第1話 異変
電車の揺れに身を任せ、俺はスマホの画面を流し見していた。
眠気は抜けない。昨日の帰宅は23時過ぎ。
今日も、遅くまで拘束される。
その時、ニュースの見出しに指が止まった。
『アーク鉱、取引価格が過去最高を更新』
「また上がったのか」
アーク鉱は、10年前から世界各地で発見されるようになった新種の鉱物だ。
従来の鉱物とは比較にならないほど高いエネルギー保存能力を持っていて、
発見から数年で発電設備や蓄電池、医療機器など、様々な分野で利用されるようになった。
今では電気を使う生活の中に、当たり前のようにアーク鉱が入り込んでいる。
俺自身、アーク鉱について詳しいわけではない。
仕事で扱っているとはいっても、研究者でも技術者でもなく、営業部門の事務員だ。
届いた資料を整理したり、取引先への書類を作ったり、研究部から頼まれた荷物を運んだりする。
それが俺の日常だった。
会社に着くと、いつものように自分の席へ向かった。
パソコンを立ち上げ、メールを確認していると、昼前になって上司から声をかけられる。
「悪い、これ研究部の倉庫に運んどいて」
「分かりました」
渡されたのは、30センチほどの木箱だった。側面には白いラベルが貼られている。
【アーク鉱・研究用サンプル】
「アーク鉱ですか?」
「そう。研究部が昨日受け取ったやつ。置き場所だけ間違えないでくれればいい」
「了解です」
箱を持ち上げた瞬間、予想以上の重さに少し驚いた。
見た目はそれほど大きくないのに、ずっしりと腕に負荷がかかる。
「結構重いですね、これ」
「中身が中身だからな」
そう言われ、俺は両手で抱え直して倉庫へ向かった。
倉庫に入り、指定された棚を探していると、腕の中から小さな音が聞こえた。
カタン。
「ん?」
箱の中で何かが動いたような気がした。俺は念のため床に箱を置き、蓋を開ける。
緩衝材の中央に、黒い鉱石が一つ入っていた。
拳より少し大きく、表面には細い亀裂のような模様が走っている。
照明を当ててもほとんど光を反射せず、見ていると妙に目を引かれる石だった。
「これがアーク鉱か」
実物を見るのは初めてだった。
仕事で名前だけは何度も聞いているのに、実際に目の前にすると不思議な感じがする。
俺は何となく手を伸ばし、鉱石に触れた。
その瞬間、心臓が大きく跳ねた。
「……っ」
同時に、黒い表面を赤い光が走る。
ほんの一瞬だった。
次の瞬間、視界が白く弾けた。
「なんだ……今の」
気づけば、いつもの倉庫に戻っていた。
俺は鉱石を握ったまま立ち尽くしていた。
心臓が妙に速い。手の中のアーク鉱は、さっきまでとは違って熱を持っている。
「熱っ!」
反射的に手を離すと、鉱石が床に落ちた。
しばらく動けなかった。夢を見たような気もする。
でも、夢にしては妙に鮮明だった。
俺は床に落ちたアーク鉱を拾い上げる。
今度は何も起こらない。赤い光も、熱も消えている。
「……疲れてるのかな」
そう呟き、鉱石を箱へ戻した。
蓋を閉めて棚に置き、俺はそのまま倉庫を出た。
自分の席に戻ると、パソコンの画面には未処理のメールがいくつも並んでいた。
「……多いな」
さっき倉庫で起きたことを考えながら、仕事を再開する。
あれが何だったのかは分からない。
アーク鉱に触れた瞬間、確かに何かを感じた。
でも、もう一度触って同じことが起きるとも限らない。
気にはなったが、仕事中に考え続けるほど暇でもなかった。
昼を過ぎ、しばらくしてから研究部の担当者がやってきた。
「悪いんだけど、さっきのアーク鉱、もう一度持ってきてもらえる?」
「さっきの箱ですか?」
「そう。研究室で確認したいものがあるんだ」
「分かりました」
俺は倉庫へ向かった。
棚から木箱を下ろし、床に置く。蓋を開けると、黒いアーク鉱が緩衝材の中央に収まっていた。
さっき触れた時のことが頭をよぎる。
「……」
少し迷ったが、今度は直接触らず、緩衝材ごと箱を持ち上げようとした。
その時だった。
箱の端が棚に引っかかった。
「うわっ」
箱が傾く。
中のアーク鉱が転がり、木箱の角にぶつかった。
カツンッ。
黒い表面の一部が欠けた。
「あ……」
小さな欠片が床に落ちる。
俺は箱を落とさないように支えながら、しゃがみ込んだ。
その瞬間、何かが口に入った。
「ん?」
反射的に舌で触れる。
硬い。
「なんだこれ」
吐き出そうとしたが、驚いて息を吸った拍子に、そのまま飲み込んでしまった。
「……最悪」
床を見る。
小さな黒い欠片がいくつか落ちている。さっき口に入ったものと同じような色をしていた。
俺は拾い集めてから立ち上がった。
その直後だった。
「……あれ?」
胸の奥が熱くなった。
さっきまで何ともなかったのに、急に体の内側から熱が広がっていく。
「なんだ、これ……」
心臓が強く脈打つ。
息が少し苦しい。
俺は近くの棚に手をついた。
力を入れているつもりはなかった。
それなのに、
ギシッ。
「……?」
棚が大きく軋んだ。
俺は慌てて手を離した。
体の熱はさらに強くなっていく。
「熱い……」
汗が額から流れ落ちる。
そのまま数分、俺は棚の横でじっとしていた。
やがて、体の熱が少しずつ引いていく。
「……はぁ」
息を吐く。
さっきまでの苦しさが嘘みたいに消えていた。
俺はゆっくり立ち上がった。
「……なんだ?」
体調が悪いわけじゃない。
むしろ、調子がいい。
肩を回す。
腕を動かす。
足を踏み出す。
妙に軽い。
俺は近くに置かれていた段ボール箱を持ち上げた。
「……軽っ」
いつもなら両手で持つ箱だった。
それが、片手でも簡単に持ち上がる。
何度か持ち上げてみる。
間違いない。
力が強くなっている。
俺は箱を床に戻した。
自分の手をじっと見る。
見た目は何も変わっていない。
「なんで……」
その時、廊下から足音が聞こえた。
「おーい、まだ倉庫?」
「あ、はい。今行きます」
慌てて木箱を閉じる。
欠けたアーク鉱はそのままにして、俺は箱を持ち上げた。
今度は、さっきまでの重さが嘘みたいだった。
俺はそのまま研究室へ向かった。




