」
リアは本の上へ置いた手を見た。
「……何もいらない」
「承知しました」
静かな返事が届く。
リアは膝の上へ手を戻した。
青い花の絵は、本の中にしまったままだった。




